29 大賢者、先輩とバイトを探す
入学してからの一週間でひとつ、分かったことがある。
大学とは常に所狭しと学生のひしめく場所ではない、ということだ。
それというのも、講義の為にわざわざ遠方からやってくる教授たちの都合もあるので、一見無秩序にも見える時間割でも、講義の集中する時間帯というのが存在するのだ。
具体的には2コマ目の講義が始まるあたりから、昼過ぎにかけての間にピークを迎える。時間にして3時間ほどのことである。
この間、こと食堂や購買などに関しては人混みの他にも長蛇の列ができており、身動きをとることも難しい。
しかしこのピークを過ぎれば一転して学生たちの姿はまばらになる。
幸いにもとうにピークの時間帯は過ぎており、私は実にスムーズに購買までたどり着くことが出来た。
そしていざ、本館購買前掲示板――通称“ギルド”へ向かおうとしたところ、掲示板の前で口論をする二人の男がいる。
見覚えのある二人であった。
「――分かんねえヤツだな! そんなんだからモテねえんだよ!」
「少なくともキミに言われたくはないな! ガサツな男だよまったく! そんなのだから悪い噂ばかり立つんだ!」
「女癖の悪さをお前が言うのか!?」
「それはキミも同じだろう!」
「じゃあいっそ女と寝た数で優劣を決めようか! 数えるまでもなくオレの勝ちだな!」
「酒の勢いで寝た女なんて数に入るか! ここは健全に付き合った数で決めようじゃないか!」
「なにが健全だ! 後腐れしまくってるじゃねえか!」
なにやら凄まじい口論を繰り広げ、火花を散らす顔かたちの整った男が二人。
一人は天文サークル“星見の森”部長、クロウス・ケイクライト先輩。
そしてもう一人は騎竜倶楽部部長、トルア・リーキンツ先輩だ。
どちらも入学式ののち、少なからず関わった先輩である。
まさか彼らに交友があるとは、何か運命じみたものを感じるな。
さて、なにやら議論の真っ最中であるようだが、大学生が見知った先輩に出くわせばやることは一つ。
「――お疲れ様です先輩方」
目上の人間に「お疲れ様です」は誤りではないのかと入学当初は思っていたが、しかし郷に入っては郷に従え。
私は深々と頭を下げ、二人に声をかける。
ややあって二人が同時に振り向き、こちらの姿を確認すると、トルア先輩は「おお、キミか」と表情を明るくさせ、一方でクロウス先輩は苦い表情になった。
私はまず、トルア先輩にもう一度頭を下げる。
「先日は必ず返すという条件で貸してもらった竜を返さず、約束を反故にしてしまった。トルア先輩には改めて謝罪する」
「はは、あの後すぐにウチのサークルまで謝りにきたのに律儀なことだね! いやいやいいんだよ。全然気にしてない! むしろ助かったぐらいさ!」
「助かった、とは?」
「あの竜はウチでも持て余してたからね! むしろいなくなってくれたおかげであのオンボロ竜舎が取り壊せた! ……まぁあの後、教学のアルガンに問い詰められた時はちょっとヒヤッとしたけど、なんでか学長が不問にしてくれたらしくてね、だから問題ナシ!」
これはまたなんと懐の深い御仁だろう!
私は改めてトルア先輩を尊敬した。
彼ほどの器があれば、きっといずれは一国の指導者になることすら難しくはないだろう。
「……それよりさ、この前くれた竜の牙のアクセサリー、あれもっと持ってたりしない?」
「む、あれか? 実家を探せばあるかもしれないが……」
実家とは、もちろん200年間私が引きこもっていた山奥の小屋のことだ。
「そうかい!? もしよければあれをまたいくつか売ってくれないかな……! 前回もらったアクセサリーが思いの外女の子たちに好評でね……!」
「欲しいのならば譲る、他ならぬ先輩の頼みだ」
「ホント!? ひゃっほう! やっぱり持つべきものは良き後輩だよね!」
トルア先輩がいかにも楽しげに肩を組んでくる。
私も良き先輩を持てて嬉しい限りだ。
「……トルア、お前こいつと知り合いなのか?」
クロウス先輩がトルア先輩に尋ねかけた。
彼の表情は依然苦々しい。
「ああ、知り合いというかもう良き友人といっても過言ではないね!」
友人とは恐れ多い事だ。
「あ、そういえば聞いたよクロウス、キミ、彼に飲み比べで負けた上に新入生の前で赤っ恥をかかされたそうじゃないか」
「イヤなことを思い出させるなトルア!」
「悪いねぇアーテル君、彼は酒癖がよろしくない、特に女が絡むと最悪でね」
「私は別に気にしてないぞ、むしろあれは久々に楽しい飲みの席であった、感謝こそすれ、悪いなどとは微塵も思っていない」
おお……、と両者から声があがる。
「……クロウス、彼は多分キミよりずっとモテる」
「うるさいぞ」
クロウス先輩がトルア先輩の脇腹を小突いた。
なるほど、これが大学生流の交友か。
偉大なる先輩からは学ぶことが多い。
「それはともかく、先輩方はいったいこんなところでなにを?」
「ああ、よくぞ聞いてくれたね! 実はボクたち今お金に困っていて、早急にお金が欲しいから、ギルドに日雇いのバイトを探しに来たところなんだけど――どうも彼とは意見が合わない!」
「お前が女のようにネチネチ言うから一向に決まらないんだろうが!」
「聞いたかい? 今の差別的な発言、時代錯誤も甚だしい!」
「なんと奇遇だな、私も日雇いのバイトを探しに来たのだ、しかしいかんせんこういったことは初めてで、勝手が分からない」
「お、丁度いいじゃないか!」
クロウス先輩が、ぽんと手を打った。
「ここで会ったのも何かの縁、キミもいっそボクたちと一緒に同じバイトをしてみるというのはどうだろう?」
「それは確かに願ってもない提案だが……私が混ざっても大丈夫なものなのか?」
「勿論だとも! むしろ日雇いバイトは知り合いの一人でもいなければ気まずくて仕方がないよ! なあいいだろうクロウス!」
「……まぁ、別にいいけどよ、でもそれにしたって何をやるか全く決まってねえぞ」
「だからこそ彼に選んでもらえばいいじゃないか! どうせボクとキミじゃ一生決まりっこないんだしさ!」
「ああ、それはいいな、なんにせよ早く金が欲しいんだ、オレは」
なんと! バイトに誘ってもらえるだけでなく、そのような重要な選択まで私に譲るとは!
恐るべきは先輩二人の懐の深さ。
生物も住まぬような深い海溝ですら、彼らのソレと比べれば潮だまりに等しい事だろう!
「ちなみにボクのオススメは、この“ちびっこ騎竜体験イベント”のスタッフさ! 日当も悪くないし、なによりボクの騎竜倶楽部で培った知識が活かされる!」
「けっ、何が培った知識だよ! 地這い竜ぐらいしか跨れねえだろお前は! オレは断然こっちの“新作カットル試飲会”のスタッフを選ぶね!」
「気取るんじゃないよアル中のくせに!」
「うるせえ! お前のその眠たいイベントよりマシだ!」
先輩二人が再び熱い論争を繰り広げ始めてしまった。
彼らの論争を眺めながら、私は深く考え込む。
トルア先輩のオススメはちびっこ騎竜体験イベントのスタッフ。
その字面から察するに、まだ年端も行かぬ子どもに騎竜のなんたるかを教授するイベントであろう。
幼い内から騎竜のノウハウを教えるとはなんとも素晴らしいことだが、しかし私にとって騎竜というのは全く専門外の分野であり、加えて子どもと接した経験が皆無である。
そんな私に一体どれだけのことができるかは不安が残る。
一方でクロウス先輩のオススメは、新作カットル試飲会のスタッフだ。
イマイチ何をするバイトか分からず、掲示板に貼られた概要を熟読してみると、どうやらとある酒造が開発した新作カットルのプロモーションイベントを開くらしく、その手伝いをするバイトのようだ。
だが、募集要項の欄にある「接客の得意な方、接客業の経験のある方、大歓迎!」の一文を見て、二の足を踏んでしまった。
接客などは騎竜以上に専門外である。
何事も経験あるのみ、というのは理解している。
そして私が選り好みできる立場でないのも承知している。
しかし彼らが選出した二つ、ひいては掲示板を埋め尽くす膨大な数のバイトの中から、一つを選び取れというのは、またどうにも……
彼らの議論がヒートアップしていくその傍ら、私は必死に頭をひねる。
と、その時である。
一枚の用紙を手に、購買へ駆けこんでくる一人の学生の姿が目に映った。
凄まじい量の髪留めを頭上に同居させ、ショートボブの黒髪を装飾する、いかにも快活な印象の女性である。
「はい、どいたどいた! 新しいバイト情報ですよ!」
そして彼女は実にすばしっこい動きで私たちの間を縫って掲示板の前までやってくると、用紙を叩きつけるように掲示板に貼り付け、そしてあっという間に去って行ってしまった。
さながら嵐、いや、つむじ風のような女性だ。
彼女の登場により先輩二人は議論を中断し、彼女の貼り付けていった用紙に顔を寄せる。
私もそれに倣って顔を寄せ、そして
「――ああ、これならば私にもできそうだ」
私はこの用紙を手に取った。
先輩二人が、これを覗き込んでくる。
「なになに……初心者歓迎、倉庫内での簡単な軽作業、期間限定なのでお早めに……」
「経験不問、性別年齢不問、給料手渡し、誰にでもできる簡単なお仕事です、日時は……今日の深夜ぁ?」
「日当は……ゲッ!? これ平均レートのほぼ倍じゃん!?」
「いやぁ、探せばあるものだな、特に経験不問というのが私のような未熟者にはありがたい限りだ、先輩方これでどうだろう」
これならば私にもこなせそうだし、なおかつ今日の深夜ということで、すぐに金を手に入れることが出来る。
先輩方の“早急に金が欲しい”という要望もクリアできるし、まさにうってつけではないか!
そう思ったのだが、何故か先輩二人の反応は芳しくない。
「……クロウス君、これなんかどうだろう、ライブ会場の警備スタッフ、タダでライブが聴ける上に、あわよくばライブ好きの女子とお近づきになれるかも」
「うむ、悪くない、それならこっちの演劇会場の設営はどうだ、女っ気がなさそうなのが残念だが日当は良い、それにアタリを引ければ突っ立ってるだけで終わるかもしれないぞ」
「む? 何故無視するのだ?」
「「胡散臭すぎるからだよ!!」」
トルア先輩とクロウス先輩が声を揃えて言った。
私の手にした用紙が、彼らに取り上げられる。
「まず簡単な軽作業、っていうのが怪しすぎる! 簡単、と、軽作業、で意味がほぼ重複してるところが特にね!」
「それに日給が高すぎだ! こんなのいざ現場に向かってみて“じゃああなたたちには命を賭けてもらいます”と言われても文句の言えない金額だぞ!?」
「あと募集から実施日までが異様に早い! 人手の足りていない証拠じゃないか! 何をやらされるか分かったもんじゃない!」
「それと極めつけは期間限定の一文だ! 常にバイトを扱ってるところならいざ知らず、期間限定ってことはつまり“雇い主は日雇いバイトの扱いに慣れてません”って公言してるようなものなんだよ! 日雇いはただでさえ当たり外れが激しいのに、なんで見えてる地雷を踏まないといけない!?」
「そ、そうなのか……?」
やはり先人の知恵とは凄まじい。
怒涛の如く押し寄せる情報量に、思わず言葉を失ってしまったぐらいだ。
しかし私はまだまだだな……これでは先輩方の役には立てそうにない……
私はすっかり落胆してしまい、肩を落とす。
その様子を見て、先輩二人はばつが悪そうに顔をしかめ、そしてお互いに顔を見合わせた。
ややあって、トルア先輩がごほんと一つ咳払いをする。
「……ま、まぁ、それでも金払いがいいことは確かだ、ボクたちも早急に金が入用だから、この金額を手渡しというのはありがたい」
「気は確かかトルア!?」
「うるさいぞクロウス! そもそもキミも彼にバイトを選んでもらうという条件を呑んだだろう!」
「ぐっ……だがこれはあまりにも……!」
「くどい! 男に二言はないんだよ! ましてや先輩ともなればなおさらだ!」
「お前が男を語るのかトルア……! ええい! そこまで言われたら先輩の、なにより男の沽券に関わる! やってやる! このバイト受けるぜ!」
「ほ、本当か!?」
男に二言はない!
クロウス先輩とトルア先輩が、声を揃えて言った。
ああ、私はなんと素晴らしい先輩を持ったのだろう!
「では、さっそくこれに応募しよう! どうすればいい!?」
「購買のナコリタさんに参加人数と各々の連絡先を伝えればそれで手続きができるよ、行ってきな」
「なるほどなるほど――ああ、そうだ、そういえば不躾は承知で、もう一つ頼みがあるのだが……」
「なんだい?」
「このバイトにもう一人、誘いたい人間がいるのだ」
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魔道具制作科2年、髪留めの少女――ネペロ・チルチッタは購買を離れたのち、周りに誰もいないことを確認し、通信魔具を起動させる。
「あー、こちらネペロ、学長の申しつけ通りギルドに指定されたバイト募集の紙、貼ってきましたよ、ええ、アーテル君はこれを受けるそうです、これで新聞同好会をサークルとして認可してくれるんですよね? ……はい、ありがとうございます、ではまた追って連絡いたしまーす」
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