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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第2章 支える者 管理栄養士

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第13話 小さなズレ

 ここはレイアノーティア。


 大きな異変なら、


 誰にでも見つけられる。


 危ないのは。


 間違いと呼ぶほどではない、


 小さなズレだ。


⸻


 補給任務の三日目。


 朝の時点では、


 何も問題はなかった。


 空は晴れている。


 風も穏やかだ。


 街道の状態も、


 書類に記された通りだった。


⸻


 朝食を終えると、


 コムギは帳簿を開いた。


「昨日までの消耗は予定の範囲内です。今日も同じ速度で進めば、日が暮れる前に次の野営地点へ着けます」


 そう言って、


 全員の水と食料を確認する。


 水袋。


 塩。


 乾燥豆。


 干し肉。


 麦粉。


 どれも、


 必要な量がきちんと残っていた。


「今日も無理せず進みましょう。喉が渇く前に水を飲んで、疲れる前に休んでください」


「疲れてからでは遅いんだな」


 俺が言うと、


 コムギは真剣に頷いた。


「疲れてから休むのは回復です。疲れる前に休むのが管理です」


「難しいことを言うな」


「当たり前のことです!」


⸻


 隊列は、


 予定通りに出発した。


 ガルドが前方を歩く。


 俺は荷車の脇。


 コムギは、


 歩きながら隊列全体を見ていた。


⸻


 最初の小獣が現れたのは、


 出発して間もなくのことだった。


 草むらから顔を出し、


 こちらの荷物へ鼻を向ける。


 魔物と呼ぶには小さい。


 だが、


 放っておけば食料袋を狙うかもしれない。


「右側にいます」


 ガルドが知らせる。


 前へ立つと、


 小獣はすぐに身を翻して逃げた。


⸻


 誰も傷つかない。


 足も止まらない。


 大した出来事ではなかった。


⸻


 その少しあと。


 また一匹。


 今度は、


 荷車の後ろから近づいてきた。


 同行する冒険者が追い払う。


 さらに進むと、


 岩陰から別の一匹が姿を見せた。


⸻


 どれも弱い。


 戦闘と呼ぶほどではない。


 剣を一度振るか。


 大きな声を出すか。


 ガルドが前へ出るだけで、


 すぐに逃げていく。


⸻


 それでも。


 進んでは止まり。


 追い払っては歩き直す。


 その繰り返しが、


 隊列の呼吸を少しずつ乱していった。


⸻


「……また来ます」


 ガルドが呟く。


 前方の茂みが揺れていた。


「今度は立つ必要がありますか?」


 コムギが聞く。


 ガルドは、


 しばらく茂みを見た。


「小さいです。こちらへ来なければ、そのままで」


「はい。全部を止めようとしないでください。立つだけでも体力は使いますから」


「立っているだけでもですか?」


「筋肉は無料では動きません」


「筋肉にも料金がかかるらしいぞ」


 俺が言うと、


 ガルドは自分の太くなった腕を見た。


「高そうですね」


「だから、ちゃんと食べてください!」


 コムギの声だけは、


 まだ元気だった。


⸻


 昼を過ぎてから、


 短い休憩に入った。


 全員が道の端へ腰を下ろす。


 大きな怪我はない。


 歩けない者もいない。


 ただ。


 昨日より少しだけ、


 口数が減っていた。


⸻


「小獣、多くないか」


 同行する冒険者が、


 水を飲みながら呟いた。


「一匹ずつは弱いけど、何度も止められると疲れるな」


「安全な街道って聞いてたんだが」


「襲われてるわけじゃない。まだ安全だろ」


 誰かが答える。


 間違ってはいない。


 誰も傷ついていない。


 荷物も奪われていない。


 だから。


 今のところは、


 安全だった。


⸻


 少し離れたところで、


 コムギが水袋を並べていた。


 一つずつ持ち上げる。


 残っている量を確かめ、


 帳簿へ書き込む。


 塩の袋も。


 干し果実も。


 同じように確認する。


⸻


 手つきは、


 いつもと変わらない。


 けれど。


 同じ水袋を、


 もう一度持ち上げた。


⸻


「どうした」


 声をかけると、


 コムギは帳簿から顔を上げた。


「……水の減りが、少し早いです」


「暑いからじゃないのか」


「気温は昨日とほとんど変わりません。歩いた距離も予定通りです」


 全員の水袋へ、


 もう一度視線を向ける。


「誰かが飲みすぎたわけでもありません。全員が、予定よりほんの少しずつ多く消耗しています」


⸻


「小獣のせいか?」


「止まる回数が多いので、その影響はあります。でも……」


 コムギは、


 帳簿の数字を指でなぞった。


「それだけでは、少し合いません」


⸻


 少し。


 足りないわけではない。


 今すぐ困る量でもない。


 全員が、


 あと少しだけ水を多く飲んだ。


 それだけの違いだった。


⸻


「計算を間違えたとか」


 俺が言うと、


 コムギはすぐに首を振った。


「計算は合っています」


「なら問題ないんじゃないか?」


「合っているから、おかしいんです」


⸻


 言葉は静かだった。


 けれど。


 いつもの明るさは、


 少しだけ薄れていた。


⸻


 コムギは、


 午後からの配分を書き直した。


「休憩を少し増やします。小獣は、近づいてきた個体だけ追い払ってください。必要がなければ、立ち止まらずに進みましょう」


「到着が遅れないか?」


 冒険者の一人が尋ねる。


「休まず進んで全員の歩幅が落ちる方が遅れます。今は、消耗を増やさないことを優先します」


 迷いなく言い切った。


 誰も反対しなかった。


⸻


 再び歩き出す。


 小獣は、


 そのあとも現れた。


 茂み。


 岩陰。


 道の端。


 こちらを窺い、


 少し近づき。


 追い払われると逃げていく。


⸻


 ガルドは、


 全部に反応しなかった。


 必要な時だけ前へ出る。


 ほかの冒険者たちも、


 追いかけすぎない。


 コムギが決めた通り、


 できるだけ消耗を抑えて進んだ。


⸻


 それでも。


 夕方の休憩で確認すると、


 水はまた、


 予定より少し多く減っていた。


⸻


 コムギは何も言わなかった。


 ただ。


 水袋を持つ指だけが、


 わずかに強くなっていた。


⸻


「まだ足りるのか」


 俺が聞く。


「はい。今すぐ問題になる量ではありません」


「なら、大丈夫か」


 コムギは、


 すぐには頷かなかった。


「今は、大丈夫です」


⸻


 今は。


 その言葉だけが、


 妙に残った。


⸻


 日が暮れる前に、


 予定していた野営地へ着いた。


 大きな事故はない。


 怪我人もいない。


 荷物もすべて残っている。


 書類へ記録するなら、


 順調な一日だった。


⸻


 夜。


 全員が食事を終えたあと。


 コムギは焚き火のそばで、


 帳簿を開いていた。


 予定した消耗。


 実際の消耗。


 二本の線を引き、


 その間をじっと見つめる。


⸻


 差は小さい。


 指一本にも満たない。


 それでも。


 朝より、


 少しだけ広がっていた。


⸻


「そんなに気になるのか」


 俺が尋ねると、


 コムギは帳簿から目を離さずに答えた。


「小さいズレは、一人なら小さいままです。でも、人数ぶん重なって、それが何日も続いたら……最後には、一人ぶんがなくなります」


⸻


 水も。


 食事も。


 体力も。


 誰か一人が大きく間違えたわけではない。


 全員が、


 ほんの少しずつ予定から外れている。


⸻


 誰の失敗でもない。


 だからこそ。


 どこを直せばいいのか、


 分からない。


⸻


 コムギは帳簿の端へ、


 小さく文字を書いた。


⸻


【原因不明】


⸻


 しばらく見つめ。


 その文字へ線を引く。


 代わりに、


 こう書き直した。


⸻


【要確認】


⸻


「原因が分からないのに?」


「分からないから、見ます」


 コムギは、


 帳簿を静かに閉じた。


「小さいうちに気づけたなら、まだ間に合いますから」


⸻


 焚き火が、


 乾いた音を立てた。


 遠くの茂みで、


 何かが動く。


 小さな気配。


 すぐに消える。


⸻


 誰も倒れていない。


 誰も判断を間違えていない。


 コムギの配分も、


 計算通りだった。


 それでも。


 何かが、


 予定より少しずつ減っている。


⸻


 ここはレイアノーティア。


 崩れは、


 いつも大きな失敗から始まるとは限らない。


 誰も間違えていないまま。


 誰にも気づかれないほど少しずつ。


 正しいはずの道が、


 静かにずれていくこともある。


⸻


 第13話 了

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