示談金①
ベランダでぼうっとしていた。
日当たりの良いベランダに座っていると時間が過ぎるのを忘れてしまう。ここにパラソル付きのテーブルと椅子を置いた功兄の気持ちが理解できた。
門を潜って屋敷に入る高田涼介の姿が目に入った。
安達が言っていた。高田涼介と功兄が仲違いしていたと。意外だ。諍い事には無縁に見える人物なのに。
ピンポンとチャイムが鳴る。
「どうしました?」とインターホンで応じると、「志尊さん。ちょっと話があるのです。大事な話です」と勿体ぶった言い方をした。
こういうところが高田涼介の嫌なところだ。
「どうぞ。どうせ鍵なんて掛けていませんから。応接間で待っていてください」
功兄もそうだった。家にいる時は鍵をかけない。鍵をかけるのは外出する時だけだ。だから、あの日も勝手に屋敷に上がり込むことができたのだ。
応接間に降りて行くと、涼介がコーヒーを煎れながら待っていた。
「勝手にやっていますよ」
「良いですね~僕にも一杯、もらえますか?」
「ちゃんと準備しています」
二人でソファーに腰を降ろし、涼介が煎れてくれたコーヒーを手に一息つく。無言の時間だ。一体、涼介はどんな話を持って来たのだろうか。
「さて、今日は志尊さんに聞きたいことがあって、やって来ました。私個人というより、会社の意向を受けて――と思ってもらって結構です」
「何だか大袈裟ですね。それで、何です?」
「では、単刀直入にお聞きしましょう。志尊さん、アゼリを継ぐ気がありますか?」
「アゼリを継ぐ?」
涼介は顔を歪めながら言った。「アゼリはお父様がゼロから立ち上げた会社です。お父様亡き後、志経さん、志功さんと後を継がれた。次はあなただという声が社内にあります。あなたにその気があるのかどうか、お聞きしたいのです」
本意ではない。涼介の顔がそう語っていた。経兄や功兄と違って、俺は会社勤めをした経験がない。ど素人の俺に会社の舵取りを任せたい訳がない。俺に任せるくらいなら、自分でやった方が良い。そう思っているであろうことくらい、容易に想像がついた。
恐らく、社内で会社を創業者一族に継がせた方が良いのではないかという意見があって、親戚の一人である涼介に白羽の矢が立ったのだ。父の子として、まだ俺がいる。俺に会社を継ぐ意思があるのかどうか、確認しに来るように頼まれたのだ。それで、嫌々、やって来た。そんなところだ。
「俺に会社の経営なんて無理ですよ」と言うと、涼介はほっとした顔をした。
当然だろう。俺が社長を辞退すれば、涼介だって一族の端に連なる人間だ。社長になる目が出て来る。
「いえ、勿論、直ぐにという訳ではありません。我々で然るべきポジションを用意しますので、暫く・・・」
「修行を積んでからという訳ですね。それが嫌なのですよ。人と交渉する。決断を迫られる。机に座って書類を読む。会議に出る。いや、毎日、同じ時間に起きて、会社に行く。そういうのが苦手なのです」
「そうですか・・・」
「もっと自由でいたい――というのが僕の理想です。ガキっぽいと笑いたいなら笑ってください」
「いえ、羨ましい限りです。働かないで生きて行けるなら、その方が良い」
本当にそう思っているのだろうか。俺みたいな人間、仕事人間の涼介が一番、相手にしたくないタイプだろう。
もうこの話は終わりだ。
「そう言えば功兄に頼まれて、一階の防犯カメラを設置したのは高田さん、あなたでしたよね?」と話題を変えた。
「ええ、私が手配しました。防犯カメラがどうかしたのですか?」
「いえね。功兄、防犯カメラをつける理由について、どう言っていました?」
「刑事さんに説明した通り、一階の廊下にお兄さんの幽霊が出るので、防犯カメラをつけたいと、そう言われました」
「経兄の幽霊が出るだなんて、そんな話を信じたのですか?」
「まさか。気のせいではと言ったのですが、本当なんだ。夜中に志経さんの幽霊が廊下を走り回って、うるさくて眠れないんだと言っていました。防犯カメラをつければ、少しは安心するだろうと思って手配しました」
「それで、功兄は安心したのですか?」
「どうでしょうねえ~その後、話を聞きませんでした」
あきらめたのだろうか。いや、結局、精神を止んで、あの決定になったのだ。
「ところで、涼介さん。仕事のことで、功兄とやり合っていたと聞きましたが」
「ああ、そのこと。まあ、仕事上、意見の相違なんて、よくあることですよ」
「それを恨んで犯行に及んだってことはありませんか?」
「馬鹿らしい。それで捕まったら、僕には何のメリットもないじゃないですか。そこまで会社命の人間じゃありません」
「あらあら、そんな言葉を涼介さんから聞くなんて、意外だな」
「僕のこと、会社人間だって思っていました?」
「ええ、まあ」
「仕事じゃ手を抜きません。それだけです。志尊さん、あなたも、うちで働いてみれば、分かるかもしれませんよ」
「遠慮しておきます」
「そうですか」
涼介は俺の答えに満足した様子で、足取りも軽く帰って行った。
経兄の幽霊の話が出たからだろう。ふと思い出した。俺はずっと経兄から小遣いをもらっていた。父は子育てに無関心で、子供に金なんか必要ないと思っていたようで、小遣いを渡すという発想が無かった。
功兄も俺も、経兄から小遣いをもらっていた。
経兄は社会人だったし、働き始めて直ぐに幹部候補生になったから、それなりに収入があった。
だが、俺たちの小遣いにうるさかった。
「金が欲しい」と経兄のところに行くと、「何に使うんだ?」と聞いてくるのだ。
「学校帰りに買い食いをしたい」などと答えようものなら、「そんな金、やれるか!」と一喝されてしまう。
「辞書が欲しい」、「本が買いたい」という理由なら、直ぐに金を出してくれた。
そういう意味では騙しやすい存在だった。
今は口うるさいだけの人間になってしまったが、子供の頃、隆俊叔父は気前が良かった。俺と功兄の顔を見ると、「兄は小遣いなんか渡すタイプじゃないからな」と言って、ぽんと万札をくれた。
隆俊叔父と会うのが楽しみだったくらいだ。
父が死んで後ろ盾を失い、経兄に役立たずの烙印を押され、結婚、離婚を繰り返して、性格が捻じれて行ったようだ。




