予期せぬ来訪者
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「グスタフ殿」アストリッド教官は、剣の柄に手をかけ、最後の交渉を試みるかのように、低い声で言った。「これ以上の強引な行動は、アルクス王国騎士団の名誉を汚すことになるぞ。そして、ゼノン帝国からの交換留学生もこの場にいることをお忘れなく。軽率な行動が、外交問題に発展する可能性も、考慮すべきではないかな?」
彼女は、冷静に、しかし確固たる意志を持って、グスタフの行動を牽制しようとした。その視線は、大書庫の入り口近くで、この緊迫した状況を静かに、しかし鋭い眼差しで見守っていたミリア・ヴァレンタインへと一瞬向けられた。
アストリッドの言葉に呼応するように、ミリアが一歩前に進み出た。その顔には、いつもの人懐っこい笑みではなく、帝国貴族令嬢としての、そしてそれ以上の何かを感じさせる、冷徹なまでの気品と威厳が漂っていた。
「グスタフ特務班長様、でしたかしら?」彼女の声は、鈴を転がすように愛らしいが、その響きには氷のような鋭さが含まれている。「アストリッド教官のおっしゃる通りですわ。わたくしどもゼノン帝国とアルクス王国との間には、交換留学生の身の安全と、その権利を相互に保障するという厳格な国際条約がございますの。このような緊迫した状況は、交換留学生であるわたくし自身の安全な学習環境を著しく損なうものであり、ひいては両国間の友好関係にも影響を与えかねないということを、ご理解いただけますかしら? もし、わたくし自身がこの場で何らかの不利益を被るような事態、あるいは危険を感じるような事態になれば、帝国としても看過できませんわ。」
彼女は、優雅に微笑みながらも、その翠色の瞳は、真っ直ぐにグスタフを射抜いていた。その言葉は丁寧だが、その内容は明確な「脅し」に他ならなかった。
グスタフの眉が、わずかにピクリと動いた。アストリッドからの抵抗に加え、ゼノン帝国の交換留学生からの直接的な外交圧力。これは、彼にとっても、そして騎士団長ドレイクにとっても、想定外の厄介な状況だろう。
「……ヴァレンタイン嬢。これは、あくまで我がアルクス王国の国内問題であり、国家の安全保障に関わる騎士団の公務だ。他国の一介の学生が、軽々に口を挟むべきことではないと、私は考えるが?」
グスタフは、なおも強硬な姿勢を崩そうとしなかったが、その声には、先ほどまでの絶対的な自信が、わずかに揺らいでいるように感じられた。
「あら、そうですの? でも、わたくしには、どう見ても、王国騎士団の方々が、いささか強引な手段で事を進めようとなさっているようにしか見えませんけれど。それが、交換留学生であるわたくしの心証を害し、帝国の不信を招く可能性については、ご考慮いただけているのかしら?」
ミリアは、一歩も引かない。その言葉は、グスタフの、そして王国騎士団の「名誉」と「国際的立場」という部分を巧みに刺激していた。
俺は、そのやり取りを、壁に寄りかかったまま、ただ虚ろな目で見ていた。意識は朦朧とし、彼らの言葉はまるで水中で聞いているかのように不明瞭だったが、俺という存在を巡って、何かが激しく牽制し合っているのだけは理解できた。エリアーナやフィン、ロイが、心配そうに俺の顔を覗き込んでいるのが視界の端に映る。
グスタフは、アストリッドの毅然とした態度、生徒たちの予想外の抵抗、そして何よりも、ミリアという帝国の不確定要素の出現に、内心で舌打ちしただろう。彼は、しばらくの間、苦々しげにアストリッドとミリアを交互に見ていたが、やがて、大きく息を吐き、部下たちに手を挙げて合図を送った。特務班の兵士たちが、わずかに緊張を解く。
「……よかろう。アストリッド教官、ヴァレンタイン嬢。あなた方の言い分に配慮しよう。だが、この場にいた全員から、個別に事情聴取は行う。その後、特に状態の芳しくない生徒については、我々の医療班の判断を仰ぎ、必要であれば騎士団本部にて保護、治療することも検討する。それまでは、彼らを拘束したり、無理強いしたりすることは控えよう。……これで、手打ちとしたい」
それは、グスタフなりの最大限の譲歩だった。アストリッドは、その条件を飲んだ。
「承知した。ただし、生徒たちへの事情聴取は、私の同席のもとで行ってもらう。そして、消耗の激しい生徒の心身の状態を無視した、いかなる強引な尋問も許さん。それが、こちらの条件だ」
「……分かった」
グスタフは、短く答えた。こうして、一触即発だった状況は、ひとまずの膠着状態へと移行した。
俺は、そのやり取りを、ただ焦点の合わない瞳で見つめているだけだった。誰かが俺の腕を支えようとしているのを感じたが、それに反応する気力もなかった。ただ、心の奥底で、母親を殺したという記憶と、自分自身の呪われた力への絶望が、暗く冷たい影となって、俺の意識を覆い尽くしていくのを感じていた。
遺跡からの撤退が決定され、一行は重い空気の中、地上へ向かう準備を始めた。
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