第218話 『名もなき剣豪』
共和国首都の茶屋の中で、激闘が繰り広げられる。
多数の男たちがたった2人の女を殺そうと、刃を振るっていた。
だが、数で圧倒的不利なはずの2人の女たちを追い込むことが出来ない。
「何をしている! 一撃でいいから浴びせろ!」
「斬りつけろ! 腕でも足でもいい!」
男たちの怒声が響き渡る中、デイジーとアーシュラは敵の刃にわずかでも当たらぬよう注意を払った。
暗殺の際に、刃に毒を塗るのは定番だ。
だが、こうして大勢がいると同志討ちの危険性があるため、刃を敵に投げつけることもあまり出来ない。
そして毒の刃で敵の体のどこかしらを斬りつければいいため、胴よりも傷を与えやすい腕や足を狙った斬撃が多くなる。
そうした攻撃の特徴は全て当てはまっており、あからさまなくらいだ。
「ミエミエなんだよ!」
デイジーは相手の刃をわずかでも浴びぬよう全て大きく弾いた。
そして迫力のある斬撃で敵を次々と斬り殺す。
デイジーの腕前は今や、ブリジットやクローディアら女王の血筋の者たちを除けば、ダニアで一番だろう。
武術大会でも優勝の常連だった。
伝説の戦士として憧憬を集めるベラやソニアでも今のデイジーには敵わないほどであり、かつて南ダニア軍の猛将として恐れられたグラディス将軍を彷彿とさせると言われている。
アーシュラ暗殺を目論む男たちにとって、大きな誤算だったのはアーシュラと共にいたのがこのデイジーだということだ。
デイジーの斬撃は重く鋭く、敵の男らの中で二の太刀を受けられる者はいなかった。
一度目の斬撃の力強さに押されて体勢を崩し、二度目の斬撃で斬り殺されてしまう者ばかりだ。
「くそっ! たった2人だぞ! 囲め! 一斉にかかれ!」
男たちは躍起になってデイジーに襲いかかる。
だが前衛のデイジーを援護する後衛のアーシュラが吹き矢を浴びせ、鏃を目や首に受けた男たちが思わず足を止めた。
「あぎゃっ!」
「ぐえっ!」
そうしてのけ反る敵は、あっという間にデイジーに斬り殺された。
そして敵の数がとうとう半数以下まで減ると、敵の間に動揺が走る。
こうなると命惜しさに逃げ出す者が出始めるのは時間の問題だ。
1人が逃げればまた1人、2人というように雪崩を打って敵勢力は瓦解するだろう。
だが、その時だった。
突然、個室の一つの扉が内側から吹き飛んだかと思うと、大柄な男が猛然と飛び出してきたのだ。
「なにっ?」
「ぬんっ!」
大柄な男は手にした幅広の湾曲大刀でデイジーに斬りつける。
デイジーは己の剣でそれを受け止めるが、想像以上の男の膂力にそのまま後方に押され、男もろとも窓を突き破って茶屋の裏庭へと落下していくのだった。
☆☆☆☆☆☆
男はかつて大陸の東側諸国のとある小国で剣闘士として生きていた。
自分の出自を一切知らず、物心ついた頃より剣の訓練ばかりさせられていた。
貴族たちが賭けに興じる闘場での奴隷同士の殺し合いの駒とするために。
やがて男は成人し、初の実戦の場となる闘場での戦いに参加させられ、そこで初めて対戦相手を殺した。
そこからは毎日のように戦い、殺し、また戦い、また殺すという日々の繰り返しだった。
負けた者は死体となってゴミのように打ち捨てられ、闘場の裏の焼却場で灰になるのを待つばかりだ。
ゆえに男は戦い続け、勝ち続けた。
体はどんどん大きくなり、力はどんどん強くなり、戦闘技術はどんどん向上していく。
男に敵う剣闘士はすぐに誰もいなくなった。
その実力を貴族らに持て囃され、男には褒美がもたらされるようになった。
だがそれを妬んだ剣闘士らに寝込みを襲われ、男はひどい拷問を受けた。
煮えた湯を繰り返し飲まされ、男は味覚と言葉を失ったのだ。
そのような目にあった男は彼らに復讐を果たす。
闘場に所属する剣闘士らを皆殺しにしたのだ。
そうして男は闘場から逃げ出した。
財産である奴隷の剣闘士らを皆殺しにされた貴族は怒り、男を殺害するべく追手を放つ。
男は西へ西へと逃げ続け、追手を殺し続けた。
逃亡の日々は3年に渡り、ついには追手もあきらめていなくなった頃、男は共和国へと流れついていたのだ。
そこで男は食うに困り、ある地方都市の豪商の館へと忍び込んだ。
その館には大勢の護衛がいたが、男は全てを皆殺しにして逃げた。
しかし男は疲れていた。
常に飢え続け、果てなく逃げ続ける日々に。
ゆえに男は街中に流れる川の橋の下で、剣で己の首を突いて自害しようとしたのだ。
だが、逃げた男を追って来た女がいた。
豪商の館に客人として呼ばれていた貴族らしき女だ。
その女は手に持っていた食糧や酒を男に渡して言った。
すばらしい剣の腕を活かして、自分の用心棒にならないかと。
そうすればもう飢えなくて済むし、逃げなくて済むからと。
飢えていた男は女から受け取った食糧を夢中になって貪った。
そして腹が満たされた時、男は決めたのだ。
己の生き方を。
男に手を差し伸べた女はマージョリー・スノウという元貴族だった。
☆☆☆☆☆☆
「くはっ!」
デイジーは茶屋の2階から中庭に落ちる寸前に受け身を取った。
それでも背中に強い衝撃を受ける。
だがそれ以上に衝撃的だったのは、自分をこうして中庭に突き落とすような一撃を浴びせた相手のことだった。
その男はデイジーよりも大柄だった。
しかもただ大柄なだけではない。
全身がしなやかな筋肉で覆われ、幅広の湾曲大刀を振るう手は剣を長年握り慣れた者の熟練度を感じさせた。
デイジーは一目でその男が強敵だと見抜く。
途端にデイジーの身に熱い血潮が駆け巡った。
久々に強敵と巡り合えたことで戦士としての本能が喜びを覚えているのだ。
だが、同時に彼女は危機感を覚えた。
目の前の強敵に手こずっていてはアーシュラを守ることが出来ない。
茶屋の2階に残るアーシュラはまだ十数人の敵に取り囲まれていた。
いくら抜け目のないアーシュラでもあれだけの数の敵を1人で相手にするのは無理だ。
「くそったれが。どこのどいつか知らねえが、てめえの相手を楽しんでしている暇はねえ。すぐに決めさせてもらうぜ」
そう言うとデイジーは全力で剣を男に向けて叩きつけた。
男はそれを一歩も引かずに受け止める。
互いの剣が砕けるのではないかと思うほどの激しい打ち合いが続いた。
一方その頃、2階に残ったアーシュラは毒の刃を持つ男たちに囲まれまいと懸命に廊下を駆けていた。
敵の数はなおも多い。
しかもこの茶屋の間取りを知っている男たちは巧妙に位置取りをして、アーシュラの脱出を阻んだ。
窓から飛び降りての脱出すらさせまいとする男たちに、アーシュラはとうとう廊下の突き当たりに追い詰められてしまう。
ひまわりの描かれた絵画のかけられた壁を背にアーシュラは立ち尽くした。
逃げ場を失ったアーシュラを相手に、男たちはその目を爛々と輝かせて一歩また一歩と迫ってくる。
それでもアーシュラは冷静な表情を崩さずに言った。
「そんなにワタシが邪魔ですか?」
「さあな。事情は知らん。ただおまえが死ねば俺たちはたんまりと金が手に入る。ならおまえは死ぬしかないってことだ」
「そのお金は王国から出るのですか?」
「今から死ぬおまえには関係のないことだ!」
そう言うと男たちは袋小路に追い詰められたアーシュラに一斉に襲い掛かるのだった。




