第四十話 策略
店の中には客はいなかった。店は小上がりが八席、四人用のテーブル席が二席、カウンター席が六席の小さな構造だ。カウンターの奥から厨房に続く出入り口には暖簾が掛かっている。
誰かわからないと、忍とて困る。形はどうあれ、今のところは瓦の恩人だ。瓦は名刺を出して挨拶する。
「博愛イベントの社員で瓦鬼と申します。。イベントのポスターを貼らせてほしく伺いました」
忍はニコニコして名刺を受け取り応じる。
「新人さんですか、よろしくお願いします。しるこ屋、コナミの忍です」
忍の顔を近くで見ると、どこかで会った気がする。だが、どこであったのかが思い出せない。瓦が思い出せないでいると、忍はクスっと笑った。
「面白い人ですね。どうかしましたか」
「どこかでお会いしました?」
「初めまして、ですよ。そんな手で口説こうとしても引っかかりませんよ」
おかしいなと思うが、自信がないので強く出られない。
「さっき、お爺さんに――」と言いかけたところで、入口から中年の女性従業員が入ってくる。女性従業員は瓦を無視して忍に懸ける。
「竿上げ棒が外に落ちていました。いつもの場所に戻しておきますね」
女性従業員の手には先端がY字の竿上げ棒があった。柄は老人の槍と同じだが、先端が違う。鉄製のY字金具だ。
「まさか」と思い急いで外に出る。さきほどまであった槍が消えていた。
店に戻って女性従業員に尋ねる。
「槍はどこにいきました」
瓦の言葉に忍と女性従業員が笑った。忍も微笑み説く。
「槍なんて、そんな住宅街にホイホイと落ちているわけないですよ。槍と竿上げ棒を見間違えるなんて、そそっかしいですね」
忍の物腰と柔らかい顔に油断した。証拠を処分された。瓦が無傷で、槍が存在しないなら、襲われた証拠がない。意図的にやったのなら、店の前は防犯カメラの死角になっているはず。
穂先も女性従業員が回収して、隠している。
「なぜ、あんなことをするんです?」
瓦が質問すると、女性従業員がきょとんとする。
「店の前に店長がよく使う竿上げ棒が落ちていました。店の人間なら回収するでしょう」
主張に綻びはない。まともで、合理的行動の主張だ。槍と竿上げ棒を交換する場面を瓦が目撃していれば別だが、肝心な場面はまたも見えなかった。
忍や女性従業員が白を切り通すなら、警察とて忍の味方だ。ここで意地になれば『頭のおかしい人』として扱われるのは瓦のほうである。
より悪い方向に行かないため、瓦は諦めざるをえなかった。だが、聞けるだけの情報は聞きたい。
「アバタールってご存知ですか?」
忍は可愛らしく小首を傾げた。
「お酒? 芳香剤? 香水? 洗剤? ティッシュの銘柄?」
「私もちょっとわからないです」と女性従業員も同調した。
罪を隠し、何一つ情報を与えない。こうなれば、粘るだけ無駄だ。
ポスターを貼り替えるために立つと、忍が申し出た。
「今日は時間があるので、私たちで貼りますよ。ポスターを置いて帰っていいですよ。帰りが遅くなると柱谷さんがヤキモキするでしょう」
博愛イベントの就業時間の終わりは近づいている。ここで色々と詮索して時間を掛ければ、忍は柱谷に苦情を入れる気だ。やり方が汚いというより、徹底している。
悔しくても引き下がるしかない。今度は来る用事があったら必ず証拠を確保する。店に近付いた時からも、用心する。
「今日は色々と勉強になりました」と嫌味の一つも言ったが、まるで忍には通じていない。
「瓦さんとは、またお会いすることもありましょう。今後ともよろしくお願いします」
社交辞令的な挨拶だが、瓦には宣戦布告のようにも聞こえた。しるこ屋を出てバスに乗る。スマートフォンを操作していると、メモが残っていた。
『人が狂い始め、世界は悪意が満る。本物は消えて、偽物が蔓延る。悪しき人類を抹殺せよ。全ては救済のために。汝、アバタールなりや』
ゲームの始りに表示される詩のようだ。ゲームのメッセージだとしても、何のゲームかは、とんと不明。そもそも、瓦がテキストで残した記憶はない。
知らないうちに、誰かが書いたとする。可能なのはドッペルさんくらいだが、報告は受けていない。
テキスト文なのでコンピューター・ウイルスではない。なら、気にする必要もない。
明日はまた来る。仕事は明日もある。日常はそうは変わらないと、瓦はバスの外の真っ赤な空を見て詩的に考えていた。
【了】
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