第169話 弟と妹、どっちがいい?
その後、前半の妊娠生活が嘘だったかのように、日々は穏やかに過ぎていった。
気づけば窓の外は黄色が目に優しいイチョウ並木から、しんしんと雪が積もる白銀の世界へと移り変わっている。
……と言っても、恥ずかしながら私の体重は順調に増加しているのだけれど……。
以前サクラ太后陛下が『生きているだけで太る』と言っていたけれど、あれって本当のことだったのね……としみじみしてしまったわ。
もちろん太らない人もいるらしいのだけれど、残念ながら私は『生きているだけで太る』方だったみたい。
さすがにぽっちゃりしすぎて、お医者様に「……体重、もう少し気をつけましょうか」と言われた時は、顔から火が出るかと思ったわ……。
暖炉の薪がパチパチと爆ぜるあたたかな部屋の中。
思い出していると、座っている私のお腹にぴったりと耳を当てていたアイが叫んだ。
「あっママ! ぽこちゃん動いてる!」
ぽこちゃんというのは、お腹にいる赤ちゃんの名前だ。まだ生まれていなくて正式な名前はつけられないけど、一時的な名前をアイがつけてくれたの。
なんでも、お腹に耳を当てるとぽこぽこ音がするから、だそうよ。とても可愛い名前ね。
ちなみに生まれた時に、男の子と女の子でそれぞれどういう名前にするかはもうユーリ様と相談して、ある程度候補を出してある。
もう少ししたら、アイにも意見を聞こうと思っているの。
「本当だわ。さっきまで静かだったから、今起きたのかもしれないわね」
そう言うと、まるで返事をするようにぽこちゃんが動いた。ぐ~という気配とともに、私のお腹がぐにょんと動く。
今はもう慣れたけれど、正直最初はすごく変な感じがしたわ。自分のお腹の中で、自分とは違う小さな何かが動いているんだもの。赤ん坊だとわかっているから可愛いものだけれど、もしこれが赤ん坊じゃなかったらと思うと……うっ想像して怖くなってきた。怖い展開は苦手なのよ。余計なことを考えるのはやめましょう。
「うっ、いたた。今日は元気ね」
お腹の子はなかなかやんちゃな子らしく、結構激しく動くこともある。時々肋骨に当たっているのかなんなのか、まぁまぁ痛かったりするのよね……!
これ、肋骨が折れたり内臓が傷ついたりしないのかしら、と少しだけドキドキしてしまう。
「こんなに元気ということは、男の子だろうか?」
アイの隣に座っていたユーリ様が聞く。
「どうでしょう? 女の子でも元気な子はいっぱいいますわよ」
知っての通り私は四人姉妹の長女なのだけれど、四姉妹全員性格が全然違うから、一概に「こう!」とは言えないのよね。
「あかちゃん、おんなのこかなあ? おとこのこかなあ?」
なおも私のお腹に耳を当てながらアイが言う。
「どちらかしらねえ……ちなみにアイは、弟と妹、どっちがいい?」
私が尋ねると、アイは「うーん……」と考え込んだ。
「アイはね……」
それから長いこと考えて、ようやく口を開く。
「アイは、いもうとがほしいかなあ……」
「妹なのね。それはどうして?」
「あのねぇ、いもうとだったらいっしょにおままごとできるでしょ?」
「アイはおままごと、大好きだものね」
「そう。おにんぎょうさんでも、いっしょにあそべる」
「そうよね」
少し前から、ようやくユーリ様とお父様、それから私の審査に合格した貴族のお嬢様たちが王宮に遊びに来るようになった。
どの家の子も信頼できる大変良い家柄の、かつ賢く行儀のいい子たちばかりで、このままアイを支える良き友となってほしいと願っているわ。
「あ~でも……」
アイがまた悩み始める。
「やっぱりおとうとがいいかも……」
「それはどうしてだい?」
「だって……」
ユーリ様の問いに、アイがちらりと見上げた。
「おとうとだったら……しょこらといっしょにおいかけっこしてくれるでしょ?」
ああ、そういえば。
アイの言いたいことに気が付いて、私はふふっと微笑んだ。
大変良い家柄のお嬢様たちというのは、言い換えれば、同時に大変躾がよく行き届いた小さな淑女なのだ。
つまりアイのように、ショコラと一緒になって王宮中を駆けずり回ったりはしない。
実際のところ、自分や妹たちの過去を考えると家の中では走り回っているのかもしれないけれど、人の目がある王宮内では走り回らないよう、親にきつく言い含められているはず。
それがアイには、少し物足りなく映るのだろう。
――……ちなみにこれは余談なのだけれど、本当はご令嬢たちと一緒に、貴族令息たちもアイのお友達として呼びたかったのだけれど、それはユーリ様とお父様によって一瞬で却下されたわ。
ユーリ様は、
「アイに男の友達なんて百年早い! パパだけではだめか!?」
と言うし、お父様は、
「男なんてダメだよダメダメ~。アイちゃんは聖女だから、うっかり変な男につかまると王位継承問題が起きちゃう~」
と言っていた。
……まぁ確かに、私とユーリ様が特殊なだけで、本来は聖女を娶った男性が歴代国王になってきたものね。
とは言えそれも法律で決まっているわけではなくあくまで慣習にすぎないのだけれど……その慣習が手強かったりするのよね。アイと結婚した男性が、それを理由に王位継承問題を起こさないとは限らないし……。
そういう意味でも、アイの婚姻は利用されやすいのでしょうね。
私はため息をついた。
親としては本人が幸せになってくれるのが一番大事なのだけれど、こればっかりは難しいわ。
その横ではまだアイが唇を尖らせて、この間の不満を一生懸命伝えている。
「このあいだ、しょこらとはしってたら、きづいたらアイひとりになってたんだよ。みんな、すごーくうしろにいるの」
私はふふっと笑った。
「と言っても、アイも本当は走り回ってはいけないのではなかったかしら?」
言いながら小さな頭を撫でると、ぷぅ、とほっぺが膨れる。
「そうだけどぉ……」
アイも、既に家庭教師をつけて少しずつ勉強をしている。その中には王女教育や聖女教育も含まれているので、「王宮内を走ってはいけません」という教えも、既に先生の口から聞いている。
とはいえ、生まれた時からずっとそういう教育を受けてきた令嬢たちと違って、アイはまだ令嬢、いえ王女としては赤ちゃんみたいなもの。私は気長に待つつもりだった。
それにアイは他国に嫁ぐわけでもないし……ここから気長に学んでいけばいいと思うわ。
「ふふ、これからゆっくりお勉強ね、小さな王女さま――……うっ」
その時だった。
お腹にズクン、とした痛みが走って、私の言葉が途切れる。
「ママ?」
「エデリーン、どうした?」
気づいたふたりが、心配そうに駆け寄ってくる。
「……っ、いえ、大丈夫よ。少し、お腹が張ってしまったみたい」
幸い、痛みは一瞬のことだけで、呼吸をしている間に消えていた。
いよいよ臨月も目前だものね。最近はこうしてお腹が張ることも増えていて、気の早いユーリ様からは万全の警備体制をつけられているわ。
「念のため、今日はもう横になりなさい」
心配したユーリ様が、いそいそと私をベッドに誘導しようとする。とはいえこの時期、うっかり私を抱き上げようものなら簡単にお腹がつぶれてしまうから、私に手を差し伸べるのが限界だったりする。
「そんなに心配しなくても」
「いや、だめだ、万が一何かあったら一生自分が許せなくなる」
なんて大真面目な顔で迫ってくる。その目があまりにも真剣だから、私もつい根負けしてしまった。
「ママ、あのねあのねっ! アイもおいのりする!」
ベッドに横たわった私に、てててっとアイも駆け寄ってくる。
かと思うと服の中からてのひらサイズの小さな袋を取り出し、それを握ってぎゅっと目をつぶった。
「めがみさま、ママをまもってください!」
「あら? アイ、手の中に握っているものはなあに?」
「あのねっ! これ、ママをまもってくれるおまもりなの!」
私が尋ねると、アイはいそいそと握り込んだものを見せてくれた。
袋には紐がついていて、そこをゆるめることで中に少しだけ物を入れられるようになっていた。
アイが紐を緩めてさかさまにすると、そこからコロンとした黒い丸い石が出てくる。
石は黒々艶々としていて、石というよりはオニキスのような宝石にも見える。
見たことのないものね。いつの間に手に入れたのかしら?
アイに渡るものは、それが食べ物であろうと物であろうと、基本的に私たちがすべて検査している。誕生日のプレゼントだって、ひとつひとつ事前に提出してしてもらって、すべて問題がないか調べてたのよ。
けれどこの赤い、何も飾りのない石は見たことがなかった。
「アイ、これはどこで手に入れたの?」
「んっとね……きょうおにわでひろったよ!」
なるほど。お庭。
確かに、場所によっては黒石を使っているお庭もある。けれどこんな宝石のようなもの、あったかしら……?
念のため、ホートリー大神官様に調べてもらおうかしら……?
「でも、なんでその石がお守りなの?」
「えっと……」
アイがちょっと気まずそうに口を開きかけた、その時だった。
また、ずくん! とお腹が痛くなったのよ。
「う……」
「大丈夫か?」
すぐにユーリ様が声をかけてくれる。
「念のため、お医者様を!」
「はいっ!」
「エデリーン、今日はもう休みなさい。私もついているから」
「はい……」
そのまま、アイの持つ黒い石のことはうやむやになってしまった。
そしてその日の夜――。
***
4巻分もそろそろ佳境です!






