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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第1章 立つ者 自宅警備員

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第7話 余波

 ここはレイアノーティア。


 借りた勇気は、


 いつか返せる。


 けれど。


 その勇気で立ったという事実は、


 もう、自分のものだ。



 翌朝。


 ギルドの食堂へ入ると、


 ガルドはすでに席についていた。


 昨日まで細かった肩は、


 明らかに幅が増している。


 服は窮屈そうで、


 袖の縫い目が今にも負けそうだった。


「……おはようございます」


「お前、その服で大丈夫か?」


「大丈夫ではありません。腕を上げると、破れそうです」


「世界は筋肉だけ増やして、服までは用意してくれなかったんだな」


「気が利きませんね」


「世界にも予算があるのかもしれん」


「何の予算ですか」


 知らん。


 適当に言っただけだ。



 ガルドの前には、


 俺より少し多い食事が置かれていた。


 豆の煮込み。


 干し肉。


 根菜。


 水も、俺のものより一杯多い。


「なぜお前だけ多い」


「俺に聞かないでください」


「筋肉差別か」


「昨日までなら、トンヌラさんと同じ量だったと思います」


 名前も知らない厨房の誰かが、


 俺たちの記録を見て調整したのだろう。


 世界は役割を決めるだけでなく、


 食事の量まで変えるらしい。


 完璧とは、


 意外と細かい。



 周囲から視線を感じる。


 昨日までなら、


 誰も俺たちを見ていなかった。


 今日は違う。


 赤く光った男。


 魔物を止めた自宅警備員。


 水晶へ触れずに職業を得た前例なし。


 事実と噂が混ざり、


 どこまでが本当なのか、


 俺にも分からなくなり始めている。



 ガルドは、


 食事へ目を落としたままだった。


「昨日のこと、夢じゃなかったんですね」


「その腕を見れば分かるだろ」


「そうなんですけど」


 太くなった指を、


 ゆっくり握る。


「俺が立ったのも、本当なんですよね」


「ああ」


「トンヌラさんに言われたから」


「最後に決めたのはお前だ」


「でも、俺一人だったら逃げてました」


「なら、半分くらい俺のおかげだな」


「何もしてないって言ってませんでした?」


「都合によって変わる」


「ずるいですね」


「便利だろ」


 ガルドは、


 少しだけ笑った。



 食事を終えると、


 ガルドが一枚の依頼書を差し出した。


「今日は、これへ行きたいです」


 近郊の集落まで、


 生活物資を運ぶ荷車の護衛。


 討伐ではない。


 危険度も低い。


 森の奥へ入る必要もない。


「自分で選んだのか?」


「はい」


「怖くないのか」


「怖いです」


 即答だった。


「でも、昨日立ったことを、昨日だけで終わらせたくありません」



 俺は、


 依頼書を受け取った。


 昨日は、


 俺が一緒に来いと言った。


 今日は、


 ガルドが自分で依頼を持ってきた。


 小さな違いだった。


 だが。


 たぶん、


 こういう小さな違いを、


 選択というのだろう。


「行くか」


「はい」



 荷車は一台。


 御者が一人。


 荷運びを手伝う若い男が二人。


 積まれているのは、


 布。


 穀物。


 乾燥させた薬草。


 誰かが今日を暮らすための物ばかりだった。



 街を出ると、


 ガルドは自然に荷車の前へ立った。


 俺は何も言っていない。


 御者から頼まれたわけでもない。


 それでも。


 最初に道を見られる位置へ、


 自分から歩いていった。



「そこに立つのか」


「はい」


「後ろの方が楽だぞ」


「知っています」


「なら、なぜ前だ」


 ガルドは少し考えた。


「何か来た時、最初に気づけるので」


「昨日までのお前なら、最後に気づける場所を選びそうだけどな」


「俺も、そう思います」


 自分で言って、


 少し困ったように笑う。


「変わるって、怖いですね」



 道は穏やかだった。


 魔物は出ない。


 盗賊の気配もない。


 荷車の車輪が、


 一定の音を立てながら回っている。


 何も起きない。


 昨日とは違う。


 立つ必要のない時間だった。



 それでも。


 ガルドは前を歩き続けた。


 何かを止めているわけではない。


 誰かに見られているわけでもない。


 ただ。


 自分で選んだ場所に立っている。



 集落まで、


 あと少しというところだった。


 道が緩やかな下り坂へ変わる。


 御者が手綱を引き、


 荷車の速度を落とした。


 その時。


 乾いた音がした。



 車輪を固定していた金具が、


 道の上へ弾け飛ぶ。


 荷車が大きく傾いた。


「危ない!」


 荷運びの若い男が、


 車体の横で転ぶ。


 積み荷の重さに引かれ、


 荷車がその男へ向かって滑り始めた。



 俺が声を出すより早く。


 ガルドが動いた。



 転んだ男と荷車の間へ、


 自分から踏み込む。


 へこんだ鍋の蓋を前へ出す。


 足を開き、


 大地を踏みしめる。



「ガルド!」



 赤い光が、


 その身体を包んだ。


 昨日ほど激しくはない。


 筋肉がさらに膨らむこともない。


 ただ。


 ガルドが立つ場所へ、


 薄い盾の輪郭が重なった。



 荷車が衝突する。



 鈍い音。


 土が大きく削れる。


 ガルドの足が、


 地面へ深く沈んだ。


 押される。


 腕が震える。


 歯を食いしばる。


 それでも。


 後ろへは下がらなかった。



「動け!」


 ガルドが叫ぶ。


 倒れていた男が、


 慌てて道の端へ転がる。


 御者ともう一人の荷運びが、


 荷車へ飛びついた。


 全員で押さえ込み、


 ようやく動きが止まる。



 静かになった。


 誰も潰されていない。


 積み荷も、


 一部が崩れただけで済んでいる。



 ガルドは、


 荷車へ手をついたまま息を切らしていた。


 赤い光は、


 すでに消えている。


「……大丈夫か」


「はい」


 声は震えている。


「怖かったです」


「それでも出たな」


「考える前に、身体が動きました」



 助けられた男が、


 ガルドへ頭を下げた。


「ありがとうございます。あなたがいなかったら……」


 ガルドは、


 少し困った顔をした。


 昨日までなら、


 きっと視線を逸らしていた。


 けれど今日は、


 頭を下げた男を見たまま答えた。


「立っただけです」



 その言葉は、


 昨日と同じだった。


 けれど。


 意味は違っていた。



 昨日は、


 俺に言われて立った。


 今日は、


 誰にも言われず立った。


 名がそうさせたのか。


 役割に従ったのか。


 俺には分からない。


 だが。


 少なくとも、


 ガルドは自分で前へ出た。



「昨日は、俺の言葉を借りた」


 俺は言った。


「でも今のは、お前のだ」


 ガルドが顔を上げる。


「俺の……」


「ああ。返せと言っても返せないぞ」


「借りた覚えはありませんけど」


「なら最初から、お前のだったんだろ」



 ガルドは、


 しばらく何も言わなかった。


 それから。


 へこんだ鍋の蓋を見下ろし、


 小さく笑った。


「……そうかもしれません」



 壊れた金具を応急処置し、


 荷車は再び動き始めた。


 ガルドは、


 また前へ立つ。


 今度は、


 誰も理由を尋ねなかった。



 夕方。


 ギルドへ戻ると、


 水晶には戦場守護者バトル・ウォーデンの文字が変わらず浮かんでいた。


 赤い波形は安定している。


 世界は、


 ガルドの役割が定着したと判断しているらしい。



 けれど。


 水晶には映っていないものがある。


 今日。


 ガルドが誰にも言われず、


 自分で前へ出たこと。


 役割に命じられたからではなく、


 目の前の誰かを守ろうとしたこと。


 世界が記録したのは、


 戦場守護者という名前だけだった。


 その名前を選び直した瞬間までは、


 どこにも刻まれていない。



 宿へ戻る道。


 ガルドが言った。


「トンヌラさん」


「なんだ」


「俺、明日も立ちます」


 大げさな宣言ではない。


 誰かに聞かせるためでもない。


 自分で決めたことを、


 自分の耳へ聞かせる言葉だった。



 俺は肩をすくめる。


「好きにしろ」



 命令ではない。


 期待でもない。


 ただ。


 選ぶ場所を、


 ガルドへ返す言葉だった。



 ここはレイアノーティア。


 世界は、


 ガルドへ役割を与えた。


 けれど今日。


 ガルドは、


 その役割を自分でもう一度選んだ。


 その選択は、


 水晶には映らない。


 だからこそ。


 誰にも奪えない。



 第7話 了

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