第11話 補給はだいたい正義
ここはレイアノーティア。
名は人を座らせ、役目は人を歩かせる。
だが世界はよく忘れる。
歩く前に——人は腹が減るという、どうしようもなく単純な真理を。
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ギルドの食堂は、昼の戦場だった。
鍋の蓋が鳴り、木の皿がぶつかり、冒険者たちの胃袋が理不尽に吠えている。
その隅で——コムギは世界で一番まじめな顔をして立っていた。
姿だけ見れば、どう見ても「子ども」だ。
だが本人は、紙面の数字しか見ていない。
「塩分足りない。水、多すぎ。糖分…少なすぎる……」
まるで魔王軍と戦うみたいな目で、鍋とメモを交互ににらむ。
《ガルドさん:水多め》
《何もしてない人:よく分からない》
「……何もしてない人って、どういうこと?」
世界の七不思議みたいな疑問だった。
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その“何もしてない人”は、宿の前であくびをしていた。
「今日も依頼だな、ガルド」
「はい……できれば軽いやつで……」
ガルドはまだ昨日の出来事を信じ切れていない。
“立ってるだけで魔物を返した男”——という妙な称号だけが、先に一人歩きしている。
「俺、本当に立ってただけなんですけど……」
「世界ってだいたい、立ってるだけの奴を伝説にするからな」
トンヌラは腕を組む。
本人が一番、その言葉を信じていない顔で。
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ギルド本部からの呼び出しがあったのは、そんな朝だった。パーティに補給担当を同行させて欲しいとのことだ。
「新人ですが……現場の食糧管理を彼女に任せてください」
そのすぐ後ぴょこん、と小柄な少女が現れる。
髪はショートで、深く帽子を被っている。小柄で幼さの残る容姿だ。
背中にはバランスの悪い大きなリュック。口のあたりから、おたまが一本、堂々とはみ出している。
「はじめまして!」
元気よく頭を下げる。
「コムギです! 職業は管理栄養士です!」
胸を張った。
戦士でも魔法使いでもないのに、やけに誇らしげだ。
「栄養管理なら負けません。お腹と気持ちは、私の管轄です!」
トンヌラは、コムギを見下ろして固まった。
(子ども……?)
口が勝手に出る。
「……おい。子どもを同行させられたんだが」
コムギの額に青筋が一本立つ。
「子どもじゃありません!」
リュックの揺れを押さえ、真っすぐ言い切った。
「心も体も立派な大人のレディです!」
勢いだけは立派な戦士だった。
ガルドが慌てて頭を下げる。
「す、すみません……」
トンヌラも、遅れて咳払いをする。
「……悪い。見た目が反則だ」
「褒めてませんよね!?」
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依頼は単純な補給任務だった。
アークレイドから南へ。ヴァルミオン寄りの拠点まで、早くて4、5日。
比較的安全な上、最近魔物の出現も少なく街道は安全な経路である。
書類だけ見れば、眠気を誘うほど地味な仕事。
——の、はずだった。
歩き始めて数時間。
コムギが突然、世界の終わりみたいな顔で止まった。
「だめです」
「何が?」とガルド。
「この配分、だめです」
荷袋を開き、真顔で宣言する。
「このまま行くと、到着前に三人とも“やる気の栄養失調”になります」
「そんな病名あるのか?」とトンヌラ。
「今つくりました!」
作るのは食事だけではなかった。
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コムギはその場にしゃがみ込み、手早く荷を仕分け始める。
干し肉。
乾燥豆。
塩。
麦粉。
保存の利く根菜。
あり合わせだが、あり合わせでも組み方はある。
「ガルドさんは水多めで塩は控えめ。でも切らさない。立ち続ける人は緊張で喉が渇くので、先にそこを守ります」
ガルドが目をぱちぱちさせる。
自分のことを“立ち続ける人”として扱われるのに、まだ慣れていない顔だった。
「トンヌラさんは――」
そこでコムギの手が止まる。
じっと見る。
細いわけではないが、かといって筋肉質でもない。無駄に堂々としているが消耗の癖がまるで読めない。
「……よく分からないので、全部普通で」
(雑じゃない??)
顔に出てしまったのか、コムギは続ける。
「わからない時は無理にいじらないのも大事なんです!」
それは核心をついた判断だった。
補給は攻めるだけが正解ではない。分からない相手には下手に調整しない方がいい時もある。
鍋に火がかかる。
湯が鳴り、香りが立つ。
ただの即席鍋だが、手つきには無駄がなかった。
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一口目にトンヌラが、思わず呟いた。
「うまい」
「でしょ!」
ガルドも目を丸くする。
「体が軽い……立ちやすい……!」
立ちやすい、という新概念が増えた。
コムギは胸を張る。
「補給は正義です」
正論すぎて反論できない。
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その直後だった。
街道の向こうから、いかにもな盗賊の集団が現れた。
刃こぼれした短剣。汚れた革鎧。そして他勢による薄い自信。
「おい、その荷物置いてけ」
コムギが小さく息を吸う。
「ご飯は……渡しません」
強いのか弱いのか分からない台詞だが、意思は強かった。
ガルドは反射で前に出る。
トンヌラは腕を組む。
コムギは鍋を抱えたまま睨む。
——いつもの布陣。
盗賊が一歩踏み出す。
そして、止まる。
「……なんだこいつら」
先頭の男が低く呟いた。
ガルドが立ち、その後ろでトンヌラが無駄に偉そうに腕を組んでいる。
その後ろでコムギは鍋を抱えたまま、一歩も引かずに見返している。妙な圧だった。
強者の圧ではない。
だが、何かを間違えると面倒なことになりそうな圧である。
(あっちいけ、あっちいけ)
――トンヌラの心の声である。
誰にも聞こえていないはずだったが、空気が一拍だけ揺れた。
盗賊たちは顔を見合わせる。
踏み込むべきか、引くべきか。そんな迷いが、妙に長く続いた。
本来なら、こんな小さな迷いで引く場面ではない。人数は向こうが上だ。武器もある。こちらは鍋と棍棒と偉そうな男でしかない。
それでも、世界はどちらに転ぶかを少しだけ間違えた。
「……くそっ、覚えてろ!」
結局、盗賊はそのまま引いた。
圧に負け、本当に帰ってしまった。
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何も起きていないのに、結果だけが転がっている。
コムギはぽかんとした。
「……今の、戦闘ですか?」
トンヌラは腕を組む。
「補給の勝利だ」
「それで盗賊が帰るわけないですよ!?」
正論だった。
ガルドが小声で言う。
「俺、立ってただけなんですけど……」
「多分……それが効いたな」
「どういう理屈ですか!?」
誰にも分からない。
ただ一つだけ確かなのは——
世界の方が、勝手に辻褄を合わせ始めていることだった。
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帰り道。近くを歩いていた別の冒険者たちが、ひそひそ声を漏らす。
「見たか、今の」
「立ってるだけで止まるって……」
「いや、あれは——後ろのネームレスだろ。あの“圧”……」
ガルドが固まる。
トンヌラは空を見上げたまま、心底どうでもよさそうに言った。
「知らん。立ったのはガルドだ」
否定ではない。説明でもない。
ただ、線を引いただけの言い方だった。
それが逆に、噂の形を整える。
「ほらな」
「やっぱり……」
誤解が、静かに「デフォルト」になっていく。
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コムギは鍋をぎゅっと抱いた。
(この人たち……もしかして、本物……?)
誤解はまだ小さい。
けれど確かに芽を出した。
「わたし、役に立てました?」
ガルドはうなずく。
「立ってるだけより、すごかったです」
「比べる対象がおかしいです!」
トンヌラは空を見上げる。
「……俺、今日も何もしてないな」
コムギは首をかしげた。
「それが役割なんじゃないですか?」
また哲学だった。
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その夜、ギルド。
水晶がかすかに揺れた。
《コムギ:――――》
文字はまだ読めない。
だが何かが、書かれようとしている。
受付嬢が小さくつぶやく。
「また……後から?」
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ここはレイアノーティア。
名は人を座らせ、役目は人を歩かせる。
——そして補給は、だいたい正義。
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第11話 了




