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宇宙の新星人たち【本編(3)】  作者: イプシロン
第4章 最後の戦い――女神の復讐
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第70話 さようならルーチェ――再誕生への旅

 十年を超える長いあいだタラッサの傍らで苦楽をともにしてきたルーチェは旅立ちの日をむかえていた。余生を過ごすボランティア施設へと引き取られる日がやって来たのだ。

「ママ、ルーにハーネスをつけないの?」

「ええ、もういいのよ。この子は良く働いてくれたからね。もう自分の生を楽しむときがきたの」

 木漏れ日のように優しい声で、バイオニック・グラスをしたタラッサがそういった。

「ねえ、施設に行かせてしまうことはないんじゃない? 一緒に暮らせないの?」

 ゼンタの声には大切な人形をなくしてしまったあとのような哀惜があった。

「ルーはアタシのそばにいると、『お仕事しないと!』ってね、そう思っちゃうの。自分の具合が悪くても頑張っちゃうのよ。あたしの匂いとかね、そういうのがないところに行かせてあげることが、彼にとって本当の幸せなの」

「でもルーはママのこと大好きなはずだよ? それでも駄目なの?」

 ゼンタが繰り返す問いはタラッサの決意を覆すかのように続いた。強い風が木々の葉を揺らすようにタラッサの胸奥にルーチェとの思い出を蘇らせていった。

「アタシはね、人は記憶しておけることが幸せのもとだと思うの。人の幸せは記憶できるという部分にあると思うのよ。でもね、ゼン、ルーチェは違うの。彼にとっては忘れることが幸せなのよ」

「忘れることって幸せなの?」

 少女の透明な黄緑色の瞳は小刻みに震えていた。

「ゼンタ、嫌なことが忘れられなかったら、それは辛いことじゃない?」

「……うん、それはわかるわ。でもさ、ルーにとってママといたことは辛かった思い出じゃないはずだよ」

「そうね……」

 タラッサは娘にいうべき言葉を見つけられなかった。

 ――ルーチェにとっての幸せ。それは人が思い描く幸せなのはわかっているつもりなのよ。それが正しいなんて誰にも言えないわ。でも、少なくとも仕事ということで体を酷使しないですむことだけは確かなのよ。でもゼンにはそんな理屈は通用しないわね……。

「……きたわね、ゼン、ルーにお別れをしてあげて……」

「…………」

 ゼンタは桜色の頬をルーチェの頬にすり寄せながらいった。

「ルー、また会おうね。時々は会いにいくからね。だから淋しくないよ」

「さようなら、ルーチェ。いままで本当にありがとうね」

 バイニック・グラスに塩からい水滴が落ちたあと、それが大地に落ちて沁みこんでいった。

 ――さようならルーチェ、さようなら、トーリの忘れ形見。

 それからタラッサとルーチェが再会することはなかった。ゼンタが時々年老いたレトリバーに会いに行くことを黙って見守っていたのだった。

 戦禍やまぬ時代にあって、いつのまにか季節は冬の訪れを告げていた。地平線をはうような陽光が枯葉を散らしていった。タラッサの心も少しだけ物寂しい雪景色に染まっていたが、彼女はそれがいつか春に咲く花になることを信じたのだった。

 

「いいかいマレイカ、あたしは少し眠るだけさ。心配はいらないよ。時間がくれば目は覚めるんだ」

「はい……」

 <アンドレイ・フィーリア>号の低温睡眠室コールドスリープ・ルームに設置されたカプセルの横には、床に膝をついたマレイカがいた。

「わからないことは、メールとフィメールに聞けばいい。何でも知ってる両親さ。頼りにするがいいさ」

「はい」

「そんな顔をするな。またすぐに会える」

 ――またすぐ、とはいってもこの娘にとっては長いんだろうね。あたしの時間は恐ろしく早くなってるけど、この娘の時間は……。けど、アタシは決めたのさ。待っててくれ、マレイカ。無事で過ごしてくれ。

 過去に時空移動してしまったエロスの時間は、現在に引き戻されるようにどんどん早くなっていた。もはや起きていることが危険な早さにまでたっしていたのだ。エロスの時間はすでに通常の十倍にもなっていたのだ。

 一日に三十食の食事が必要……。そうした不条理な世界で生きるためには、冷凍催眠に入って現在に戻るしか方法がなかったのだ。皮肉なことに、なにより安全だったのは彼女が生まれ育った胎内ともいえる、栄養補給や生体維持装置が完備された睡眠カプセルだったのだ。

 ――生まれ変わる気分がするね。本当に生まれ変われるといいんだけどね……。

 彼女の心境を知る者は誰もいなかった。エロスは一人胸の奥に自分との約束を誓って、カプセルの作動ボタンに手をかけた。

「じゃあね、マレイカ……」

 カプセルのフタがスライドして閉じられると、シールドが不透明化してエロスの姿は見えなくなってしまった。

「エロス様……」

 マレイカの声はエロスには聞こえていなかった。エロスは深い眠りの中で虹色の世界を垣間見はじめていたのだ。体が浮遊する感覚に襲われながらも、恐怖は感じていなかった。かといってそれが快感であるということもなかった。ただ美しい光が波紋を生みだしては消え、赤や青や黄や紫の光が差しこんできては過ぎ去っていくのをぼんやりと眺めていたのだった。

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