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第四話 遠い昔の恋の歌

 まずは俺の本当の名から始めよう。俺の名は、アンデルス・カールフェルト――。


 そんな言葉から始まった彼の過去話は、とても信じがたいものだった。いや、信じたくなかった。

 彼が、兄を殺していただなんて……。


「っ……」


 広場のベンチでリナリアは唇を噛みしめる。

 昨日カールと別れてから丸一日、リナリアは彼の話を反芻させていた。

 そして自分が聞いた話も、思い起こしていた。

 リナリアは、兄ヴェルメリオがどういう経緯で亡くなったかは親戚から聞いていた。友であるアンデルスに裏切られたと。

 リナリアに兄の記憶はほぼない。まだ二歳だったからだ。

 その話を聞いた時は復讐は考えていなかった。兄のことはよく覚えていないし、アンデルスがどんな人物かもわからない。実の兄のことながら、完全に他人事のように感じていた。

 その兄の仇を取ろうと思ったのは、五歳の時のことだった。

 兄の唯一の私物が見つかったと報告があったのだ。それは、彼が愛用していたという短剣だった。

 聞いた後すぐに、親族であるリナリアにと兄の知り合いがその短剣を持ってきてくれた。それを預かった次の日、リナリアは兄の夢を見たのだ。

 ただの夢ではなかった。短剣に宿っていた兄の魂が語り掛けてきたのだ。


『私が殺された日の十年後の日に、アンデルスを殺せ。私の仇を。復讐を為せ。リナリアよ――』


 目が覚めると短剣が右手に握られており、その柄には昨日までになかった言葉が刻まれていた。

 兄が示した年と月の文字。その横には、アンデルス死す、と。

 その日から、まるで彼の魂がリナリアに宿ったかのように、リナリアは兄の仇を打つために生き始めた。唯一の兄を殺したアンデルスが許せない。彼のせいで自分は家族と故郷を失ったのだ、と。

 彼女はすぐに町を飛び出した。旅をしながら剣術を教わり、仇を探す日々が始まったのだった。


 ここまで来て、彼女はようやくその仇が取れると思った。この町にアンデルスがいる。彼を見つけ出して仇を取ればこの旅は終わる。兄の無念も張らせる。なにより、この七年間の旅路に意味ができると感じていた。

 それなのに。その復讐相手がカールだなんて。


「聞いてないよ……」


 顔を手で覆う。涙は昨日流した分で枯れ切ってしまっていた。

 彼が語った話は概ねリナリアが聞いてたのと同じだった。彼がアンデルスだというのは明白で。

 どうしてこんなにも仲良くなってしまったのだろう。

 そんな考えが頭を過ぎる。

 彼が最初からアンデルスだと知っていたら、こんなにも仲良くなることはなかったのに。すぐにでも殺してしまえたのに。

 そうすれば目的は果たせたんだ。

 今だって殺しに行けるはずではあった。

 だけどリナリアは昨日話を聞いた時、アンデルスを殺すことができなかった。

 だって彼はリナリアを助けてくれて。林檎やプラムを食べさせてくれた。笑って話を聞いてくれた。何より、あの瞳がとても綺麗で落ち着いて、好きだったのだ。


「そう、だよ……」


 好きだった。好きなのだ。アンデルスのことが。

 彼は昨日、自分の過去を話し終えた後、申し訳なさそうな、悲しそうな顔でリナリアを見つめた。そして言ったのだ。俺を殺してくれと。俺はヴェルメリオに殺されるためだけに生きてきた。今がその時なのだ。だから、彼が死んだ十年後であるここで俺を殺してほしい、と。

 その想いに、瞳に、声に、リナリアはどうしようもなく惹かれていた。

 彼は自分が思っていたほど悪い人じゃない。犯してしまった行為を後悔し、反省し、懺悔し、ここまで抱えて生きてきていたのだ。そんな人物をどうやって殺せばいいというのか。リナリアにはわからなかった。

 それに彼は言った。ある人物に誑かされてヴェルメリオを殺してしまったと。

 そう、彼は心の底から裏切ってヴェルメリオを殺したわけではなかったのだ。大切な想い人を攫われて、それがヴェルメリオの仕業だと嘘の情報を流されて、救い出すためにはヴェルメリオを殺さなければならなくなって。憎み、殺してしまったのだ。その後、アイスベルグ王国が滅びてから想い人が亡くなっているのを目撃し、彼は悟った。自分が騙されていたことを。その時にはもう遅く、家族は反逆者だと殺され、彼は追われるようにして町を出たのだった。

 それを聞いた時、リナリアは思った。それはアンデルスは悪くないのではないかと。だから、殺す必要はないのではないかと。

 けれど、彼は首を横に振った。導いたのは別の人物とは言え、その言葉のほうを選んでヴェルメリオを信じなかったのは自分なのだと。だから、自分は生きていていい人間じゃない。

 何度自殺しようと思ったか。何度自分を呪い殺しそうと思ったか。そう彼は口にした。だがそのたびに踏みとどまったのだという。自分はヴェルメリオに殺されなくてはならない。それまで、この重たすぎる罪を背負って苦しみながら生き続けなければならないのだと。

 そうしてようやくその時がやってきた。言いながら清々しい笑顔を見せる彼にリナリアは酷く心を締め付けられ、逃げてきてしまったのだった。


「はあ……」


 深いため息が出てくる。こんな難しい問題だとは思っていなかった。

 リナリアの感情を優先させるなら、彼を殺したくはない。もっと一緒にいたかった。話して、笑い合って。いろんなことを語り合いたかった。彼といると楽しいから。自然と笑みが溢れ出すから。

 でも、彼は殺されたがっている。そして兄も、彼を殺すことを願っている。

 リナリアはコートの裏側に潜めていた兄のナイフを取り出した。

 昨日の夜気づいたのだが、ナイフは今刃の部分が淡い光を帯びていた。紅色の光。兄の色。放たれる魔力から、アンデルスを殺そうとしていることはリナリアにはすぐわかった。

 ナイフをしまう。じくじくと心が痛む。

 自分はどうしたらいいのだろう。どうすればいいの。殺すべき? 殺さないべき? わからない、わからないよ……。


「おかあ、さん……」


 ぽつりと口をついて出たのは義母を呼ぶ声。

 義母は今、あの町でリナリアの帰りを待っていることだろう。彼女は兄の婚約者だった。身寄りのなくなったリナリアを、婚約者の妹だからと引き取ってくれたのだった。母というよりは義姉なのだが、育ててもらっていたためお母さん、と呼んでいた。

 そんな彼女は仇を取ることを否定も肯定もしなかった。ただ静かにリナリアを見つめて、貴方のしたいようにしなさい、といったのみ。

 ねえ、お母さん。お母さんならこういうとき、どうするの……?

 問いかけて、答えは返ってこなくて。けれど心の中の義母に縋りつくしかできなくて。

 いつしかリナリアは歌を歌っていた。

 義母がリナリアを引き取った時から聞かせてくれていた、遠い昔から語り継がれているとされる歌。切ない恋の歌。震える声で、リナリアは歌う。

 透き通ったその声は広場中に響き渡った。


「……懐かしい歌だな」


 そんな声が聞こえてきたのは歌い終わった直後だった。

 はっとして目を向けると、そこにはアンデルスの姿があった。


「カール……ううん、アンデルス、さん……」

「さんはいらないだろ。お前の仇なんだから」


 言いながら彼は隣に腰掛けた。殺されに来たのかとつい身構えると、苦笑される。


「びっくりさせて悪いな。今日はこれで、買い物しに来たんだ」


 そう言って広げられた大きな手には金貨が。以前リナリアが渡したものだった。


「これ……」

「言っただろ? これで好きなもの買えって。もうすぐ最後だからな、こういうことしてもいいだろう」


 笑う彼に息が詰まる。視界が歪みそうになり、慌てて顔を背ける。

 彼は立ち上がると、手を差し出してきた。行くだろ? と問われる。


「……行くっ」


 こんな状況でも、そう言われると嬉しいのだ。彼が何を考えているのかわからなかったが、リナリアは彼の手を取って歩き出した。

 アンデルスはこの町に来たことがなかったため、リナリアがいろんな店に案内してあげた。一つ入るごとに彼は物珍し気に品物を眺める。

 何を買うのだろうと興味を抱きながら案内していると、彼はマグカップやら紅茶やらを選び、最後に入った店では弦楽器を手に取った。しげしげと眺め、あとはこれにしようと買っていく。意外なものでリナリアは首を傾げる。何か弾くのだろうか。

 そうして買い物を終えたアンデルスは丘の方に首を巡らせた。日が沈みかかっているのがリナリアの目にも入る。

 どうして楽しい時間はこんなにも早く過ぎてしまうんだと、リナリアは顔を俯かせた。

 まだ、離れたくない。

 彼の手にちょん、と触れ、思い切って握ってみた。見上げると彼は驚いたようにリナリアに見やり、ふっと口元を緩めた。


「俺の家、来るか?」


 そう言ってからいや違うな、と視線を逸らして、彼は頬を掻きつつ言い直した。


「俺の家に来てくれ。今日は、泊まって行ってほしいんだ」


 目を瞬かせる。ぶわっと体中が熱を帯びる。

 ぶんぶんと首を縦に振った。


「行くっ、泊まってくっ」

「よかった。じゃ、行くか」


 手を握り返して、彼は丘へと足を向かわせた。

 顔を赤くしてついていきながら、リナリアはそっとアンデルスの顔を覗き見た。

 やはり、昨日と様子が違う。けれど、彼の表情に特に変わった様子はなかった。しいて言えば、以前よりも明るくなったくらいだ。一体どうしたというのだろう。これから死ねるから、嬉しく思っているのだろうか。そうだとしたら少し複雑だ。でも。

 一緒にいられるなら少しでも長く一緒にいたいと、リナリアはそんなことを思ってしまうのだった。


 小屋に入るとアンデルスは豪華な夕飯をごちそうしてくれた。果物は種類が豊富で、狩った森の動物は丁寧に切られこんがりと焼いてある。戸惑いつつ口にすると、彼は照れたように笑った。リナリアのために作ったと。本当にどうしてしまったのだろう。なんて思いながらもリナリアは嬉しくて笑った。彼の手料理をすべて平らげる。

 食後の後は今日買ってきたマグカップに紅茶を注がれた。ラベンダーの香りが二人を包み込み、静かな空間ができあがる。

 ふと、彼が口を開いた。


「リナリア、よかったら昼間広場で歌っていた歌を聞かせてくれないか?」

「歌……?」


 それはあの恋の歌のことだろうか。

 アンデルスは頷いた。


「それは、俺とヴェルメリオも聞かされていた歌なんだ。共に歌っていた。あの時のように、今度はお前と歌いたい」

「……うん、わかった」


 リナリアはカップを机に置くと、立ち上がって息を吸い込んだ。もう歌いなれたあの歌を、今はアンデルスのために歌う。

 透明な声が二人の空間を支配した。静かに響き渡る。

 不意に別の音が混じった。不思議に思ってアンデルスに目を向けたリナリアは、彼が弦楽器を奏でていることに気が付いた。見たこともないほど穏やかな微笑みを浮かべている。キュッと胸が音を立てた。

 リナリアの透き通った歌声は弦楽器の静かな音と重なり合い、心地いいハーモニーを生み出す。二人はその時間に酔いしれ、微笑みあって時を過ごした。


 ふっと、窓の外を人影が横切っていった。

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