第264話 『怒りの進軍』
共和国と公国の国境沿いには両国の砦が築かれていた。
共和国の砦と公国の砦の間はわずか1km。
そこが両国の緩衝地帯となり、そこを挟んで共和国軍と睨み合うのは公国領を占領している王国軍だ。
今、共和国側の砦には2万人に及ぶ軍勢が集結していた。
半分の1万人はダニアの女戦士らであり、もう半分の1万人は共和国軍の兵士らだ。
その総勢2万の軍勢を率いるのはダニアの金の女王ブリジットだった。
イライアス大統領から出撃要請を受けたブリジットはすぐさま兵を挙げた。
そしてイライアスは自国の兵1万人をブリジットに預け、その全指揮権を彼女に任せたのだ。
共和国軍兵士らは今、全員が同盟国ダニアの盟主であるブリジットの前に跪き、その指示に忠実に従うことを誓った。
「男たちを味方につけて戦うのは初めてだな。何だかこそばゆいぜ。おいソニア。いい男がいるかもしれねえぞ。今から目を付けておくか」
1万人の男たちが跪くという壮観さに、側近としてブリジットの後ろに控えるベラが口笛を吹いた。
そんなベラの脇腹を小突くのは、ムスッとした顔のソニアだ。
隻眼のベラと不死身のソニア。
ブリジットの両腕として名を馳せる彼女らを知らぬ者は共和国軍にはいない。
そんな彼女たちと共に戦えるということで、共和国軍の兵士らも士気が高い。
それを感じ取るブリジットは皆に向けて大きな声を上げた。
「敵は卑劣な侵略者どもだ! 王国軍は新型兵器を使うが、我らも万全の対策を整えてきた! 何も恐れることはない! 共和国とダニアの強固な同盟関係で王国軍を蹴散らすぞ!」
ブリジットの号令を受けてダニアの女たちのみならず、共和国軍の男たちも大きな声を上げてこれに応じた。
ブリジットは手応えを感じて周囲に目を向ける。
彼女のすぐ傍にはベラとソニアだけでなく、弓兵隊の隊長と副隊長であるナタリーとナタリア、そして獣使隊の隊長であるアデラの姿もあった。
そして砦の前に展開している軍の先頭には、ダニアの絶対的な実力者であるデイジー将軍の姿もある。
今や彼女の実力はベラやソニアをも凌ぐと言われ、女王の血筋以外の者の中では最強と名高いデイジーは、今回の戦いでも先陣を切って敵を斬る役回りだ。
今回、王国へ直接攻め込むクローディアと、公国を占領する王国軍を退けるために出兵したブリジットの2つに軍を分けたが、どちらも戦力は充実している。
そしてダニアの都は議長のウィレミナがしっかりと守ってくれていた。
ブリジットは勇ましい表情で遠くに見える敵の砦を睨む。
最愛の夫であるボルドは国に残してきた。
必ず生きて戻ると固く約束して。
「ベラ、ソニア。久々の大きな戦だ。遠慮せずに暴れてくれ。ただし、必ず生き残れ。おまえたち2人にはいずれアタシを看取るという大事な役目があるのだからな」
そう言うブリジットにソニアは寂しそうな顔をする。
3人は女王と部下でありながら、かけがえのない旧友だ。
だが3人共に戦場で生き延びたとしてもブリジットはいずれ体が弱り、ベラやソニアより先に逝ってしまう。
友との別れの運命からは逃れられないのだ。
だがベラは敢えて明るい顔で言った。
「そうだな。そうなる前にブリジットを介護するという大事な役目もあるしな」
そう言うベラに苦笑してブリジットは彼女の肩を軽く小突いた。
「抜かせ。だが、大きな戦はこれで最後かもしれん。おまえたち共にこの戦場にいられること。ダニアの女として何よりの幸せだ。見せつけるぞ。銃火器などに負けぬ我らの戦士の魂を」
そう言うブリジットにベラもソニアも力強く頷くのだった。
☆☆☆☆☆☆
王都。
玉座の間に青ざめた表情で現れた兵士が跪きながら報告する。
「陛下。ウェズリー副将軍閣下がラフーガより挙兵。共和国との国境砦に向けて進軍いたしております。このままいくと明日には共和国領の砦に陣取るブリジットの軍勢と激突する見通しです」
兵士の報告にジャイルズは苛立ちも露わに吐き捨てた。
「あの馬鹿者め。功を焦りおって……」
弟のウェズリーが妹のチェルシーと張り合って手柄を挙げたがっていたことをジャイルズは知っている。
だが公国との戦を終えたばかりで王国は疲弊していた。
立て続けに共和国との戦いに臨むのは無謀だ。
いずれは共和国と衝突するにしても、地盤を固めて公国の富を吸収し、王国の力とするまでの時間が必要だった。
だが、共和国のイライアス大統領の動きは思いのほか早かった。
共和国は他国の戦に関与しないという理念をねじ曲げ、公国の亡き大公の末息子コリン公子を保護している。
これはジャイルズにとっては誤算だった。
「いかがいたしましょうか。陛下」
側近の1人が王の顔色を窺うように言った。
「ぬぅ……」
弟は昔から僻みっぽく、感情的になると抑えが利かないことがあった。
無理やり引き返すように命じても今は聞く耳を持たないだろう。
そうなれば王としての統率力を国内外から問われることになる。
ジャイルズは考えた末に側近に指示を出す。
「すぐに国境の砦へ鳩便を飛ばせ。砦に入っても絶対にこちらから仕掛けてはいかんと、我が名においてウェズリーに厳命せよ。ブリジットが攻め込んできた時のみ、防衛という名目での出兵を許す」
側近は恭しく頭を下げると、命令を果たすべくすぐさま玉座の間を後にした。
ジャイルズは苦悩をその顔に滲ませて大きく息を吐く。
右隣が寂しい。
こんな時はシャクナゲに手を握って欲しい。
だがシャクナゲは今、不在にしていた。
ジャイルズ自身は気付いていなかったが、その手は小刻みに震え、その足は忙しなく踵で床を踏み鳴らしているのだった。
☆☆☆☆☆☆
ジャイルズ王が玉座の間で苛立っていたその頃、王城の廊下で2人の婦人がバッタリと出くわしていた。
「あら。王妃殿下。ご機嫌麗しゅうございますか?」
「シャクナゲ……」
王妃ジェラルディーンと公妾シャクナゲ。
城内では出来る限り2人が顔を合わせぬよう、それぞれの配下の者たちが気を配っていたが、それでもこうしてバッタリと出くわしてしまうことはある。
満面の笑みを浮かべるシャクナゲとは対照的に、ジェラルディーンは不機嫌さを隠そうともしない。
青ざめた表情で不安げに事態を見守っているのはそれぞれの側仕えの者たちだ。
「シャクナゲ。ここのところ少々、出過ぎているように思うのだけれど、あなたはもう少し自分の立場を弁えるべきだわ」
ジェラルディーンは憎き仇敵と鉢合わせをして少々興奮していた。
その言葉の棘を剥き出しにしてシャクナゲにそう言い放つ。
一方のシャクナゲは柔和な笑みを絶やさぬままだ。
「まあ。申し訳ございません。愛する陛下のためにと思い、張り切り過ぎてしまう性分ですの。王妃殿下のお気に障られたのでしたら、お詫び申し上げますわ」
その余裕の態度にジェラルディーンは苛立った。
公妾の立場でありながら王妃に対してこれだけ強気でいられるのは、シャクナゲがジャイルズ王の寵愛を独占しているという自負からだ。
それが事実であるだけにジェラルディーンは腹立たしかった。
すでに夫には愛想を尽かしていたが、シャクナゲが王の権威を笠に着て王城内で好き勝手に振る舞うことは許せなかった。
王妃である自分を差し置いて、公妾が幅を利かせるなどあってはならぬことだ。
「シャクナゲ。この私がなぜ陛下の妻として迎えられたのか知らないわけではないでしょう? この国で私を侮っていい者などただの1人もいないということを肝に銘じなさい」
そう吐き捨てるとジェラルディーンは踵を返して立ち去って行く。
シャクナゲは薄笑みを浮かべたまま、その背中を見送った。
そしてその背中が完全に見えなくなると、側仕えの者たちの前で大仰に溜息をついて見せる。
「王妃殿下。あなた様が大きな顔をしてこられたのは、ご実家が大貴族でいらっしゃるというその1点においてのみです。傲慢が過ぎますと寝首をかかれますわよ」
シャクナゲには十分な勝算があった。
ジャイルズ王はまだまだ若い。
しばらくはその治世が続くだろう。
その王の寵愛を受けているということは、シャクナゲの権限もしばらくは安泰だということだった。
「侮っていらっしゃるのはあなたの方ですよ。王妃殿下」
そう言うとシャクナゲは不敵な笑みを浮かべるのだった。




