❄❄ 1 ❄❄ 湖畔の街のプリミエネージュ
雪混じりのそよ風。
天上には、雲が薄くたなびく。
月と星々の光が切れ間から降り注ぎ、揺れる湖面と大気の氷粒をキラキラと幻想的に瞬かせる。
落ちては消える自然のスパンコールに彩られた彼女は、ふぅと白い息を吐いて、すこしだけ赤みがかった両の掌を擦り合わせた。
「――寒いだなんて、思ってもない癖に。慣れっこでしょ?」
「なんかね。そうしたくなる雰囲気だなぁって」
ボクは、からかうようにイジワルを言ってやる。
すると彼女は照れたように、えへへと笑って答えた。
「ほら。ここって、村よりも住んでる人はずっとずっと多いはずなのに、すっごく静かじゃない?」
「まぁ、今はもう夜だしね」
「それもそうなんだけど、こう『気配』が静かっていうか。ぽつんと独り取り残されたみたいで……ちょっと、落ち着かないんだよね」
「ふーん……」
ひとり。
その言葉の硬い響きに、意図せず思わせぶりな声が漏れてしまった。ボクが見てきたこれまでの彼女の人生が、脳裏をよぎる。
しかし幸いにも彼女は勘違いをしてくれたらしく、細い指先でボクの喉からヒゲまでをするりと撫でて、クスクス軽やかに笑った。
「もう、別にアウロラのことを忘れてるって意味じゃないよ?」
「わ、わかってるってば。やめてよ、くすぐったい!」
「うふふ。ごめんね」
ボクは撫でられたその感触に身震いしてしまう自分が無性に気恥ずかしくて、ふいっとそっぽを向いた。
――慣れっこだろうなんて、全くヒトのこと言えないな。
別に、自分と彼女はニコイチだなんて自惚れちゃいない。こうして常に連れ立つようになってからだって、せいぜい七、八年ぐらいしか経ってないのだから。
しかし、親しき仲でも密なコミュニケーションは大事だ。
こうして一緒に見知らぬ土地へ旅立つような時なんて、なおさら。
だからボクは、「もういいよ」とばかりに、キジトラの毛を彼女の肩にこすり付けて応えてやる。
その感触に満足そうな笑顔を浮かべて、彼女は湖の方へと再び向き直った。
そして今度は、ふうっと空中の雪めがけて息を吹きかける。
巻き上がる雪片の美しさより、すぼめた唇の薄紅色の方を目が追ってしまい、ボクはなんとなく直視ができなかった。
だから彼女に倣って、揺れる湖面へと顔を向ける。
「アウロラには、いっつも感謝してるんだよ?」
「そりゃあ、どうも」
「ぶーっ。信じてないなぁ? だって、私にとってアウロラは唯一無二の親友だし、家族なんだから。嬉しい時も、楽しい時も、苦しい時も……寂しい時も。いつもずぅーっと一緒にいてくれたでしょ」
「『セーターが抜け毛だらけになっちゃう』って嫌がってた癖に」
「そこはほら、じゃれあいコミュニケーションよ」
「はぁ。全く、調子いいんだから」
溜息混じりの憎まれ口を叩きつつも――内心ボクは、嬉しかった。
実際、あの小さな村には、彼女と同世代の人間はほとんど居ない。
長い時間を過ごした学び舎も彼女の独占状態で、マンツーマンの授業が終われば、雪に塗れながら家と村の『たのしい おしごと』を手伝うのが日常。
いくら周りが良い人たち風ばかりだったとはいえ、こんなに明るく素直な子に育ったのは、正直『奇跡』なんじゃないかな?
「まぁ、ボクから言わせたら、その素直すぎるところが心配なんだけどね」
「ん? 何か言った?」
「――んにゃ。何にも」
「そう? あ、それにさ。今回も私が突然に思い立って飛び出したのに、アウロラはついてきてくれたじゃない?」
放っておけるわけないじゃないか、というのは口に出さないでおく。
普段は他人のことばっかり気にする癖に、一度思い切ったらわき目もふらず走り出すのが彼女の特徴だ。
とはいえ、その動機のほとんども「他人のため」で、自らのことなんて置き去りにすることばかりなのだが。
今回の逃避行だって、きっと例外じゃない。
「キミはいつだって自分を後回しにするんだから。ボクがいなきゃ食べることもすっかり忘れて、今頃ぱったり行き倒れているところだったと思うよ?」
「うーん、あれだけ食い溜めしたから大丈夫だと思ったんだけどねぇ」
「いやいや、冬眠前の熊じゃあるまいし。ほんと、変なところまで無頓着だよね」
「だから、こうして感謝してるの。私を行き倒れ未遂から救ってくれて、ありがとう!」
「……うにゃーご」
「もうっ。面倒くさくなるとそうやって猫みたいに誤魔化すんだからぁ」
ボクは抗弁を諦めて、笑う彼女へ溜息と共に身体を預けた。
こうやって何事も楽観的に捉えられるのは、根っからの臆病者の自分としては見習いたいぐらい。
「町の人には悪いけど……私、この場所好き。とても気持ちの良い景色だもの、こんなの村を出なきゃ見られなかったでしょ?」
少しだけトーンを落として言葉を継いだ彼女だが、その顔は相変わらず柔らかな笑顔。
「村のみんなが言ってたことは、きっと間違っていなかったんだと思う。でも――」
『あんたは村を出ちゃいけないよ』
『この村に居さえすれば大丈夫なんだから』
『キミの存在は外の世界を不幸にする……かもしれない』
――そんな村の人々の声と顔が、リフレインする。
隣で見ていただけのボクですらそうなんだから、当事者である彼女の脳裏ではもっと鮮明に再生されていることだろう。
強い言葉面とは裏腹に、その顔は一様に穏やかで口調も優しく、まるで聞き分けのない子どもを諭すよう。
彼女が家に帰ってから「どうして?」「なぜ?」とおばあちゃんに尋ねてみても、否定の言葉は出なかった。
ただ、いつも通りの静かなしわがれ声で「外は、寒いからね」と、湯気立つミルクティーの注がれたマグを差し出すだけ。
あのまろやかでこっくりとした独特の甘みと、鼻をくすぐるほのかなスパイスの香りは、モヤモヤとした気持ちを包んで忘れさせてくれた。
ボクも、かつては好物だった。猫舌にはつらいので、飲めなくなってしまったのだが。
「あんな冷たいこと言う奴ら、気にすることないよ」
「アンナおばちゃんも、マルおばあちゃんも、イサクのじっちゃんも、ジョージ兄ちゃんも。みんな、面白くて、優しかったじゃない?」
「……ボクはジョージ嫌いだよ。ガサツだし、煙臭いもん」
「あはは。たしかに、そこだけはちょっとね。……でも、ね。村民たちがそうやって口酸っぱく言い聞かせてくれてたのも、おばあちゃんが何も言わなかったのも――そして、あの書置きをしたことも、突然いなくなったのにも。絶対に、何か意味があると思う。アウロラだって、そう思うでしょ?」
「それは……まぁ、そうだけど」
「その全部の意味を、私はちゃんと知る『義務』があると思うんだ。私のために言い続けてくれた、みんなのためにも」
「……」
静かながらも、芯に力を感じる口調で言い切る彼女。
ボクはその横顔と、深々降り続ける雪をぼんやり見つめながら、欄干の上で丸くなるのだった。
しばらく黙ってじっとしていると、彼女とボクの頭の上がだんだん白くなってゆく。
村でもここでも変わらない、飽きるほど見慣れすぎた光景。
――ボクがこうして横にいるのも、彼女にとってはもしかしたら『見慣れすぎた光景』なのかもしれない。
「やっぱり雪だね、アウロラ」
「……いつも通りだよ、エルシー」
二筋の白い息が、雲の隙間の星空へと消えていく。
常識であれば、降りしきる雪を連れてきたはずの凍雲が天上に厚く掛かっていて当然なのだが、そこにはベールのような薄雲が淡くたなびくだけ。
でもそれも、いつも通り。
だって雪を連れてきたのは、他ならぬエルシーなのだから。
常に雪が降る世界。それは、エルシーが作り出した世界。
彼女の意志とも関係なく……。
気になっていただけましたら、★評価 & ブックマークで応援お願いします!
感想もぜひぜひ、お待ちしておりますっ!
❄❄❄❄❄
Kindleにて、第2巻まで好評販売中!(※第1巻は無料!)
▼第1巻▼
https://amzn.to/49KKXlU
▼第2巻▼
https://amzn.to/3MUzc2G
超絶素敵なイラストは「ハレのちハレタ」様より
└ Pixiv:https://www.pixiv.net/users/1079498
声優・船戸ゆり絵様による朗読動画も、Youtubeにて公開中!
▼Part1▼
https://youtu.be/-ymWI-OtTBE?si=gebAx3Jl4YF_cBvm
❄❄❄❄❄




