❄❄ 17 ❄❄ 偶然と導きのボンヌヴェル
「いらっしゃせー」
気が抜けた声と、出迎えの電子音にかき消されるほどの小さい声で、エルシーは呟く。
「どうしよう……私が余計なことを……しちゃったからかな」
「……」
そんなことない、などと言っても何の説得力も無いだろうと、ボクは言葉を飲みこむ。声を出さない理由は、それだけじゃないんだけど。
あれから一時間ほど湖畔を歩き回って、雄大な湖にもふたりで目を凝らしたが、アオサンを見つけることはできなかった。雪のせいで視界が悪いとはいえ、彼の目立つ羽色であればすぐに気が付くだろうに。
しかし何より。
――雪深い中を神経とがらせて歩いたせいか、エルシーは足の痛みをぶり返してしまったのだ。
だから今は一旦捜索を中止して、湖畔近くの売店の飲食スペースに腰を下ろしている。ボクは一応身を小さくしてフードの中に隠れているが、暖かいお茶を購入した時に店員から見つかったらしく、怪訝な目で見られてしまった。
まぁ何も言われなかったのだから、そのまま気にせず大人しくしているけど。
「はぁ……どうしちゃったのかなぁ、アオサン」
ちなみにこの呟きがエルシーの口から漏れだすのも、もう五回目だ。対して、手にするボトルのお茶には全く口をつける気配がない。
実際ボクも、戸惑っている。
昨晩、彼は確かに言ったのだ。「折れない」と。
だからあの場所にいなかったのは、エルシーが心配するように気を病んだからではない……はずだが。
だとすると一方、もっと他に悪い――例えば健康上の不調とかが起きたのではないか、などとボクもついつい考えてしまう。
悪い想像ばかりしても仕方がないとは思うが、彼をこれ以上探そうにも、土地勘ゼロの流れ者なボクらに手がかりは無かった。
「はぁ……」
エルシーが深い再び溜息をつき、ボクは慰めるように肉球で首を摩る。
「……しゃっせー。ろっぴゃくえんっす。……あざさーっす」
普段賑やかなエルシーが静かなせいか、やる気が感じられない店員の声が妙に耳へ入ってくる。朝方とはいえ、もう少しは覇気があってもよさそうなものだが。
「あははっ。雪とかマジやべーっしょ! 超テンション上がるンだけど」
「はぁーあ。お前が無理言うから……倉庫からチェーン引っ張り出してくるの、大変だったんだからな?」
「あざっす! 兄貴マジあざっす!」
次に聞こえてくるのは、元気にはしゃぐ女性と気だるげに答える男性の会話。後から入ってきた他の客だろうか。
もし隣に座ってきたらちょっと面倒くさいな、と心ばかり身を小さくする。
「――雪の湖、超サイコーなんだけど! なんで今まで来なかったかなー。あの鳥も超ぉウケたし! あっ、肉まんも買っていいー?」
「まぁ、良いけど。……アレはなんか面白かったな。すげー必死そうというか」
それにしても女性の方は、テンションが異様に高い。エルシーとはまた違った雰囲気だが。
……ん? 今、鳥って言った?
「そう、そこが可愛いじゃん! カラフル鳥が水の上でパタパタしてさー!」「カラフル鳥って……。あれはオシドリだろ」
「てか飛ぶの下手クソ過ぎん? 結局飛べてなかったし」
「確かに、飛ぼうとして飛べてない感じだったな」
「つーかアタシらもすげー見てたよね。トータル二時間ぐらい?」
「アタシらっていうか、いや寒ぃのにお前が『えー、今が良い所じゃん!』って動かな――」
そこまで聞いて。
ボクらは思わず、飛び上がった。
多分同じことを考えただろう、エルシーが椅子を倒すのも構わず声の主へと駆け寄っていく。
「あっ、あのすみません! ちょっと! いいですかっ⁈」
「わわわっ、おねーさん声デカすぎ! ちょービビるんだけど、ウケる!」
「えっとあのその、俺らが、なにか?」
エルシーの突然の剣幕に男女は、それぞれ驚いたようだったが足を止めてくれた。
ボクがフードからぴょこりと顔を出して肩越しに確認すると、金髪を綺麗にカールした女性は手を叩いて爆笑し、縦に細長い茶髪の男性は困り顔で身を後ろに引いている。
「えっ、後ろに猫いるじゃん! ヤバい可愛いんだけど!」
「この子はアウロラ。私の……いやいや、それどころじゃなくって! オシドリ、見たんですか⁈」
「あぁ、うん。見たよ? ついさっきね。美園湖ってオシドリ有名だから――」
「どっどどどど、どこ、どこですか?」
「ち、ちょっと落ち着いて。えっと、車で十五分ぐらい行ったとこかな? あっちのでっかい木が生えてるあたりで――」
「わかりました! あっちですね⁈ ありがとうございま……ッ!」
男性の言葉を聞くや否や、エルシーは店の外へ駆け出そうとして――しかしすぐに足を抑えて立ち止まってしまった。
「ダイジョブ? おねーさん、なんか怪我してる系?」
「あの、あまり無理しない方が……」
「だ、大丈夫です!」
「いやいや、全然ダイジョブじゃないっしょ」
「え、もしかして、怪我してるのに歩いていく気ですか?」
「――何としてでも、這ってでも、行くので!」
ボクは、何も言えない。本当は止めたいけど。例えこれが声を出せる状況だったとしても、言葉は出なかっただろう。
彼女の気持ちは、痛いほど分かるから。
確かに、他にもオシドリはいくらでもいるかもしれない。
でも今この時、この湖で。必死に飛ぼうとしてもがいてるオシドリなんて……アオサン以外に考えられないだろう。
だから、見届けなくては。
彼に少しでも、何か声を掛けなくては。
エルシーはそう思っているに違いない。
――そんな、彼女の鬼気に気が付いたんだろうか。
「ねぇ、兄貴?」
「…………はぁ。しょうがないなぁ」
目の前の男女が、呆れたような溜息と共に近づいてくる。
「ねぇ、おねーさん? 兄貴の車に乗っていきなよ」
「えっ? でも、そんな……」
「大丈夫、大丈夫。すぐそこだし、どうせ俺たちも暇だから。それに、怪我して無茶しようとしてる人放っておくなんて、出来ないよ」
「でもまー兄貴の運転下手くそだから、ちょっち気持ち悪いかもだけどね?」
「おい、そりゃないだろう⁈ というかお前は、雪の中わざわざ車を出してくれた優しいお兄様に、もう少し感謝と敬意というものをだなぁ――」
そのまま、ぎゃーぎゃーと言い争いを始める二人。
取り残されたエルシーはこの申し出にどうするのかと、ボクはそっと横から顔を覗いてみる。
目の端には薄っすらと涙。でも、表情に躊躇いは無かった。
「あのっ! お二人とも、ありがとうございます!」
喧騒を遮るように、エルシーが大声と共に頭を下げる。
「私を彼のところへ――そのオシドリの所へ連れてってください!」
しばし顔を見合わせた二人は、すぐにこちらへ向き直り、同時に親指を立てて破顔した。なんとも仲のいいコンビである。
かくして、ボクらは彼らの車へと乗り込み、一路アオサン……のいるであろう場所へと向かうのだった。
果報は寝て待て、便りがないのは良い便り。
世間ではそう言うかもしれないけど、彼女には似合わない。
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