エピローグ:終章5:深淵の独白、あるいは神の審美眼
カランコロン、と涼やかな音を残して、閻魔は琥珀色の温もりに満ちた喫茶店を後にした。
一歩外へ踏み出せば、そこには夜の帳が降りた静寂の世界が広がっている。
レザージャケットの襟を立て、彼女は一人、等間隔に並ぶ街灯が落とす淡い光の中を歩き始めた。
心地よい夜風が黒髪を揺らす中、彼女の脳裏には、つい数日前まで執り行われていた狂気の祭典「死者選定」の光景が、鮮明な残像となって去来する。
「死」という絶対的な終焉を突きつけられたとき、極限状態に置かれた人間はどう思い、どう考え、そしていかに動くのか。
今回の被験者となった7人のうち、5人はある意味で「期待通り」であった。
怯え、喚き、他者を蹴落とし、あるいは保身に走る。
それは、生存本能という鎖に繋がれた人間であれば、当然とも言える立ち振る舞いであり、予測の範疇を出ない退屈な反応でもあった。
しかし、一体どういう確率の悪戯によって、あの二人は招かれたのだろうか。
参加者のうち、二人だけは完全に常軌から逸脱していた。
一人は、眼前に「死」を突きつけられながらも、その在り方が露ほども揺るがなかった男。
恐怖や執着という煩悩から解き放たれ、既に悟りの境地に達しているか、あるいは目覚めた者となり真理を悟ったと思えるような、静謐なる聖者。
そしてもう一人は、そんな聖者に救われ、その恩に報いるために自らの若き生命を何ら躊躇することなく差し出した少女。
打算もエゴも存在しない、純粋すぎる自己犠牲の輝き。
そんなイレギュラーとしか言いようがない二人を招き入れてしまったがゆえに、企画自体はコントロールを失い、当初の目的からは大きく逸脱した。
ゆえに閻魔は、あの施設を去る際、この企画を「失敗」だと断じたのだ。
だが、夜道を歩きながら思考を巡らせる閻魔の口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。
「死」が剥き出しの牙を剥く過酷な環境において、人はどう反応し、どう変化し、あるいは変わらないのか。
その極限の変容を観察するという学術的な観点に立てば、今回蓄積されたデータは、これまでにないほど興味深く、濃密なものであった。
その意味において、これは紛れもない「大成功」であったと言える。
確かに、血を血で洗うような醜い「死の押し付け合い」を期待していた観客たちにとって、あの気高い結末は、意図した通りのエンターテインメントにはならなかったのかもしれない。
しかし、物語はそこで終わらなかった。
施設から解放された後、国民が最も「死ぬべき」と断じた者たちが、まるで運命に導かれるように山中でその命を散らしたと報じられた時、死を悼むどころか、その死を肯定し嘲笑った大衆。
生還した者への祝福と、卑劣な死者への罵声。
企画が終了した「後」の方が、世間はより一層の熱狂を見せ、国民が望む形での結末がもたらされるという、極めて皮肉の効いた喜劇として成立したのだ。
意図した流れではなかった。
しかし、結果としてこれほどまでに完璧な終焉を迎えることができたのは、もはや神の采配と言うほかはない。
静かな夜道に、閻魔の小さな溜息が白く溶けていく。
彼女は立ち止まり、サングラスをポケットに仕舞い込むと、夜空の深淵を仰ぎ見た。
「……ふふ。人と言う生き物は、実に興味深い。」
仮面を脱いだ彼女の瞳には、冷酷な観察者としての光と、生命への飽くなき探求心が同居していた。
閻魔は満足げに低く笑うと、そのまま足音を消して、深い夜の闇の中へと消えていった。
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