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56テールズ ~聖杯の伝説~  作者: 曽我部穂岐
第一章 始まりの物語
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第四十九話 真剣勝負

 空は快晴。霧降山からの風に乗って、雲がゆっくりと運ばれていく。


 その空の下、フレンネルの町の片隅にある古びた剣術道場。


 道場の中には四人の男がいた。


 中央には銀髪の大男。彼の後方に黒髪の少年が正座している。


 そして道場の両端に白髪の老人と金髪の少年。


 二人はそれぞれ道着を着て帯刀している。


 九郎の腰には名物『鳴神(なるかみ)』、糸巻鞘打刀拵(いとまきさやうちかたなこしらえ)


 レイの腰には銘『道興(みちおき)』、黒漆鞘打刀拵(くろうるしさやうちかたなこしらえ)



「これより、烏丸流剣術『壱ノ型』皆伝伝授の真剣勝負を始める。立会人はロベルト・ディアマン、そしてジル・スチュアート」


 ロベルトの声とともに、両者は道場の中央に進み出て相対する。


 その距離はおよそ三メートル。


 ジルはその様子を緊張した面持ちで見守っていた。



「殺意のない剣など恐るるに足らんなどと言う輩が居るが、わしはそうは思わぬ」


 レイは九郎と正対し、その目から放たれる威圧を受けとめながら、師の教えを思い出していた。


「恐れを持たぬ剣の方がはるかに危うい。確かに剣は人を殺めるための道具かもしれぬ。しかし人とは道具の目的に使役されるものではなかろう」


 師の視線から放たれるのは殺意ではない。自分を斬ろうとする明確な意志でもない。


「恐れとは畏怖だけではない。自制心じゃ。己の振るう剣が相手を殺めるかもしれぬ、また己が殺められるかもしれぬ。恐れることはそれに対して覚悟を持つこと」


 そうだ。必要なのは覚悟だ。



「では……始め!!」


 ロベルトの勝負開始の合図とともに、レイは視線を逸らさぬまま、刀を鞘から抜いた。


「よいかレイよ。相手に勝つためには殺意などむしろ不要、それは恐れることから目をそらすために心の表面を飾っただけの薄氷に過ぎぬ」


 九郎の恐れと覚悟が視線を介して、レイにも伝わってくる。九郎もまた自分の恐れを感じているのだろうか。


「殺意は恐れを陶酔に変えて判断を鈍らせる。闘いを常に恐れよ。恐れるが故の一層の覚悟を忘れるでない」


 レイは大きく息を吐くと共に心に覚悟を宿し、ゆっくりと構えを取る。

 正眼から少し右(かし)ぎ、壱ノ型。


 レイが構えたのを確認した後、九郎も構えを取る。


 納刀のまま、右足を前方に腰を落とす。

 左手で鞘を掴み、右手は柄の上部に掲げる、弐ノ型。



 構えを取ったレイは、二日前ロベルトから教わった「心構え」を思い出していた。


「俺がお前に技術について教えることは何もない。俺は剣術については素人だが、身のこなしを見ていても動きに無駄はない。だから今から教えるのは心の在り様だ」


「意識を全身に行き渡らせ己が思うままに身体を動かす、というのは案外難しい。完璧な動きをしたと思っても結果がそれに伴わない、そういった経験はあるだろう? どんなに集中しても意識と身体の動きには若干の誤差が出る」


「それはほんの少しの違いにしか過ぎないだろうが、刹那の勝負においてはその僅差が勝負を分けることがある。――ではなぜその誤差が出るのか」


「ヒトの頭の中には一定のリミッターがかかっていて、百パーセントの力を出し切ることはできないようになっている。常に全力を出してたんじゃあ身体が壊れちまうからな。しかし、危機的な条件下では無意識にその制限が外れることがある。火事場の馬鹿力っていうだろ。俺が教えるのは一瞬だがそれを自分の意志で外す方法だ」


「まず、心を無にしろ。脳の制限は意識下で常に働いていている。無意識の状態にならなければ外せない」



 頭の中から雑念を追い払う。心を落ち着かせ、静寂が広がっていく姿をイメージする。


 やがて、心の中に何も無い静けさが訪れた。


「その状態を一瞬でも作れたのなら、そのまま心の中に自分を想い描け。限りなく理想的な自分の姿をだ」


 記憶の声に沿って、自分の姿を想い起こす。


 描くのは斬撃。自分が最も得意とする踏み込みからの右袈裟斬り。


「一片でも否定的の要素を考えては駄目だ。自分の在り様が鈍れば全力を出し切ることは出来ない」


 何度も繰り返したイメージ。


 しかし、不意に心に波紋が立ってその理想像が揺らぎそうになる。


 揺らぎを抑えようとすればするほど、雑念が波紋となって周囲に広がり、彼の無心を崩そうとしていた。



『全てから絶望と虚無を追い払え』


 彼の頭に蘇るロベルトとは別の声が、心の奥から聞こえた気がした。


 その声と同時に心の波紋がぴたりと収まり、揺らぎが徐々に収束していく。


「自分の在るべき姿を想い描いて、それを信じろ」


『信じよ。己の全てを信じ、一点たりとも疑うな』


 心の声はロベルトの声を追うように次第に近づいて来る。



 踏み込み。


 振りかぶり。


 そして振り下ろす。



 レイは心の中に自分の成すべき完璧な行動を構築していく。



「理想像が描けたなら、身体は想うがままに動く」


『おまえが信じ、想えば、全てはことごとく成る』



 二つの声が言い終わると同時に、心の中の理想像は完成した。


 不意に心の中に真白い閃光が走り、像がその中に溶けていくのを感じる。


 意識が急激に広がり、身体の隅々、手足の神経の末端にまで届いて行く。


 張りつめた意識は彼の間合いに充満し、その中の空間を彼のものにした。




 レイの身体はすでに動いていた。


 それは意識でなく無意識。


 心の中に描いた自分の行動を、そのまま忠実になぞるだけ。




 跳躍し、振りかぶりながら向かってくるレイを上目の視線でとらえながら、九郎は右手を刀の柄の上に滑らせた。


 研ぎ澄まされた神経が、彼の視界に映るもの全ての速度を遅らせている。


 一瞬、後方に体重を寄せる。


 そして、レイの身体が彼の間合いを侵した瞬間、柄を掴んだ。


 後ろ脚に蓄えられた爆発的なエネルギーが上半身の捻転と共に刀に伝わる。


 寸勁(すんけい)と呼ばれる、身体動作を極限まで小さくし、わずかな動作で高い威力を出す技術を応用した高速の居合い、それが『鍔鳴り』の正体。



 刃か鞘から抜き放たれる瞬間、レイの持つ刀の切っ先、帽子火焔の波文が蒼く揺らめいて、刀身が一気に鍔元まで深みがかった蒼に染まったのに気付いたのは九郎だけだった。




 刹那。



 高い金属音が道場内に響き渡った。



 弾かれた刀が、勢いよく道場の床を転がる。



 刀の名は、



 名物『鳴神』




 九郎の刀は鞘には収まらず、離れた板間の床の上に弾き飛ばされていた。


 その目は大きく見開かれて、目の前に刀を振り下ろしたままの姿勢で止まっているレイに向けられていた。


「…『結界剣』とは、な」


 九郎の呟きの意味を理解できたのはロベルトだけだった。



「そこまで!」


 そのロベルトの声が試合終了を告げた。


 途端にレイが顔を上げる。


 そこには会心の笑みが浮かんでいた。


「ッ―――しゃあああああッ!!」


 彼は勝利に吠えた。


「……おおお――すげええええ!!」


 固まっていたジルも我に返ってレイに駆け寄る。


 その様子を見ながら、九郎は肩の力を抜いて構えを解いた。弾き飛ばされた鳴神を拾って近づいてくるロベルトを見て、悔しそうに笑った。


「レイもじゃが、おぬしもなかなかやりおるな。まさかあのような手があるとは思わなんだぞ。たった二日で良く仕込んだものよ」


 九郎は鳴神を受け取って納刀する。


「彼の右袈裟斬りに先代所持者の姿が重なりましてね。しかし、完全な賭けですよ。俺もまさかあそこまで完璧に決まるとは思いもしませんでしたよ」


 二人はジルと手を取りあって喜んでいるレイを見やった。


 ロベルトがレイに教えた一連の「心構え」とは、実は「古代兵器制御の精神鍛練法」であった。レイが魔剣の行使を拒むなら、実戦の中で習得させようとしたのだ。


「まさか、『神の鉄槌(カール・ハンマー)』の『結界剣』、このような場所で見せられるとは思いもせなんだわ。あれは到底防げぬ」


「彼は魔剣の力を使役したことに気付いていないようですがね」


「良い良い。それも含めてレイの実力よ」


 九郎は満足気に笑って、レイに近づく。


「どーだ、じいさん!」


 レイはそれに気づいて駆け寄ってくる。


「うむ、見事じゃ!」


 九郎は力強くうなづいた。


「これによりレイモンド・カリスに烏丸流剣術『壱ノ型』の皆伝を授けたとものとする」


 九郎は懐から「壱ノ型・免許状」と書かれた札を取り出すとレイに渡した。


「レイよ。わしがおぬしに弐ノ型を教えなんだ理由が分かるか」


「居合いは俺に向かないからか…?」


 レイは免許状を受け取りながら答える。


「そうではない。おぬしにはまだ余白があるからじゃ。わしがそれを完結させるには惜しいほどの膨大な余白がな」


 そう言うと、九郎は道場の縁まで歩き、引き戸を両手で勢いよく開けた。


 まばゆい陽の光が射しこみ、レイの視界を白く縁取る。


「おぬしの剣は烏丸流剣術の型に留まるものであってはならぬ。世界は広い。おぬしのまだ見ぬものが数多にある。それらを己の目で見て、そして学べ」


 九郎はレイの方に振り向く。


「その刀は選別じゃ。広き世界の中で、おぬしの心法道定、貫いてみせよ!」


 道場の中に一陣の風が吹いた。その風に乗って霧降山の裾野から運ばれてきたのか、幾片もの山桜の花弁(はなびら)がレイの上に舞い落ちた。


 それにつられて、彼らは空を見上げた。


 そこに広がる天空は果てしなく広い。


 雲が、空の青に溶けるようにゆっくりと流れていた。

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