第5話「白銀の森と巨大な影」
ルカが凍てつく土と格闘し始めてから、数日の時間が経過していた。
朝から夕暮れまで黙々とクワを振るい続けた結果、雪原の中には不格好ながらも確かな黒い土の広がりができている。
手袋の下の皮膚は何度も破れてはかさぶたを作り、かつての王都の貴族らしさは見る影もなく失われていた。
それでも、指先に触れる冷たくも豊かな土の感触は、ルカの心に確かな充実感を与えてくれている。
今日も昼過ぎから雪がちらつき始めたが、ルカは手を止めることなく、凍った土の塊を一つずつ丁寧に砕いていた。
吐く息は相変わらず白く、顔の筋肉は寒さでこわばっているが、土を掘り返す動作には一定のリズムが生まれている。
あと少しでこの区画の開墾が終わると思ったその時、周囲の空気が不自然なほど静まり返った。
***
それまでルカの耳を打ち続けていた風の音が唐突に止み、遠くで鳴いていた冬鳥の甲高い声も完全に途絶える。
まるで世界全体が息を潜めたような、異様な圧迫感が肌をなでた。
ルカがクワを持つ手を止め、背後に広がる深い針葉樹の森へと視線を向ける。
雪の重みで垂れ下がった黒い枝の奥から、冷たい大気とは異なる、濃密で獣のような熱気がゆっくりと這い出してくるのを感じた。
木々の間を縫うようにして姿を現したのは、ルカの背丈を優に超えるほど巨大な、四つ足の獣だった。
全身を覆う毛皮は周囲の雪よりもさらに純度の高い白さで、微かな光を反射して銀色に輝いている。
太く強靭な四肢が雪を踏みしめるたびに、硬い氷が砕ける重々しい音が静寂の森に響き渡った。
狼に似た顔立ちをしているが、その骨格の大きさも、鋭く伸びた牙の鋭利さも、通常の野生動物の比ではない。
黄金色に燃える二つの瞳が、じっとルカの姿を捉えていた。
伝説に聞く北の聖獣だと、ルカの思考が瞬時に理解する。
圧倒的な捕食者の気配を前にして、ルカの身体は本能的な恐怖で石のように硬直した。
逃げなければという思考とは裏腹に、膝は震えて一歩も動くことができない。
巨大な聖獣はルカから視線を外すことなく、ゆっくりとした歩みで距離を詰めてくる。
鼻先から吐き出される熱い息が白く濁り、ルカの顔に直接吹きかかるほどの近さまでやってきた。
しかし、その黄金色の瞳の奥に、獲物を狙うような飢えや、人間に対する敵意は見当たらない。
むしろ、珍しいものを見つけたような好奇心と、微かな戸惑いのような色が浮かんでいるようにルカには見えた。
『この子は、私を襲うつもりはない』
植物や動物と自然に心を通わせることのできるルカのオメガとしての性質が、相手の穏やかな感情を正確に読み取る。
ルカは張り詰めていた肩の力を少しだけ抜き、クワを雪の上に静かに置いた。
震える右手から革手袋をゆっくりと引き抜き、赤くひび割れた素手を聖獣の顔の前にそっと差し出す。
聖獣は警戒するように鼻先を微かに動かし、ルカの小さな手のひらに顔を近づけた。
湿った黒い鼻がルカの指先に触れ、微かに土と血の匂いが混じった匂いを嗅ぎ取る。
次の瞬間、温かくザラザラとした巨大な舌が、ルカの手のひらを優しく舐め上げた。
ヤスリのような舌の感触に驚きながらも、そこから伝わってくる確かな親愛の情に、ルカの胸の奥がじんわりと温かくなる。
ルカは差し出していた手をそのまま上に滑らせ、聖獣の鼻筋から額にかけての純白の毛並みにそっと触れた。
指先が深く沈み込むほどの厚みと弾力を持つ毛皮は、驚くほど滑らかで、暖炉の火のように心地よい熱を帯びている。
凍えていたルカの指先が、その命の温もりによってゆっくりと溶かされていくのがわかった。
「驚いた。こんなに綺麗な白い毛をしているんだね」
ルカが静かに語りかけると、聖獣は気持ちよさそうに目を細め、巨大な頭をルカの胸元にすり寄せてきた。
その重みと力強さにルカは雪の上に尻餅をついてしまったが、恐怖はすでに完全に消え去っている。
聖獣はルカを覆い隠すようにして雪の上に腹を下ろし、長い尻尾をルカの身体に巻きつけた。
吹き付ける冷たい風が、巨大な白い壁によって完全に遮断される。
「今日から、君の名前はシロだ。よろしくね、シロ」
ルカがその太い首に両腕を回して抱きつくと、シロは応えるように喉の奥を低く鳴らした。
その振動がルカの胸に直接伝わり、冷え切っていた身体全体に穏やかな安心感を広げていく。
荒涼とした氷の平原の真ん中で、一人と一匹は互いの体温を分け合うようにして静かに寄り添い続けた。




