103 ハイイロジャッカル
鍛錬2日目の夕方。今日も今日とて荷物を背負って一行は走る。
今日も昨日と同じく、夜もある程度進む予定だ。ムラサキは既にダウンしてクロに抱えられて寝ている。
対してクロとマシロはすでにこの重量の荷物にも慣れて、会話する余裕が生まれていた。
「よく寝てんな。まあ、今日もかなり頑張ったしな。」
「朝、駄々をこねたときには噛みついてやろうかと思いましたが、ね。」
今日の朝。日の出前に出発しようとした時に、ムラサキは「まだ回復してないから動けない」などと言って動こうとしなかった。
しかしクロにもマシロにも、ムラサキが既に回復済みなのはバレバレだった。嫌がるムラサキを強引に立たせて起こしたが、それでもムラサキはブツブツ文句を言っていた。
そこにとどめを刺したのがアカネだった。文句を言っていたムラサキがふとアカネを見ると、アカネはムラサキを憐れむような目で見ていたのだった。
結果、アカネに情けない奴だと失望されたくない一心で、ムラサキは鍛錬を開始した。
そして現在。今日もまたムラサキは魔力欠乏でふらふらになるまで走った。
「昨日より長く持ったし、頑張ったのには変わりないさ。」
「まあ、そうですけどね。見栄を張るくらいなら初めからしゃんとしていればいいんですよ。」
「はは・・・」
相変わらずマシロはムラサキに厳しい。
するとそこで、先導していたアカネが止まった。クロ達も合わせて止まる。
「どうした?」
クロの目では、まだ近くに危険な敵は見当たらない。見回してみても同様だ。
しかしアカネはひどく警戒している。理由はマシロが教えてくれた。
「臭います。マーキングの跡ですね。これは・・・ジャッカルの縄張りのようです。」
「なるほど。縄張りか。」
ひたすら森の中を進んでいるクロ達だが、この魔獣の森は、そこに生息する魔獣の影響か、場所によって多種多様に姿を変える。
今は森というには木がまばらな、林を走っていた。
アカネはマシロを振り向く。判断に迷ったため、マシロに助言を求めているようだ。
対するマシロは首を縦にも横にも振らない。「自分で判断しろ」と言っているのだ。
少し迷ったアカネは、とりあえず進路を東に変える。ジャッカルの縄張りを迂回するようだ。
それから数分、少し進んでは縄張りに阻まれるのを繰り返した。どうも縄張りは思ったより広いらしい。
「複数の群れが隙間なく縄張りを作っているようですね。」
「あ~、あるな、そういうの。」
おそらくこの森の中でジャッカルが住める土地は限られているのだろう。鬱蒼とした森が苦手で、ここのようなまばらな林にしか住めないのだと考えられる。
そして、その限られた土地を巡って縄張り争いをしているのだろう。前世でも動物番組でよく見た構図だ。
「これを回避するには、林がなくなるまで迂回しなければなりませんが・・・」
「それはちょっと嫌だな。」
もっと東に逸れれば、もしかしたら林が途切れるかもしれない。しかし、逆にもっと遠くまで林が続いているかもしれない。後者なら悲惨だ。
今は積雪より前に家に辿り着かなければならないのだから、あまりタイムロスすると困る。
そんな2人の会話を聞いていたアカネが、北に進路を変える。縄張りを突っ切る覚悟を決めたようだ。
「やむを得ないですね。」
「ああ。いざとなれば手を貸そう。」
「もちろんです。」
そうしてクロ一行はジャッカルの縄張りをひた走る。
「来たな。」
「ええ。」
そして案の定と言うべきか、ジャッカルの群れが接近して来た。走るクロ達を追ってきている。徐々に距離を詰めてきていた。
マシロなら余裕で振り切れるが、今はアカネの速度に合わせている。追い付かれるのは時間の問題だ。
アカネが減速、反転して、クロと追いかけて来るジャッカルたちの間に入ろうとした。
しかしそれをクロが声をかけて止める。
「待った。茜。」
「クウ?」
「この数は茜じゃ分が悪い。俺がやろう。」
迫って来るジャッカルは7匹。魔獣でないことは魔力視でチェック済みだ。
しかし魔獣でなくとも野生の肉食獣は強い。群れは特に脅威だ。アカネでは魔法を駆使すれば勝てなくはないだろうが、無傷とはいかないだろう。
魔族なら鍛錬で傷ついても問題ないが、アカネは魔族ではない。ここで負傷すれば、帰りが遅くなるばかりか、満足な治療もできない。最悪、その傷がもとで死にかねない。
故にここはクロが出る。マシロの方が早く片付くだろうが、ここはクロがやりたかった。
・・・真白も加減はしてくれるだろうが、ちょっと不安もある。それになにより、せっかくの初見の獣だ。存分に堪能させてもらおう。
クロは獣を極力傷つけたくない。そしてなにより、新しい獣に目がなかった。ちょっと荒っぽい触れ合い開始だ。
クロは荷物とムラサキを地面に下し、背中に背負っていた「黒嘴」と盾も下した。
可能な限り身を軽くし、素手で構える。右手を軽く前に出し、左手を低く構える。
クロは格闘技はやっていない。故にこの構えも我流だ。
そこへジャッカルたちがやってきた。クロが前世の資料で見たジャッカルとよく似ている。灰色の毛並みで背中だけ黒い。体長は1mくらい。
こちらが止まったと見るや、ジャッカルも速度を落とし、間合いを測るようにじりじりと寄って来る。
・・・3匹。あと4匹は、背後に回る気か。
クロはマシロに目配せする。マシロも把握しているようで、軽く頷くと後方を守るように向きを変えた。2mを超えるマシロは、ジャッカルの倍以上の体格だ。戦う前からジャッカルには勝ち目がないのがわかるだろう。
そしてクロ達の思惑通り、背後に回ろうとした4匹の動きに迷いが生じた。マシロの「背後に回ろうとしているのは気づいているぞ」アピールを理解したのだろう。距離を置いて隠れ、近づいて来ない。
・・・よし。今のうちにこの3匹を無力化する!
前方の3匹が、他の4匹の状況に気付いているかはわからないが、少しずつ近づいてくる。そして間合いに入った瞬間、まず右の1匹が飛び掛かって来た。
・・・思考加速!視野を広く!1匹に集中しすぎないように!
他の2匹の動きも把握しつつ、飛び掛かって来た1匹に対処する。
噛みつこうと開いた口には、立派な牙が生えそろっている。噛まれたら痛そうだが、クロは噛まれてもすぐ治癒するので問題ないし、そもそも噛まれる気はない。
前に伸ばした右手を素早く動かし、飛び掛かるジャッカルの下顎を抑える。次に左手で前足を掴む。そして勢いよく引っ張りつつ、自身の体は半歩下がって半回転。
ジャッカルは飛び掛かった勢いに、引っ張られた勢いが加わって派手に飛ぶ。しかも下顎を下から押されたために、バック宙のように縦回転した。
1匹目に続いて飛び掛かろうとした2匹目と3匹目は、飛び掛かるコースをちょうど1匹目が横切ったため、攻撃を中断した。その間にクロは再び元の構えに戻る。
一瞬、クロと2匹のジャッカルは睨みあって静止する。次の瞬間、クロの左後方から軽い着地音が聞こえた。
・・・音からして地面に激突したわけじゃなさそうだな。あの縦回転を受けて、着地を成功させるとは、なかなかやる。
クロは目を向けずにそう予想した。
そしてその予想は正しく、投げ飛ばされたジャッカルは着地を成功させていた。
着地したジャッカルは、再び走り出す。しかし向かう先はクロではなく、クロとマシロの間にいたアカネだ。最も弱い者を狙う。定石だ。
確かにアカネはこの面子の中では弱い。だが、野生の獣の中では、もう十分に強者と名乗れるレベルに達していた。群れで襲い掛かられれば不利だが、1対1なら問題ない。
向かって来るジャッカルに、アカネは炎魔法の火球をお見舞いする。ジャッカルは初見だったのだろう、反応が遅れて火球を受けてしまう。
「ギャッ!」
顔面から炎に突っ込んでしまったジャッカルは、反射的に閉じた目と口は助かったものの、鼻や耳を焼かれて悶え苦しむ。
その隙を見逃さず、アカネはジャッカルに飛び掛かった。炎魔法による身体強化魔法を使っていた。ヒトが使う『ヒートブースト』に似ている。木魔法の強化に比べると効率は悪いが、ある程度身体能力が向上する。
そして碌に反撃ができない状態のジャッカルに、アカネは容赦なく噛みついてとどめを刺した。
アカネでは殺さずにこのジャッカルを止めるのは困難だ。無傷で倒せただけよしとするべきだろう。
アカネはジャッカルの絶命を確認すると、すぐに周囲を油断なく警戒する。
「よろしい。」
アカネを見守っていたマシロは、アカネの対処をそう評した。
アカネは声を上げずにコクリと頷き、慢心することなく次に備えた。
さて、クロはというと。
「おー、よしよし。これもなかなかいいな。」
「ワン!ワン!ガウウ!」
「グルルル!」
1匹の首を左手でがっちりと抑えながら、右手で撫でまわしていた。そのジャッカルは吠えながら暴れ、クロの手足を引っ掻いたりしているが、クロはまるでダメージを負っている様子がない。確かに引っかかれた場所からは血が出ているのだが、全く痛がる様子もない。それどころかジャッカルの毛並みを堪能して、幸せそうだ。
そしてもう1匹は、クロの尻の下にいた。投げ飛ばされて着地に失敗したところで上に座られたようだ。伏せの態勢で動けなくなっている。唸り声を上げているが、全く動けない様がもはや哀れだ。
・・・汚れも目立つし、ちょっとゴワゴワしてるけど、これもまた野性味があっていいな。モフモフ。ん~、幸せ。これで懐いてくれれば最高だけど。
しかしクロの願望はむなしく、2匹は全く懐く様子はない。ひたすら暴れ、吠える。
そして腕に捕らえられたジャッカルが、ようやく首を動かすことに成功。首をぐるんと回してクロに噛みつこうとした。
が、そこでクロと目が合ってしまう。クロの、目を合わせた者に死の恐怖を想起させる目を間近で見てしまった。
「キャイン!キャン!」
クロの目を見たジャッカルは、情けない声を出しつつますます暴れる。「死にたくない!死にたくない!」という声が聞こえるかのようだ。
「あ、こら、暴れるな。俺ってやっぱ動物に懐かれねえなあ。」
その様子を見ていたマシロ。マシロが牽制していた後方の4匹は、他3匹が全滅(?)したと見るや、一目散に逃げて行った。それで警戒を解き、クロの様子を見てみたのだが、そこで見えたのがこの光景である。思わずマシロは溜息をもらす。
すると、そこで荷物の上で寝ていたムラサキが目を覚ました。
「なんだ?騒がしいなあ。」
「目覚めましたか。」
「・・・どういう状況だ?これ。」
状況が呑み込めないムラサキに、マシロは簡潔に説明した。
それを聞いたムラサキは、深く納得する。
「で、あいつはジャッカルの毛並みを堪能している、と。」
「ええ。あの暴れようを見るに、腕に捕らえられた方はマスターの目を見てしまったようです。」
「あ~、あれかー・・・アイツの目、恐いよな。」
「ええ。私も初見では死神かと思いました。」
「クウン・・・」
3人は共感し、そして囚われたジャッカルに同情する。
この3人はもうクロの目に慣れたけれど、その恐ろしさは良く知っている。
クロだけが、なぜ自分に獣が懐かないのか、不思議に思っているようだが、その目が一因であることは疑いようもなかった。
しばらくクロはジャッカルを撫でまわした後、2匹を開放する。するとジャッカルたちは全力で逃げて行った。
・・・なんで懐かれないかなあ。やっぱりいきなり過度なスキンシップは嫌がられるのだろうか。動物好きとしては悲しい・・・
軽く落ち込むクロを見て、3人は呆れる。
「あいつ珍獣好きだけど、あれじゃあ皆逃げてくよなあ。」
「悲しい運命ですね。」
「クウ・・・」
ともあれ、いつまでも悲しんではいられない。もう日は暮れて暗くなってきている。今日の内に林を抜けなければ、ジャッカルの縄張りで野営することになる。夜襲を受ける可能性が高い場所で野営などやりたいものではない。
「ハア。とにかく先を急ごう。出発。」
「はい。」
「おう。」
「キャン!」
そうして一行はまた荷物を担いで走っていくのだった。




