コールドスリープは眠り姫 1
ウオンさんが約束通り新生児室までアイリーンを迎えに来た。
「アイリーン帰るわよ」
(ちょっと待ってよもう少し時間ちょうだい、いやまてよ)
「わかったー」
「探したわよ、さっきまで看護師さんがいっぱい居たけど何があったんだろうね」
(やったー興味持ってる)
「マリア様が降臨なさったんだって凄いね」
「何だって!それが本当なら『凄い』で済まされる事じゃないよ、それでどこにご降臨なさったって言うんだい」
アイリーンはここぞとばかりに奥の保育器を指差す。
「あの保育器に入っている赤ちゃんがマリア様より命を授かったって言っていたよ」
ウオンさんは赤ちゃんに向かって十字を切って手を合わせている。
その姿をうちはぼーっと眺めていた。
「アイリーン、あんたまさか…あれから教会にはちゃんと行ってるんだろうね」
うちは首を横に振る事しか思いつかない。
「ごめんなさい、でも教会が近くに無かったんだよ」
確かに宇宙船の中に教会は無かった。
宣教師も居なかっただろう。
「なんだい都会に出て行ったのかと思っていたけど近くに教会も無いような田舎に行ってたのかいそれは辛かっただろうね」
(よしウオンさんは落ちた)
「あの赤ちゃんどこの子だろうねマリア様が手を差し伸べられる程、立派な家の子供なんだろうね」
「マリア様は立派な家だとかで選んだりしないさ、他にちゃんとした理由があったんだよ」
「豊福さんて言ったら山川町だよねどの辺だろう、あの看護師なら知ってそうだね、ウオンさん聞いて来てくれないかなぁ」
「そうだね一度だけなら聞いてみようかね」
ウオンさんはけいけんなクリスチャンだから、さっきの荒井さんとなら直ぐに意気投合して教えてくれそう、もう少ししたら噂が広まって、かん口令が出るかも知れないから聞くなら早いに越したことはない。
アイリーンは戻って来た荒井さんをいち早く見つけてウオンさんをけしかけるのだった。
(住所が分かるといいなその次はイノマンね、次は捕まえられそうな気がするわ)
日曜日の早朝ニ人はセントマリアホスピタルの玄関前で別れを惜しんでいる。
「アイリーン本当にお母さんに会わないまま帰るのかい、大丈夫?」
ウオンは心配そうにアイリーンを覗き込む。
しかしアイリーンはウオンの心配をよそに清々しい様子を見せている。
ウオンはアイリーンのそんな姿を見てかえって心が痛む思いを感じた。
「今はママに会わないほうがいいと思うの、大人になったらまた来るわ、そしてうちは大丈夫だから友達も出来たことだし、うちに連絡する時はさっきの会社の番号に掛けてね、うちはウオンさんに連絡するから、じゃあ行ってくるね」
アイリーンは一人で帰ると言い張っている。
「本当に送らなくて大丈夫なんだねバス代とか持ってるんだね」
「大丈夫だって、うちは昔からかなりの修羅場くぐってきてるんだって知ってるでしょう」
「相変わらずだね、元気でやるんだよ大人になるまでじゃなくて出来るだけ早くまた会いに来なさいよ」
アイリーンは振り返らず片手を上げて振り回す。
(さてどうしよう、光兄ちゃんの魂が入った昴ちゃんちの住所は確認出来たからとりあえず安心だね。次はイノマンを見つけないといけないのだけどその前に支部に戻らないと皆が心配してるよね。キッドが怒り狂ってないことを祈るわ、早く戻らないとヤバいかもしれないわね)
多少の土地勘があったので病院を出て西に向かってぶらぶら歩く。
そうすると筑後川の堤防に出る。
土地勘があってもここに来るのは初めてだった。
堤防だから少し高くなって見晴らしが良い。
川面からの風がスケートボードのビッグエアみたいな感じで結構強く吹いている。
アイリーンは上昇気流に乗って行く風に身を任せ少しの間ボーッと立ち尽くす。
(いい眺めじゃない、川面から吹き上がってくる風が気持ちい~い。こんなにいい場所だと知っていればもっと早くに来てたんだけどなあ、まあしかし、9才になったばかりの今でさえこの距離はきついのにあの頃のうちでは無理…ではないかも知れないわよねー、あれ?ちょっと待て今日って6月3日って言っていたわよね、うちの誕生日じゃない、そして確か2007年ということは、うちは今日が10才の誕生日じゃん、ハハハ、この前9才になったばかりなのにってバイオキッドから注意を受けてたのを忘れてたわー。これが宇宙旅行における時間のずれというやつかしら、でもまあ浦島太郎みたいなお年寄りにならなくて良かったと思うべきよ、これ以上考えてもしょうがない事だしね、それより今は心を落ち着けて精神を集中させてテレポートの精度を高めていくの、日本支部はあっちでいい筈だわ。あの背振山脈で一番高くなっている場所の向こう側真ん中あたりで間違いないわよね、歩いて戻るのは最初から無理だと分かっていたからね、さぁてと心置きなく跳びましょうか、隠されたトンネルの中でスターキッドがうちの帰りを首を長くして待っているわ)
アイリーンはスターキッドの操縦席を思い描きながら目を閉じる。
(何で光一兄ちゃんが操縦席に座っているの? そうだよね、だってキャプテンだものね目を閉じればいつだって会えるわ、だから今はバイバイね、次はスターキッドの操縦席で目を開けるのよ)
筑後川を吹き抜ける初夏の風と草の匂いが感じられなくなり、少し誇りっぽさと油臭さ? が混じった感じがする。
『バイオキッドの奴また何かやらかしたんじゃないだるうな』不安な気持ちを抱きながら薄目を開けていく。
(あれ? 操縦席じゃないわここはどこうちは… 裸だし、何で? テレポートするたびに裸になるのかしら、すごく嫌ねそれより本当にここは何処なのよ)
テレポート先はスターキッドの操縦席のはずだった。
しかし今は見たこともないガランとした室内に裸で立っている。
大きな不安の波が押し寄せてきた。
「キッドキッド? 何処よ近くにいるんでしょ、ここはスターキッドの中よね意地悪しないで早く出てきてよ!」
(模様替えするとか言ってたかしら、まさかね)
「アイリーン、お前が言い付けを守らないからこうなる」
後ろから声が聞こえてくる。
(この声は?)
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん! うゎ~ん」
声のするほうに振り向くと光一兄ちゃんが立っていた。
(夢だろうが幽霊だろうと何だろうとどうでもいい、今は光一兄ちゃんにすがり付いて泣いてやる)
冥王星でアイリーンを逃がすため石井光一の身体に入って一人サロメに身を預けたイノマンがそこに立っている。
「ごめんなさいごめんなさい。今までたくさん、沢山ごめんなさい、 いくら謝ったって足りないよね、うっ、うっ」
アイリーンは目の前にある服にしがみついてしばらく泣き続けた。
(涙が枯れるってなかなかやってこないものね、涙が止まらないわどうしよう離れたくない)
「そろそろ落ち着いたらどうだ、忘れていないはず、私は正真正銘のイノマンなのだから」
ドクターイノマンはそう言いながら娘を引き剥がし振り向かせる。
そこにはムチ女とクモ男ともう一人思い出せない男がニヤニヤしながらこっちを見ていてアイリーンを恐怖の淵へ突き落とす。
「ムチ女がいる、何でよ嘘でしょお兄ちゃん悪の組織に入っちゃったの、うちのせいなん…」
アイリーンは恐怖で身震いしながらお兄ちゃんの体、自分のクローンの身体に戻ったイノマンを見上げその口許を象る薄笑みに絶望し意識を手放した。
「ちょっとイノマンあんたやり過ぎなんじゃない」
サロメが言う。
(お前たちもな)
イノマンは心の中で呟きながら倒れ掛かってきた裸の娘をマントの下に隠す。
「少し計画の変更を考える必要性が出来ただろう」
「それはそうだけど、いきなり現れて何なのよこの娘は、今がどういう時だか分かっているんでしょうね。あんたこれからどうするつもりか説明しなさいよ」
「そうだな、まず今はこの子を寝かせてくる」
イノマンは腕の中でぐったりしているアイリーンを抱えて部屋を出て行こうと歩きだす。
その後ろ姿に衰えを感じる者は本人以外誰もいなかった。
「しばらくゲストルームを使わせて貰う、他の皆にもいきなり食い付くなと言っといてくれ」
アイリーンにムチ女と呼ばれたことに少しばかり気分を害したサロメは片手を上げ早く出ていけと言った仕草をする。
イノマンは扉を閉めた後で一人呟く。
「思いがけない所でテレポートの実証成果が得られたな、しかし手間が省けた分だけ詰まらなくなってしまった。時間も出来たことだし、フフフ少し構ってやるか。それにしても太陽系から56兆7648億kmを一瞬でジャンプして来たと思って構わないのだな、それが本当ならこれほど科学を馬鹿にした行為は他にないな」




