表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第3章 治す者 ペットシッター

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/54

第29話 戻りなさい

 ここはレイアノーティア。

 名は人を座らせ、役目は人を歩かせる。


 だが、ときどき世界は順番を間違える。

 倒れるはずのところで踏みとどまり、

 届かないはずのところで、手が届く。


 そういう瞬間だけは、

 世界の方が少し遅れる。



 朝の空気は、最初からおかしかった。


 昨日の夜の“保留”は、何ひとつ解決していない。

 それを全員が、言葉にしなくても知っていた。


 馬は落ち着かない。

 コムギはキョロキョロする回数が多い。

 ガルドは常に立っているみたいな顔をしている。

 トンヌラは腕を組んだまま、かなり本気で考えていた。


 フィーだけが静かだった。


 静かであることが、逆に危うい。


「……フィーさん」

 コムギが少し遠慮して呼ぶ。

「はい」

「大丈夫、ではないですよね」

「はい」

「ひえ…」

「でも、動けます」

「補給は任せてください……」


 コムギはそう言って少しだけ頷いた。


 ガルドが低く言う。


「俺も、今日は最初から嫌な感じがしています」

「分かるんですか?」

「理屈ではないです。でも止まらないやつです」



 トンヌラは前を見たまま言った。


「なら今日は、最初から迎え打つ前提で動くぞ」

「団長さん、それっぽいです」

「今日は、じゃない。わりと本気だ」

「本気なんですね……」

「俺はいつも本気だ」

「そこが怖いんですよ」


 そのやり取りの最中、ぽめが小さくあくびをした。

 のんきだった。

 のんきすぎて、逆に不穏ですらある。


 フィーの視線が一瞬ぽめへ向く。

 すぐに戻る。


 守りたい。

 その感情だけが先に立つ。

 それが怖い。

 守りたいものがあるほど、自分の“届かなさ”を思い知るからだ。



 進んで一時間もしないうちに、気配は濃くなった。


 昨日より早く、より気配が近い。

 遠慮はない。


 左手の藪が揺れる。

 正面の茂みで草が倒れる。

 後方にも、足音が重なる。


 フィーが息を止めた。


「……来ます」

「何匹です?」

 ガルドが聞く。

「多いです」

「今日はもう、その言葉だけで十分です」

「ありがとうございます」

「褒めてないです!」


 コムギが反射で返した瞬間、前方の茂みから一体目が飛び出した。


 狼型。

 昨日の群れと同じ系統だ。

 だが、その後ろにさらに二、三。

 散っていない。まとまっている。


「下がってください」

 ガルドが前へ出る。


 赤い境界が生まれる。


 魔物が飛びかかろうとして、ほんのわずかに迷う。


 ガルドは動かない。

 押し返さない。

 ただ、ここから先へは行かせない覇気が、魔物をたじろがせる。


「コムギさん、右です」

「わ、分かりました!」


 コムギが荷を抱えてずれる。

 トンヌラは半歩だけ位置を変える。

 何もしていないのに、やたらと中心に見える位置へ。


(無事に帰れたら、美味しい肉を食べよう。いや魚か?)


 内心だけが忙しい。


 フィーは、呼吸を読む。


 前の一体が浅い。

 左の一体は焦れている。

 後ろの気配はまだ様子見。


「え……」


 声が漏れた。


 おかしい。

 見えているのに、読んだ通りに来ない。


 その瞬間、胸の奥の古傷がひどく冷たく疼いた。



 その後は、あっという間だった。


 前から来る。

 横から寄る。

 少し下がれば、別の個体が詰める。


 大きな一撃はない。

 だが、小さい判断を何度も強要される。


 それが一番すり減る。


 ガルドが立ち続ける。

 一体が嫌がって退けば、別の一体がくる。

 それでも立つ。


 コムギは「ちょっと待ってください!」「多いですって!」「これ聞いてないです!」と叫びながら、水と簡易補給を配る。

 トンヌラは腕を組み、偉そうなまま前を見ている。

 何もできないことを、表情に出さないために。


 フィーは、読み続ける。


 呼吸。

 視線。

 踏み込み。

 性質。

 興奮。


 だが今日は、その先が足りない。


 まただ。


 理解できるのに、届かない。


 多すぎる。

 ずれすぎている。

 間に合わない。


 昔もそうだった。


 怪我をした人がいた。

 傷ついた生き物がいた。

 犬が震えていた。


 大丈夫。

 落ち着いて。

 今見るから。

 そう言って、自分は“見る”ことしかできなかった。


 治せなかった。

 助けられなかった。


「フィーさん!」

 コムギの声で、今に戻る。


 コムギは泣きそうな顔のまま、でも鍋を離していない。

 ガルドは呼吸を乱しながらも立っている。

 トンヌラは、何もしていないくせに、妙にここにいる。


 一人じゃない。


 それは分かる。

 でも、自分の手はまた届かないかもしれない。



 魔物の一体が、ぽめの方へ視線を向けた。


 その瞬間、フィーの中で何かが切れた。


「だめ……!」


 自分でも驚くほど大きな声だった。


 全員が一瞬、そちらを見る。


 ぽめは小さい。

 白い。

 丸い。

 昨日と同じように眠そうな顔をしている。


 守れなかったあの子。


 助けられなかった。


 何が起きているかも、どこから崩れるかも、見えていたのに。


 また同じ。


 (誰も失いたくない)


 この子も。

 もう、ああいう顔は見たくない。


 でも、自分は――



 トンヌラが、そこで一歩だけ前へ出た。


 何もできない。

 でも、今ここで引くわけにはいかない。


 腕を組み直し、声を落とす。


「覚悟、完了……!」


 低く、はっきりと。

 空気が一瞬だけ止まる。


 フィーは目を見開き振り向いた。


 その言葉は命令ではなかった。


 「今ここで選べ」


 背を押す声だった。


 フィーの喉が震える。


 怖い。

 自信もない。

 また届かないかもしれない。

 見えているだけで終わるかもしれない。


 それでも。


 それでも、今ここで手を伸ばさなければ、

 自分はまた“理解できただけ”で終わる。


「……覚悟、完了……!」


 小さな声。

 だが、折れない声だった。


 トンヌラの目が、まっすぐフィーへ落ちる。


「お前は、命の呼吸を知る者」

「……」

「理解するだけで終わる者ではない」

「……っ」

「乱れた生を、律動へ戻す者」


 風が鳴る。

 魔物の呼吸が、一瞬だけ揺らぐ。


息を吐き、静かに告げる。


「お前は《バイオ・チューナー》――フィーだ」



 一瞬の硬直。そしてゆっくり、手を広げた。


 やさしく手を伸ばす。


「元のあなたたちに――戻りなさい」


 その声は静かだった。

 命令ではなく、祈りに近い。

 けれど祈りで終わらない、届く声だった。


 フィーは舞うように、周囲の空気へ触れる。


 指先がなぞった場所から、空気がやわらかな音を持つ。

 張りつめていたものが、少しずつほどけていくような音だった。


 魔物たちの呼吸が整う。

 荒く、浅く、攻撃的に波打っていた息が、少しずつ静まっていく。


 目の赤みが引く。

 逆立っていた毛並みが、わずかに落ち着く。

 踏み込むために固めていた前脚が、平静のために止まる。


 魔物が一匹、低く息を吐いた。


 威嚇ではない。

 張りつめていたものが抜ける音だった。


 次の一匹が後ずさる。

 その次も、唸りをやめる。

 群れ全体の興奮が、連鎖するように静まっていく。


 ガルドが目を見開く。


「体が……軽い」


 前に立ち続けていた肩から、ほんの少しだけ余計な力が抜けていた。


 コムギが鍋を握りしめたまま、ぽかんと呟く。


「心が……ほどけてる」


 自分でも驚くほど、胸の内側のこわばりが和らいでいた。

 怖さが消えたわけじゃない。

 でも、怖さだけで全部が埋まる感じではなくなっている。


 ぽめは――寝た。


「……すぴ」


 最強の無責任だった。


 トンヌラは腕を組んだまま、内心だけで呟く。


(何かした)

(いや、フィーがした)

(でも今の、すごかったな……)


 魔物たちは一匹ずつ、森の奥へ引いていく。


 昨日の“保留”とは違う。

 今度は明らかに、落ち着きを取り戻して離れていく。


 静寂が戻った。



 誰も、すぐには喋れなかった。


 最初に口を開いたのは、やはりコムギだった。


「……え、え、え?」

 それしか出ない。

「分かるように言ってください!」

「私も分からないです! でもすごかったです!」

「雑だな」

 トンヌラが言う。

「団長が言わないでください!」


 ガルドがゆっくり息を吐く。


「……引きました」

「はい」

 フィーが答える。

「落ち着いたように見えました」

「そう、だと思います」

「できたんですね」

「……はい」


 フィーは、自分の手を見た。


 震えている。

 でも、届いた。


 全部ではない。

 何でも治せるわけでもない。

 失った命が戻るわけでもない。

 あの時の犬が帰ってくるわけでもない。


 それでも今、自分は、理解した上で触れられた。


 トンヌラがぼそりと言った。


「見えていただけじゃ、なくなったな」

「……」

「それで十分だろ」

「そうでしょうか」

「本質だ」

「それを雑に言うんです」

「団長さん、今日はちょっとだけずるいです」

「今日は、とは何だ」


 フィーが、そこで初めて少しだけ笑った。


 泣きそうな笑い方だった。

 でも、笑っていた。



 その夜。


 遠く離れたギルドの水晶が、かすかに遅れて揺れる。


《FEE:バイオ・チューナー》


 記録係が目を瞬かせる。

 まただ。

 また、“後から”だった。


 白い部屋の水晶卓でも、線がわずかに形を変える。


 ノインが、それを見て目を細めた。


「……確定しましたか」

 リリカが息を呑む。

「はい」

「うわあ、まただ……」

「そうですね」

「そこは否定してほしかったです」


 だがノインは、否定しなかった。


 嫌な予感は、だいたい当たる。

 そして当たった時には、もう遅い。



 野営地では、コムギが鍋を抱えてまだ興奮していた。


「いや、でも、今のすごかったですよ!? すごかったですよね!?」

「すごかったです」

 ガルドが頷く。

「ですよね!?」

「はい」

「フィーさん、すごいです!」

「……まだ、全部じゃないです」

 フィーが小さく言う。

「でも届きました」

「はい」

「じゃあ今日はそれでいいです!」


 コムギのその言葉が、妙にまっすぐ胸に入る。


 今日はそれでいい。


 全部じゃなくていい。

 完璧じゃなくていい。

 届いた分だけでいい。


 それは、フィーが一番自分に言えなかった言葉だった。


 ぽめは少し離れた場所で、また丸くなっている。

 眠そうだ。

 何事もなかったみたいな顔で。


 フィーはその姿を見て、小さく息を吐いた。


「……守れた」

 誰に聞かせるでもなく、そう呟く。


 トンヌラは何も返さなかった。

 返さないまま、火を見た。


 ここはレイアノーティア。

 役目は、最初から与えられるものではない。


 折れかけた時、

 もう駄目かもしれないと思った時、

 それでも何かを守りたいと選んだ瞬間に、

 後から追いついてくるものだ。


 理解できたのに、届かなかった後悔。

 その痛みと想いが“届く力”へ変わる夜もある。



 第29話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ