第三話 ガーネットの男
夢を見た。古い記憶の夢。これが夢だとわかったのは、目の前に若かりし頃の自分の姿があったからだ。そして、今のカールの周りを取り囲む炎の熱が感じられなかったからだ。
燃えていた。すべてが。石で作られた壁も天井も床も。周りに立っていた家や木々、逃げ纏う人さえも炎は容赦なく包み込んでいた。
すべてが灰と化す、そんななか視線の先の自分は崩れ落ちる建物の奥へと入っていった。
追いかける。この先の展開はもうわかっていた。見たくない。それなのに自分は彼を追いかけていた。
やがて彼は建物の中の一番奥の間にたどり着いた。炎を唯一免れた玉座が置かれている。その後ろに、懐かしき人物はいた。
炎のような鮮やかな赤い髪を持った男性だった。名をヴェルメリオ・グランデという。
彼はその髪を今は煤で汚し、顔を歪ませて膝をついていた。腹からを血を流し、憎々しいといった表情で過去のカールを睨みつけている。
そんな彼にカールは大剣を向ける。
ヴェルメリオが絞り出すかのように声を発した。
『貴様が、首謀者だったのか……』
『ああ、そうだ』
抑揚のない声で肯定する。ヴェルメリオの顔がさらに歪む。
壁が崩れ落ちる。炎が勢いを増す。熱した空気を吸い込み、ヴェルメリオが咳き込んだ。がはっと血も一緒に吐き出される。
荒れた息をしながらも、ヴェルメリオの紅い眼は鋭さを秘めたままだ。絶望に染め上げられながらもそこに憎悪という光を宿していた。
しばし見つめあう二人。間に会話はない。目だけで語り合っていた。それができるほど、二人は長い間共に生きてきていた。友人として。
それなのに、どうしてこうなってしまったのか。
過去の自分らを見つめながらカールは息を詰まらせる。原因はわかっている。全部自分の仕業だ。自分が、あんなことを信じなければ。もっとヴェルメリオを信じていれば……。
だが、今更後悔しても過去は戻ってこないのだ。
やがて過去の自分が大剣を構えた。
『さらばだ』
冷たい声が響き渡る。
鈍い光を纏った剣が、友と認めていた男の胸を貫いた。
彼が苦し気に血を吐く。しかしその眼はカールから逸らさない。
息も絶え絶えに、彼は赤く染まった口を動かした。
『私は貴様を許さない……友として、絶対に許さない……』
だんだんと目から生気が失われていく。反対に言葉には力が篭る。
『十年後だ……貴様の命をもらい受けに行く。それまでに、罪を抱えたまま生きておれ……生きるという苦しみを、味わい続けていろ……アンデルス・カールフェルト!!』
「……っ!!」
頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を覚え、カール――否、アンデルスは布団から飛び起きた。息を切らして焦点の合わない眼を必死に動かし、何かを探す。
その視界に入るものが今自分自身が住んでいる家の中だと気づくと、ゆっくりと息を吐き出した。乱れた呼吸を整える。
汗で背中がべたついていた。瞼の裏に赤い光がちらちらと残っている。
「また、か……」
ため息交じりに呟く。
あの夢だ。
夢の中では夢だと気づいていたのに、いつも起きた後は恐怖を覚えていた。彼の叱咤に慄えさせられたのは一体これで何度目だろう。
だが、これでいいのだ。自分は取り返しのつかないことをしてしまったのだ。今のであいつが許してくれるのなら、何度だって見てやる。
「絶対に、許してくれないだろうがな」
自嘲気味に言って、アンデルスは顔を洗いに家を出た。
ヴェルメリオはかつてのアンデルスの友だった。幼いころから共に過ごしていた、かけがえのない友。彼は弱かったアンデルスを支え、励まし、時には厳しい言葉を投げかけて立ち上がらせてくれる強い男だった。その髪色、目の色、そして情熱溢れる性格から、ガーネットの男といわれていた。
彼が国王に就任したのは十五の時だ。母親と父親がいっぺんに亡くなり、即位が決まった。珍しく不安げな表情を覗かせる彼を支えていこうと、当時のアンデルスは思っていた。
だけど……その二年後、悲劇は起きたのだ。主に、自分の愚かな行為によって……。
冷たい水を顔にかける。久しぶりに思い出した過去は、やはり今でも胸の奥をじくじくと痛めた。
昨日のリナリアの話で過去に触れたから、何日かぶりにあの夢を見せられたのだろう。
池の水面を見つめて、無意識にアンデルスは夢の続き――ヴェルメリオを殺してからの記憶を呼び起こす。
夢で見た光景の後、あの言葉を残してヴェルメリオは息絶えた。崩れた天井が彼を押しつぶし、炎が瓦礫ごと焼き払ったところまでアンデルスは目にしている。
後に捜索が行われたそうだが、やはりというべきか彼の身体は一部も残っていなかったらしい。風の噂で耳にした。その頃にはアンデルスは町を去っていた。
ヴェルメリオを殺して、あの時アンデルスの心に根を張っていた不安はそこで消えるはずだった。彼がいなくなれば全部うまく行く。大切な人を守れるのだ。そう言われ、その言葉を信じていたから。
けれど手にしたはずの希望の光は即座に泡となって消え、アンデルスは逆にすべてを失った。守りたかった家族も、守るはずだった想い人も……そして、信じるべきだった友も。
彼はそこで気づいた。自分が誑かされていたことを。間違った選択をし、過ちを犯してしまったことを。
自分を責めても懺悔しても、大切なものは戻ってこなかった。後悔は消えず、罪も償いきれなかった。恐らく、死ぬまで償えることはないだろう。
だからアンデルスはヴェルメリオを待つことにしたのだ。彼に殺されようと。
彼は十年後にアンデルスの命をもらい受けに来ると言った。それまで、生きる苦しみを味わい続けていろと。あの時は何を言っているのだと訝しげに思ったが、今なら理解できる。果たして、彼の言ったことは本当のこととなったのだから。まさか、妹が命を奪いに来るとは思っていなかったが。
「仇、か……」
リナリアの覚悟しきった瞳を思い出す。
ずっと復讐のために生きてきたのだろう。十年間、ずっと。そしてようやく、仇を見つけ出した。
会った時、咄嗟に名前を偽ってしまったが、アンデルスと名乗ればよかったと後悔する。そうすればあの場で自分は殺されることができただろうに。彼女とここまで近づくこともなかった。彼女も、自分への復讐を果たせただろうに。
「……いや、俺は何を考えているんだ」
ゆるゆると首を振る。家の中に戻って椅子に座る。
そうだ、何を後悔している。彼女はまた来ると言っていた。来た時に自分がアンデルスだと名乗ればいいではないか。そして殺されればいいのだ。簡単なことだ。
昨日だって、話を聞いた時に名乗っていればよかったのだ。なぜそれをしなかった? いや出来なかった?
考える。胸の辺りにもやもやしたものが生まれる。
それができなかったのは――。
「カールさんどしたの? 難しい顔してる」
「っ!?」
聞こえた声にアンデルスは驚いて仰け反った。視線の先には頬杖をつくリナリアの姿。
「お前っ、いつの間に入って来たんだ!?」
「ついさっき。今日はちゃんと呼び掛けて返事待ったよ? なのになかなか声が聞こえないんだもん」
だからまた勝手に入ってきちゃった、てへっ。と舌を出すリナリア。その屈託のない笑みは仇や復讐といった言葉からは縁遠いように見える。
というか普通に可愛いと感じてしまい、困惑する。
だけど彼女の瞳に宿る強い光は昨日のものと同じで、また過去のヴェルメリオとも重なった。本当に彼の妹なのだと実感させられる。
急に黙り込んでしまったのを心配してか、彼女は顔を覗き込んできた。
「カールさん? もしかして、昨日言ったこと気にしてる?」
鋭い。咄嗟に声が出せずにいると、やっぱりと苦笑された。
「急にあんなこと言っちゃってごめんね。びっくりしたよね。でも……嫌わないでほしいの」
「……嫌う?」
「うん……ほら、人を殺すことっていけないことでしょ? だから……」
不安げに見上げられてしまった。
アンデルスは驚いて彼女見つめ、考えることもなく声を発していた。
「別に、嫌ったりはしていないが」
「ほんとに?」
なおも食い下がってくるリナリアにはっきり頷いて見せる。
嫌いになるわけがない。嫌いになるどころか、むしろ――。
「……むしろ、なんだ……?」
不意にわき出てきた感情につい声が漏れる。どうしたの? と不思議そうに見てくるリナリアに背を向けて、アンデルスは考え込む。
自分は今何を思った? リナリアのことをどう見ている?
嫌いではない。最初はうっとしい奴だと思ったし、構わないでほしいと感じた。だが今はそう思っていなくて。彼女と話すのは楽しいし、見ているのは面白い。つい笑みが漏れる。勝手だが会いに来てほしいと思ってしまっていた。彼女がいなくなるとこの家は驚くほど静かで。
つまり、彼女は、俺は、つまり……?
「カールさん!」
「うおっ、なんだ?」
「もうっ、無視しないでよ! せっかく会いに来たのに!」
会った時のようにぷくっと頬を膨らませるリナリア。小さな拳をパタパタとアンデルスの胸にぶつけて怒る。
「考え事してないで色々お話しよっ! 今度はカールさんのことを聞かせてよ!」
「た、叩くな叩くな。俺の話なんか聞いたって面白くないぞ」
「わたしにとっては面白いの!」
「なんだそれ……それに、仇探ししなくていいのか?」
「今はいーの! カールさんといたいの!」
彼女の言葉に声を失った。頭の中で繰り返す。
遅れて何を言われたか理解して、アンデルスは床に座り込んだ。
よくわからない感情が胸を渦巻き始めていた。けれど一つだけわかったことがある。
カールと一緒にいたい。その言葉を嬉しく思う感情ができていたということは。
ああ、そうか。俺は……彼女のことが……。
今になって理解した。再び生まれることのないと思っていた想いを抱いているということを。
自覚してしまうとすとんと心が落ち着いて。自分が何故昨日本名を明かさなかったかもわかった。
自分は、彼女ともっと一緒にいたいと思っているのだ。このまま何も知らないふりをして、過ごしていたいと願っていたのだ。
束の間だけ、と思っていた。それがいつの間にか、こんなにもこの時間を大事にしたいと感じていたとは。
同時にアンデルスは恐怖した。
この感情を抱いたままではいけないと。この関係を保ったままでは駄目だ。
なぜなら自分は人殺しで、罪人で。生きていていい人間じゃない。殺されるべきなのだ。それも、彼女の手で。
だから終わらせないと。この、残酷なほど幸せな時間を。自らの手で壊さないと。それが、彼女のためでもあるのだから。
床に座ったアンデルスは同じようにしてしゃがんできたリナリアをまっすぐ見つめた。ヴェルメリオそっくりの紅い瞳を捉える。
そうしてなるべくなんでもない風を装いながら、口にした。
「わかった。リナリア。俺のことを話そう。少し長くなるが、俺と、俺の友の過去話を聞いてくれるか?」




