第203話 『大統領の意志』
「アーシュラ隊長!」
「プリシラ様。今はもう隊長ではありませんよ」
廊下でプリシラに呼び止められ、アーシュラは苦笑した。
イライアス大統領を中心とした会議の開かれる共和国政府の議事堂には、多くの要人たちが集まって来ている。
プリシラは両親と共に会議に参加するべくこの場所を訪れ、アーシュラと再会を果たしたのだった。
「3週間ぶりですね。プリシラ様」
「……その様付けはやめませんか? 慣れなくて」
「そうはいきませんよ。捜索隊は解散し、今のワタシとあなたは上官でも部下でもありません。それに元々はこの呼び方だったんですから」
そう言うアーシュラにプリシラは嘆息した。
エミル捜索隊に参加して、隊長を務めるアーシュラの指揮の元で作戦行動に従事する中で、アーシュラとの上官と部下の関係に慣れたところだったのだ。
しかしエミルの捜索が失敗に終わり、捜索隊は一度解散することとなった。
ダニアのブリジットの元を訪れて任務の失敗を詫び、アーシュラは処分を受けると申し出たのだ。
だがブリジットもボルドも彼女を労い、その帰還を称えて、決して責めることはしなかった。
もちろん処分も無しだ。
それからアーシュラはクローディアのいる共和国首都に戻り、プリシラたち隊員は全員ダニアに戻ったのだ。
「もうすっかり体も癒えたようですね。あなたは本当に頑丈です。傷の治りも早い。お母様譲りですね。それからそのお召し物もよくお似合いですよ」
作戦中は革鎧を身に着けていたプリシラも、今日は女王の娘らしく執務用の正装に身を包んでいる。
そんなプリシラを気遣うようにアーシュラはやさしく声をかけた。
「エミル様のいないこの3週間……よく我慢しましたね。プリシラ様」
「アーシュラさん。アタシ、エミルのこと絶対にあきらめませんから」
あの海賊船での戦いの後、エミルをチェルシーに捕らえられたプリシラは失意の底に沈んでいた。
必死の戦いも虚しく、またしてもエミルを救い出すことが出来なかった。
バラーディオの街中で一度はエミルを救い出しておきながら、チェルシーに奪い返されてしまったことをプリシラは深く悔やんでいたのだ。
それでもダニアに戻ってからのプリシラは立派だったとアーシュラは思う。
プリシラとエミルの2人で必死にヴァージルとウェンディーを救い出したことを、イライアスとクローディアは手放しで喜ぶことが出来なかった。
エミルは2人の身代わりとなって捕らえられたようなものだからだ。
イライアスとクローディアは激務の合間に時間を作り、ダニアを訪問した。
ブリジットとボルド、そして何よりもプリシラに礼を言うためだ。
ヴァージルとウェンディーを救ってくれたことへの深い感謝を伝え、同時にエミルのことを詫びた大統領夫妻だったが、プリシラはそんな2人を気遣った。
従兄妹たちが無事で良かったこと。
そして2人を助けるために戦った弟のエミルを姉として誇らしく思うこと。
ブリジットとボルドからも同じ気持ちだと伝えられ、大統領夫妻はようやく笑うことが出来たのだ。
そしてイライアスとクローディアはエミルを救い出すために、共和国として責任をもって救出作戦を計画し、そのためならばどんな労力も惜しまないと約束したのだった。
「エミル様の救出作戦。この3週間で準備は整いつつあります。しかし……」
そこでアーシュラは口ごもった。
王国にいるエミルを救い出すということは、王国に潜入するということだ。
現在、王国は公国民や共和国民の入国を禁じている。
そんな状況の王国に潜入してエミルを救い出すというのは、あまりにも無謀で危険な任務だ。
先日の作戦とは危険の度合いが違い過ぎる。
だが、プリシラはそんなアーシュラの言いたいことを理解しながらも、断固たる口調で言った。
「どんな作戦だろうと、アタシはこの手でエミルを救うために参加します」
「……あなたなら必ずそう言うと思っていました。勝算は?」
勝算。
この場合のこの言葉が何を示すのかプリシラも分かっている。
エミル奪還部隊を新たに編成し直し、王国に潜入させる。
その危険な任務に女王の娘であるプリシラを就かせるとなれば、共和国政府やダニア政府の中から反対の声が猛然と上がるであろうことは想像に難くない。
プリシラは現在、第8代ブリジットになる唯一無二の存在であり、他に替えの利かない特別な人材だ。
それゆえそんな危険な任務に就かせるべきではないという声は当然上がるだろう。
前回のエミル捜索隊にプリシラが加わったことも問題があるという声が出ているくらいだ。
しかしプリシラは引くつもりは微塵もなかった。
「前回の任務で経験を積みました。銃火器を持つ相手との戦闘実績も。それを過信するつもりはありませんが、敵地への潜入作戦の成功確率を少しでも上げる人選をするならば、アタシは適任だと自負しています」
そう言うプリシラにアーシュラは一つだけ尋ねた。
「あなたのご両親は何と?」
「……内心は心配していると思います。でも……母様も父様も賛成してくれました。アタシならばやり遂げるとも言ってくれました」
アーシュラはその言葉を聞いて心を決めた。
「分かりました。では会議でその議題が上がった時にはワタシも賛成に回りましょう。プリシラ。その揺るぎなき心を保って下さい。あなたには女王の気質がある。その言葉とその眼差しで皆を納得させて下さい」
そう言うとアーシュラはプリシラを伴って議場へと向かうのだった。
☆☆☆☆☆☆
「各人諸々の仕事に追われる中、集まっていただき感謝する。明日の議会に向けた事前の意思決定の場を設けるために皆に時間をいただいた。猶予も無いゆえ、急ぎ本題に入らせてもらう」
集まった要人たちを前にイライアスはそう宣言した。
議場には20名ほどが集められている。
明日の議会に出席する議員らのうち、役職に就いている者ばかりだ。
イライアスの妻のクローディアも秘書官のアーシュラを伴って出席している。
同盟国のダニアからはブリジットとボルド、そして娘のプリシラ、さらにはダニア評議会議長のウィレミナも参加している。
「皆、知っての通り公国が王国の手に落ちた。そして我が子らやダニアのエミル殿の一件からも王国の我が国に対する敵対意識は明白だろう。ゆえに明日の議会では私は一石を投じるつもりだ。その波紋は大きく広がるだろう」
イライアスの言葉に議場はざわついた。
しかしイライアスは構わずに話を続ける。
「つい先刻、公国との国境を守るルミナ砦から鳩便が届いた。亡き大公クライブ・ラフーガ2世の嫡男であるコリン公子が我が国への保護を求めてルミナ砦を訪れている」
その話に議場のざわめきは、より大きなどよめきへと変わった。
公国の首都ラフーガでは大公とその家族や親類縁者らが揃って処刑されたが、末息子のコリン公子だけは行方が分からくなっていた。
おそらく事前に大公が秘密裏に逃がしていたのだろうと予想されていたが、その公子が実際に共和国に助けを求めてきたとなれば、早急な政治的判断が必要だ。
公子の共和国への避難を受け入れるか否か。
だが、戸惑う面々の前でイライアスは自身の意思を毅然と発表した。
「私はコリン公子を保護しようと考えている」
その言葉に議場は一瞬、静まり返った。
イライアスは間髪入れずに続ける。
「もし王国から引き渡し要請があっても、それに応じるつもりはない」
議場からは弾かれたように数人の議員の声が上がった。
「それは王国との戦の火種になります。大統領はそのおつもりですか?」
「我が国で公子を預かるのは危険だ。東側諸国で引き受けてくれる国を探すべきでは?」
「王国に我が国を攻める口実を与えてはなりません」
彼らは共和国の議員であり、自国第一に考えているからこそ各々当然の意見だとイライアスも分かっている。
だが、イライアスはそれでもなお決然たる口調で言った。
「我々は公国からの再三に渡る救援要請に対し、軍事的な支援は一切行わなかった。その結果、王国軍は公国を蹂躙し、副将軍ウェズリーは非情にも大公の一族を根絶やしにしようと親類縁者を皆殺しにした。鬼畜の所業だ。だというのに、ただ1人に幼くして残されたコリン公子を保護しないことが、公国の隣国として我が国の在るべき姿だろうか? 私はそうは思わない」
イライアスの言葉にその場の議員たちは息を飲んで黙り込む。
イライアスは厳しい表情をわずかに緩め、口調を柔らかに落ち着かせて皆に語りかけるように言う。
「もちろん明日の議会にかけてきちんと皆の意見を聞き、その結果として議会に承認されれば、の話だ。だが、自国第一というのは自国さえよければいい、ということではないことをもう一度、皆に考えてもらいたい」
イライアスはそう言うと各自の意見を聞くべく、そこから皆の反応に耳を傾けるのだった。