78.野良犬から猿に昇格した
王太子殿下が隣にいるなら、彼に発言の許可を得る。貴族としてごく当たり前の行動だ。取り囲む貴族の一部が襟を正すように、視線を変えた。ベスがただの小娘ではないと察したのだろう。
アルバ王国では少なくとも、このくらいの礼儀作法は全員出来ていたように思う。男爵家の庶子であったとしても、だ。それがサンバドル王国では存在しない。礼儀も序列も崩れ、なし崩しに振る舞ってきた。その原因が気になるが、過去を気にしても仕方ない。
現在、この場所で無礼が発生しており、放置すれば未来にも起きるのだから。
「では、失礼して……。サル侯爵閣下でしたかしら? 先ほどからお兄様に嚙みついているようですが、大事なことをお忘れですわ。我が兄は名乗りました。あなた様は名乗らず、一方的に相手を罵る。それが由緒ある侯爵家の振る舞いでしょうか」
ベスは笑顔でわざと「猿」だと言い切った。くすくすと笑う数人の貴族は、どうやら国王派らしい。睨まれても口元が緩んだままだ。青ざめた数人の貴族が「なんと無礼な」と呟いた。こちらが無礼派か。
「サルではない! 名を間違えるとは無礼千万!」
「あら……お顔が猿のように真っ赤でしたので」
ふふっと笑い流す。このやり方はカランデリア様か。淑女の失敗は微笑み一つで許されるのよ、と仰っていたな。なるほど、こうやって実践するのか。感心しながら眺める。腕の中のルカが、がくっと後ろに仰け反った。首が折れたように見えて怖いぞ。
抱き直して縦に体に添わせる。赤子のように抱えたので、安定したようだ。ルカはもぞもぞ動いて、またいびきを搔き始めた。ツノを避けるように頭を撫でて、耳の付け根も丁寧になぞる。気持ちよさそうに目元が緩み、舌が覗いた。ひとまず、ベロは押し戻しておく。
「なっ! なんと躾のなっていない娘だ」
「そっくりお返しいたしますわ。そちらのご令嬢が先に無礼を働きましたのよ。王族に対して名乗りもせず、霊獣様を愛玩動物扱いいたしました。この国では王族より侯爵が偉いのかと驚きましたわ」
遠回しに、この国の出身ではないと匂わせる。ある程度賢ければ、ここで引くだろう。他国に己の一族の恥を晒す可能性が高いからだ。ベスや私の爵位が不明な状況で、うっかり言質を取られたら不敬罪が適用される可能性もある。
名乗らない者には、相応の理由があるのだから。
「ソル侯爵、下がれ」
セシリオが命じた。明確に命令の形をとって声に出された言葉に、魂が宿る。王族の一言に、驚いたように目を見開く侯爵を観察し……やはり普段から舐め切っているのだなと溜め息が漏れた。ここまで悪化するほど、手を拱いた王家の責任だぞ?




