エピローグ
「先ほどは私の不注意な言葉で、不快な思いをさせまして、申し訳ありませんでした」
「……いえ、こちらこそ、助けていただいてありがとう。もう、その件は水に流しましょう」
深く頭を下げるグリムに、タローはそう言った。隣でカリンも静かに微笑んでいる。
無事、マルコに契約解除の根拠を納得させ、背中に捨て台詞を浴びながらも、クイビヘラーテカ商会を後にした二人は、その足で市役所の生活相談課に戻ってきた。
グリムにお礼を言うためだ。
グリムの入れ知恵がなければ、今頃は負債だけを抱えて途方に暮れていただろう。お礼を言うのは当然のことだったが、グリムの方も自分の失言の非礼を詫びたのだった。
「しかし変な話ですが、書類を忘れて行かれて本当によかった。すぐに行き先もわかって追いかけることができました。あいつの契約は怪しさしかないですし……あれとは、何度かやり合っているんですよ。今回は運がよかったです。大概は司法関係が出てきて、時間が掛かりますから」
グリムはマルコを指してそう言った。話によればあまり評判のよくない男だとも言う。
「今すぐというわけには行きませんが、船の業者も信頼できるところを斡旋しますよ。それも我々の仕事のうちですから」
「すみません。ありがとうございます」カリンが頭を下げた。
「いえ、それで……本題なんですが……婚姻届の件ですがね、どうにかしましょう」
「え?」
タローは寝耳に水といった調子で、最初のように素っ頓狂な声を上げた。
「……どうにかなるんですか?」
「どうにかなるようにしましょう」
カリンの問いにグリムはにっこりと頷いた。
「……気を悪くしないでくださいね。先ほども申し上げましたが、新婚旅行というのは隠語なんですよ」グリムが説明を始める。
「本来、船団市民籍法では転居時の住所変更の手続きは、すみやかに転居先で行うことと定められています。つまり、引っ越した先でということですが……ところが例外事項がありまして、今回はそいつをうまく運用します。地球で届出を出す場合に関しては、その地方の近くに然るべき機関がない場合がありますから、その場合は引っ越し前の機関で届出をするようになっています。該当地区も定められています。たとえば極地とかなんですけれど……」
それからいたずらっぽく笑う。
「隠語があるくらいですから、頻繁ではないけれど割とあるケースなんです。それでですね。お二人には地球への引っ越し届けを出していただきます。引っ越し先もまあ、用意してあります。このケースで使う場所は決まってるんで……とはいえ、違法ではないですが、ギリギリの所ですので、できれば他の方法を探したかったんですが……まあ、仕方ないですね」
「……それで解決するんですか?」
「ええ、地球は大して移動していませんからね。こちらの三十分で地球の二十年くらい進みますよ。要するにうちの窓口で二回ほど引っ越しの手続きをしてください、ということです」
タローは手を打った。
「それって、今日中に彼女は成人して、僕らは結婚できるってことですよね」
「そうですね。予定としては」
カリンが悲鳴を上げた後、タローの首にかじりつき泣き始める。
「いろいろ、お手数を掛けしますが、これでよろしいですか?」
タローは大きく首を縦に振りながら、カリンの背中を優しく叩く。グリムはそれをうれしそうに眺めながら言った。
「それで、すぐ準備しますが、お待ちの間どうします?」
「そうですね……」
タローとカリンは目を合わせた。実は今日、もう一つ予定していたことがあったが、そのことをタローは急に思い出した。カリンがグリムが用意した引っ越しの届出を書き始める。
「……そうですね、ゆっくりと、二人で本当の新婚旅行の算段をしますよ」
「旅行されるのは素敵ですが、行き先は慎重に。届けはしっかり出してくださいよ。帰ってきたらもう年金世代なんて、人生もったいないですよ」
グリムはそう言い、タローは苦笑いを浮かべながら、肩をすくめるのだった。
<了>