第14話 重くなる空気
ここはレイアノーティア。
名は人を座らせ、役目は人を歩かせる。
だが世界は、ときどき“歩く速さ”だけを先に変える。
理由は後から整う。整う頃には、だいたい余裕がない。
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補給任務の四日目。
道は相変わらず書類の上では「比較的安全」だった。
一匹ずつは弱い。致命傷にはならない。だからこそ厄介だった。
追い払い進む。また追い払う。切り替えからの切り替え。集中を切らされる回数が増えるほど、苛立ちが募る。
刃物が当たらない苛立ちではない。自分の呼吸が乱れる苛立ちだ。
別班の冒険者が短剣を振り、舌打ちをする。
「……ちっ、またかよ」
小獣は逃げる。
次の影が茂みで揺れ、「またか」が重なる。
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休憩。
誰も大きな声を出さない。
その代わり、空気だけが重い。重い空気は捌け口を探す。
――そしていちばん弱そうなところへ落ちる。
もちろんコムギだった。
見た目は小柄な女の子だ。男たちも文句を言いやすい。
――だから狙われる。
「なあ、補給」
別班の男が言った。
声は荒れていない。けれど、言葉が荒い。
「今日の飯、少なくないか」
コムギが顔を上げる。
一瞬、目が揺れる。揺れたまま、背筋を伸ばす。
「消耗が増えてるので、少し我慢してください」
「それはわかってる。だからどうにかしろって言ってんだろ」
別の男が被せる。
「塩が足りねえ。甘いのも足りねえ。つーか、腹が減る」
それは要望ではなく、八つ当たりだった。
八つ当たりは理屈じゃない。コムギは言葉を選ぶ。正論を言えば燃えるし、黙れば潰れる。どちらも嫌だ。
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そこで、トンヌラが腕を組んだまま言った。
「文句があるなら、前に出て食材でも守れ」
声は低い。
怒鳴っていない。命令でもない。
ただ、“線”だけが引かれる。
別班の男が、視線をトンヌラへ向ける。
渋い顔になる。苛立ちが、別の形へ変わる。
――ネームレス。
――前例なし。
――名を預かる者。
彼らの中では、もう誤解が出来上がっている。
「強いに決まっている」という誤解が。
逆らって何か起きたら面倒だから、逆らえない空気があった。トンヌラがこの集団の中心に落ち着いていた。何が起きるか分からないのが、いちばん怖い。
「……ちっ」
男が舌打ちして、目を逸らす。
「分かったよ。変な責任押しつけて悪かった」
謝罪の形はしているが、納得はしていない。
ただ、従っただけだ。
コムギが小さく息を吐く。
助かった、ではない。燃え広がらなかった、という息だ。
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苛立ちの火は、完全には消えない。
消えないまま、足だけが前へ進む。
ガルドは前に立つ。
いつもより口数が少ない。立つことでしか、空気を支えられない顔だ。
コムギは歩きながら荷を見直していた。
荷の中身より、自分自身を。
(減らせるの、私しかない)
そういう目をしている。
昼の鍋は気づかれないように、さりげなくコムギは自分の椀を、半分だけにした。トンヌラは、すぐに気付いた。何もしてないから周りの変化にも気づくのだ。
「おい」
トンヌラが言う。
コムギがびくっとして振り向く。
「……何ですか」
「お前の量、減らすな」
コムギは一瞬、言い返しかけて止まる。
言い返したら、また“重い空気”が動く。
「でも……材料が……」
トンヌラが被せる。
「俺の量を減らせ」
「え」
「俺は何もしてない。減らしても影響がないだろう」
雑な理屈だった。でも不器用な優しさの言葉だった。コムギは即座に首を振る。
「団長……」
「団長じゃない」
即答。
その上で、トンヌラは続けた。
「お前は要だろ」
短い一言で、逃げ道を塞ぐ。
「食べれる時に食え。食うのも仕事だ」
コムギの目が丸くなる。
言われ慣れていない言葉だった。
“食べるのが仕事”。
誰もそんなふうに言ってくれなかったのだろう。
褒められるより、ずっと効く言い方だ。
「……でも」
まだ迷いが残っている。
トンヌラは、いつもの雑さで押し切る。
「お前が倒れたら、全員が倒れる。そういう状況になっている」
配置と役割。
世界の言葉で、コムギの価値を言い直す。
コムギは、小さく息を吸って――椀を持ち上げた。
「……分かりました」
そして、ちゃんと食べた。
食べる動作が、少しだけ震えている。
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夜。
火が落ち着き、鍋の匂いが薄くなった頃。
コムギがトンヌラの隣へ来た。
近くに座らない。わざと少し離れて立つ“距離を守る癖”が見える。
「……トンヌラさん」
声が小さい。
「想像以上に消耗が激しいです」
黙って頷く。
「材料が……足りないかもしれません」
言った瞬間、彼女の肩が落ちた。
弱音を吐くのは、負けだと思っている落ち方だ。
トンヌラは腕を組んだまま、あっけらかんと言う。
「じゃあ休憩のたびに、野草でもキノコでも拾えばいいだろ」
「……え?」
「食えるやつ探せばいい。山育ちだし、俺」
自慢でもないし作戦でもない。
ただ、“足りないなら足す”という乱暴な直線。
その乱暴さが、妙に効いた。
コムギの目の端の力が、少しだけ抜ける。
笑うほどではない。けれど、固まり方が緩む。
「……そんな簡単に」
「簡単じゃないけど、やることは増やせる」
トンヌラは空を見上げる。
「お前はよくやってくれている。俺はまだ何もしてないからな」
根拠はない。
でも、彼はいつもその言い方をする。
そして今のところ、問題は起きていない。
コムギは鍋を抱き直した。
抱き方が、昨日より少しだけ自然だった。
「……分かりました。探します。食べれるやつ」
「ちゃんと食うんだぞ」
「そこはちゃんとします!」
怒る元気が戻った。
その元気が戻るだけで、夜の空気は少し軽くなる。
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火が消えかける。
別班の方ではまだ誰かの舌打ちが聞こえた。
苛立ちの余熱は残る。
だが、少なくとも“今日のぶつけ先”は変わった。
コムギへ落ちるはずだった重みが、
トンヌラの雑な一言で、少しだけ横に逃げた。
その逃げた先が、明日どこへ向かうのか。
トンヌラは分かっていない。
分かっていないのに、喉だけが乾く。
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トンヌラたちから離れた班の冒険者がぼやく。
「こんなに荒れている街道、今まで経験したことがない。どうしちまったんだろう」
その違和感はまだ違和感でしかない。しかし、確実に一行の体力を蝕んでいった。
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ここはレイアノーティア。
不足は、誰かの責任にされやすい。
だからこそ、足りないまま進むには、
“責任の受け皿”が必要になる。
その受け皿に、今――小柄な補給担当がなりかけている。
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第14話 了




