↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/29

第29話 四位まで変わったせいで、さすがに偶然では済まなくなった



 国内探索者向け公式隠密試験は、戦闘力ではなく索敵能力と隠密能力を専門に評価するため、探索者ギルドが年に数回実施している試験だ。


 広大な人工区画へ侵入し、巡回する探知員や魔力感知装置、音響センサーなどに発見されないまま指定地点まで到達する。上位探索者向けの試験ともなれば、単純に気配を消せばいいわけではない。足音や魔力はもちろん、体温、空気の流れ、床へ伝わる僅かな振動まで監視されるため、隠密を専門としない探索者なら最初の数分で見つかってしまう。


 そして、その試験の国内最高記録を持っているのが、《影踏み》黒羽沙夜だった。


「黒羽沙夜、入ります」


 開始地点に立った沙夜を、俺は観客席の一番後ろから眺めていた。いつもの黒い装備で身を固めた姿には余計な動きがなく、立っているだけなのに周囲の風景へ溶け込んでいるように見える。


「先生、本当に見に来たんですね」


 隣から玲華に声をかけられ、俺は視線を試験区画へ向けたまま頷いた。


「沙夜に来てほしいって言われたからな」


「では、私の公式戦の時も来ていただけますか?」


「予定が合えば」


「予定を合わせます」


 俺が合わせるのではなく玲華の方が合わせるらしい。即答した玲華へ紫苑が呆れたような視線を向けた。


「今その話する? 今日は黒羽の試験でしょう」


「分かっています。ただ、私にとっても重要な確認です」


「今その確認をする必要がないって言ってるのよ」


 今日は目立つのを避けるため、全員で来るつもりはなかった。それでも玲華と紫苑が同行し、御堂さんまで「隠密技術の変化を研究者として見ておきたい」とついてきた。陽菜は配信、澪は救護任務、蓮司は訓練中なので、むしろ三人で済んだことを喜ぶべきなのかもしれない。


 御堂さんが区画内へ視線を向けながら尋ねる。


「黒瀬さん。黒羽さんには、具体的にどのような指導を?」


「最初は魔力ですね。完全隠密に入った時だけ、逆に魔力の密度が上がっていたので」


「存在感を消そうとするほど、魔力分布そのものが不自然になるという件ですね」


「そうです。その次が足元で、移動時だけ魔力が集まっていたところ。その後は髪とか埃とか」


「髪と埃……そこまで記録しているんですか?」


「手帳には」


「後でぜひ見せてください」


「いいですけど」


 俺が答えた途端、玲華がすかさず口を挟んだ。


「研究所への持ち出しは禁止ですからね」


「もちろんです。黒瀬さん本人より周囲の皆さんの方が慎重ですね」


「先生は簡単に貸しそうなので」


「玲華、俺だって一応自分で判断できるぞ」


「その『一応』が不安なんです」


 最近、俺に対する信用だけが妙な方向へ下がっている気がする。


 そんなやり取りをしている間に、区画内へ開始音が響いた。


『公式隠密試験、開始』


 俺たちも自然と口を閉じ、沙夜の動きへ意識を集中させた。


 ◇


 開始直後。


 沙夜の姿が、消えた。


 比喩ではない。


 ついさっきまで開始位置に立っていたはずなのに、僅かに視線を逸らしただけで存在感そのものが薄れている。周囲の人工壁や機材の影へ紛れたのではなく、そこにいると分かって見ていなければ、最初から誰もいなかったように感じるほどだった。


「……すごいな」


 何度見ても、この技術だけは素直にそう思う。


 俺には圧縮と観察がある。玲華には剣があり、紫苑には膨大な魔力がある。陽菜は戦闘中でも複数の情報を同時に処理でき、澪には回復と防壁がある。


 沙夜には、人から存在を消すための技術がある。


「先生でも見失いますか?」


 玲華に聞かれ、俺は目を細めて区画を見た。


「今はまだ分かる。ただ、前よりかなり難しい」


「どこで分かるんです?」


「見てれば」


 玲華と紫苑が同時に目を凝らす。


 最初の区域は床振動センサーだった。以前の沙夜なら、足音を消すために足裏へ魔力を集め、接地そのものを弱めていた。音は確かに消える。しかし、その瞬間だけ足元の魔力密度が高くなる。


 それを俺は以前、欠点として指摘した。


 沙夜が一歩進む。


 今度は紫苑が眉を寄せた。


「……分からない。魔力が動いていない?」


「動いてるよ。ただ、足だけじゃない」


「全身?」


「たぶん最初から薄く全身へ流してる」


 必要な瞬間にだけ魔力を集めれば、それ自体が予備動作になる。蓮司が攻撃直前だけ右肩や拳へ魔力を集めていたのと同じだ。


 だから沙夜は、必要な場所だけ強くするのではなく、最初から全身を同じ状態へ近づけている。


 俺はそこまで教えていない。


『移動する時だけ、足の魔力が増えてる』


 言ったのはそれだけだ。


 どう直すかを考えたのは沙夜自身だった。


 床振動センサーは反応しない。次の魔力感知装置も、警告を出さないまま通過する。


 御堂さんが小さく頷いた。


「問題だけを示して、解決方法は本人へ任せるんですね」


「その方が沙夜には合うと思ったので」


「なるほど」


 その声には、研究者らしい興味が滲んでいた。


 ◇


 第二区域には、複数の索敵専門探索者が配置されていた。ここでは魔力だけでなく、視覚や聴覚、空気の流れ、周囲の僅かな違和感まで拾われる。


「前回の黒羽さんは、ここで一度警戒判定を受けています」


 玲華が言う。


「左側の探知員が、カーテンの揺れに気づいたんでしたね」


「そこまで公開されるんだな」


「上位試験ですから」


 俺は以前、沙夜へ伝えたことを思い出した。


 本人の気配は消えている。


 足音もない。


 魔力も薄い。


 それでも。


 髪が動けば空気が動く。


 身体が通れば埃が動く。


 本人を見つけられなくても、「何かが通った」と分かる。


 試験区画の薄い布が、通路を塞ぐように垂れている。


 沙夜はその手前で一度だけ停止した。


 そこにいると分かっている俺には辛うじて位置を追える。しかし、探知員たちは誰一人として気づいていない。


 そして沙夜が、布の横を抜けた。


 カーテンはほとんど揺れなかった。


「どうやったの?」


 紫苑が思わず身を乗り出す。


「空気が動いてない」


「いや……」


 俺も少し驚いた。


 前より上手くなっている。


 沙夜は単に髪を束ねただけではない。前へ進む時に身体全体で空気を押すのではなく、重心を僅かにずらしながら、空いている場所へ身体を滑り込ませている。


 俺が指摘したのは、空気と埃だけだ。


 具体的な方法までは何も言っていない。


「先生、あれも教えました?」


 玲華に聞かれ、俺は首を振った。


「いや。沙夜が自分で考えたんだと思う」


 玲華と紫苑が、少しだけ黙る。


 御堂さんはその様子を見ながら、穏やかに笑った。


「黒瀬さん。やはり、あなたの指導は面白い」


「そうですか?」


「答えを与えず、本人が見えていなかった問題だけを見せる。だから、その後の成長が本人の技術として残る」


「俺が答え出すより、本人が考えた方が使いやすいと思うので」


「それを自然にやっているなら、なおさらです」


「先生は教えるのが上手いんです」


 玲華がなぜか誇らしそうに言う。


「私の先生ですから」


「玲華さんの所有物ではないですよ」


「そういう意味ではありません」


「顔に出てるわよ」


「出ていません」


「二人とも、試験中だから静かにしてくれ」


「「はい」」


 そこだけ妙に素直だった。


 ◇


 最終区域。


 ここでは高位の索敵探索者三名が自由に区画内を歩き回っている。


 決まったルートを通る装置とは違い、人間相手は予測が難しい。違和感を覚えれば急に立ち止まり、逆方向へ振り返ることもある。


 沙夜が中央へ入る。


 その瞬間。


 俺は。


 完全に見失った。


「…………」


 魔力の動きは感じない。


 足音もない。


 空気の変化もほとんど分からない。


 埃すら。


「先生?」


 俺の表情に気づいたのか、玲華が声を潜めた。


「見失った」


「え?」


 紫苑までこちらを振り向く。


「先生が?」


「うん。たぶん右側だと思うけど……分からない」


 集中して探してみる。


 それでも、見つからない。


 すると不思議なことに、悔しさより先に嬉しさが込み上げてきた。


「すごいな」


「先生?」


「沙夜、俺が言ったところ全部直したんだな」


 索敵役の一人が、沙夜がいると思われる位置のすぐ近くを通過する。


 反応なし。


 二人目も気づかない。


 三人目が途中で足を止めた。


「……?」


 何かを感じたらしい。


 周囲をゆっくり見回している。


 だが。


 沙夜は動かない。


 索敵役はしばらく警戒したあと、結局何も見つけられずに離れていった。


 数秒後。


 終了地点。


 突然そこへ沙夜の姿が現れた。


『試験終了』


 会場が一瞬静まり返る。


 すぐに結果が表示された。


『被検知回数――0』


『警戒誘発――1』


『魔力検知――0』


『音響検知――0』


『振動検知――0』


『総合記録――歴代最高』


 紫苑が長く息を吐いた。


「更新した……」


「かなり大きく更新していますね」


 玲華も数字を見つめている。


 前回の沙夜自身の最高記録を、はっきり分かるほど上回っていた。


 審査員たちも、何度かデータを確認し直している。


 俺は。


 ただ。


 少し嬉しかった。


 見つけられなくなった。


 それはつまり。


 沙夜が。


 昨日までの自分を越えたということだ。


 ◇


 試験終了後。


「黒羽さん!」


 ギルド職員たちが沙夜を囲んだ。


「今回、隠密系スキルの更新はありましたか?」


「ない」


「装備変更は?」


「してない」


「新しい魔導具なども?」


「使ってない」


 職員が困惑した表情になる。


「では、一体どうやってここまで記録を……」


 沙夜は少しだけ考えてから、簡潔に答えた。


「欠点を直した」


「欠点ですか?」


「うん」


「ですが、前回の時点で黒羽さんの隠密能力は国内最高評価でした。それでも改善するほどの欠点が?」


「あった」


「どなたかに指摘されたんですか?」


 そこで。


 沙夜が。


 観客席の一番後ろへ視線を向けた。


 俺と。


 目が合う。


「見つける人がいたから」


「見つける……?」


 沙夜の口元がほんの少しだけ緩む。


「だから直した」


 それ以上、説明する気はないらしい。


 ただ。


 周囲の職員たちは。


 当然。


 沙夜の視線の先を見る。


「まずいですね」


 玲華が小声で呟いた。


「先生、今だけ他人のふりをしてください」


「どうやって?」


「自然に」


「自然にって言われても」


 俺はとりあえず横を向いた。


 そこには何もない壁しかない。


「先生」


「何?」


「それは不自然です」


「難しいんだけど」


 普通にしていろと言われた時ほど、普通というものが分からなくなる。


 ◇


 一時間後。


 予想通り、掲示板はすでに騒ぎになっていた。


『【速報】黒羽沙夜、公式隠密試験の歴代記録を大幅更新』


1:名無しの探索者

見た?


2:名無しの探索者

ヤバかった


3:名無しの探索者

被検知ゼロって何


4:名無しの探索者

黒羽ならありえるだろ


5:名無しの探索者

いや前回から伸びすぎ


6:名無しの探索者

スキル進化?


7:名無しの探索者

本人が否定してる


8:名無しの探索者

新装備もなし


9:名無しの探索者

本人曰く「欠点を直した」


10:名無しの探索者

国内最高だった奴に欠点あったのかよ


11:名無しの探索者

しかも「見つける人がいた」って


12:名無しの探索者

誰だよそれ


 そこから。


 話題は。


 沙夜一人では終わらなかった。


15:名無しの探索者

ここ最近さ


16:名無しの探索者

天音


17:名無しの探索者

九条


18:名無しの探索者

白石


19:名無しの探索者

黒羽


20:名無しの探索者

全員急に変わってない?


21:名無しの探索者

四人だぞ


22:名無しの探索者

しかも全員タイプ違う


23:名無しの探索者

剣士、魔術師、配信型、隠密


24:名無しの探索者

なのに変化の方向同じじゃね?


25:名無しの探索者

何が?


26:名無しの探索者

無駄が減ってる


27:名無しの探索者

……あ


28:名無しの探索者

これ同じ奴に教わってない?


29:名無しの探索者

トップ4全員に教えられる奴なんて国内にいるか?


30:名無しの探索者

いないだろ


31:名無しの探索者

海外?


32:名無しの探索者

国家機密?


33:名無しの探索者

秘密研究?


34:名無しの探索者

午前零時の攻略者は?


35:名無しの探索者

…………


 そこから。


 《午前零時の攻略者》へ話題が繋がるまで。


 あまり時間は掛からなかった。


36:名無しの探索者

天音が奈落で伸びた時期


37:名無しの探索者

午前零時の攻略者が85更新した時期と近くね?


38:名無しの探索者

白石も奈落で謎男に会ってる


39:名無しの探索者

黒羽も奈落周辺で目撃あったよな


40:名無しの探索者

トップ勢が探してたのって


41:名無しの探索者

午前零時の攻略者?


42:名無しの探索者

そいつが共通の先生説


43:名無しの探索者

ありそう


44:名無しの探索者

じゃあ前にトップ5に囲まれてたE級男は?


45:名無しの探索者

それは違うだろ


46:名無しの探索者

E級だぞ


47:名無しの探索者

ですよね


「…………」


 夜。


 俺の部屋で。


 陽菜が掲示板を読み上げ終えた。


「惜しい」


「本当に最後だけ間違えるわね」


 紫苑も何とも言えない顔をしている。


「先生」


 玲華がスマートフォンを置き、真面目な表情でこちらを見る。


「今回、かなり状況が変わりました」


「そう?」


「これまでは先生本人を探しているだけでした。しかし今は、私たちの変化から共通点を探し始めています」


 御堂さんも静かに頷いた。


「ランキング一位から四位まで、専門分野が全く違うのに同じ方向へ改善している。それが四人続けば、偶然では片付けにくくなるでしょう」


「じゃあ」


 俺は澪を見る。


「次は澪が目立つと危ない?」


 全員の視線が。


 自然と彼女へ向いた。


 澪は少しだけ自分の手を見つめたあと、静かに俺を見る。


「悠真先生」


「何?」


「次は私ですね」


「いや、別に目立たなくてもいいんだぞ」


「嫌です」


 柔らかい声だった。


 でも。


 迷いはない。


「私も先生に教えていただいたことを、ちゃんと使えるようになりたいです。皆さんだけが変わって、私だけ何もしないのは嫌です」


 玲華たちと同じだった。


 正体を守るために、成長することそのものを止める気はないらしい。


「分かった」


 俺は手帳を開いた。


「じゃあ次は澪の回復を見よう」


「はい」


「前に、完全に治しきらず戦闘継続できるところで止める方法をやっただろ?」


「はい。あれだけで魔力消費が以前の半分以下になりました」


「なら」


 まだ。


 減らせるかもしれない。


 治す。


 守る。


 その二つを別々にやる必要があるのか。


 ずっと最大の回復を使う必要があるのか。


「もう少し面白いことできそう」


 澪の表情がぱっと明るくなった。


「お願いします、悠真先生」


 その夜。


 世間はまだ知らなかった。


 数日後。


 国内ランキング五位《聖域》水城澪が。


 国内最高難度の集団救助現場で。


 これまでなら二十人を治したところで尽きていた魔力を。


 七十人以上救っても。


 なお。


 半分近く残すことになるとは。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。