イノマン再び
アイリーンは昔住んでいたアパートの玄関前でウオンさんと立ち話をしている。
「しっかり反省しなさいよ、あんたが2年もの間連絡しないからアンの奴もとうとう結婚しちゃったじゃないか、そういう私も結婚したんだけどさ2人共今じゃ真っ当な日本人さね」
「ウオンさんの意地悪、そういう事は先に言ってよね、ママがうちのせいでどうにかなっちゃったかと思って舌を噛んじゃう所だったわよ」
「ははは、今更なんだいアイリーンは食事の時、喋りながら食べるもんだからいつも舌を噛んでいたじゃないか、それより後ろの男の人は誰だい石井光一さんじゃないみたいだけどあんたの新しいこれかい」
そう言いながらウオンさんはうちの目の前で親指を立てた。
「もう、やめてよウオンさん恥ずかしい、前田さんはうちをここまで送ってくれた…光一兄ちゃんが勤めていた会社の人なんだからそれよりママは仕事中なの?」
(ウオンさんの好奇心が前田さんや光一兄ちゃんに向く前に何とかしなくっちゃいけないな、他にも色々聞きたいことはあるけど今はママの事だけに集中しよう)
「アンは結婚したと言っただろう1年前にね、今は病院に入院中さね、いい事でね」
「結婚していい事で入院って言ったら赤ちゃん生まれるの、うちの妹だね何で連絡してくれなかったのよ」
「電話したさ何回もその都度『電波が届かない所にいるか電源が入っていません』って言うんだ、もうどうしようもなかったさね、それでこれからどうするね、赤ちゃんは今晩から明日の朝には生まれると思うけどそっちの人には帰ってもらったほうがいいんじゃないかい」
(そうだったどうしよう、知っている人は誰もいないと思っていたから情報だけ集めて前田さんと支部へ戻るつもりでいたわ、キッドも1人ぼっちの夜は寂しいだろうけど…ごめんなさいキッド、許してキッドこの埋め合わせはキッドするから今日は前田さんだけ帰ってもらうわ)
そういう理由で前田さんに十分説明した上で、明日迎えに来ましょうかと言う前田さんの申し出も丁寧に辞退して一人で支部へ帰ってもらった。
ウオンさんと一緒に歩いて着いた所は久留米市の三大名勝とか言われている場所の1つだった。
「やっぱりセントマリアホスピタルだったね、ここの産婦人科有名だし院長先生が凄い美男子で死人返しの術が使えるって噂だよね、それで何号室かなぁ」
(うち、もうどうしようもないほど嬉しくて浮かれているわ、あれウオンさん何で沈んだ顔してるの)
「ウオンさんどうしたの浮かない顔をして、もしかしてママの具合が悪いの?」
何か別の理由もあってここに入院したんじゃないかとの考えが頭をよぎる。
「アイリーン…アンはね、それはあんたに連絡しようとしたさ何回もそれでも連絡が取れないから1年経って克彦さんと結婚したんだ。アイリーンの事を…すでに子供がいることを伏せてね」
(ガーン、ショックで目の前が暗くなるってこういう時に使うんだ。晴天のお花畑を有頂天になって走り回っていたら枯れ井戸に落っこちていきなり真っ暗闇になって泣き喚きたい気持ちになるって、まさに今の事だわ)
「ウオンさん、うちどうしたらいい?」
「勢いでここまで連れて来てしまって本当に悪い事をしてしまったと思っている。ごめんな、アンには会わない方がいい、出産を間近に控えたアンには刺激があり過ぎると思う。どうなるか分からないから」
直立不動で拳を握りしめ滝の様に涙を流し始めているアイリーンを強く抱き締めて慰める事しかウオンには思い付かなかった。
「赤ちゃんが生まれるまで私も一緒にいるから、弟か妹か分からないけど抱っこさせるから、出産後ならアンにも会わせるから、それまで一緒にいようね」
アイリーンは、いやいやする子供の様に首を横に振る事しか出来なくなっている。
夜明け前、分娩室前のベンチに座って待っているとウオンさんが中から出てきた。
「ねえ赤ちゃん抱っこしてないけど、無事に産まれたんだよね」
アイリーンはウオンさんが手ぶらなのを見てウオンさんが話し出す前に聞かずにはいられない。
「ああ元気な男の子だよ、抱っこさせるって約束したけど連れ出せなかったよ、ごめんな」
「仕方ないよ、大きな病院だものね待ってる間に他でも何人か産まれてたけど誰も赤ちゃんを抱っこしてないので、もしかしたら連れ出せないのかなと思っていたから、でもちょっとでいいから…弟なんだよね会いたかったなあ、残念だよ」
ウオンさんの表情が少し和らぐ。
「アイリーンの弟君は新生児室でガラス越しだけど会うことができるよ、ベビーベッドに黒田アン様ベビーってプレートが付いてるから直ぐに分かると思う」
「わかったわ行ってくる。そこで待ってるから迎えに来てね」
しばらく新生児室の廊下側で待っていると白地の花柄プレートに黒田アン様ベビーと書かれたベビーベッドが運ばれて来た。
(あれだわ、五体満足みたいだし元気そうで良かったわ、でも絶対…うちには似てないわね)
ウオンさんが迎えに来るまでの時間潰しに、新生児達を見ていようと思い自分なりの可愛さランキングを付けて眺めていると、一番奥で電子機器に囲まれた保育器が目に入り心がざわめき出す。
(あの子もう直ぐ死んじゃう)
自分の心が弱くなっていくのを感じた。
『しまった』と思った時にはもう遅く心が引きずり込まれていく。
『フフフ、ちょうど良い赤ん坊が居るじゃないかこの子にしよう』
次の瞬間にアイリーンは窓際の保育器の前に立っていた。
同時に電子機器が一斉にピーっと警報を発する。
アイリーンは白く発光していて、その手には更に白く輝く玉を持っていた。
白く輝く玉はゆっくりアイリーンの手を離れ保育器の中の赤ん坊に吸い込まれて輝きもだんだんと消える。
輝く光が消えた時、電子機器の警報音が鳴り止み正常な数値を表示し始めていた。
たまたま巡回中の女性看護師がその一部始終を見ていて歓喜に包まれた表情のまま固まっている。
一瞬目が合ったと思った時には立ったまま幻でも見ていたかのように保育器の前には誰も居ない。
(あれ、何でうちはこんな所にいるんだろう、新生児室を廊下から見ていて窓際に置かれた保育器の中の赤ちゃんの命が消えようとしていたのを感じたんだよな、そしたら中庭?かな、ここにどうやって来たのか覚えていない、でもこの感覚には覚えがある。しかしあり得ない?あっ、お腹の中のお兄ちゃんがいない!やっぱりさっきのはイノマンだ!保育器の赤ちゃんの所に戻らなきゃ)
行く時はウオンさんに連れられていたのでどうやって行ったのかよく覚えていない。
宇宙では迷ったらどうしよう等と思った事はないのにこの病院の中を一人歩きするには不安が膨らんでいくばかりだ。
だから案内板を食い入るように見ていた。
「お嬢ちゃんは、どこへ行きたいのかな」
若い女性の看護師が声を掛けてくれる。
「新生児室に行きたいの」
心が痛い。
「そう、弟妹が出来たのね」
心が悲鳴をあげている。
優しい看護師に連れられてさっきの新生児室まで戻るとそこは白衣の群れに包まれていた。
新生児室のガラス窓を背にして若い女性の看護師が一人声を張り上げている。
「何度でも言いますけど、私はマリア様を見ました。昴ちゃんに手を差し伸べていたのです、マリア様が発する祝福の光に昴ちゃんは包まれてその中で昴ちゃんが生き返って行く姿を私はしっかりと見ました。神に誓って間違いありません」
「わかりましたから、少し落ち着いて声を落としたらどうですか、皆さんも自分たちの持ち場に戻って下さい。さあ荒井さん私の部屋で詳しい話を聞かせて下さい」
荒井さんと呼ばれた看護師が男の看護師長? に連れられて行くと白衣の集団も散り散りになった。
人がいなくなったガラス窓にへばり付き医師たち? に囲まれている昴ちゃんと呼ばれていた赤ちゃんを凝視する。
(やっぱりあの赤ちゃんの中にお兄ちゃんがいる。わかる感じるのさっきの荒井さんじゃないけど神様に誓って間違いないわ、それでどこの誰なのよあの赤ちゃん、え~っと遠いわ、うん、806号室の豊福祥子さんの長男で名前は昴ちゃん、祥子さんの家はどこよ、そうだブレインで探せば…って無理だよね~)




