第75話 純粋なる者たち
無事に覚醒期間を過ごしたエロスはマレイカとともにドゥオーモの通路を進んでいた。宇宙船ポートは拡張され、様々な機械が搬入され、工員の数も七年前とはくらべものにならなかった。
「アメミット。もう筐体は出来上がってるね」
エロスの呟きには憎悪があった。
「…………」
マレイカはきょとんとした目で、獅子の体をした彫像を見つめていた。
「もう少ししたら、メールもフィメールもあいつに組み込まれてしまうのさ。あのワニ頭の化け物にな」
「そんな!」
「マレイカ! 声が大きい!」
「すみません……」
自分の不注意に恐縮したマレイカの身長が二割ほど縮んだように、エロスには思えた。
「さあ、行こう。誰かに見られないようにね。いいね」
「はい……」
囁くようなマレイカの声と同時にエロスは建物の奥に通じている岩つくりの廊下を進んでいった。照明は明るいというにはほど遠かったが、見通しがきかないということはなかった。
いくつかの角を通り過ぎ、岩壁が美しく磨かれた通路に出たとき、言い争う声が聞こえてきた。
「おやめください! お許しください! あたしくは侍従でございます!」
「いいから来るんだよ! 猊下がお前をお望みなのだ。これは臣下の務めでもあるのだ!」
「いやです! あたくしは嫌なのです。たとえそれが猊下であっても!」
――いったい何ごとだい?
エロスは視線の先に二人の男と揉みあっている女を見とめた。
主の背中越しからその光景を見たマレイカが小さな声をあげた。
「アイシャ様……」
「知ってるのかい? お前?」
「はい、あれはアイシャ様です」
マレイカは奇妙な感覚に捕らわれていた。<フィーリア>号で七年もの月日を過ごしていたはずなのに、なぜ目の前いる侍従がアイシャだと思えるのかが不思議だったのだ。
「あたくしが侍従になるために師として面倒を見てくださった方です。侍従官のアイシャ様です」
「そいつは面白い。ってことは……」
――マレイカの純粋さをそのまま育てたのはあのアイシャってわけかい。
エロスのダークブルーの瞳が強い光をはなって、薄紫の長い髪が静電気を帯びたように、極小の火花を散らしているのが見えた。
「マレイカ、あんたはここにいるんだ。あたしがあの女を助けてくる。あんたはあの女を連れてここを出るんだ。いいね!」
「そんな……あたくしはエロス様のお側を離れません!」
マレイカの声は小さかったが、そこには痛切な哀願があった。
「いいかい。もう少ししたら両親が船から降ろされてしまうんだよ。だから、船をあそこから運びだす必要があるんだ。クルーザーを置いておゆき。あとからあたしがお前たちを追いかけるから。やりかたは両親に聞くんだ。いいね!」
「いやです! エロス様!」
エロスはそれまでの冷厳さをといて、マレイカに向きなおった。
「良い子だから、あたしのお願いを聞いておくれ」
そういうと、エロスはマレイカの顎に手をあてて、そっと唇を合わせた。
「…………」
「いいね。言った通りにするんだよ」
いうやいなや、エロスは通路を走り出して、マントから鞭を引き抜くと、素早く一閃させて手前にいた男を薙ぎ払うと、倒れかかってきた男を避けながらさらに鞭をもう一閃させた。
「ぐえー……」
人間離れした声を立てながら、後にいた男ももんどりうって床に崩れた。
「手ごたえのない奴らだねー……」
鞭のスタンモードをオフにしながら、エロスは震えている侍従の女に目をむけた。
「おい、女。助けてやる。あたしに着いてこい」
「……はい」
マレイカが火照った頬と心の置き場所をようやく見出したとき、エロスがアイシャを連れて戻ってくるのが見えた。
「さあ、マレイカ、いったとおりにおし。でないと……」
「はい! エロス様!」
マレイカはエロスが何をいわんとしているのかを覚り、アイシャの腕をとった。
「アイシャ様、あたくしです、マレイカです。覚えていらしゃいますか?」
「……ええ。あなたはあたくしの弟子だったものです。……背も伸びて、綺麗になっていますが……」
――見ちゃーいらんないねー。純粋が二人になったのはいいんだが。いちいち時間がかかる。感動の再会なのはわかるんだがね……。
エロスは二人の侍従に恥ずかしいものを見てしまったような目をむけながらも、辺りへの警戒も怠っていなかった。
「さあ早く。誰かに見つからないように、さっさとお行き!」
「あなた様は?」
「エロスだ」
「アイシャ様、もう行きましょう! ここは危険です!」
マレイカにはわからなかった。一体ここの何が危険なのかが。しかし、口をついて出る言葉をとめることが出来なかったのだ。
――あたし……どうなってしまってるの?
奇妙な気分に追われながら、マレイカはアイシャとともに通路をひた走り、<フィーリア>号のハッチを駆け上っていった。
それから、エロスに言われたとおり、クルーザーをハッチから吐き出させると、両親に発進を指示した。
エロスが取り付けておいた、ブースターのノズルからオレンジ色の炎が吹き上げられ、<フィーリア>号は宇宙港の床から浮き上がると、海王星の衛星ネレイドの周回軌道を目指しはじめたのだった。




