第79話 補給という光
ここはレイアノーティア。
強さだけでは、守りきれない。
剣は敵を斬る。
盾は攻撃を受ける。
魔法は傷を塞ぐ。
けれど、人が立ち続けるために必要なものは、それだけではない。
水。
塩。
食べ物。
糖分。
そして、まだ動けると思えるだけの小さな熱。
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「補給、到着です!」
コムギは巨大なリュックを下ろした。
どん、と地面が鳴る。
小柄な身体が、その反動で少し跳ねた。
頬は煤で汚れている。
肩で息をしている。
髪も少し乱れている。
それでも、目だけは妙に明るかった。
トンヌラは思わず言う。
「……本当に来たのか」
「来ました!」
コムギは胸を張った。
「ちょっと遅れましたけど、水とパンと塩と栄養剤と、あと使えそうなお鍋を回収してきました!」
「鍋はいるのか」
「いります!」
即答だった。
「鍋は人を安心させます!」
理屈は分からない。
だが、コムギが言うと妙に説得力があった。
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コムギはすぐにしゃがみ込む。
動きが変わった。
さっきまでリュックに振り回されていた小柄な身体が、補給品を前にした瞬間、驚くほど迷いなく動き始める。
水袋。
乾いたパン。
塩の小袋。
小瓶に入った栄養剤。
甘い香りのする携帯食。
次々と地面に並べていく。
「水、回してください!」
周囲の人々が固まる。
「え、あの」
「煙を吸った人からです!」
「子どもとお年寄り優先!」
「泣いてる子には、まず口を湿らせてください!」
「一気に飲ませない! 少しずつ!」
声が飛ぶ。
高くて、よく通る声だった。
フィーが顔を上げる。
「コムギさん……」
「フィー!」
コムギは駆け寄り、腰の小瓶を差し出した。
「飲んで!」
「でも、怪我人が」
「あなたが倒れたらもっと困ります!」
はっきり言った。
「今のフィーは、命の調律係です!」
「その調律係が倒れたら、全員困ります!」
フィーの手が止まる。
コムギは小瓶を押しつけた。
「飲んでください。補給担当からのお願いです」
「お願い……」
「はい。かなり強めのお願いです」
フィーは少しだけ笑いそうになった。
それから、小瓶を受け取る。
一口。
喉が動く。
甘さと塩気と、少し薬草の苦みが広がる。
「……あ」
フィーの霞んでいた視界が、わずかに晴れた。
呼吸が戻る。
手の震えが、少しだけ落ち着く。
コムギは大きく頷いた。
「はい、次!」
「次?」
「次の人を見てください!」
フィーは小さく息を吸う。
そして、頷いた。
「……うん」
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街はまだ混乱していた。
ドラグノフの咆哮が遠くから響くたび、人々の肩が跳ねる。
空を見上げ、足を止める者がいる。
泣き出す子どもがいる。
座り込んだまま動けなくなる老人がいる。
そこへ、コムギが走る。
「はい、水!」
泣いていた子どもの手に、小さな木の杯を持たせる。
「飲んでください。泣くのは飲んでからでもできます!」
子どもはしゃくり上げながら水を飲む。
「えらい!」
コムギは即座に言った。
「水飲めました! すごいです!」
褒め方が大げさだった。
だが、子どもの顔が少しだけ戻る。
次に、震えている兵士の前へ行く。
「あなたも!」
「俺は大丈夫だ」
「大丈夫な人は、大丈夫って言う余裕がありません!」
「いや、俺は」
「飲んで!」
小瓶を押し込む。
兵士は勢いに負けて、栄養剤を飲んだ。
むせる。
「まずい……」
「効いてます!」
「味と効き目は別です!」
コムギはもう次へ走っていた。
⸻
トンヌラは瓦礫の前で、その様子を見ていた。
水が回る。
塩が回る。
パンが割られる。
栄養剤が渡る。
それだけで、人の流れが変わっていく。
さっきまで泣き叫んでいた子どもが、母親の袖を引いて歩き出す。
座り込んでいた男が、隣の老人に肩を貸す。
喉を押さえていた女が、布で口元を覆い、北側の路地へ向かう。
劇的な奇跡ではない。
傷が一瞬で消えたわけでもない。
瓦礫が勝手にどいたわけでもない。
ドラグノフが弱くなったわけでもない。
ただ、人が少しだけ動けるようになった。
それだけだった。
だが今は、その“それだけ”が大きかった。
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「クラウス!」
コムギが叫ぶ。
「水袋の残量、どれくらいですか!」
クラウスが即座に見る。
「多く見積もって、あと二十人分」
「少ない!」
「事実です」
「じゃあ一口ずつです!」
「十分な水分補給にはなりません」
「ゼロよりいいです!」
コムギは迷わない。
「喉を湿らせるだけでもいいです!」
「全部飲まない! 次の人にも回す!」
「塩は少しずつ! 倒れそうな人は栄養剤を優先!」
クラウスが少しだけ目を細める。
「配分判断が早いですね」
「補給担当ですから!」
コムギは胸を張る暇もなく、次の袋を開けた。
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フィーの動きも変わっていた。
さっきまで、すべての命の乱れが一度に押し寄せていた。
だが今は違う。
水を飲んだ者。
塩を口にした者。
少しだけ呼吸を取り戻した者。
誰かに肩を借りて歩き始めた者。
生命の波が、ほんの少し整い始めている。
だから、フィーも届く命が、見えやすくなる。
「次は、あの人を」
フィーが言う。
クラウスが避難列を見る。
「右側の男性ですね」
「胸が浅い。煙を吸っています」
コムギが水を持って走る。
「了解です!」
トンヌラが瓦礫の隙間を広げる。
「通れるか」
「通ります!」
コムギは小柄な身体で、瓦礫の隙間をすり抜けた。
リュックが引っかかる。
「ひえー!」
「リュックを置け」
「これは命です!」
「なら命が引っかかってるぞ」
「たしかに!」
ようやくリュックを外し、また走る。
こんな状況なのに、ほんの一瞬だけ、近くの兵士が笑った。
その笑いはすぐ消えた。
だが、確かにあった。
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空で、勇者と竜が再び衝突する。
爆音と衝撃波。
街が揺れた。
避難列が乱れかける。
だが、今度は完全には崩れなかった。
「しゃがんで!」
誰かが叫ぶ。
「子どもを壁側へ!」
別の誰かが続く。
「水、まだあるか!」
「こっち一口分なら!」
声が回る。
誰かが誰かを見る。
誰かが誰かを支える。
クラウスの瞳が細まった。
「士気が、異常な早さで回復しています」
トンヌラはコムギを見た。
小さな身体で走り回っている。
水を渡し、パンを配り、塩を分け、栄養剤を押し込み、泣いている子を褒め、震えている兵士を叱る。
大きな魔法ではない。
剣でもない。
だが、街が崩れ切らない理由の一つが、そこにあった。
「コムギ」
トンヌラが声をかける。
コムギは振り向く。
「はい!」
「できるだけ多くの人を助けるぞ」
コムギは一瞬だけ、ぴたりと止まった。
それから、満面の笑みを浮かべる。
「当たり前です」
胸を張る。
「誰一人、見逃しません」
そしてまた走り出す。
「私は、ミリタリー・サスティナーですから!」
リュックを背負い直しながら、振り返る。
「ね、団長!」
「団長ではない!」
反射のように返す。
その瞬間。
周囲の空気が、わずかに張った。
水を飲んだ兵士の背筋が伸びる。
泣いていた子どもが、母親の手を握って立ち上がる。
瓦礫に座り込んでいた老人が、ゆっくりと息を整える。
消耗が完全に戻ったわけではない。
傷が癒えたわけでもない。
ただ、折れかけていた心が、もう一度だけ持ち直した。
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遠くの塔。
エヴァンの視界に、小さな誤差が灯る。
「精神安定指数、上振れ」
淡々とした声。
だが、ほんの一瞬だけ間があった。
「避難効率、微増」
「人口減少率、微減」
「補給系介入」
数値はまだ、想定内。
そう判断できる範囲だった。
だが、そこに揺れは生まれていた。
「……想定誤差内」
エヴァンはそう結論づけた。
だが視線は、コムギから離れなかった。
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戦場では、サトウがドラグノフの炎を斬り払っていた。
白い光が赤黒い空を裂く。
レオンが盾を構える。
リディアが祈る。
バル・サンが魔法陣を重ねる。
勇者は竜を止める。
その一方で、街の中では人が水を渡している。
パンを分けている。
塩を舐めて、息を整えている。
震える膝を支えている。
誰も英雄とは呼ばない。
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フィーが立ち上がった。
まだ目は揺れている。
けれど、さっきよりはっきりしている。
「……いけます」
コムギが振り返る。
「いけますね!」
「うん」
フィーは小さく頷く。
「命の流れが、見える」
クラウスが避難路を示す。
「次は西側です。煙が薄い今のうちに抜けます」
トンヌラは声を張った。
「街を守るぞ!」
炎の中。
勇者が竜を止める。
別の場所で。
仲間が街を支える。
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ここはレイアノーティア。
剣が敵を断つなら。
補給は、命を繋ぐ。
そして。
調整はまだ計算通りだと、誰かは思っている。
だが、誤差は確実に積み上がっている。
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第79話 了




