【全編完結】「エニシのゆくえ」
夏の暑い盛り。
私は夕霧太夫と二人で傀儡子神社への山道を歩いている。
少し先を歩く夕霧太夫は、当世流行のグレーヘアーの髪に、動きやすそうな山歩きスタイルだ。
「伊左衛門、少し急ぎましょう」
「はい太夫」
こうやって二人きりになると、つい昔の名前で呼び合ってしまうけれども、誰が聞いているかわからないし、さっきから森の木々の間にヒダルの黒い影が見え隠れしている。
彼らは人に言いつけはしないけれど、野太くんのようにあっちの存在と親しく気持ちを交わせる人もいる。
本当は気をつけなければいけないのだった。
四ツ辻を出たのは、朝の10時過ぎだった。
今年初めて辻沢にフィールドワークに来た学生たちの相手をしていたら、辻女を発つのが遅くなってしまったのだ。
あれから4年。
辻沢も変わったけれど、学生たちの意識もずいぶんと変わってきた。
みんな、臆することなく自信を持ってフィールドに入る子が多くなったのだ。
これは野太くんたちのころに比べれば格段の違いだ。
彼女たちは自虐的にドナドナーズと言っていたくらいで、全てにおいて本当におぼつかなかったから。
これも彼女たちが人生を賭けてブルー・ポンドの意味を書き換えてくれたからだと思いたい。
ブルー・ポンド。
今となっては思い出すこともできないが、それはもともとそういう名前でなかった。
「太夫、ブルー・ポンドの前は何という名前か覚えてますか?」
後ろに人などいないかのように、どんどん進んでゆく夕霧太夫に声を掛ける。
足止めでもできれば少しは休憩できると思って聞いたのだった。
「また、そのことですか? 前の名なんてどうでもいいでしょう」
「忘れたんですね」
「そうです。忘れました。ググっても出てきません」
一歩も止まらなかったどころか、さらに足を速めてしまったので作戦は失敗だった。
山中は草いきれでむせ返り、大音声のセミの声がワンワン響いていて、頭がくらくらするほどだ。
「太夫、少し休みませんか?」
しかたなく直談判をすることにした。
ところが、夕霧太夫は後ろを振り向きもせず、
「ダメです、急がないと、みんなお腹を空かせて待ってますから」
と言って木の根だらけで歩きづらい道を軽やかに歩いて行く。
膝が悪いのではなかったのか?
夕霧太夫のリュックには山椒の実入り塩にぎりが山ほど詰め込んである。
入りきれなくて私の鞄にまで詰め込んだ。
久しぶりに帰省する娘のためにごちそうを作って待つ母親のように、
「あの子たちが大好きだからね」
と言って。
――あの子たち。
4年前の潮時に傀儡子神社が大爆発を起こした。
その事故は地下に貯まった天然ガスに引火したのが原因とされたが、そのとき丁度建築調査をしていた3人の女子学生が巻き込まれて行方不明となった。
それが野太クロエと藤野ミユキ、それと小宮ミユウだ。
その現場の惨状たるやひどいもので、傀儡子神社の敷地は大穴が開き、吹き飛ばされた社殿は参道の鳥居に激突して大破炎上した。
女子学生たちはその凄まじい火力のせいで遺体すら出てこなかった。
公式発表では、そういうことになっている。
実際は社殿が大破したのだけが事実で、
「伊左衛門が火をつけたのでしたね」
「ガス爆発ってことなら何か燃えてないとまずいと思って」
つまりは私の隠蔽工作が功を奏して、女子学生たちの本当の行先は誰にも知られずに済んだということになる。
「太夫、潮時は何時でしたっけ?」
「昼の12時よ。だから急いでるんでしょう」
夕霧太夫はなかばあきれ顔で答えた。
それから30分。ついに私は足が前に出なくなって、夕霧太夫の肩を借りてようやく歩いてる始末。
「着きましたよ」
という声で頭を上げて前方を見ると、そこには真新しい白木の鳥居が3本足で立っていた。
「再建も無事完了という感じですね」
と言うと、
「辻川町長の反対のせいで3年も着手が遅れましたからね」
その辻川町長も今やこの世に存在しない。
「でも、彼女たちの帰還に間に合って、本当によかったです」
そうなのだ、今日の潮時、野太くんたちは帰ってくる。
それにしても暑いし疲れた。汗を拭おうと立ち止まると、
「時間に遅れたら大変です。急ぎましょう」
苔むすごろた石に足を取られながら参道を進む。
ごろた石の一番新しい傷は、野太くんたちがここを社殿の船で疾走したときのものだ。
ようやく斜面のとば口に出た。
眼下には鳥居と石畳、そして新築成ったばかりの社殿があった。
夕霧太夫と私は二人で斜面の石段を下りて三本足の鳥居をくぐり社殿の階の前に立った。
中から人を呼ぶ声がしている。
「どこなの? ユウ」
「ユウ様! ミユウ様!」
「ミヤミユ出てきて!」
夕霧太夫が私の顔を見て階を駆け上がり、入り口の障子を開けた。
「あ! 来てくれたんですね」
懐かしい声だった。
私が後から階を上がっていくと、夕霧太夫の肩越しに藤野くんと目が合った。
「先生も来てたんですか? ユウとミユウがいないんです。たしかに墓所から一緒に出たはずなのに」
と言った。
社殿の中にいたのは、
藤野ミユキ。
野太クロエ。
夜野まひる。
もう一人、青い目の少年?
みんなコスプレ大会に出場するような格好だった。
藤野くんが、
「手分けして探しましょう」
と言うのに夕霧太夫が、
「慌てなくても大丈夫。必ずこの社殿の中にいます」
「屋根裏も調べたけどいませんでした」
と言ったのは野太くんだ。それに応えて夕霧太夫が、
「下の階は調べた?」
と言うと、藤野くんは何かに気がついた顔になって奥の間に移動すると、そこの床を調べだした。
「ここに下に行く階段があるんです。明けるもの、バールのような」
と床に跪きながら板の隙間に指を指し入れようとしている。
「あたしがやりましょう」
と言ったのは夜野まひるだった。
夜野まひるは藤野くんの隣に跪くと、両手の爪を板の間に差し込んで、一気に板を剥がして見せたのだった。
相当な力がないとこんなことは出来ない。
続いて青い目の少年が、他の板を剥がしに掛る。
「それくらいでいいよ」
と藤野くんがそれを制すと、そこには下に降りる階段が見えていた。
藤野くんが最初に降りて行き、他の人もそれに続いた。
下の階におりるとそこは板の間の広がる何もない空間で、上の階以上に杉の木の香りが強かった。
「ここにはいない」
藤野くんは中央の床にある格子が嵌まった入り口の所に行き、
「この下にもスペースがあります」
格子はみんなで持ち上げて外した。階段がなかったので私が先に入って降りる人を待ち受けることにした。
「「あたし行きます」」
藤野くんと野太くんが下に降りてきた。
下の階は船底にあたるので湾曲した仕切り板を竜骨が貫いていた。
光が少ないせいで奥のほうは暗くてよく分からない。
藤野くんと私が船尾へ、野太くんと自分で降りてきた夜野さんが前を探す。
奥へ進んで目が慣れてきたところで、
「先生、あそこに」
藤野くんが指さした船尾の隅に人影があった。
壁にもたれかかっているようだ。
「ユウさん! ミユウは?」
藤野くんが声を掛けると人影が片手を上げて、
「シー」
と言った。
さらに近づくと、人影は腕に赤ん坊を抱いていた。
そして、
「静かに。今寝たばかりだから」
と言った。
「その子は?」
藤野くんが聞いた。
「ミユウだよ。可愛いだろ」
私も近くでその子を見てみた。
透き通るような肌をした赤ちゃんが真っ赤なおくるみに包まれ幸せそうに目をつぶっていた。
その赤ん坊こそが、あの夏、命を落とし屍人となった小宮ミユウなのだった。
上の階に上がると夕霧太夫は赤ちゃんの小宮くんを満面の笑みで迎えた。
そしてリュックからミルク瓶を取り出すと最初のミルクをユウに与えさせた。
夕霧太夫はこうなることを事前に知っていたのだ。
さらに、ユウの了解の元、赤ちゃんとのエニシを繋ぐ儀式が行われた。
もちろん執行役は、この世で唯一赤いエニシの糸を操れる夕霧太夫だった。
その後、みんなで塩にぎりで昼食をした。
夜野まひると青い目の少年には調家から預かった母宮木野の乳を渡した。
ヴァンパイアの命の源、辻沢醍醐だ。
藤野くん始め他の子たちは、ついさっき宮木野の墓所を出たばかりだと言った。
私が4年経っていることを伝えるととても驚いていた。
「だから腕が元に」
夜野さんは自分の左腕をさすっていた。
「あたしたち、今浦島だ」
と野太くんが楽しそうに言う。
藤野くんが大学の心配をした。
籍は残してあることを伝えると、
「先生に復学の手続きをお願いしたいです」
と言われたが、私はもう大学教授ではなかった。
「辻女の教頭をしているんだよ。でも協力は惜しまないよ」
担当ゼミの学生三人が行方不明になったことで糾弾されはしたが、大学を辞めたのはそれが原因ではなかった。
辻沢でのフィールドワーク。
四宮浩太郎がやり残したことを、辻沢にいて引き継ぎたかったからだった。
別れの時が来た。
社殿の前で5人と赤ん坊はみんなで手を繋いでから別れを言い合った。
夜野まひるは青い目の少年に自分と一緒に来るように言った。
帰る国を失ったというその少年は、その言葉に従って傀儡子神社を夜野まひると後にした。
藤野くんに寮の部屋を、野太くんにマンションを引き払ってしまっていることを伝えると、
「クロエと藤野の家に帰ります。いいよね、クロエ?」
と提案した。
「本当にいいの?」
「もちろん。お養母さんに合ってもらいたかったんだ」
そう言った途端、藤野くんが私を見て、
「お養母さんは?」
心配そうな顔になった。
「林道の駐車場に迎えに来られているはずだよ」
ぱっと明るい表情になると、
「行こう、クロエ」
野太くんの手を引いて林道へ走り去った。
少しして野太くんだけが戻ってきて、ユウに抱かれた赤ちゃんのほっぺたを優しくつつくと、
「ミヤミユ、またね。ユウ、行った先教えてね」
と藤野くんが待つ林道へと走っていった。
そのユウに対して、私が、
「君はどうする?」
と聞くと、夕霧太夫は前もって考えていたらしく、
「赤ちゃんは私が預かることも出来るけど」
と提案した。
するとユウは、
「ボクがミユウのお母さんだから、ボクが育てる」
と毅然として言った。
「そうね。あなたなら大丈夫」
すると、ユウが、
「あなたに太鼓判押してもらえたら完璧だね。紫子さん、いや夕霧さん」
と言って笑った。
「あら、知ってたの?」
「やっぱりそうか。ということは、先生は伊左衛門だね」
「よくわかったな」
「目の前でエニシの糸を操るのを見せられたらフツーは気づくよ。あ、先生はあて勘だけど」
私があっけにとられていると、ユウが目の前から消えた。
赤ん坊を抱いたまま社殿の屋根に飛び上がったのだ。
「バレバレでしたね」
ユウたちが消えた先を見届ける夕霧太夫に声を掛けた。
「そうね。まあ、あの子が新しい夕霧だから当然ね」
と意外なことを言った。
夕霧太夫の代替わりなんて聞いたことがない。
私は夕霧太夫は永遠に生き続けると信じていたのだ。
「どういう?」
と聞くと、
「新たなエニシが結ばれ窮屈な時代が終わりを告げたって事」
夕霧太夫は嬉しそうにそう言うと、傀儡子神社を後にした。
―――完(2026/03/03)
今回で『辻沢のアルゴノーツ』~傀儡子のエニシは地獄逝き~ は完結です。
最後まで、クロエ、ミヤミユ、フジミユ、ユウ、まひる、アレクセイたちの冒険におつきあいいただき
ありごとうございました。
みなさまのおかげで最後まで更新することができました。
明日(3/4)、21時に「あとがき」を公開します。
内容は、執筆経緯、影響を受けた作品、新作についてです。
よろしければお立ち寄りください。
よろしくお願いいたします(*ᴗˬᴗ)⁾⁾⁾
★/いいねしてくれた方、ありがとうございます
とても励みになってます
たけりゅぬ




