第5話『子供』
————。
音のない軽い足取りで、影は少年の前へと現れる。
まるで陽炎のように、そこにいるはずなのにどこか別の場所にいるような、そんな曖昧な存在感。幽霊というには現実感は確かにある。しかし、人と呼ぶには何か稀薄なソレ。
その影は右へ左へ揺れ動きながらもゆっくりと少年へと近づいて行く。
少年は微かな吐息と規則的に上下する胸から眠っていることがよくわかる。
この真夏の陽光の下よく眠っていられるとも思うが、影はそんなことを気にもしていないのか、そのふらふらとした足を止めることなく、少年を自身の陰で覆う。
陰は思いの外小さく、少年の体全ては収まらない。
だからこそなのだろうか。影は何の迷いもなく自身を少年へと重ねていく。ゆっくりと。ゆっくりと。まるでこの暑さで溶け込んでしまうかのように。その吐息と吐息が混ざり合うほどに。みっちりと――。
「何をしているのだ、お前は——」
*
「何をしているのだ、お前は——」
その声で、黒衣の意識は真夏の昼間へと引き戻される。
「ん——?」
膝の上には眠りに就く前と同様に、未だ重さを感じている。
その感覚に妙な愛らしさを覚えるが、同時に違和感も胸へと湧き上がる。
——何か少し、違うような……?
そんな違和感を抱きながら、黒衣は瞑っていた瞼を開け放つ。
「……………………」
「……………………」
開けた視界に入ってきたのは、ガラス玉のように光る大きな黒。
それが自分を間近で見つめる二つの瞳だと気付くのに数秒。
気付いてすぐに顔を背けるが、
「ふぎゅ…………っ!」
頰を両手で捕らえられ、さらに瞳は近づいてくる。
そんなに近付いたら逆に何も見えないだろうに。
だがそれでもその瞳は一向に引こうとはせず、四つの瞳が合わせ鏡のように違いを写し始めた頃――、
「おじいさん?」
と、何の前触れも脈絡もなく、瞳はそんなことを言い始めた。
「お、おじいさん……?」
その言葉の意味するところを測りかねる黒衣だが、同時に何かを思い出す。
——それは確か昨日……。
そこでハッと思い出す。
そう確か、昨日学園へ訪れるよりも前。和菓子屋への寄り道の途中、暑さに参る黒衣の前に、そんなことを言う子供が現れた。
その子もしきりに黒衣のことを「おじいさん」と呼んでいたような気がする。
もしや……。
「おい」
と、急に視界が開ける。
急に網膜を襲う夏の日差しに目を細めること数秒、見覚えのある二つの顔が姿を現す。
「あ」
そこにはこの一週間何度も目にした黄金色の少女の顔と共に、もう一つの小さな顔があった。
昨日、黒衣を訪ねたその子供だ。
確か名前は――、
「えっと……、ゆうたくん?」
「うん!」
その子供――ゆうたくんはアリスに子猫のようにつまみ上げられているにも関わらず、黒衣が名前を呼ぶと元気よく返事を返す。
その夏の太陽を模したかのような純粋な笑顔に、黒衣も思わず笑みを漏らす。
だがそんな二人とは裏腹に、ゆうたくんを持つアリスの表情は芳しくない。
「おい、人間。なんだこの子供は」
まるで腫れ物でも見るかのように目元を険しくするアリスに、黒衣は意外に思いつつも答えを返す。
「ああ。昨日ちょっと話しかけられたんだよ。ほら、和菓子屋に寄ったとき――」
「違う。そうではない。わたしが聞いているのはそんなことではない」
何が気に食わないのか、アリスは不服そうに頭を振って。
「こいつ、今お前を襲おうとしていたぞ」
と、そんなことを言ってくる。
「は——?」
——何を言ってるんだ、コイツは?
だがアリスの表情は至って真剣なもので。
とても冗談を言っているようには見えない。
「……どういうことだよ」
「どうもこうもあるか。今コイツはお前から魔力を吸い取ろうとしていた。見ていなかったのか?」
「生憎、俺は寝てたんでね。何をされてたかまでは見ていない」
――そもそも俺は上に乗っているのが白ウサギだと思っていたんだ。
アリスの質問に答えながら、黒衣は目の端で辺りを確認する。
公園にはこの場の三人以外人はいないらしく、夏休みの昼間だというのに静かなもので。
無論、黒衣の目当てである白いシルエットも見つからない。
――そりゃまぁそうか。
なんとなく残念な気持ちにもなるが、今は置いておこう。
それよりも、気になるのは……。
「それよりも今、『魔力』っつったか?」
「ああ」
「てことはあれか? この子が【妖精】の関係者だと?」
アリスは沈黙のまま黒衣の瞳を見つめ返す。
おそらく肯定ということなのだろう。
だが、当の本人であるゆうたくんは服が掴まれているのをいいことに、クルクルと楽しげに回っていらっしゃる。
「この子が、【妖精】?」
甚だ疑問である。
黒衣は今まで、味方となったアリス桃太郎以外に三人の【妖精】と言葉を交わしている。
『茨の魔女』、魔女の配下の灰色狼、そして白ウサギである。
他にも【逢魔時】で『ウサギの軍隊』や大男といった【妖精】と出会ってはいるが、言葉を交わしたのはこの三体だけである。
だがこの誰とも、目の前で回る少年は似付かない。
もちろん黒衣に【妖精】と人間の明確な違いなど説明できない。人の形さえ取っていれば、黒衣にとって人間も【妖精】も違いなど存在しないのだ。
だがそれでも、今まで出会ってきた【妖精】とは明らかに雰囲気が違う。オーラと言ってもいい。
そういった人間離れした何かが、この少年からは感じられないのだ。
人間とは一線を画した、何かが。
「…………」
――馬鹿馬鹿しい。
いくらこの子が怪しい行動をとっていたとしても、さすがにそれは話が行き過ぎだろう。
奇妙な行動をとった者が【妖精】だと言うのなら、子供は漏れなく【妖精】ということになるではないか。
いくらなんでも、それはありえない。
「まぁいい。今その話は置いておく。それより、まずその子を離せ」
この子自身今の状況を楽しんでいるようだからいいのだろうが、物みたいに掴み上げているのは見ていて気分のいいものではない。
だがアリスは信じられないとでも言いたげに目を見開く。
「だがコイツは――」
「いいから!」
「っ…………」
黒衣の物言いに怯んだのか、アリスは一瞬言葉を詰まらすと、
「…………わかった」
と、素直にその手を離す。
「ん……、終わり??」
「ああ。痛くなかったか?」
「ぜんぜん!」
無邪気にそう問うてくるゆうたくんに、黒衣は腰を屈めて頭を撫でる。
ゆうたくんはくすぐったそうに身を屈めるが、すぐにバッと顔を上げ口を開く。
「ねぇ、おじいさんは?」
「おじいさん?」
――って、結局誰のことだ? よもや俺のことじゃないと思いたいのだが……。
「なぁゆうたくん。その『おじいさん』ってのはどんな人なんだ?」
おそらくこの子の保護者なのだろう。夏休みを機に祖父母の自宅へ訪れたはいいものの、その『おじいさん』とはぐれてしまったというところだろうか。
であるならば、その『おじいさん』のところへ連れて行ってあげるのが筋だろう。
——面倒ではあるけどな。
「えっとねぇ~、えっとねぇ~。おじいさんはねぇ~、お髭がとっても白いの! それでね、もじゃもじゃしててね、まん丸のめがねをかけてるの!」
ふむふむなるほど。
どうも立派な白い口髭を貯えたご老人らしい。眼鏡に口髭とは年寄りでもなかなか珍しい風体のようだ。だがそれほどの特徴を有しているというのなら見つけるのも容易だろう。
「よし、わかった。じゃあゆうたくん。俺とそのおじいさんを探しに行こうか」
黒衣が言うや否や、ゆうたくんは驚いたように目を丸くして両手を上げる。
「ほんと!?」
「ああ、ほんとだホント。お兄ちゃんはウソつかないぞ」
「やったーー!!」
本当に嬉しいのか、文字通り飛び跳ねるようにして歓声の声を上げる。
それを見て、黒衣もなんだか誇らしい気分になる。
と同時に懐かしい気持ちにもなる。
自分が失った無邪気な冒険心。
おそらく自分も、こんな風に何も臆することなく笑っていたはずだ。
「それじゃあゆうたくん、行こうか」
「うん!」
そうしてゆうたくんの小さな手を繋ぎ、公園の出口へ向こうとしたところで黒衣は振り返り、
「アリス。お前はどうする?」
アリスへと声をかける。
さきほどは少し言い過ぎてしまったと、黒衣も少し思うところがある。
それにアリスは黒衣にとって大切な存在だ。離れるわけにはいかない。
だが、
「――わたしは……」
黒衣に問いに、アリスは言葉を詰まらせる。
アリスが黒衣の問いに対し即答で返さないこと自体珍しいというのに、言い澱むなんて初めてだ。
黒衣が思うよりもさきほどのことを気にしているのかもしれない。
アリスが答えぬままでいると、ゆうたくんがアリスのエプロンドレスの裾を引っ張って、
「ねぇ、行こう!」
と、ただ一言。含みのない笑顔でそう告げる。
「ん、ああ……」
思いも寄らぬ誘いの言葉に、アリスは勢いに負かされて承諾する。
「れっつごー!」
「おー!!」
黒衣とゆうたくんは手を繋ぎ、意気揚々と夏の住宅街へと歩いてく。
そんな二人の後ろを、日傘を差したアリスがついてくる。
いつもとは真逆の状況を、黒衣は対して気にしない。
たまにはこういうこともあるさと、そう思い。
黒衣は振り向くことなく歩いてく。
夏の陽炎へと、ゆっくりと。
そんな三つの影を見送って、白い影は消えていく。
*
「で、これはどういう状況なわけ?」
ヒクヒクと、額に漫画さながらの青筋を走らせて、一体の【鬼種】が黒衣たちの目の前へと現れた。
否。それは鬼に非ず。さも『鬼』であるかのような気迫と形相を形作っているが、そこにいるのは鬼ではない。黒衣と同様、一人の人間――女の子だ。
ただ、同様かと問われれば、黒衣自身疑問の残る。
なぜならば、目の前にいるそれを、自分と同様の人間とは到底思えないからだ。
鬼。
【鬼種】ではなく、『鬼』。
そう表すのが最もぴったりであると、その少女と相対した黒衣は心の中でそう確信した。
そうそれは、『本の鬼』こと鬼瀬杏子の顕現であった――。
体が震えているのは自分自身なのか、それとも意気揚々と肩車をさせていたゆうたのものなのか。はたまたその両方か。
問われた黒衣は動けない。
わずかな挙動一つすら死に直結してしまうのではないかと錯覚するほどの気迫に、黒衣は一歩も動くことができない。
「聞こえなかったみたいだからもう一度聞いてあげるわ。せっかくあたしが提案してあげた特訓をサボって、アナタはこんなところで、一体何をやっているのかしら?」
ゴゴゴと、そんな擬音が背後に見える。
チラリ、と杏子は頭上のユウタくんへと視線を向ける。
「その子は?」
「へ?」
「その子はなんなのかって聞いているのよ、黒衣くん。聞こえなかったかしら? 耳のお掃除が疎かなのかもしれないわね。それはいけないわ。よかったらあたしがお掃除してあげましょうか? 今耳かきは手元になんだけど、そうね。アナタのガバガバなお耳なら、コレで十分よね?」
そう言って杏子は顕現させた数十本もの小太刀をひらひらと見せつけてくる。
ト――、
「――ぃ」
その音が耳元を撫でて、ようやく黒衣は自分の背後に小太刀が突き立っていることに気付いた。
より正確には、突き立っているのではなく、目にも留まらぬ速度で射出し突き立てられた小太刀、だが――。
「あらあらあらあら、いけないわね。黒衣くん相手に狙いを外してしまうなんて。こんな愚かで愚鈍な後輩でも知らない相手じゃないのだから。わざと外して恐怖を与えるなんて回りくどいマネ、するもんじゃないわよね。身内なんだからこそ、一発で仕留めてあげないとね。――次は当てる」
「ひ――」
飲む息すらも与えないほど、その場全てを支配してしまう杏子のシンプルな言葉。
鬼と形容されるだけの容赦のなさと、真に迫る鋭い眼光。
たとえ彼女が素手であったとして、死を意識するに容易く。
心を折られるよりも前に砕かれていたことを認識した黒衣に、反抗の意思などあるはずもなく。取れる行動などたったの一つだけ――、
「すいませんでしたぁ――――――――――――――――――――――!!!」
土下座である。
それも見事な、頭に乗ったユウタくんを下ろしてからの無駄のない流れるようなスライディング土下座。残像が見えるほどに綺麗な曲線を描いての平服のポーズに、その場にいた全ての視線が黒衣へと注がれる。
「なんでもするから、殺さないでくださいぃぃぃ!!!」
面倒くさがり屋さん、怠惰の化身を黒衣は自称する。
それはつまるところ、何もしないためなら面倒ごとをも引き受ける、という理論に他ならない。
なんとも矛盾した――どころか破綻した論理である。
そしてそれを言われた相手は決まってこう口にする。
「今、なんでもするって言ったわよね?」
ニヤリと、不敵な笑みを浮かべて。
「い、いや、なんでもとは確かに言ったが、なんでもするってわけじゃあ……」
「言ったわよね?」
「ぅ……、はい……」
ぐうの音も出ず、黒衣は肯定するしかない。
そこでようやく気付くのである。自分に面倒ごとが舞い込むのは、自分の不用意な発言故だということに。
「おにいちゃん、かっこわるい……」
「っ!」
「ああ。なんとも無様だ」
「っ!っ!……」
ぼそりと。背後から聞こえる二人の呟きに背中を刺され、黒衣はこのまま地面へと沈み込みたい気持ちにさせられる。
「ま、とりあえずその件は置いておくとして――」
「許してくれるんですか?!」
「死にたいなら早くそう言うことね黒衣くん。そうじゃなくて――」
黒衣の早とちりを笑顔と小太刀で返して、杏子は背後のユウタくんへと視線を向ける。
「あたし直々の特訓を初日からすっぽかされたのは大変遺憾だけど、今はいいわ。それよりも、そこの……男の子? はなんなのかしら? まさかとは思うけど、ついに手を出したんじゃないでしょうねぇ」
「ついにってなんですかついにって! 手ぇ出しませんし、第一男の子に何するってんですか!」
「男の子もイケるなんて、ホンット真正ねアナタ」
「だから何の話!?」
――ええい、さっきから話が進まない。
「そうじゃなくてですね。この子はさっき公園で会ったんですよ。親御さんもいないし、自分の名前しかわからないみたいだから、一緒に探してて……」
「ふ~~ん、なるほどね」
――嘘は言っていない。本当のことだ。
「何で公園なんかにいたのかも気になるけど、まぁいいわ。あとで聞き出すとして、それよりも――」
「今ルビが変なことになっていたんですけど!」
「それより、迷子、ねぇ……」
杏子は黒衣の疑問を華麗にスルーして、何かを考えるようにメガネを弄りながらユウタくんをマジマジと観察する。
「ぅ……」
その視線にユウタくんは黒衣の背中へと身を隠す。
「どうか……したんですか、先輩?」
「う~~~~……ん…………。いいえ。あたしの気の所為ね、きっと」
杏子は意味深にそう言うと、怖がるユウタくんから視線を外す。
「迷子、だったわね。いいわ、あたしも手伝ってあげる」
「え、いいんですか?」
「もちろんよ。いくら忙しい身だと言っても、迷子の子供をそのまま放っておけるわけないわ。ほら、アナタ、お名前は?」
杏子は身を屈め、そっとユウタくんへと手を伸ばす。
「っ…………」
が、その手を拒否するように、ユウタくんは黒衣の足の後ろへと身を隠す。
「……は、ははは。ちょ――――っと怖かったかな、ユウタくん?」
「………………」
場を和ませようと声を張り上げるが、依然その場には晴天の真昼間とは思えない重い空気が広がっていた。
――というか、先輩の沈黙が怖いっ。
「ほらユウタくん。このお姉ちゃんは別に怖い人じゃないぞ? 実はとっても優しいお姉ちゃんなんだぞー?」
――たぶん。
しかしユウタくんはフルフルと首を振り、
「……ううん。このお姉ちゃん、怖い」
と、シンプルな一言を叩き込んだ。
ブスリと、誰かの胸を抉る音が聞こえた気がする。
「「「……………………」」」
――どうすんのこの空気!
——よりにもよって杏子の相棒である桃畜生はいやがらねぇし、アリスは依然テンション低いままだし。ああもうめんどくせぇ!!
「まったく。何をしているんだキミ達は」
と、そこに聞こえてきたのはさきほど心の中で罵倒してしまったイケメンボイス。戦闘時以外はあまり出てこないニクいヤツ。
桃の妖精こと――桃太郎だ。
「桃の妖精というのには大いに異論があるところだが、この際無視させてもらおう。ところで、これは一体どいう状況なのか説明してほしいのだが?。なぜ我が主人が地に手をついて腑抜けを晒しているんだ?」
「だ、誰が腑抜けを晒しているのよ……」
と反論を試みる杏子ではあるが、その落ち込んだ姿ではとても説得力のあるとは言えない。
正直、この今昔時代無用のイケメンはどうにも苦手であるのだが、この場にいる他二名が使い物にならない(当然自分は棚上げ)以上、コイツに任せる他ない。
黒衣はかくかくしかじかと事の内容を桃に説明すると。
「なるほど。保護者探しをしようにも、その子が杏を恐れて話が進まない、と」
簡潔にまとめてくれた。ありがたい。
「まったく。日頃の行いだぞ、杏。後輩だけに飽き足らず、先輩諸兄や教職員方にも高圧的な態度でいるから子供にまで怖がられるんだ。愛嬌を振りまけとは言わんが、もう少し淑女として慎ましさをだな――」
「わ、わかってるわよ。でもまともに仕事もしないで文句ばっか言ってる奴らを見るとどうしても……」
「それで要らぬ面倒ごとを増やしていては元も子もないだろう」
「ぅう……」
自身のパートナーに説教をされ、杏子はスネたように地面へ俯く。
これでは誰が子供かわからない。
「――と、すまない。子供の件だったな」
と、桃は本当の子供――ユウタくんへと向き直る。
一八〇を超える長身の桃とユウタくんが並ぶと、あたかもそれは巨人と小人が並んでいるようで。まさにファンタジーのような一面だ。
「ひ……」
桃の影がユウタくんをすっぽり覆う。昼間から夜へ変わったかのような変化に、ユウタくんは小さく悲鳴をあげる。
そんな小人の様子を知ってか知らずか、長身の偉丈夫はスッ――と腰を屈め、懐からあるモノを差し出す。
それは『桃太郎』を知っているものなら皆一様に知っている食べ物――、
「……きびだんご?」
白くて丸いみんなの愛されお菓子、岡山名物『吉備団子』だ。
雪を模したようにまん丸なそれを桃はユウタくんの目の前に差し出すと、
「食べなさい」
と、そう促してくる。
「あのー……、もーもたろさんももたろさん?」
「何かな、マスター宇佐美。聞き覚えのあるリズムで私の名を呼んで」
「その……それは?」
「? 知っての通り、きびだんごだが?」
「それは見てわかるのですが、何故それをユウタくんに?」
「キミは、私の物語は知っているか?」
――それはもう。『桃太郎』は有名ですし。
「ならば『きびだんご』についての逸話も聞いたことがあるだろう」
当然だ。『きびだんご』の存在は童話『桃太郎』を語る上では切っては離せないものの一つ。
桃太郎は鬼ヶ島へ向かう道中、出会った犬、猿、雉、の三匹に鬼退治の手伝いを依頼する。その見返りとして渡されたのモノがこの『きびだんご』だ。
「私の固有魔法の一つがこの『きびだんご』だ。食した相手を一定時間「共」とすることができる」
その能力はまさに物語通り。
手助けを必要とするならばまさにうってつけの【魔法】と言える。
「だが問題は、効果対象は動物に限られる」
「え」
だが今差し出している相手は動物ではなく、人間の子供で――。
「子供も動物も、さして大差はないだろう」
――最低だ! コイツただの最低野郎だ!
「――フ。冗談だ」
黒衣の驚いて開いた口を見て、桃はニヒルに笑う。
――いや。ニヒルってつけばなんでも許されると思うなよ? イケメンだからってやっていいことと悪いことがあると思いませんか?
「あー……んっ」
と――、黒衣が驚いているとユウタくんが何かをペロリと平らげる。
見れば桃の手の平の上にあったはずのきびだんごが綺麗さっぱりなくなっている。
「……おや?」
「……おや? じゃねぇよ! 何サムライがあっさり得物盗られてんだよ! ほらユウタくん、ペッしなさいペッ!」
だがユウタくんは少しの間咀嚼するとゴックンと勢いよく飲み込んでしまう。
「あー……」
――オイオイオイオイ。どーすんだよこれ。
「なに。さっきも言ったように、魔法の効果は獣――人以外の動物に限られる。人間が食す分には少々美味な団子でしかない。だから心配は――」
「おじさん大好きーー♪」
「……おや?」
「だから……おや? じゃねぇよ! おい完全に効果出てんだけど!」
「おかしいな。そんなはずは……」
「んなことを言っても、現にこうして――」
「私はまだおじさんと呼ばれるような見た目ではないはずなのだが」
「そっちかよ!」
――いや。確かに、桃は見た目二十代半ば。衣服を選べば二十歳前後まで若く見えることだろう。まぁ十才そこらの子供にとってみれば、二十代も三十代も然した問題ではないのかもしれないが。だがそんなことはこの際どーでもいいのだ。
「で、どーすんだよコレ。元に戻せんのか?」
黒衣はきゃっきゃと桃に戯れようとするユウタくんを憂いな瞳で見つめる。
そんな黒衣の問いに、桃はきゃっきゃと戯れようとしてくるユウタくんを見つめながら。
「まぁ問題はないだろう」
と端的に結論付ける。
「はい?」
「問題ない、と言ったんだ。元々杏を怖がらないようにするための措置だったのだ。見ろ、既に杏のことなど眼中にはない」
「確かにそうかもしれないが……」
あと、後ろで流れ弾を食らってる残念会長さまは面倒なのでスルーの方向で。
「そうと決まればさっさと出発しよう。このような真夏の道端に、斯様な子供を何時間も放置は出来まい。子供の健やかな成長を促すのは、大人の義務なのだからな」
――確かにそうなのだが、それを貴方が言うのはミョ~~に納得いかない。
そう言いながらも、ユウタくんはいつの間にか桃の体をよじ登り、肩車の要領で頭に取り付いている。
――なんだか釈然としない。
「さぁ、行くぞ」
おおーー。と五者五様、やる気と倦怠感と憂鬱に苛まれた掛け声を発し、人数を増やした一行は歩き出す。
*
カラン――
蝉の鳴き声を背に、無機質な金属音が寂しく鳴り響く。
「なぁ……」
その音に妙な虚しさを感じて、黒衣は思わず声をかける。
「……なによ」
あからさまに不機嫌と取れる返事。
だがそれでも聞かずにはいられないのだ。
でなければ、こんな炎天下の空の下で何十分も苦しんでいる事実に耐えられそうにない。
現実、さっきまではしゃいでいたユウタくんは、今は桃の背中でぐったりと背負われている。
【妖精】である桃とアリスはそれなりに平気そうではあるが。かく言う黒衣も既に相当キツイ。下手をすれば熱中症になってしまいかねない。
兎角、黒衣は尋ねる。
「さっきからそれ、何やってんだ?」
顎をしゃくって指し示す、杏子が今やっているそれ。
一振りの刀を地面に突き立て手を離し、倒れた方へと歩いていく。
分かれ道へと達する度に行うそれは、子供の頃ならば誰しもが一度はやったことのある名称不明のアレである。
「何って、見ればわかるでしょ。占いよ、占い」
占い? 木の棒を倒して向いた方を辿る遊びが占い?
なんだあれか? あまりの異常な暑さに、ついに頭でもやられてしまったのか?
「あーもう違うわよ。そうじゃなくて、これはれっきとした占いなの。筮竹ってわかるかしら」
「筮竹? ——ってぇと、あの『当たるも八卦当たらぬも八卦』ってやつか?」
「まぁ、概ねそうね。五十からなる竹ひごを用いた古代中国の占い。これはその超簡易版ってわけ。あたしの刀を竹ひごに見立てて方角を占うの。もちろん五十本の刀全て使ったほうが精度も上がるのだけれど、この狭い住宅街の中じゃそんなことできないからね」
確かに。この住宅街のど真ん中で五十本もの小刀ぶん回してたら、どんな言い訳しても即通報ものだ。
でもだからと言って、たった一本の刀で棒倒しって。
「ちょっと、何よその目は。アナタまさか信用してないんじゃないでしょうねぇ」
「いや、信用してなっていうか、ねぇ?」
杏子がこの占い紛いを始めて早三十分。広い住宅街の所為か、さっきから似たような景色ばかりが続き、あたかも同じ場所をぐるぐると巡っているようなそんな錯覚に陥ってくる。はたまた実際に同じ場所を繰り返しているか。
それに交叉路に着くごとにこの占いを繰り返しているため、一向に歩みが進まない。
そんな状況で信用しろと言われても、なかなかに無理があるというものだ。
「うっ……」
黒衣が心中そんなことを考えていると、それを察したのか杏子が嗚咽を漏らす。
「いいわよいいわよ、わかってるわよ。どうせ子供一人あやせないあたしのことなんて、誰も信用してないわよね」
ん? なんだ?
「いや、別にそんなことは——」
「いいわよ同情なんて。わかってるのよ。周りからは優秀とか天才とか美人とかかっこいいとか百年に一人の逸材とか金の卵とか色々褒め称えられてるけど」
「それはなんでも褒め過——」
「皆心の中では思ってるのよ。自分勝手だ、とか。強引に事を進め過ぎてる、とか。後輩も着いて来てくれてるのは極々一部だけで、大多数はあたしのこと怖がってる子たちばかり。わかってるわよ。あたしに一つの組織を引っ張れるだけの才能がないってことくらい。そんなの言われなくてもわかってるわよ」
なんだか、妙な雰囲気になって来たぞ。
よくわからんが、ここは一応フォロー入れとくか。
「あの先輩。別に俺はそんなことちっとも思ってな——」
「嘘よ! 嘘よ嘘! 全部ウソ! わかってるのよ! みんな心の中じゃあたしをバカにして! 勉強ができるだけの無能会長なんて思ってるんでしょ! 知ってるわよ!ぜんぶ知ってるわよ! さぁ! 殺すなら殺せ————————!!」
…………。
突然叫び出す杏子を見かねて、黒衣は桃へと視線を送る。
見れば桃は頭に手をつき、深いため息を吐いている。
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜……。またか」
——また? 今「また」と言いましたか。こんなことが前にもあったと言うのでしょうか?
「ん? ああ。彼女は時々ではあるがこうなってしまうことがあってね。大抵人前では見せないのだが、これも君たちに心を許しているという証拠だろう」
「そんな事実を今知らされましてもねぇ」
黒衣は目の前で悲痛な叫びを上げる杏子を見て、なんとも居た堪れない気持ちになってくる。
「あまり引かないでやってくれ。彼女は何事にも全力で当たる性分でね。それは自分に対しても他人に対しても。怒る時には怒るし、喜ぶ時には喜ぶ。自身の感情に嘘がつけず、また正直だ。無論時と場所は選ぶが、概ね彼女は自分の考えを是とし、それを曲げない。先立つ者として決してブレてはいけないと考えいるのだろう。それが他者には恐ろしく映っているのだろう。彼女も決して自分が間違ってはいないと感じているが、他者からの評価を気にし過ぎるきらいがあるものでね。時々こうして、感情が爆発してしまうことがあるんだ。まぁ、良くも悪くも全力なんだ、杏は」
「なる、ほど……」
全力。確かにそうなのかもしれない。
先週の事件。【魔女】の狙いは多くの生徒を巻き込む規模の大きなものだったが、事の発端は図書館塔内で発生した『怪奇現象』だった。
原因は図書館塔の【逢魔時】内で暴れる大男こと金太郎。大男の常軌を逸した怪力は現実の図書館塔にまでその影響を及ぼし、書物の散乱から本棚の倒壊までの被害を現し、ついには図書委員一名が怪我を負う事態へと陥った。幸いにも怪我は軽傷で済んだらしいが、これにより杏子の事件究明に対する熱意により一層拍車がという。
つまるところ、それは責任だ。
憤怒したのだろう。憤慨したのだろう。紛糾したのだろう。
だがそれ以上に、責任を、感じたのだろう。
自分がいながらという、負い目を。
【妖精】に関わる者としての負い目を。力ある者としての負い目を。才ある者として負い目を。
そしてそれ以上に、一人の長としての、負い目を。感じたのだろう。
先立つ者として。先輩として。年上として。図書委員会の会長として。
責任ある者としての負い目を、感じたのだろう。
だからこそ杏子は事件解決にあれほど熱意を傾けていたのだ。
否、そうでなくても杏子は事件解決を目指していただろう。委員会の後輩が怪我を負っていなくとも。杏子が会長でなくとも。杏子が【妖精】との関わりを持っていなくとも。杏子が何の力を持っていなくとも。
杏子が杏子である限り、杏子は事件解決を——人を助けることを目指すだろう。
それが自身の責として。無用な責すらも背中に負って。
それが彼女の力の、その一端なのだろう。
周りからの期待という名の重圧。それらを物ともせず、むしろ力に変えて。
そんな杏子の有り様を、黒衣はカッコ良いと感じる。
それは自分にはないものだから。責任など邪魔なもののだと、面倒なものだと、黒衣は考える。重荷は重荷。ただでさえ至らぬこの身で、さらに心に重荷まで背負って戦えるわけがない。心も体も、身軽であるならその方がいいに決まっている。
だが杏子はそうだとは考えない。むしろ重荷を負うことを是とする。
そんな生き方を、生き様をカッコよく思わないわけがない。
目指しはしない。憧れもしない。だが羨望の眼差しを向けずにはいられない。
そんなカッコいい彼女を、羨まずにはいられない。
——まぁ、その反動でこうなってしまうのは如何ともし難いけど。
じたばたと、頭を両手で抱え杏子は噎び泣く。
全てを負い、勇ましく立つ少女の姿は今はない。
あるのは、熱いアスファルトを物ともせず地面へとへたり込む少女の姿だけ。
クイクイ——
そんな彼女の背を、小さな指が小さく摘む。
「ぅ…………、なによアナタ」
その小さな手——いつの間にか桃の背から降りていたユウタくんに、杏子は振り返る。
本人にその気はないのだろうが、やはりその反応は威圧的に見えてしまう。
ユウタくんも例に漏れず、ビクリとその手を引っ込める。
が——、
「お、お姉ちゃん……」
震えた声で、なおもユウタくんは杏子に手を伸ばし、そして。
「だ、ダイジョウブ、だよ……」
そう言って、ニッコリと笑顔を作る。
満面の笑み。本人はそのつもりなのだろうが、その端々には未だ杏子に対する恐怖が見え隠れしている。
だが、それでもユウタくんは必死笑顔を作り杏子へと微笑みかける。
子供ながらに、それが人を元気付ける行為だと知っているのだろう。それか、誰かからの教えか。
そんなユウタくんを、杏子は見つめる。向日葵のようなユウタくんの笑顔とは対局の、極寒の視線で。
そんな空気が数秒続いた頃、
「ぅ」
絞り出した雑巾のような声が、夏の空気に流れ込む。
「うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ————」
「え……」
思わずドン引きしてしまう黒衣を他所に、杏子は大声を上げて泣き叫ぶ。
そしてヒシッ、とユウタくんを抱きとめる。
「ありがどう゛〜〜〜〜〜〜〜〜」
こんな取り乱した杏子の姿を図書委員の面々一同に見せたらどう思うだろうか。噴水のように涙を溢れさせ、断末魔の叫びが如し嗚咽を漏らす。そんな無様な姿の会長を。それなりに信仰の篤かった八重辺りに見せてみたいものだ。
それからさらに一分の後、しばらくユウタくんに抱きついていた杏子はようやく泣き止み、その顔を上げる。
「ぅ……、ごめんなさいね、ボク。こんな恥ずかしいとこ見せちゃうなんて」
しかしユウタくんは首を横に振る。
「ううん。えっと、ね。おじいさんが言ってたの」
「おじいさんが?」
「うん。痛いときとか、苦しいときとか、大人でも泣いちゃうことがあるから。だから泣いちゃった人がいたら笑顔でいてあげなさいって」
「だから、アナタ……」
「うんっ!」
そう元気よくうなづいて、ユウタくんはさっきよりも明るい笑顔を咲き誇る。
「あ〜〜、アナタほんといい子ねぇ。お姉ちゃん癒されちゃったわ〜〜。ホント、どこかの無能な男供とは大違いね」
そう言って杏子はキッ、と黒衣と桃を睨みつける。
「うん。元気出た。ありがとね、えーっと……」
「ユウタ!」
「うん。ユウタくんね。ありがと」
いつもの元気を取り戻した杏子はぐりぐりとユウタくんを撫で回す。
子供が苦手。実際はそうだったのだろうが、今の杏子にそんな気配は見られない。
ただの子供に甘い、年上の女の子だ。
そんな黒衣の視線に気付いたのか、杏子はまたも黒衣を睨んでくる。
「……あによ」
「いいや」
「ムカつく」
ニヨニヨと、杏子の意外な一面を二つも同時に見て、黒衣はいやらしく笑みを作る。
「おにいちゃん、おにいちゃん」
そんな黒衣の元に、ユウタくんが駆け寄ってくる。
「ん、どうしたユウタくん?」
「あのね。おねえちゃん元気出た」
「そうか。よかったなぁユウタくん」
「うん!」
そうして黒衣もユウタくんを撫で回す。
そんな様子を見て、桃もうっすら笑みを浮かべている。
思いも寄らず人を笑顔にさせる子。
まるで人に愛されるために生まれてきたような、そんな子だ。
「ほ〜らユウタくん。おじいさんのこと、探すんでしょ」
「うん!」
「それじゃ早く行かないとな。出ないと夕方になっちゃうぞ」
「いそごーー」
黒衣と杏子。二人はユウタくんの両側からそれぞれ手を繋ぐ。
「さ。あたしの占いによると、もうそろそろよ」
「ホントかよ〜」
「かよ〜」
まるで仲の良い兄弟かのように、一行は再び遅い歩みで進み出す。
*
和気藹々。
そんな言葉がよく似合うその光景を、黄金色の少女は日傘の影より眺めていた。
幼気な男の子と少年少女、この場には少々不釣り合いな紅白のサムライ。
夏に浮かされたかのように騒ぐその一行を、黄金色の少女はただただ眺めていた。
自分のいない、その光景を。
次回、実はおじいさん子なんです




