Chapter 66 新機軸のスポンサー契約
石片白美が市原を訪れた翌日、会議室の机には彼女の提案をまとめた資料が置かれていた。
宗村宗一、桐生美咲、白石玲奈、橘ことねに加え、経理責任者の小野寺真理も席についている。
白石が資料を開こうとしたところで、桐生が1枚の書類を机へ置いた。
「その前に、IGPから正式発表がありました。開催地が未定だった第18戦パシフィックGPは、オランダのノールトゼー・グランプリサーキットで開催されます」
「パシフィックGPなのに、オランダ?」
宗村が首を傾げた。
「パシフィックGPは開催地域を表す名称ではありません。IGPが保有している特別なGP名称です」
「分かりにくいね」
「名称に関する意見はIGPへお願いします。こちらは最終戦の開催地が決まった前提で準備を進めます。総務にも共有済みです」
これで、Season 1を戦う18戦すべての行き先が決まった。
だが、まずは次のマレーシアGPへ向けた準備がある。そして、その先まで戦い続けるために、今日の会議で結論を出すべき提案があった。
桐生が白石を見る。
「では、白美さんの件を始めましょう」
「はい。真理さんにも確認していただきたいのは、こちらです」
白石が示したのは、MUNE RACINGを題材にした動画収益の70%を、スポンサー料として支払うという提案だった。
小野寺は資料へ目を通しながら、確認が必要な箇所の余白へ印をつけていく。
「7割というだけでは処理できないね。対象になる動画と、収益が確定する時期、入金時期は、はっきりさせておいて」
「報告は毎月でいいですか?」
「金額が確定してからでいい。収入額を事前に読めない以上、固定収入には入れないから」
白石が書き留める横で、宗村が小野寺を見た。
「入ってきた分は、使っていい?」
「全部は駄目」
「少しくらいは?」
「金額が確定してから考える」
「厳しいなあ」
「宗村さんが緩いの」
宗村は否定せず、資料へ視線を戻した。
桐生が次のページを開く。
「収益の処理ができても、撮影条件が曖昧なままでは受けられません。ガレージだけでなく、事務所や食堂にも外へ出せないものがあります」
「公開前に、チーム側で映像を確認できるようにします」
白石が続けると、ことねがうなずいた。
「白美さんとの連絡と映像の受け取りは、私が担当します。ただ、公開できるかどうかは、映っている内容に応じて、それぞれの担当者にも確認してもらう必要があります」
「ことねさんだけで判断しないでください」
「はい」
宗村は3人の顔を順に見た。
「それで、実際のところはどう? 手間は増えるけど、やる意味はありそう?」
「マウリシロチャンネルは、登録者数以上に動画を見ている人が多いです。MUNE RACINGの公式発信とは、届いている相手も違うと思います。それに、白美さん自身が撮影の許可を守れる人だということも、昨日確認できました」
ことねが答えると、白石も資料へ目を落としたまま続けた。
「広報としては、新しい入口になります。ただ、これまで扱ったことのない契約です。収益額が変動する以上、最初から予算へ組み込むことはできません」
「そこは分かってる。真理さんは?」
「条件が決まれば処理はできる。収入が読めないことも、最初から分かっているから」
「美咲さんは?」
「撮影日と範囲を事前に決めること。機密を守ること。通常業務を止めないこと。その条件を契約で明確にできるなら、検討できます」
宗村は椅子の背にもたれ、ことねがまとめた資料へもう一度目を通した。
「普段レースを見ない人が、ことねさんのブログを読んで、路線バスを乗り継いでここまで来たんだよね。だったら、その入口を閉めるのはもったいないか」
「受けるのですね?」
「一度やってみよう。駄目なことと、守ってもらうことを先に決めておけばいいでしょう」
「宗村さんも、公開前の確認に入ってください」
「分かった。俺も確認するよ」
「期限までにお願いします」
「あれ?まだ始まってないよね?」
「はい。だから、遅れる前にお伝えしています」
「...肝に銘じておきます」
*
契約案の作成は、白石だけでは進めなかった。
小野寺が対象動画の収益確認と支払い条件を整え、桐生が撮影可能な範囲、機密情報の保護、通常業務を優先することを加えた。公開前の映像はことねが受け取り、内容に応じて必要な部署へ確認を回す形に決まった。
完成した契約書には、公開できない情報や問題のある映像が含まれていた場合、チーム側が修正や削除を求められることも明記された。
数日後、白美が再び市原ファクトリーを訪れた。
会議室では、白石の隣に小野寺も座っている。白美は渡された契約書を急いでめくることなく、最初のページから順番に読んでいった。
「対象になるんは、MUNE RACINGを撮った動画だけなんですね」
「はい。白美さんが普段公開しているバス旅や歌の動画は含みません」
白石が答えると、小野寺が該当箇所を指した。
「MUNE RACINGを扱った動画の収益を、ほかの動画と分けて確認できるようにしてください。金額が確定したら、記録と一緒に報告してもらえれば大丈夫」
「振り込むんは、そのあとでええんですね?」
「うん。遅れそうな時は、先に連絡をもらえる?」
「分かりました」
続いて、桐生が撮影に関する条項を確認した。
「撮影場所と内容は、その都度こちらから指定します。判断に迷った場合は、撮影する前に確認してください」
「勝手に奥へ入ったり、何でも映したりしたらあかんいうことですね」
「そう考えていただければ大丈夫です」
白美は契約書から顔を上げ、ことねを見た。
「公開する前は、ことねちゃんに送ったらええんですか?」
「はい。私が受け取ります。ただし、私だけで公開できると判断するわけではありません。映っている場所や内容に応じて、担当する人にも確認してもらいます。確認が終わるまでは、短い映像や写真も公開しないでください」
「そこも守ります」
白美はうなずき、最後まで契約書を読み進めた。
白石はすぐに署名欄を示さず、契約書を白美の前へ開いたまま尋ねた。
「ここまでで、意味が分からなかった条項や、判断に迷う部分はありませんでしたか?」
「ひとつだけええですか?」
「もちろんです」
「動画の収益があとから修正された時は、どうなるんですか? 広告の金額が、確定したあとで変わることもあるんです」
小野寺が収益報告に関する条項を開いた。
「その場合は、翌月の報告で差額を調整します。白美さんの記録と、こちらの入金記録が一致する形にすれば大丈夫」
「分かりました。ほんなら、最初に確定した金額だけで終わりやないんですね」
「うん。増えた時も減った時も、分かった段階で知らせてね」
白美がうなずくと、白石は契約の要点を順に確認した。
「白美さんから支払われるのは、MUNE RACINGを題材にした動画収益の70%です。普段のバス旅や歌の動画は対象外。撮影場所と内容は事前にチームの許可を取り、公開前の映像はことねさんへ送る。チームの確認が終わるまでは、写真や短い映像も公開しない。ここまでで認識に違いはありませんか?」
「ありません」
「公開できない情報が映っていた場合は、こちらから修正や削除をお願いします」
「はい。直してから、もう一回確認してもらいます」
桐生が白美を見た。
「分からないまま署名する必要はありません。少しでも曖昧なところが残っているなら、今ここで確認してください」
白美はもう一度、契約書へ目を落とした。数ページを戻り、収益、撮影、公開前確認の条項を読み直す。
やがて顔を上げた。
「大丈夫です。守らなあかんことも、支払いの方法も分かりました」
白石はそこで初めて、署名欄を示した。
「では、内容に納得したうえで契約するのであれば、こちらへ署名をお願いします。契約したあとでも、分からないことが出てきた時は、必ず確認してください」
「はい。分からへんまま、自分で決めたりせんようにします」
白美は最後のページに署名した。
白石が記入内容を確認し、小野寺も支払いに関する箇所へ目を通す。
「これで契約成立です。今日からマウリシロチャンネルは、MUNE RACINGの正式なスポンサーです」
「ほんまにスポンサーになったんや……」
白美は署名を見つめた。
「動画1本だけで終わらんように、ちゃんと続けます」
「本数を増やすことより、続けられる形にしてください」
ことねの言葉に、白美は笑顔でうなずいた。
*
契約後、白美は工場内に置かれたMR-01の前へ案内された。
フロントノーズの先端には、マウリシロチャンネルの小さなロゴが貼られている。
「ほんまに、うちのロゴや……」
白美はしばらく、その場から動かなかった。
「フロントノーズの先端へ掲示します」
白石が伝えると、白美はマシンの正面へ回った。
「走ったら、いちばん先に進む場所ですね」
「はい」
「ここにしてもらえて、うれしいです」
白美はことねに確認してからスマートフォンを取り出し、ロゴを撮影した。この写真も、チームの確認を受けるまでは公開しない。
「最初の動画、水曜限定ラーメンから始めてもええですか?」
「食堂を撮影する場合も、和代さんと美咲さんの許可が必要です」
ことねが答えるより先に、宗村が口を開いた。
「和代さんがいいなら、いいんじゃない?」
桐生がゆっくり宗村を見る。
「宗村さん。今、撮影条件を確認したばかりですよね」
「許可を取ってからって意味だよ」
「その前提を省略しないでください」
宗村は白美へ顔を向けた。
「白美さんには伝わったよね?」
「うちは今、誰に聞いたらええんか迷いました」
「ほら、伝わっていません。宗村さん、少し別室へお願いします」
「え、そこまで?」
桐生に連れていかれる宗村を見送り、白美はことねへ小声で尋ねた。
「いつも、あんな感じなん?」
「だいたい、あんな感じです」
MR-01には、開幕戦後に加わった2つのロゴが並んだ。
白石が断られた先へ届け続けた報告から生まれたマッスルピヨと、ことねの発信を読んだ19歳の訪問者が持ち込んだマウリシロチャンネル。
支え方も、チームへたどり着いた道も違う。
それでも、どちらもMUNE RACINGが次のスタート地点へ進むために得た、大切な力だった。




