36.バシリオの帰還
王太子妃候補として王宮に顔を出し、貴族と対峙する。となれば、礼儀作法は必須だ。私が身に付けた作法は、王子妃になるためだった。男性貴族を装うには邪魔だ。だがシルベストレには役立つだろう。
「もっと、こうだ」
「いかがですか? お兄様」
呼び間違えないよう、兄妹として振る舞う練習を始めた。顔を見せたアマンド達は驚いた顔をしたものの、すぐに馴染む。
ベスとアリス。呼び方はそのまま使う。愛称まで変えたら面倒なのが一つ、どうせ自分達しか愛称を呼ばないのだから問題ないのが一つ。高位貴族である以上、一つの事実しか読み取れないのは力量不足だ。二つも三つも察し、数十の先を考える必要があった。
当主が愚かなら一族が滅びる。私達はその怖さを叩きこまれて育ったのだから。
「可愛いが、指先はこう」
やや持ち上がった小指を指摘する。可愛いし似合っているが、礼儀作法としては間違っていた。きちんとした作法を身に付けたうえで、相手の有責を誘うために崩すのならアリだろう。対策まで添えて指導した。
「バシリオが戻ったわ」
広間で練習する私達に、母上が自ら呼びに来た。すでに父上は出迎えているだろう。使用人を出迎えるのは貴族らしくないが、我が一族ではよくあることだ。難しい案件を任せたのだから、労うのは当然だった。
「そのように裾を揺らしてはいけませんよ、ベス」
「はい、お母様」
急いで廊下へ出たシルベストレが注意される。大きく足を踏み出したのは、ズボン生活に慣れているからだ。少女のワンピースなら誤魔化せる動きが、今のドレス姿では目立ってしまう。ばさりと開くように揺れた裾を手で押さえ、シルベストレは深呼吸した。
手を差し伸べ、エスコートする。私の動きも注意された。腰から歩くのではなく、肩から動けと。武術の訓練を思い出し、大きく体を使う。仕草の一つ一つを大袈裟に、足の踏み出しを注意して。神経を使うが、新たな武術を習うようで心が躍った。
「楽しいですね、お兄様」
「そうだな、ベス。つま先が見えるぞ」
急ぐあまり一歩が大きくなり、靴のつま先が覗いている。
「お兄様こそ、腰をひねって歩いています」
また腰から歩いたようだ。淑女教育で身に付いた所作が、どうしても抜けないな。これはしばらく大変だ。互いに顔を見合わせて笑い、走らない程度に急いで玄関ホールへ向かった。
ダークグレーの髪は白が混じり、鋭い黒瞳が私達を見て和らぐ。バシリオだ! すっと伸びた背筋が美しく、彼の実力を静かに物語っていた。無事でよかった。ほっとしながら彼の前で立ち止まる。
「無事で帰ってよかった、おかえり……師匠」
「ただいま戻りました、お嬢様、若様」
ああ、そうだった。先に戻った侍女や侍従には説明したが、彼にも今回の作戦の説明が必要だな。その前に風呂と部屋、食事と休憩だ。冷静な考えが頭の片隅に追いやられ、私は笑顔でバシリオに抱きついた。




