第2話 たたかったら負けだと思ってるんで
ここはレイアノーティア。
整合された、完璧な世界。
人は役目に従い、
正しく並び、
正しく競う。
勝つ者と負ける者がいて、
物語は美しく回っていく。
――勝たない者の席は、
だいたい用意されていない。
⸻
冒険者ギルドの掲示板は、
思っていたより殺気立っていた。
討伐。
討伐。
討伐。
その隙間に、
申し訳程度の採取と護衛。
貼り出された依頼書は、
どれも似たような顔をしている。
要するにこの世界では、
強さは証明され、
勝利は数えられるらしい。
それが礼儀で。
それが正しさなのだろう。
⸻
俺は、
手の中の登録証を見下ろした。
トンヌラ。
職業――ネームレス。
刻まれた文字は薄く、
札そのものも軽い。
けれど。
前例なしという事実だけは、
やけに重かった。
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「討伐依頼を出してくれ」
受付へ戻ってそう言うと、
受付の女性は俺の登録証へ目を落とした。
ほんの一瞬だけ、
笑顔の奥に迷いが浮かぶ。
「仲間がいないと受注できません」
「なんでだ」
「規則です」
⸻
規則。
完璧な世界において、
たぶん最強の言葉だ。
単独行動は危険。
役割は分担。
失敗の可能性は最小限へ。
合理的で。
正しくて。
反論しづらい。
だが。
反論できないことと、
納得できることは別だった。
⸻
「じゃあ、仲間を探す」
「見つかるといいですね」
受付の女性は、
柔らかな声で硬い現実を渡してきた。
⸻
三十分後。
仲間は見つからなかった。
というより。
声のかけ方が分からない。
山に十五年こもっていると、
そういう社会的な初歩から怪しくなる。
「なあ、俺と一緒に――」
話しかける前に目を逸らされる。
別の集団へ近づけば、
ちょうど会話が終わる。
偶然にしては、
全員の連携が良すぎた。
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「ネームレスだってよ」
「戦闘能力ゼロの?」
「前例なしって、逆に怖くないか?」
「荷物持ちにもならなそうだな」
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聞こえている。
完璧な世界は、
陰口まで妙に整っている。
(……詰んでね?)
十五年かけて育てた確信が、
少しずつ溶けていく。
俺は強くない。
役割もない。
実績もない。
あるのは、
前例なしという空白だけだ。
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その時。
壁際に立っている男が目に入った。
背が高い。
細い。
鎧はない。
剣もない。
空いている椅子はあるのに、
座ろうともしない。
だからといって、
誰かへ話しかける様子もなかった。
ただ。
そこに立っている。
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人が横を通っても動かない。
壁へ寄りかかりもしない。
逃げる準備でも、
戦う構えでもない。
ただ立つという行為だけが、
妙に身体へ馴染んでいる。
俺は、
その男へ近づいた。
「……仲間、探してるのか?」
男の肩が、
びくりと跳ねる。
「は、はい」
声は小さい。
けれど、
足は動かなかった。
「俺はトンヌラ。職業はネームレス」
「が、ガルドです。職業は……自宅警備員で」
⸻
同業者だった。
正確には、
俺は元自宅警備員。
ガルドは現役。
先輩と後輩のどちらになるのかは、
判断が難しい。
⸻
自宅警備員。
それは、
世界の底の方で静かに光る職業だ。
誰も褒めない。
冒険者向きでもない。
守っているはずの家から、
本人が守られている場合も多い。
少なくとも、
俺はそうだった。
⸻
「討伐へ行きたいんだけど、一緒に来ないか」
ガルドは、
即座に首を振った。
「む、無理ですよ」
「なんでだ」
少し間があった。
それから。
ガルドは真剣な顔で言った。
「たたかったら、負けだと思ってるんで」
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冗談ではないらしい。
その言葉には、
妙な重さがあった。
「どういう意味だ」
ガルドは視線を落とした。
「外に出ると、すぐ決められるじゃないですか。強いとか弱いとか。役に立つとか立たないとか。家にいれば、少なくとも負けたとは決められないので」
気持ちは、
少し分かった。
勝負の場所へ行かなければ、
負けは確定しない。
何もしなければ、
失敗もしない。
俺も長いあいだ、
そうやって自分を守っていた。
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「でも、立ってるだけなら」
ガルドは、
自分の足元を見る。
「まだ負けてないんです」
⸻
俺は、
改めてガルドの立ち方を見た。
重心が低い。
無駄に動かない。
前へ出る気配はないが、
簡単に崩れそうにも見えない。
立つという行為だけに、
妙に最適化されている。
「……それ、才能だぞ」
「え?」
「お前が立ってる場所だけ、空気が少し安定してる」
「そんなわけないですよ」
「本当だ。半径一歩くらい」
「狭くないですか?」
「最初はそんなもんだろ」
根拠はない。
だが、
何もしていないにしては、
存在感が妙に働いている。
⸻
「俺よりましだ」
登録証を見せる。
「前例なしだぞ」
ガルドは、
そこに刻まれた《ネームレス》の文字をじっと見た。
笑われるかと思った。
だが。
「ちょっと、かっこいいですね」
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救われた。
この男、
たぶんいいやつだ。
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「一回だけでいい」
俺は言った。
「戦わなくていい。後ろに立っててくれればいい」
「立つだけで?」
「ああ。立つだけで」
戦えとは言わない。
勝てとも言わない。
ただ、
同じ場所へ並ぶだけだ。
⸻
ガルドは迷っていた。
逃げたい気持ちと。
すでに家の外へ出てしまった事実が、
顔の上でぶつかっている。
やがて。
小さく頷いた。
「……それなら」
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完璧な世界の列に、
ほんの小さな隙間ができた気がした。
⸻
受付へ戻る。
「仲間、見つかりました」
受付の女性が、
俺の後ろへ目を向けた。
「職業は?」
「自宅警備員です」
笑顔が、
一瞬だけ固まった。
「規則上は……問題ありません」
「だろ?」
胸を張る。
根拠はないが、
勢いならある。
⸻
渡された依頼書には、
森道の見回りと書かれていた。
討伐ですらない。
危険度も低い。
初心者二人には、
ちょうどいい仕事らしい。
勝つための依頼ではない。
けれど。
外へ出る以上、
何かに負ける可能性はある。
⸻
街を出て、
しばらく歩いたところで。
ガルドが尋ねた。
「勝てますか」
⸻
「勝たない」
「え?」
「負けなきゃいい」
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ガルドは首を傾げる。
俺は空を見上げた。
普通の空だった。
普通すぎて腹が立つくらい、
いつも通りの空だ。
「見回りなんだから、勝つ相手なんていないだろ。何かが出ても、帰ってこられれば負けじゃない」
「それは、勝ったことにはならないんですか」
「違う」
「どう違うんです?」
「……たぶん違う」
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自分でも、
うまく説明できない。
だが。
勝とうとすれば、
勝てなかった時に負けになる。
最初から勝ちを目指さなければ、
まだ別の道が残る。
戦うか。
逃げるか。
立つか。
それを決める余地がある。
⸻
「お前が言ったんだろ」
俺はガルドを見る。
「立ってるだけなら、まだ負けてないって」
ガルドは、
しばらく黙っていた。
やがて。
少しだけ困ったように笑う。
「……変な人ですね」
「お前に言われたくない」
⸻
同じ時刻。
ギルドの奥に置かれた水晶が、
かすかに明滅した。
誰も触れていない。
誰も気づかない。
ただ。
記録だけが、
静かに書き換えられる。
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《N-LESS:同行者確定》
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名。
仲間。
依頼。
順序は正しい。
今はまだ、
何も狂っていない。
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ここはレイアノーティア。
勝つ者と、
負ける者で回る世界。
けれど今日。
戦闘能力ゼロの男と、
たたかったら負けだと思っている男が、
同じ道へ並んだ。
勝たないと決めた二人の誤差が、
どこまで広がっていくのか。
まだ、
誰も知らない。
⸻
第2話 了




