第282話 『天空牢へ』
誰もいない王城の資材倉庫にヤブランは1人身を潜めていた。
王城内の見張りの敵は多かったが、資材倉庫のあるこの場所に人はほとんど寄り付かない。
それを知っているショーナからの指示でヤブランは今この場所に隠れているのだ。
少し前にショーナと行った打ち合わせの内容をヤブランは思い返した。
この倉庫の窓からは王城の尖塔に設けられた火時計が見える。
王城のどこからも見えるように設計されたものだ。
今夜、あの火時計が21時を指す時、天空牢の鍵が開放され、見張りが30分だけいなくなる。
その隙にエミルを牢から連れ出し、再びこの倉庫へと退避するのだ。
そうショーナは言った。
一体何がどうしてそういうことになるのかヤブランにはまったく分からなかったが、黒髪術者であるショーナが仕入れた情報は精度が高いはずだと信じて動く他ない。
そうしなければエミルはオニユリに手籠めにされてしまう。
そのことを考えるとエミルが哀れで、ヤブランはオニユリの身勝手さに腹が立って仕方がなかった。
だがヤブランは己を律することの出来る聡い少女だ。
怒りを腹の奥に沈め、とにかく冷静であろうと努めた。
今は落ち着いて、自分のやるべきことに集中するのみだ。
そうした心構えで身を潜めている倉庫に、2人の女が訪れたのは10分後のことだった。
訪れた女たちのうち1人は蝋燭を灯した燭台を持つ修道女だった。
その修道女の隣には洗濯係の服装に身を包んだ少女が寄り添っている。
その少女は修道女の手を引き、倉庫の扉を開けて中に身を滑り込ませる。
倉庫内に入ると修道女が小声で呼びかけた。
「ヤブランさん? ヤブランさんはいますか? ラモーナです」
ラモーナ。
それが協力者の名前であるとヤブランは事前にショーナから知らされている。
すぐに彼女は立ち上がった。
「こちらです」
同じく声を潜めるヤブランは倉庫の奥から姿を見せた。
するとラモーナと呼ばれる修道女が柔和な笑みを浮かべたまま立っている。
そのすぐ近くにはヤブランよりも年下の少女が寄り添っていた。
「ショーナ様から申しつけられて参りました。ラモーナと申します。こちらは付き添いのアニーです」
ヤブランに顔を向けてそう言うラモーナだが、その視点は合っていない。
ヤブランはすぐに気が付いた。
(この人・・・・・目が見えないんだわ。隣の子は介助役か)
ヤブランは初めて見る2人に尋ねる。
「お2人は王城内の事にお詳しいんですね?」
「ええ。ワタシはこの通り盲目ですが、アニーに付き添われて時折、王城内で雑務を行っております。ショーナ様のお口利きのおかげです」
そう言うラモーナとアニーはその首から紐で繋いだ黒い札を下げている。
日頃から王城に出入りする者たちが身に着ける入城許可証だ。
黒い札は黒帯隊の関係者であることを表しており、隊長のショーナだけが発行する権限を持っている。
それを見たヤブランはいよいよその時が来たのだと知り、緊張の面持ちで言った。
「では……手筈通りお願いいたします」
そう言うヤブランにラモーナもアニーも決然と頷くのだった。
☆☆☆☆☆☆
シャクナゲが天空牢に姿を現すと白髪頭の見張りの兵たちはハッとして背すじを伸ばした。
いつも来るはずのない時間にシャクナゲがいきなり現れたので、抜き打ちの視察かと思い驚いたのだ。
そんな兵士たちにシャクナゲはいつも通りの柔和な表情を見せた。
ただしその目には冷たい光が宿っている。
「ご苦労さま。ちょっと今から席を外してもらえるかしら? 22時になったら戻ってきて頂戴」
見張りの2人は突然の命令に意外そうな表情を見せたが、彼らはココノエの民だ。
シャクナゲが突拍子もないことを言い出すことには慣れている。
そしていちいち理由を聞くとシャクナゲの心証を悪くすることもよく分かっていた。
彼女に何かを命じられたら反論はもちろん、質問もせずにその意に従うのが一番利口だと彼らは弁えているのだ。
「畏まりました。詰め所に待機しておりますので、何かありましたらすぐにお呼び下さい」
そう言うと見張りの2人は早々にその場を後にした。
シャクナゲは物分かりの良い部下たちに満足げな表情を浮かべると、懐から1本の鍵を取り出した。
彼女はそれで鉄格子の扉を開錠する。
そしてそのまま扉を開けずに鉄格子越しに、眠っているエミルを見た。
エミルは規則正しく腹部を上下させ、静かに寝息を立てている。
(今日もお薬がしっかり効いているようね。朝までグッスリだわ)
シャクナゲはその顔に薄笑みを浮かべると、寝ているエミルに向けて囁いた。
「坊や。妹が面倒をかけるけれど許してあげてね。大丈夫。寝ているうちにすぐ終わるから」
そう言うとシャクナゲは鉄格子を開錠したまま天空牢を後にした。
廊下を歩くシャクナゲはその顔に歪な笑みを浮かべている。
(まったく。とんだ変態趣味の妹だわ。本妻の子なんて言ったって下劣なものよ)
シャクナゲはココノエの皇であったカグラが妾の女に産ませた娘だ。
そうした事情から本妻の子であるヤゲンやシジマが自分を嫌っていることは子供の頃より感じていた。
そして必然的にシャクナゲも彼らを嫌った。
彼らは単に本妻の子というだけであり、頭脳も器量も自分のほうが遥かに上だとシャクナゲは自負している。
妹のオニユリだけはシャクナゲに懐いたが、その内心はどうだか分からない。
少なくともシャクナゲは表面上は優しく接しながらも、心の中ではオニユリを蔑んでいた。
(まあオニユリは頭の固いヤゲンやシジマと違って使いやすいし、銃の腕だけは確かだものね。時折こうして餌をあげれば飼い犬のように動いてくれるわ)
シャクナゲは自身の権力がこれからますます高まる予感を覚えており、来る更なる栄華を夢見てほくそ笑むのだった。
この時まだ彼女は知らない。
オニユリがこの天空牢を訪れることはないということを。
なぜならオニユリはすでにこの世を去っているからだった。
☆☆☆☆☆☆
「おい。おまえたち。ここから先は人払いだ」
盲目の修道女とその付き添い介助の少女が首から黒い札を下げ、一台の台車を押して廊下を歩いてくるのを見た白髪の兵士たちは彼女らを呼び止めた。
修道女と少女は彼らにとっても面識のある相手だ。
城内で支給品の配布などの雑務を行っているのを幾度か見たことがある。
「え? そうなのですか? どうしましょう。皆様に新しい手拭いと塵紙をお配りする予定だったのですが……」
そう言って驚く盲目の修道女に兵士らは言う。
「そこに置いておけ。22時には人払いも終わって通常通りになる」
「そうですか。では失礼いたします」
そう言うと修道女と少女は兵士らに一礼する。
そこで修道女は思い出したように兵士らに声をかけた。
「そうだ。夜間当番の皆様に簡単なお夜食をお作りしましたの。先ほど詰め所に置いておきましたのでよろしければ食べて下さいまし。目の覚めるお茶もお淹れいたしますわ。詰め所にご一緒しても?」
修道女の柔らかな声と夜食の誘惑に兵士たちは思わず戸惑いながら頷いた。
「そ、そうか。すまないな。ではこちらへ」
兵士らは目の見えない修道女と付き添いの少女を連れて詰め所へと向かう。
そして無人となった廊下は静まり返り、後には手拭いなどを積んだ台車が残されているだけだった。
☆☆☆☆☆☆
「ああ。今夜はちょっと冷えるな」
木陰で用を足し終えると若き王国兵は馬車に戻るべく林の中を歩いていく。
彼は王都付近の警備兵らに夜食などを配るよう命じられている補給部隊の隊員だ。
そんな彼が林道につけた馬車に戻ると、共に補給任務を行っていた2名の兵士たちが路上に倒れていた。
ともに首から血を流しすでに事切れているようだ。
それを見た若き兵士は驚愕して目を剥く。
「ひっ……」
思わず悲鳴を上げそうになった兵士の口が後ろから手で塞がれ、その首すじに鋭い刃が当てられる。
そして耳元に女の声が囁かれた。
「声を出さないで。仲間みたいに死体になりたくなければ」
兵士が目を剥いていると、背後にいる女以外に4人の女たちが目の前に姿を現した。
全員、筋肉で逞しい肉体と燃えるような赤毛を持つ女たちだった。
兵士は思わず息を飲む。
(ダ……ダニアの女だ)
背後から兵士の首すじに刃を当てている女が言った。
「言う通りにすれば命だけは奪わないであげるわ。いいわね」
女の言葉に兵士は成す術なく頷く他なかった。




