婚約破棄/令嬢
R2:全面改訂
「西公国令嬢ティリス・ウェンタス、俺は君との婚約を破棄する」
そう宣言された時、捨てた名を呼ばれたサクラは、ムッとした。そして何を今更、と思った。約束を違えたのはそちらだろうと。続いて婚約破棄男、イートス王家第一王子の正気を疑った。場所柄を弁えろ愚か者め。などと考えていたため、反射的に対応していた。無意識ではあったが。
「目障りだわ、座りなさい! うつけ者!」
不快そうな低い声で発せられた その言葉は、半眼になったその相貌と相まって年齢不相応に威厳が宿り、怜悧な貴婦人のモノに変わっていた。
婚約破棄男は先程の魔法による大声にも動じないサクラに驚いていたが、その言葉の冷たさに、委縮して椅子に腰を落とした。
サクラはその頃になってやっと精霊が動いたことに気付いた。彼女が気付かないうちに精霊が何かしたようだ。拡声魔法を防御したことまでは気付かなかったようだ。
彼女はテーブル上の封筒に少しだけ視線をあて、紅茶を飲み干した。
ここは東王国の西部、中立地帯にある王家の私邸だ。周囲には王家と同格である、三公の館がある。各館の近くは小さな城下町のようになっている。この王家私邸の付近も同様である。貴族家の屋敷はこの地域にはない。
今日は一年に四度、季節毎に一度だけ開催される王家主催の舞踏会、本年最後の『冬の宴』だ。暦の上では冬となっているが、今年は暖冬で、昼頃から雨が降っているにもかかわらず ちっとも寒くない。
王と王妃、王太后、王太子、三公と珍しいことに王国の主要閣僚の幾人かが来ている。そして大勢の貴族家子女が招待されていた。
婚約破棄男の発言は、その宴がたけなわとなってきたタイミングのものであった。
どう対処しようか、婚約破棄男の頭越しにサクラは国王及びその一族と三公のいる席を見た。続けて王国閣僚である内務局次官、外務局次官、行政局次官、司法局長官、財務局長官が集まっている場所を見た。皆が同じように、少しの間 不快そうな表情をして、徐々に苦笑に変わった。何の茶番だ。というのが皆の感想だろう。
サクラは気づかなかったが、さっきの宣言には拡声魔法が使われていたため。参加者全員に聞こていた。内容は貴族の広報に載っていたモノ『条件不履行による婚約解消』だった。皆が知っていることだった。婚約破棄男とその一味 全員が広報を確認できない最下位の貴族になったことを証明したようなものだ。彼等が嘲笑の的になったのは、自業自得、当然のことである。
このまま放置。では、皆が困るだろう。サクラはいかにも面倒そうに小さく溜息をつき、まずは確認した。
「では『貴方が、一方的に婚約を破棄したい』ということですね」
彼女の言葉に王と三公が顔に驚を浮かべた。財務局長官はそれを見て一瞬、苦虫を噛み潰したような顔をして、それでも頷いた。彼女の言葉の意味を正しく了解したようだ。
「そうだ」と、婚約破棄男はサクラに言質を与えたが、彼はそれに気付いていないようだ。
サクラはこの相手には必要ないと判断し、礼をとらず、はっきり その眼を見据えて答えた。愚か者もここまでくると笑えない。
「良いでしょう。承知致しました」
婚約破棄男は、まさか何の反論もなく承認されるとは思っていなかったらしく、あっけない返事に言葉もない。
その時、婚約破棄男の取巻きの一人が護衛騎士に取り押さえられた。
当然の処置だろう。魔法の迷惑使用は れっきとした犯罪なのだ。
婚約破棄男達は教唆も実行犯と同罪になるということ忘れているようだ。いや、最初から知らない可能性が高い。
その時、サクラは婚約破棄男の取巻きの中にいる一人の令嬢に気付いた。あれ? なんだそういうことか、と納得した。ただし、これは正確には誤解であったが。
婚約破棄男を無視して、サクラはその横を通り抜け閣僚の一人を呼んだ。
「司法局長官殿。婚約破棄には理由があると思われます。証拠を以って明確にしてください」
彼女は長官に持っていた封書を渡しながら、王の表情を再確認した。肩を竦めていた。やってしまえ、ということだ。
「婚約は解消済みではあるものの、不問にする訳にはまいりません。賠償も含めて細かいことは任せます。尚、必要な場合は私への直接確認も許可します」
指示を終えて、サクラは王族と三公のいる席に向かった。
司法局長官は、彼女に礼をとって、すぐに事情聴取を始めた。もちろん彼は封書の中身を知っている。
何を考えているのだ、この馬鹿者共は! 事情聴取をしている司法局長官の傍に立つ財務局長官は その内容を聞きながら、苦々しく思いながら支出額の試算を始めた。
不敬罪。故意の誤報による名誉棄損。一方的な婚約破棄による諸経費の賠償。これだけでも とんでもない金額になる。これらの一部は国庫から支出することになるだろう。財務局長官は額に深い皺を浮かべながら、それだけでは済まないことを知っている。
それにしても、犯罪者となった彼等に どのくらい賠償能力があるのだろうか。魔法不正使用の教唆と実行犯、公文書偽造に偽証罪も含まれそうだ。貴族位完全剥奪だけでは済まない。
西公国国主代行権を持つサクラ嬢は『証拠を以って明確に』と仰せだ。妙な情けをかけて半端な処分をすると国際問題になる。財務局長官は、そっと司法局長官の方を窺った。
司法局長官は、彼等の話を聞き、証拠なるモノを確認して頭痛がしてきた。王位継承権を剥奪されたとはいえ当国の第一王子、そして彼の取巻きは全員十八歳以上で、学生ですらない。明らかに成人である。酌量の余地は全くない。
「君達は分かっているのか? 今 話していることは全て証言として記録されているのだよ。証言は証明出来ない時点で虚偽とされ、それだけで犯罪だ。
いつ、どこで、何があったか、最低でも これだけは明確にしないと証拠にはならない。提出された これらの書類も正確なものでなければ文書偽造で犯罪だ。……しかし、今更どうしようもないが」
婚約破棄男と一味は、警備隊に拘束された状態で その言葉を聞いた。いくら愚かな彼等でも、これで終わりだ、ということを悟った。
サクラは思い出したように、婚約破棄男達にではなく、警備隊の一人に注意を促した。
「そこの令嬢は『妊婦』です。乱暴に扱わないよう注意してください」
元婚約者と令嬢の顔色が変わり、同時に取巻き連中の顔色も真っ青になった。サクラは彼等を見ていなかったので それに気付かなかったし、後のドタバタについても永久に知ることはなかった。なぜなら彼女には全く関係のないことだったからである。
サクラはそのまま王族達の席に向かった。
本日の用件『婚約解消の通達』は終了した。例えそれが予定通りではなかったとしても結果が同じであれば良いのだ。彼女にとってそのような些細なことに拘りはなかった。
全く別物で、再投稿です。