第168話 私の妻が可愛すぎてつらい ◆――ユーリ
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◇ 国王・ユーリ ◇
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一日の仕事を終え、夕食を終え、私はそっとエデリーンがいる部屋へと入った。
いくつものランプで照らされた室内はまだ明るいものの、その明るさに反してエデリーンがいるはずの部屋の中は静かだった。
アイは今侍女たちの手によってお風呂に入れられており、しばらくしないと戻ってこないだろう。
「エデリーン……具合が悪いのか?」
私はベッドに横たわっている妻に声をかけた。
だがエデリーンはこちら側に背を向けて横になっており、その表情は見えない。
「……」
いつもなら打てば響くような返事が返ってくるのだが、今帰ってくるのは沈黙のみ。
もしかして、もう寝ているのだろうか?
確かめようと静かにもう一歩近づいたところで、エデリーンがもぞもぞと起き上がった。
「大丈夫か? 無理せず寝ていた方が――……」
寝ていた方がいい、と言おうとして、彼女の異変に気が付いた。
エデリーンはなんというか……ひとめで落ち込んでいるのがわかるほど顔が暗く……そしてドヨドヨという謎の音が盛大に出ていたのだ。
こ、この音は一体どこから出ているのだ!?
「エ、エデリーン? 一体どうした?」
わけがわからずに尋ねると、途端にエデリーンの顔がぐにゃりと歪む。美しい水色の瞳には涙がたまり、いまにも泣き出してしまいそうだった。
私はあわてて駆け寄ると、彼女の前にひざまずいた。
「ユーリ様、私、私……!」
悲しそうに言いながらエデリーンが両手で顔を覆う。
「私――二重あごになってしまいましたわッ!!!」
言って、エデリーンがワーッ! と泣いた。
……。
…………にじゅうあご?
一方の私は、彼女の言葉をうまく理解できていなかった。エデリーンの言葉がぐるぐると頭の中で回る。
にじゅうあご……というのは、あれだよな?
あごが……二重になっているということだよな?
まるで「黒髪は黒いです」という当たり前のことを確認するように、私は頭の中でその言葉を反芻した。
「にじゅうあご……に……?」
「はい! この恐ろしい姿を見てくださいませっ……!」
半泣きになったエデリーンが、覆っていた両手をそっとどかす。
その下から現れたのは――ほよりとした、エデリーンの顔だった。
「ああ……うん……? 言われてみれば……?」
確かに、ここ最近のエデリーンは以前より少しふっくらとした。
ほっそりとした顔がふんわりと。すらりとした白い手はつややかに。
何より折れそうなほど細かった腰が、今はやわらかな丸みを帯びている。
とはいえ、つわりで吐き戻していた時期は本当に「これで彼女は生きていられるのか!?」と見ている私が心配になるほどやつれていたので、「たくさん食べられるようになってよかった」と思って特に気にしない、いやむしろ「健康そうでよかった」と安心していたのだが……。
「油断していましたわ!」
べしょべしょと、エデリーンが普段気丈な彼女らしくないベソをかきながら続ける。
「体重が増えるのは自然なことと思っていましたが、まさか二重あごになるまで太ってしまうなんて! 王妃失格です!」
「そ、そうなのか……?」
いまいち理解できず、私はぱちぱちとまばたきを繰り返した。
エデリーンは、とても美しい女性だ。
柔らかな金の髪に透き通った湖のような水色の瞳。
特別派手な顔立ち――というわけではないものの、すっきりとした目鼻立ちは上品で清潔感があり、何より見る人に安心感を与える。私はいつも、彼女の人柄の良さがにじみ出ているのだろうと思っている。
妊娠前の痩せていた頃は百合の花のように美しい人だと思っていたし、少しふっくらして、エデリーンいわく二重あごになって丸みを帯びた今の顔も、優しいあたたかな雰囲気が増してそれはそれで大変好ましいと思っているのだが……。
「もうおしまいですわ! まだ臨月にもなっていないのにこんなに太ってしまうなんて!」
ワッ! と叫んでまた顔を覆ってしまう。
私は急いで励まそうとした。
「そ、それほどは変わっていないと思うが」
「!? 妊娠する前もこれほど太っていたということですの!?」
しまった。言葉を間違えた。
途端に険しくなった形相に私は自らの過ちを悟る。
「ああいや、そういう意味ではなく……!」
考えろ、考えるんだ私。
どの言葉だったら彼女の心を傷つけずに慰められるかを……!
「その、以前の君ももちろん美しかったが、今の君も優しそうで、とてもいいと思う」
「優しい!? 優しいってなんですの!? それ、友達が紹介した婚約者に褒められるところがなくて『優しそうな人ですわね』って言う時の優しいと何が違いますの!?」
まずいまずいまずい。
ちょっと待ってくれそんな風に受け取るのか? 言葉選びが難しすぎないか?
私の頬をツ……と冷や汗が伝う。
次、言葉を間違えたらとんでもないことになる気がする……!
野生の勘がそう訴えているのを感じて、私はごくりと唾を飲んだ。
そして思い出していた。以前、エデリーンがいない時を見計らって、サクラ太后陛下に忠告された言葉を。
『いいですか、ユーリ。妊娠中、エデリーンは少し情緒不安定になるでしょうが、仮に情緒が安定している時でも、決して彼女の体形について何ひとつ、ひと言も、微塵も言ってはいけませんよ。たとえ自分では褒めたつもりでも駄目です。なぜならその時の言葉は一生――女性の心に刻まれるのですから』
そう言った時の太后陛下は、かつてないほど不穏なオーラを漂わせていた。
思わず私も、そばにいたホートリー大神官もごくりと唾を飲んでしまったほどだ。
もしかしたら前の国王、つまり私の父が何か盛大にやらかしていたのかもしれない……。
思い出しながら、私は覚悟を決めて顔を上げた。
「エデリーン!」
それから彼女の両手を握る。
エデリーンは興奮しつつも、どこか泣き出しそうになっていた。そんな彼女の目をまっすぐ見る。
「君が今気にしていることを否定するつもりはない。女性にとって体形はとても大事なものだと聞くから」
とにかく、飾らず、まっすぐ、私は私の正直な気持ちを話すことにした。
「けれど私にとって……君の姿がどんな風に変わろうとも、君が私にとって大切で、愛おしい女性だというのは変わらないんだ。それに私は、君がたくさん食事を取れるようになって本当に安心している。つわりでやつれていた頃は、本当に心配で気が気じゃなかった」
その気持ちが伝わったかはわからない。けれどそれまで鼻息の荒かったエデリーンが、少し落ち着いていった気がした。
「ユーリ様……」
すん、と鼻をすすりながらエデリーンが続ける。
「ではもし……私がぷくぷくになってしまっても愛してくださいますの?」
「ああ、もちろん」
「太りすぎてユーリ様より体重が重くなっても?」
「愛するとも」
「太りすぎて自分では歩けなくなったとしても?」
「あ、愛してみせる」
最後のは愛するかどうかよりエデリーンの体が心配になってしまうが……念のため、それは今言わないことにした。
「………………そうですか」
やがてたっぷりとした間のあと、エデリーンがうつむいてふぅと息を吐いた。
「…………ユーリ様」
「なんだ」
内心ドキドキしながら返事をする。
彼女は今うつむいていて、表情が見えない。言葉は穏やかになったものの、もしかしたら実は怒っていたりする可能性もなくはない。
「…………って……してくれませんか……」
それは小さな声だった。小さすぎて、すべて聞き取れない。
「すまない、もう一度言ってもらえないか?」
「だから……っ!」
どこか焦れたようにエデリーンが言う。
「……ぎゅって……! 抱きしめてもらえませんか……!」
そう言って私を見たエデリーンは、真っ赤な顔をしていた。
私は一瞬息を飲んだ後、あわてて返事をした。
「も……もちろん!」
すぐさま、ぎゅっとエデリーンを抱きしめる。
それから力が強かった気がして、あわてて腕を緩める。
思えば、こういう風にエデリーンを抱きしめたるのは久しぶりだ。
基本的にアイを連れていることが多いし、エデリーンが妊娠してからはなかなかこういう風に触れられなかった。
妊婦というのは私にとっては未知の生き物で……気をつけていても私はそれなりに力があるから、ふとした瞬間に壊してしまったらどうしようと心配になっていたのだ。
「大丈夫か? 苦しくないか?」
「大丈夫……ですわ……。……なんだかとても安心します」
そう腕の中で恥ずかしそうにつぶやくエデリーンの様子が可愛らしくて、いじらしくて。思わず胸がドキドキしてしまう。
なおももじもじとしながら、エデリーンが神妙な声で言った。
「先ほどはごめんなさい、ユーリ様。ユーリ様は日々頑張ってくださっているのに、私ったらあんなことで迷惑をかけてしまうなんて……」
「何を言うんだ、エデリーン」
私は目を丸くした。
「迷惑だなんてとんでもない。君は今、命をお腹で育てているんだ。つわりの時も大変だったし、つわりが終わったからといって元の体に戻ったわけじゃないんだ」
「それは……そうですが……」
「むしろ、何もつらさを代わってやれずに申し訳ない。その代わり何か欲しいものや、してほしいことがあったら全部言ってくれ。すべて叶える」
「全部……ですか?」
言いながらエデリーンが腕の中からちらりと上目遣いで見上げてくる。
普段気丈な彼女のそんな姿も可愛くて……うっかり口づけしそうになったのを私は必死でこらえた。
「なら……」
エデリーンが腕の中で恥ずかしそうに顔を伏せる。ああもうその顔も可愛い。私の妻はこんなに可愛かったか? うん、可愛かった。
「たまに……アイがいない時にでも、こうして抱きしめてくれませんか……?」
――ッッッ!!!
その言葉を聞いた時の私の気持ちと言ったら!
この場でエデリーンを押し倒さなかったことを、心底褒めてほしいと思った。
「もちろんだ! 何回でも、いくらでも!」
押し倒す代わりに気持ちを込めて言うと、エデリーンがふふっと笑った。
「人目がありますから、そんなにはできませんわ」
その笑顔はまさに、聖母。
可憐でいながら、包み込むような優しさも持ち合わせた、女神。
……ぬぐう。私の妻が可愛すぎてつらい。
ぶるぶると手を握ってこらえながら、私はじっとエデリーンを見つめた。
「……エデリーン。私からも、ひとつだけお願いしてもいいだろうか……」
「? はい、なんですか?」
「君に口づけたい」
「なっ!」
率直な気持ちを言うと、エデリーンの顔がボッ! と赤くなった。
「~~~っ! ゆ、ユーリ様ったら……! いつアイが帰ってくるかわかりませんのに……!」
「駄目か?」
私がしゅんと眉を下げると、顔を真っ赤にしたままのエデリーンがふるふると震えながら私を睨んでくる。
「い、一回だけなら……!」
「!」
その言葉に、満面の笑みが浮かぶ。
それからエデリーンの言葉が撤回される前に。そしてアイたちが帰ってくる前に、私は加速的速やかに行動に移したのだった。
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ユーリ色々よくがんばったで賞






