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第206話 『ヤブランの憂鬱』

「はぁ……」


 天空房から出て廊下ろうかを歩きながらヤブランは小さく溜息ためいきをついた。 

 中にいるエミルは自分と顔を合わせようとも、言葉を交わそうともしなかった。

 ヤブランもまた、まともに彼の顔を見ることが出来ないでいる。


(きっと私のことをうらんでいるんだろうな……)


 王国に帰国してからヤブランはずっと浮かない顔をしていた。

 胸の奥のざわめきが消えない。

 エミルをオニユリの手から救い出したこと。

 それ自体は後悔していない。

 あのままであればエミルはオニユリの周囲を取り巻く子供らのように、自我を失っておぞましい愛欲の奴隷どれいと化していただろう。


 シジマからはよくやってくれたとめられたが、その言葉はヤブランを苦しめた。

 シジマの命令でエミルと行動を共にするようになってから、ヤブランは彼の不運な境遇に同情し、少しでもなぐさめめたいと思うようになっていった。

 そこには何の他意もなく、1人の人間として同じ年頃の少年に泣いて欲しくないという道徳心があったのだ。

 だが、そんなものはおのれ傲慢ごうまんな自己満足に過ぎないと今は思う。


 真にエミルに同情し彼を救いたいと思うなら、彼を解放して彼の家族の元へ返すべく動くべきだったのだ。

 だがヤブランはそうしなかった。

 彼女はココノエの民であり、一族のためにならぬことは出来なかったからだ。

 そうした行動の結果、エミルはああして王国の人質となった。


(私には……同情したり罪悪感を感じたりする資格なんてない。自分の行動の結果がこれなんだから) 


 ではなぜこうしてエミルの元を訪れるのか。

 少しでも彼のなぐさめになるような、物語の書かれた書物を置いていくのか。

 これは誰に指示されたことでもない。

 ヤブランがシャクナゲの許可を得て自らやっていることだ。

 胸にこびりついたエミルに対する罪悪感を、少しでもすすごうという自分の浅ましさに嫌気が差す。 


(最低だ……あの子に嫌われたくないと思っているんだ私……もうとっくに嫌われているのに馬鹿みたい)


 泣きたくなるような気持ちをグッとこらえ、それでもヤブランは自分の心に従うことを決めた。

 少しでもエミルの心のなぐさめになることをしよう。 

 それが自己満足であっても、何もしないよりはきっといいと信じて。

 

 ☆☆☆☆☆☆


「チェルシー。傷はどうだ?」


 王国をべるジャイルズ王は玉座から、年の離れた妹を見下ろしてそう言った。

 この2人は血を分けた兄妹だが、母親が違う。

 前国王の正妻たる王妃おうひを母に持つジャイルズと、公妾こうしょうとして後から輿入こしいれしたダニア分家の当時の女王であった先代クローディアを母に持つチェルシー。

 この2人の間には王と将軍という以上に大きなへだたりがあった。

 外国から来た公妾こうしょうの娘であるチェルシーは王国出身でありながら、周囲から余所者よそものと見られているのだ。


えつつあります。すでに戦う準備も出来ております。陛下へいか


 チェルシーはジャイルズ王の前にひざまずいてこうべれている。

 長兄ジャイルズとは兄と妹とはいえ、肉親として接したことはほとんどない。

 今は完全に王と臣下の関係として接するのみだ。


「ふむ。そなたに兵を与える。公国南部に集結しつつある公国軍の残党を叩け」 


 現在、公国首都ラフーガは次兄ウェズリーが滞在して副官のヤゲンと共に管理を行っていた。

 だが、首都ではウェズリーの圧政に反発する市民らの王国軍との小競こぜり合いが頻発ひんぱつし、統治が思ったほと円滑えんかつに行われていない。

 要するにウェズリーは手こずっているのだ。

 公国南部の残党狩りまで手が回らないのが実情だろう。

 そこでチェルシーにおはちが回って来たのだ。


「拝命いたします。陛下へいか


 先日の海賊船での戦いでプリシラに剣で刺された右肩の傷はすでにふさがりつつあった。

 王国政府の優秀な医療班による連日の手厚い治療のおかげだろう。

 まだわずかな痛みと動かした時の違和感は残るが、おおむね問題はなかった。

 チェルシーは兄に深く頭を下げてから立ち上がると、玉座の間を後にした。


 ヴァージルとウェンディーの誘拐ゆうかいに失敗したことで、王の周囲の者たちは鬼の首を取ったようにチェルシーを責めた。

 彼女はそうした声を全て甘んじて受け、一切の言い訳はしなかった。

 しかしジャイルズ王はチェルシーがエミルという手札を持ち帰ったことを評価し、周囲の不満げな声を抑え込み、チェルシーを責めることはしなかった。

 それが兄妹の情などではないことはチェルシーも分かっている。


 チェルシーの代わりを出来る者などいないからだ。

 ダニアの女王の血を引く稀有けうなる存在。

 すさまじき武勇の数々。

 特に今のような戦時においてこれほど戦力になる人材は他にいない。

 無駄むだにチェルシーを罰するよりも、寛大な措置をして次の任務に向かわせたほうが得策だと王も分かっているからこその態度だった。


 玉座の間を出ると廊下ろうかでは副官のシジマが控えている。

 海賊船の戦いでエミルによって右腕を斬り落とされたシジマは、右(ひじ)から下に義手を付けていた。

 廊下ろうかを進むチェルシーの後に付いて歩きながらシジマはおごそかな声で言う。


「次の任務ですね。閣下かっか」 

「ええ。今度は残党狩りよ。前回の任務よりもずっと単純でやりやすいわ」

「ご出立はいつですか?」


 そうたずねるシジマにチェルシーは足を止めた。

 そして背後を振り返り、シジマの義手に目を向ける。


「シジマ。言ったでしょ。今回はただ敵の残党をち取るだけの単純な任務。権謀術数けんぼうじゅっすうは必要ないわ。あなたはここに留まりなさい」

閣下かっか。お気遣きづかい感謝いたします。私も自分が戦力になれないと分かっていれば自ら身を退きましょう。足手まといは本意ではありませんので。しかしこの体でも十分に戦うべくこの2週間ほどきたえ直してまいりました」

 

 シジマならそう言うだろうと思った通りの答えにチェルシーは内心で嘆息たんそくした。

 実際、彼が義手を着けた状態で日々訓練にはげんでいたことは知っている。

 片腕が無くなれば体の均衡きんこうくずれ、以前とは大きく感覚が違ってくるだろう。

 それを克服するために努力を惜しむ男ではないことも良く知っている。


閣下かっか。我らは閣下かっかの御厚情なくしては今の地位にありません。必ずお役に立ちますので、どうぞお連れ下さい」

「……分かったわ。オニユリも連れて行くわよ」

「よろしいのですか?」


 エミルを秘密裏ひみつりに捕らえてその身を自らのものにしようとオニユリの起こした一件については、他言されていない。

 知っているのはチェルシーとシジマだけだ。

 チェルシーがジャイルズ王にも報告せず一切を胸の内に秘めたため、オニユリの蛮行ばんこう露見ろけんするという最悪の事態はまぬがれていた。

 そんなことがジャイルズ王の耳に入ってしまえば、オニユリが処罰されるのみならず、ココノエの民全体の心象が悪くなり、この王国での立場は悪くなっていただろう。


 ただでさえ髪の白い余所者よそものとして不気味がられているのだ。

 それを回避できたのはチェルシーのふところの深さのおかげだった。

 シジマはその感謝のみならず、この若き将軍の中に女王の器を見ていたからこそ、彼女に一族の運命をたくし、何があっても付いていくと心に決めている。


「彼女も今は銃を持って戦場に立つ方が生きやすいでしょ。戦果を上げて王の信頼を厚くするのよ」 

「……感謝いたします。我が妹をお見捨てならなかったご恩に必ずや報いましょう」


 そう言うシジマだが、チェルシーの目には冷たい光が宿る。


「シジマ……それはワタシの復讐ふくしゅうの道に共にちていくということよ」

「喜んでお供いたします。我らを引き連れて閣下かっかの道を突き進んで下さい」

 

 自分の目を見つめ返して迷いなき瞳でそういうシジマに、チェルシーの心にある疑問が浮かんだ。


(……ワタシの進む道は……血塗られたこの道は……多くの者を引きずり込んでしまう)


 脳裏のうりひらめくのは、この手で斬り殺した赤毛の女の顔だった。

 クローディアの腹心の部下だったジリアンは死の間際まぎわに言っていた。


― チェルシー……あなたは間違っている。いつかそうして重ねた過ちにあなた自身が押しつぶされる時が来ます。必ず ―


 その言葉が頭の中で繰り返され、チェルシーは歯を食いしばり、拳を握り締める。

 自分が幼い頃に感じた孤独や絶望を誰が理解できるというのだろう。

 あれを無かったことには出来ない。

 チェルシーの胸に燃える復讐ふくしゅうの炎は感情の風に揺らぐことはあっても、決して消えることはなかった。

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