先手
翌日の朝になり、私は街の役人たちを領主の館の一角に集めていた。
「私がこの街の領主になった、イリス・オルタミア=アスセーナよ。宜しくね」
ざわざわと会話の波が広がる。
その殆どが私に好意的でないものだとはすぐに分かった。
彼らの半分ほどがセロースがこの地を管理するようになってから集められた者達。
男達ばかりで、女の役人などいるはずもない。その視線は嫌らしくて気持ち悪い。
特に一番前に座って髭を触っているセロース。視界にも入れたくはない。
引っ込みたくなるのを我慢して、私は笑顔を貼り付ける。
「昨日この街を見て見たけど、酷いものだったわ。貴方達、ちゃんと仕事しているのかしら?」
「お言葉ですが、一日見ただけで領地の状態がお分かりで?」
「分かるけど?」
さすがにムッとしたのか、立ち上がった役人の意見を私ははねのける。
即答されるとは思わなかったのか、男は目を見開いていた。
「私がこの街に来たからには、国一番に豊かで治安の良い街にして見せるわ。明日から領主としての仕事を始めます。貴方達には、私に協力をしてほしい」
「協力…」
「そう。思わず移住したくなるような街にするためにね」
領民が余裕を持てる暮らしが出来るようになれば、この街にあるメシア教も衰退するはずだ。
余裕のない生活が、自分たちではどうしようもない思いがあるから、人は"神"にでも縋りたくなる。
そして余裕を持てば恋が出来るようになり、同性同士の恋愛を受け入れやすくなる
たぶん。
気休めでもなんでもいい。一歩でも進んで行くのだ。
…全ては、マリアとお付き合いするために!頑張るわよ!
「具体的に何か策がおありなので?」
「もちろん。まずは教会への寄付金を半分以下に抑えます」
「な…!」
彼らが驚いたような顔をするが、私は無視する。
「それと、貴方達の給金も減らすわ。財務表を見たけど、戦争が終わった直後よりも上がってるくらいじゃない。税金で食べさせてもらっている身だもの、少しは我慢しなさい」
「む、無茶苦茶だ!」
「あら、これでも戦争が始まる前の、平和だったアスセーナの給金と同じよ?どこが不満なのかしら」
「我々役人とて人間!今の生活をおいそれと変えられるはずがないでしょう!?」
「そうね。貴方達じゃ変えられないから、私が変えるのよ」
無茶は百も承知だが、領民から搾取する体制など続けていても無駄なだけだ。
領地が潤い、領民たちがまともな生活を送るようになれば税収も増える。
その結果として彼らの給金がもらえているし、増えるかもしれない、そんな事もわからないのか。
「それから、私が領主となったからには、役人間における贈与・賄賂などは全面的に禁止とします。何か要望があるならば納得出来る理由を提示し、私に説明しなさい」
「…っ」
これには、実に半分以上の者たちが顔を歪める結果となった。
険悪な雰囲気が漂い、私に敵対する瞳が突き刺さる。
けど、下卑た視線よりはマシだし、私は自分の言っている事が間違っているとは思わない。
「領主様。我が国は戦争に負けて以来、メシア教が権力を持ち始めています。これの寄付金をいきなり半分減らすのはどうなのでしょう…?」
やっとまともな意見が出た。恐る恐る手を挙げた男に私は安堵する。
「確かに。いい意見ね。貴方、名前は何て言うの?」
「リチャーズと申します」
「そう。覚えておくわ。それで、意見の内容だけど…教会が権力を持っているとは確かね。だけど、それって本当に必要なのかしら?」
「どう言う事でしょう?」
彼らは本当にわからないとって風に首を傾げている。私は続ける。
「教会は本来慈善団体であり、困ったものたちに手を差し伸べる組織であるべき。そこに権力は必要ないし、彼らが孤児院の設立や炊き出し、怪我人の治療、教会の運営…そう言った事にお金を使うのは分かるわ。支援しましょう。だけど、権力が必要なのはなぜ?誰が、いつ、どうやって決めたの?」
「それは…」
戦争に負けたから。と言う言葉を呑み込んだ男に私は首を振った。
「確かに我が国は戦争に負けた。だけど、終戦の折に結ばれた条約には、関税を不利にするのものや領地の切り離しは行われたけど、教会を支持するべきという項目はなかった。広く布教されたけどね」
「それはそうですが…」
「とにかく、これは決定事項よ。できれば孤児院の設立や福祉事業もやっていきたいところだけど、私たちはまず領地を整える事が最優先」
国中に広がっているメシア教だけど、国家として宗教が決まっているわけじゃないもの。
同性愛を禁止する宗教なんて、私は支持しないし、法律だって変えさせてやる。
…女が女に恋慕の情を抱くのは本来おかしいって分かってる。けど、止まらない。
だって好きだもの、どうしようもなくマリアが好きなの。しょうがないじゃない?
ちらりと、横で見守っているマリアに目を送る。微笑まれた。やばい、惚れ直しちゃう。
胸がキュゥんと締め付けられた私は、ごほん。と咳払い。
「と、とにかく、明日から宜しくね。私からは以上よ。今日はこれで解散にするけど、何かあれば言ってきなさい。以上」
◇
午後、私はマリアを連れて自分の領地となった土地を歩いていた。
もちろん、一眼みてそれと分かるような服装は鳴りを潜め、商人の娘のような格好だ。
少しこ綺麗なだけの服装だし、領地を歩く事自体、マリアとシュバルツが反対したけど、押し切った。
…だって、これから改革しようとする領地よ?見ておかないと、どこが悪いのか分からないじゃない。
とはいっても、街の様相は昨日見た通り荒れ果てていると言って過言ではない。
これで税金を払えているというのだから、奇跡のようなものだろう。
「うぅ"…くそ、なにも、の」
視界の端で、マリアに締め上げられた男が壁にもたれかかっている。
肩を抑えて悶えている様は、女性にやられたとは思えないほど重傷だ。
視察に出てから、私たちは何度も男たちに襲われている。
領主である私は書斎に閉じこもっていると領官には言ってあるから、恐らく昨日のものとは無関係だろう。
「ねぇ、聞きたいことがあるのだけど」
「あぁ"…?」
倒れ込んでいる男に私が近づく。マリアが取り押さえて男は動けない状況だ。
「この街の人たちはどうやって税金を払っているのかしら?貴方、知ってる?」
「んなもん…!俺たちが働いた分、役人がかっぴいってからに決まってるだろうが!」
「あぁ、なるほど…」
王都では後から徴収しに行っているのが現状だが、この街では違うらしい。
最初からもらえる給金が少なければそれで生活して行くしかない。ということだ。
領地に納める税金は様々だ。今、この領地では人頭税を取っており、それが収入の一割を占めている。
林業や薬草売買が主なアスセーナの街は商業ギルドと職人ギルドが主な職場で、彼ら末端はさまざまな手数料や税金を引かれているらしい。
「滞納してっと、武器を持ったら奴らが来んだよ。怪我したら教会にいかなきゃいけねぇし、払わなかった街を追い出すってんで、嫌々だ」
「この街は製紙業が盛んだったはずだけど?」
「あぁ?馬鹿にしてんのか?紙なんざ、二束三文にもなりゃしねぇ!そっから税金なんてもん引かれてみろ!この有様だ!」
その後も幾人かに話を聞いたけれど、彼らの話は大体同じだった。
陰鬱な空気が立ち込めているアスセーナの街を見て、私は息を吐く。
「全く…二十年も経ってるのに、なんでこんなことになってるのか」
「教会の権勢が強い…って事なんでしょうね」
こめかみを叩いている私に、マリアが物憂げな息を吐く。
確かにそれも重要だ。教会と役人たちは早急になんとかしなければならない。
だが、それよりも大変であり早急に解決しなければならないことがある。
「マリア、怪我は…」
「ありませんよ。お嬢様、心配しすぎです」
治安を良くすることである。
私が領地を視察するたびにマリアが危ない目に合うのは頂けなさすぎる。
そもそも私が護衛をつければいいだけの話なのだが…。
「そういえば、マリア、前に言っていたわね。剣聖の話…」
確か、今は隠棲してどこかに住んでいるのだとか。
優れた武人がいれば、私の護衛としての負担も少なくなるだろう。
「会いに行ってみようかしら」
「どうされました?」
「…何でもない。行きましょう。マリア」
つぶやいて、私は領主の館へと戻ることにした。
その翌日、目が覚めた私は大きく伸びをした。
今日から本格的に領地の改革で、固めた決意が徐々に燃え上がってくる。
「よし…やるわよ。私、頑張るから。見ててね…マリア」
窓から陽の光が差し込んでいる中、誰もいない部屋で私はつぶやいた。
「お嬢様ッ!大変です!」
「マリア!?」
いきなり入ってきた彼女に起きざまの姿を見られ、私はかぁっと頬を熱くさせる。
いくら幼い頃から見られているとはいえ、本当の寝起きの姿を見られたくはないのに。
ここはちゃんと言っておこうと思って、私が口を開きかけたその時だった。
「役人たちが、仕事を放棄して出て行きました!」
「は?」
頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。
混乱冷めやらぬままに、心臓を冷やした私はすぐに身支度をして、領主の館の玄関に行く。
そこには、横に伸ばした髭を触りながら待つセロースの姿があった。
「何事なの!?」
「これはこれは領主様。大変でございます」
大仰に両手を掲げた彼は胸に手を当てて頭を下げる。
わざとらしいその姿にムッとしたけど、ここは我慢。
「どうしたというのかしら。役人が仕事を放棄して出て行ったと聞いたけど?」
「えぇ、えぇ。その通りでございます。約半数の者達が飛び出して行きました」
「だからその理由を聞いているのだけど」
私は苛立ちを隠しつつ拳を握って問いただす。
すると、彼は「はぁ…」と大きく溜息を吐いた。
「貴女のせいですよ。領主様」
「は?」
「貴女が役人達の給金を下げるなどというから、皆は嫌気が差したのです。必死で領地の民に汗を流して働いている役人達を無下にした結果がこれです」
「…」
確かに私は彼らに厳しめのことを言った。言ったけど、翌日にこんな暴挙に出るとは思わなかった。
愕然とする私を見て気分を良くしたのか、彼はニタァと笑みを深めた。
「流石に領主様といえど、この事態には何も出来ないのでは?領地の経営は一人で出来るものではないし、引き継ぎも全くしていないでしょう」
「それは…そうね」
確かに私は万能じゃないし、何十人分の仕事をこなせるような自信もない。
「如何でしょう?昨日の発言を撤回し、私を頼ってくれれば、役人達を呼び戻して差し上げますが?」「貴方が?」
「えぇ、えぇ。そうですとも。私はこの街の管理を任されていた財務長官です。彼らを呼び戻すのは容易いこと。ですが私も人の身。多少は甘美な果実を頬張りたいところですが」
「…」
私が何も言わないのを見て、セロースはさらに上機嫌になる。
だけど言われっぱなしは癪で、私はセロースを睨んだ。
「私に不満があるのは分かりました。突拍子も無かったことは認めましょう。だけど、本来を街を運営するべき貴方達が仕事を放り出して…本当にそれでいいと思っているの?」
「これも全ては領民の為です。貴女に任せて入れば、領民達の生活はさらに苦しくなるでしょう。貴女は領地の改革などせず、このまま安穏としていればいいのです。私たちに任せていれば、全ては上手く。事実、これまでそれで回っていたのですし」
「…そうね」
「そうでしょう。如何されますか?」
要は、役人達を優遇し、さらに私に大きな借りを作るのがセロースの目的というわけだ。
昨日の様子から見て、私が領地を見捨てない事を確信しているのだろう。
だからこそ、彼はここから出て行かず、自分の利益はしっかりと確保しようと目論んだ。
「…考えさせて」
セロースの口元がさらに歪むのが見えたが、それも一瞬。
すぐに表情を取り繕い、笑顔を貼り付けた彼は顎を引く。
「考える時間は大切ですな。では、私は役人達の居場所を把握しておくとしましょう」
私たちが何を言うまでもなく、彼は玄関扉から去っていく。
使用人達が不安そうにこちらを見やる中で、マリアが私に声をかけた。
「お嬢様、如何されますか…?」
「…どうもこうも。完全にしてやられたわ」
先手を打たれた。彼が何かをしてきそうな事くらい、すぐに分かったはずなのに。
けど、物憂げに眉を伏せるマリアを見て、私の心は奮い立つ。
…こんなところでくじけていられない。諦めないって、決めたもの。
首を振った私は使用人達の姿を見回して、目的の人物を見つけた。
「シュバルツ…例の件は」
「滞りなく。明日は無理ですが…明後日ならば」
「なら、それで行きましょう。大変なのは分かっているけどね」
「かしこまりました」
「その間は私が何とかします。こんなとこ、さっさと乗り切るわよ」
使用人達に指示を出し、私は執務室に向かって歩き出した。