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ゴカイ無双-unlimited "gokai"endless  作者: フラグメント水沢
第1章 立つ者 自宅警備員

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第3話 立つだけの戦術

ここはレイアノーティア。


役目は人を座らせる。

だが、立たせる理由までは教えてくれない。



依頼は軽い見回りだった。


軽い、と書いてある依頼ほど信用できない。掲示板の紙はいつだって軽いが、重いのは現場だ。そういうことは、山にいた俺でもなんとなく分かる。


林道は静かだった。


静かすぎた。


鳥の声がない。風が葉を揺らさない。土の匂いだけが、妙に湿って残っている。


隣を歩いていたガルドが、ふいに足を止めた。


「……匂いが違います」


「森に匂いあったのか?」


「あります」


返事はすぐだった。だが声は沈んでいる。


「いつもは、動いてる匂いなんです」


意味は分からない。だが嫌な予感だけは共有できた。



出た。


藪の奥から、獣がぬっと顔を出す。昨日見たものより、ひと回り大きい。毛並みは荒れ、目は濁り、焦点が合っていないくせに、まっすぐこちらだけを見ている。


止まらない目だった。


ガルドの足が、半歩だけ下がる。


「逃げますか」


声が揺れていた。


「逃げたら?」


「助かるかもしれません」


助かる。


その言葉は甘い。だが甘いだけだ。今日ここで逃げたら、明日も同じことをする。明後日も、その次も、たぶん同じだ。


獣が一歩踏み込んだ。


地面が鈍く鳴る。


ガルドの肩が小さく震えた。


「俺、やっぱり無理です……」


本音だった。


山で十五年こもった俺と違って、ガルドは逃げながら外に出てきた人間だ。今ここに立ってはいるが、まだ“立つこと”を自分のものにしていない。


揺れている。



俺は言った。


「立て」


短く。


ガルドが顔を上げる。


「え?」


「お前は立ってれば負けない」


根拠はない。理屈もない。だが、あの立ち方だけは嘘じゃないと思った。


「戦えとは言わない。殴れとも言わない」


獣が低く唸る。


「立っていればいい」



ガルドは、すぐには動かなかった。


その顔の奥で、たぶん別の景色を見ている。


暗い部屋。閉じたドア。見慣れた天井。開けなかったカーテン。聞きたくもないのに耳に残る、「役に立たない」という声。


立っていなかった。


座っていた。伏せていた。縮こまっていた。


だから、負けたことにされた。


(立つだけで、いいのか)


ガルドの喉が動く。


「……立つだけで、いいんですか」


「ああ」


「負けないですか」


「立ってる限りはな」



獣が、もう一歩踏み込む。


距離が詰まる。


今度こそ逃げるか、前に出るか、そのどちらかしかない。


ガルドは息を吸い、そして前に出た。


足は震えている。膝も固い。それでも出る。棍棒を握る。鍋の蓋を持つ。だが振り上げない。構えもしない。


ただ――立つ。


それだけだった。



獣が、止まった。


唸る。牙を見せる。前脚で土を掻く。だが、それ以上の半歩が出ない。


見えない壁があるわけではない。剣が光ったわけでも、魔法陣が浮かんだわけでもない。


ただ。


前に、人がいる。


それだけで進みづらくなっているみたいに、獣はそこで足を止めた。


その光景は奇妙だった。


強さで押し返しているわけではない。威圧でもない。技でもない。だが、確かに“立っていること”だけで、そこに境界が生まれている。



ガルドは気づく。


(俺、逃げてない)


殴っていない。戦っていない。勝ってもいない。


それでも、逃げていない。


胸の奥が、わずかに熱を持った。


獣が後退る。


一歩。

また一歩。


そして、やがて森の奥へ消えた。



静寂。


遅れて風が戻る。止まっていた葉がようやく揺れ、張りつめていた空気が少しだけほどけた。


ガルドは、まだ立っていた。


「……終わりました?」


「ああ」


「俺、何もしてませんよ」


「立ってただろ」


「それだけです」


「それで十分だ」



ガルドは、ゆっくりと息を吐いた。


膝はまだ震えている。だが崩れない。さっきまでの“逃げたい”とは少し違う揺れ方だった。


「俺……立ってて、いいんですかね」


「今さら聞くな」


俺は言った。


「お前は立つ係だ」


「係……」


「専門職だ」


ガルドが、ほんの少しだけ笑った。



その瞬間だった。


空気が、ほんのわずかに遅れた。


何かが後から帳尻を合わせようとするような、微細な揺れ。世界の方が、今見た出来事に説明をつけようとしているみたいな、妙な間。


だが、何も起きない。


名も出ない。光も走らない。水晶もない。


世界は、まだ沈黙を選んでいる。



帰り道、ガルドがぽつりと言った。


「俺、怖いです」


「何が」


「今日、ちょっとだけ……逃げなかった自分が」


その言い方が妙に正直で、俺は少しだけ感心した。


変化は、優しくない。


一度立ったら、次も立たなきゃいけない気がする。それが怖い。昨日までの自分に戻れなくなるのが怖い。


たぶん、そういうことだ。


俺は肩をすくめた。


「たたかったら負けだと思ってるんで」


ガルドが吹き出す。


「それ、俺の台詞です」


「借りただけだ」



ここはレイアノーティア。


役目は人を座らせる。


だが時々――立った者の背後で、何かが遅れて動く。


まだ名前はない。

まだ定義もない。


だが、わずかな誤差は確かに生まれた。


それだけで、今日は十分だった。



第3話 了


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