特務警備隊/舞踏会開催前
東王国の西にある中立都市クラスタ。この地域には王家と公家の屋敷だけがある。ここは王家の私邸である。
季節毎に開催される王家主催の舞踏会も今年最後の『冬の宴』となった。今日は冬というより秋に近い気候だ。朝から曇っていたが昼前から小雨がパラつき、今は本降りになっている。
王家主催で、王・公・貴族が集まるのである、当然ながら厳重な警備体制が敷かれている。舞踏会は午後七時の開始だが午前中には全ての準備が完了していた。
午後五時。近衛騎士団・特務警備隊に配属され、初の任務に緊張している十八歳の青年がいる。彼が立っているのは正面玄関、その向かって最も右側、来賓用馬車の駐車場から最も離れた位置にあたる。万一の失策を懸念しての配置であろう。隣にいるのは彼の指導員であるベテラン隊員だ。
雨が土砂降りになってきた。しかし、彼等が雨具を使うことはない。任務中においては両手は必ず空けておく、これは基本中の基本である。
舞踏会開催まで まだ二時間も余裕があるのに彼等がこの場所に配置されているのにはもちろん理由がある。王族と三公そして王都の閣僚が既に来館しているからである。彼の隣で指導員が小さな声で呟いた。
「舞踏会前に何かあるようだな」
「ほう、凄いな! さすが西公国の御令嬢。以前より更に輝いている」三十分ほど経った時、隣からの声に緊張して視線を上げた新米隊員は、特に目立たない馬車が街路ではなく北側の郊外から ゆっくり近付いて来るのを確認したが、何が凄いのか分からない。
彼が不審そうな顔をしているのを見た指導員は強い言葉で指導した。
「馬鹿者! 見張りに着任したら常時『眼』を開いておけ!」
当然の指摘に、彼は慌てて『眼』を開いた。
そうだった、近衛騎士団・特務警備隊に配属された理由がこれだ。というか、これが全てだ。精霊を見る眼を持っていること、ただそれだけだ。
生物は必ず、程度の差はあれ魔力を持っている。四つの属性の何れか、一つか二つに必ず該当する。特に動物のそれは明確に表れ、いくら気配を消しても魔力に反応する精霊を隠すことは出来ない、監視と護衛に最適な能力といえる。しかし四属性の全てを見る眼を持つ者は少数だ。新米隊員にはそれがあった、それだけだった。
彼の視界が切替わった。
「!」強烈な輝きに眼が焼かれそうになった衝撃に体勢を崩した。反射的に眼を塞いだものの、膝をつきそうになった新米隊員の身体を支えながら小声で注意した。
「半開で見たのか? 八分に落とせ『眼』が壊れる。……いや、その半分で良い」
新米隊員は返事をして、眼の感度を調整した。姿勢を正し改めてそれを見た。
彼は目の前に展開された光景に息を呑んだ。そして指導員が漏らした声の意味を知った。こんな事は通常あり得ない。全種の精霊が集まっているなんて。さっきまで ありふれた馬車に見えていたものが光輝に包まれている。全種類 四つの色相の、無数の明度、無数の彩度、そして さまざまな大きさの、球形の精霊が取り囲んでいた。全く相克を起こしているようには見えない。
馬車が見えなくなるほど多くの精霊群なんて初めて見た。ちらりと見えた車体が金色に輝いている。まさか精霊で出来ているのか。馬も精霊? 新米隊員は膝を細かく震わせていたが、それにも気付かないほど その有様に魅入っていた。
「おい! こんな事で驚いてたら『姫』を見たら腰を抜かすぞ」
指導員に背中を叩かれて現実に戻った新米隊員は、駐車場に ゆっくり入って来た馬車を確認した。やっぱり精霊で出来ている。
「今日もダンスは なさらないのだろうな」指導員の声は少し寂しそうに聞こえた。
「ダンス、なさらないのですか?」舞踏会なのに? じゃ何のために来たのだろう。新米隊員の頭上に見えないクエスチョンマークが浮かんだ。
「彼女のレベルに合う相手がいないのさ」隣の声には苦い、そして少しばかり嘲りの響きがあった。
来賓用の駐車場には、まだ他の馬車は来ていない。
馬車が完全に停ったのを待って、何処からか現れた黒衣の男性が その扉を開いた。
雨で声は聞こえず、口元もよく見えない。ゆっくりと令嬢が降りてくるが誰も傘を差し出そうとしない。不要だったのだ。
令嬢が馬車から頭部を出すと、彼女の周辺の雨滴が消えた。馬車の足踏みに靴が届く前に濡れていたそれが一瞬で乾燥した。続いて雨に濡れて緩んだ地面が硬化して平坦になり、正面玄関まで絨毯を敷いたような形態に変化した。当然 水飛沫など一滴も付いていない。
魔法? 新米隊員の疑問は、彼自身の眼によって否定された。魔法を使えば彼にはそれが見えるのだから。
黒衣の男にリードされて令嬢が数歩進み、続いて侍女が馬車から降りた。
いつの間にか黒衣の男がいない。新米隊員がそれに気付いた時、御者を含む馬車が馬と共に光の粒になって消滅した。何たる非常識! 彼は心の中で、大声で叫んだ。
令嬢の服装は、そういえば舞踏会用にしては落ち着いた色と形状だ。それでもスラリと姿勢を正した彼女は、精霊の輝きがなくとも素晴らしいものだった。
黒髪、軽いウェーブがかかり腰の少し上まである。精霊が太陽光に近い光を放ち彼女の後ろに回ったとき、その髪の色は鮮やかな緑色に見えた。
新米隊員には遠くて顔の詳細までは分からない。が、今見える限りにおいても素晴らしい美少女――彼女は御年十五歳だ――のようだ。
騎士団員の礼は直立のままだ。監視任務の者が頭を下げては意味がない。令嬢は侍女と共に正面玄関に至り、記帳し、虹彩認証して入場した。新米隊員には特に何も問題はないように見えた。
彼は気付かなかったようだ、と彼の指導員は苦笑した。
新米隊員は、ずっと見ていた。令嬢が即席の絨毯の上をすすみ、入場するまで。記帳の時以外は ずっと顔が見えていたのに、それに気付かなかった。
この大陸のヒトの体格は、成人男性で平均百六十センチメートル、成人女性では平均百五十センチメートルである。新米隊員は未だ平均身長に足りない百五十五センチメートル。彼には身長百六十五センチメートルある隊長の頭も ちゃんと見えていたのだ。
招待された貴族諸侯がほぼ揃ったようだ。まだ舞踏会開始にはまだ四十分ある。近衛騎士団・特務警備隊の新米隊員に、彼の指導員が その時刻を見計らって声をかけた。
「さて、中に入ろうか」
今日は新入り教育のため、全部署の配置状態を見学させる予定になっている。指導員は新米隊員を促して雨水を弾き飛ばした。これは、もちろん魔法である。
「そうだ。『眼』の感度は、今の半分程度に落としておくように」
新米隊員は訝しく思いながらも、眼の感度を調整しながら指導員に続いた。




