第151話 これは――イケるわ!!!
――それから数日後。
生誕祭の延期を決定し、なおも思い通りに動かない体にベッド上でうめいていると、アンが駆け寄ってきた。
「エデリーン様。サクラ太后陛下がハロルドと一緒にやってきていますが、お通ししても大丈夫ですか?」
「サクラ太后陛下が……? ええ、大丈夫よ」
返事をして、私はなんとか体を起こして軽く身支度を整えてもらう。
私が起きたのを見て、部屋の隅でショコラと絵本を読んでいたアイも駆け寄ってくる。
――あれからハロルドは、さまざまなものを持ってきてくれていた。
カットフルーツにカット野菜。極限まで味を薄くしたポタージュに、卵だけで作ったシンプルなオムレツ。オートミール、野菜だけで作ったサンドイッチ、ヨーグルトにプリンにスムージー。それからフルーツゼリーとシャーベット。
けれど、しっかり食べられるものは残念ながらほとんどなかったわ。
林檎のフルーツゼリーやシャーベットだけはかろうじて食べられたけれど、それも日によっては受け付けない時もあった。
あとゼリーやシャーベットであっても、柑橘系は全滅だったわね。
「休んでいるところごめんなさいね、エデリーン。その後調子はどう?」
部屋に入ってきたサクラ太后陛下がベッドそばに座る。
「お気遣いありがとうございます、太后陛下。あいかわらずつわりがなかなか収まらなくて……」
「大変ね……。わたくしもつわりはあったけれど、あなたほどではなかったわ。早く収まるといいのだけれど……」
「こればっかりは体質ですから仕方ありませんわ」
諦めたように言う私に、太后陛下が控えめに声をかける。
「それで……物はためしなのだけれど、よかったらこれを食べてみない? 駄目そうだったらすぐに吐き出して大丈夫だから」
その言葉に合わせるように、小さなワゴンを押したハロルドが入ってきた。
ワゴンの上にはお皿が載っていたけれど、今は丸い銀の蓋がかぶせられていて中身までは見えない。
「よう! サクラ太后陛下指導のもと、新作を作ってみたぜ!」
太后陛下指導のもと、ということは……。
「もしかして、〝ニホン〟のものでしょうか?」
――〝ニホン〟。それはサクラ太后陛下やアイたちが住んでいた、異世界のことだ。
私はすぐさまアイを見た。アイも私を見て、キラキラと目を輝かせている。
「そうよ。まったく一緒というわけにはいかなかったけれど……見て」
太后陛下の言葉とともに、ハロルドが銀の蓋を持ち上げた。
現れたのは――。
「…………ゼリー、ですか?」
そこに載っていたのは、細長い長方形をした黒っぽい、一見するとゼリーのようなつやつやぷるぷるとした食べ物だった。
大きさは、カット前のフロランタンぐらいはあるかしら?
ただしゼリーと大きく違うのは、その物体が透き通る褐色をしていたことよ。
葡萄ゼリーにしては茶色すぎるし、チョコレートにしては透明感がありすぎる。
私とアイは目を丸くしてそれを見つめていた。
「ふふふ。アイちゃんはこれ、何かわかるかしら?」
いたずらっぽい笑みを浮かべたサクラ太后陛下が、アイに聞いている。
けれど、同じ異世界出身であるアイにも見覚えのない食べ物らしい。
小さな頭をこてんと横に倒して、アイは不思議そうに聞いた。
「おばあちゃん、これなあに?」
「にゃお~ん?」
アイの横ではショコラも不思議そうに首をかしげている。その動きがアイとリンクしていて、思わずふふっと微笑んでしまう。
「あら、もしかして今の若い子は馴染みがないのかしら……?」
太后陛下が少し寂しそうに言いながら、黒文字で褐色の食べ物をひとり分切り取ってお皿に載せている。
「これはね――〝水羊羹〟と呼ばれるお菓子よ」
ミズヨウカン?
聞いたことのない響きは、やっぱり〝ニホン〟の食べ物なのだろう。
「少しゼリーに似ていると思うわ。寒天を用意できなかったから、代わりにゼリーの材料で作ってもらったの」
カンテン。これも聞きなれない単語だ。
「いわば……餡子のゼリーってところかしらね」
「あんこ!」
その単語に、アイがキラキラと目を輝かせた。
「まぁ! 餡子なんですのね!」
餡子は私も大好物だ。
……ただし、今食べられるかどうかは謎、だけれど……。
とっくの昔に、ケーキやフィナンシェなどの甘いお菓子類は全滅していたから、もったりした餡子は最初から除外していた気がする。
「まずは……アイちゃんに食べてもらおうかしらね。エデリーン、構わなくて?」
「もちろんですわ」
先に私が食べて、もし受け付けなかった時のことを考えると悲惨すぎるもの。
なんならみんながいない時にひとりで試したいぐらいよ。
そう考えている前で、太后陛下が黒文字で水羊羹を切っていた。
やわらかいゼリーと同じ材料を使っているだけあって、黒文字が音もなく水羊羹の中に吸い込まれる。
小さめのひと口サイズになったそれを、サクラ太后陛下がそっとアイの口元に運ぶ。
「はいアイちゃん、あーん」
「あーん」
あーんされるまま、アイのちいちゃなお口がぱかっと開く。
それからスポッと水羊羹が口の中に吸い込まれ――。
「ん……」
もぐもぐもぐ。
「ん……んん~~~!!!」
アイの顔が、お花が咲いたようにぱぁぁっ! と輝いた。
「おいし~~~ねぇ~~~!」
「ふふふ。よかったわ、気に入ってくれて」
サクラ太后陛下が嬉しそうに微笑んでいる。それから、太后陛下は私を見た。
「どう? あなたも、少しだけ試してみる?」
スッと差し出されたのは、アイにあげたものよりさらに小さく小さく切り分けられた水羊羹だ。
私はごくりと唾を呑んだ。
水羊羹はゼリーと似ているからか、今のところこれといった匂いはしない。
私は角砂糖よりもさらに小さく切り分けられた水羊羹に、そっと黒文字を刺す。
ふるり、とかすかに揺れながら、水羊羹は静かに音もなく黒文字を飲み込んだ。表面が光を反射して、つやつやと、まるで透き通った宝石のように光っている。
ちらりとそばを見れば、桶を抱えたアンが、まるで戦場に望む騎士のようにきりりとした顔で私にうなずいていた。
……準備はできているってわけね。あとは私の覚悟だけ。
「……いただきます」
ふーっと深呼吸をしてから、私は思い切ってぱくりと水羊羹を口に運んだ。
すぐに心地よい、つるり、ひんやりとした冷たさが舌に触れる。
それからふわりとほどけるように、口の中に滑らかで優しい甘みが溶け広がっていき――……。
「……ん!」
私はパッと目を輝かせた。
みずみずしく鮮烈な果物とは違う、餡子ならではの控えめで上品な甘さ。
これは――イケるわ!!!
「どう……かしら?」
サクラ太后陛下が恐る恐ると言った様子で尋ねてくる。
「おいしい……ですわ! それに、全然気持ち悪くなりません!」
覚悟していた濃厚さはなく、むしろ、つわりで弱っている体に餡子の甘味がじんわりと染み込んでいくようだった。
意外! まさかこれを食べられるなんて!
私はもうひと口、先ほどより少し大きめに切って口に入れた。
口の中に広がるのはやっぱり幸せな甘さだ。
吐き気を刺激する酸味もエグみもまったくない。
ああ、そういえばこんな風に甘みを感じるのは、久しぶりな気がするわ……!
「んん~! おいしい!」
「よかった」
私が水羊羹を堪能していると、サクラ太后陛下がホッとしたように微笑んだ。
「普通の餡子はおいしいけれど、少しもったりしているでしょう? でも水羊羹なら少しはその食感も薄まるかと思って」
「まさに、ですわ。それに、普通に餡子を食べるよりさらに味が優しい気がいたします」
「そこもね、ほんの少しだけ薄味に作ってもらったのよ」
また太后陛下がふふふと嬉しそうに笑う。
「これあんこなのに、ぷるぷるなんだねぇ」
不思議そうに見ているアイに、サクラ太后陛下がまたひと口、水羊羹を差し出している。
アイは「あーん」と大きくお口を開けて、スポッと水羊羹を吸い込んだ。
「そうよ。食べ物はね、作り方次第で色んな物に変身できるの。素敵でしょう?」
「うん! すてき!」
「にゃーん!」
そこに突如混じる高い鳴き声に、私は目を丸くした。
見ればアイのすぐそばで、ショコラが目をキラキラと輝かせて鎮座している。
まるで、「私の分は?」といわんばかりの目の輝きっぷりだ。
「おいネコ。残念ながらお前の分はないぞ。ネコに食わせられるわけないだろ」
「にゃーん!?」
ハロルドの言葉に、ショコラがショックを受けたようにひときわ大きく鳴いた。
かと思うと。
「にゃあおおおおん!!!」
「うわあ!? いててててっ!!!」
明らかな敵意を持って、ショコラがハロルドにとびかかったのよ。
「なんだこいつ!? 最近俺にだけやたら攻撃的じゃねーか!?」
「にゃおおおん!!!」
普段アイには決して見せない獰猛な表情と攻撃的な鳴き声を出しながら、ショコラが長い爪を服に食い込ませ、ぐいぐいとハロルドの体をよじ登っていく。
「おわっ……! ちょっ! やめろって! いてえ! 爪を立てるな!」
ショコラを引っぺがそうとするハロルドと、意地でもハロルドをよじ登ろうとするショコラがもつれあいながら扉の奥に消えていく。
万が一にでもショコラが遠くに飛んで私に当たらないよう、配慮してくれたのだろう。
その後もしばらく扉の向こう、廊下の方からハロルドとショコラの格闘する音が聞こえていた。
「しょこらねぇ、おこってるよ」
水羊羹を入れたほっぺをもぐもぐさせながら、アイがけろりと言う。
サクラ太后陛下が目をぱちくりとさせた。
「怒ってるの?」
「うん」
ごくん、と口の中のものを飲み込んでアイが答える。
「『いつもいつもあんたのせいでぇ!』っていってるよ」
それを聞いて私は笑った。
「ふふっ。確かに、いつもショコラのを邪魔するのはハロルドだものね?」
ハロルドは多分、まだショコラが魔物だと気付いていない。
だから彼なりに気遣って、猫であるショコラに人間の食べ物を食べさせないようにしてくれているのだろう。
猫って、本当は玉ねぎもチョコレートも毒になるものね。
でもそのせいでショコラに怒られているのだとしたらちょっとかわいそうだわ。
ハロルドにもそれとなく教えてあげるべきかしら……?
考えながら、私は先ほどよりもさらに大きな塊をパクリと口の中に入れた。
「う~んっ! おいしい! もったり濃厚な餡子もおいしいけれど、このつるんっとした食感がたまりませんわ!」
言いながらさらにもうひと切れ自分のお皿に載せると、そのままひと切れ丸ごと黒文字で刺して食べようとした。
「ちょ、ちょっとちょっと、エデリーン?」
そんな私に、サクラ太后陛下があわてて声をかける。
「どうしました?」
ぱくんっ。
私はひと切れ全部口の中に入れてから、サクラ太后陛下に向かってにっこりと微笑んだ。
でも太后陛下はどこか困ったような顔をしていた。
「あのね、つわり中のあなたが食べられるものだったのはとっても嬉しいけれど、少し食べすぎではなくて……!?」
「そうですか? でもまだそこに、たくさん残っていますよわね?」
パクリ。
もうひと切れ食べたところで、あわてた顔のサクラ太后陛下がサッと水羊羹に銀の蓋をかぶせる。
「エデリーン、これはみんなで食べる分よ! 一本がひとり分じゃなくて、ひと切れがひとり分なのよ!」
「そうなんですのね……? 私はまだ全然食べられますのに……」
私はジッ……と銀の蓋の下に隠されたつやつやの水羊羹を切なそうに見つめた。
「だ、駄目ですよ! これで吐いてしまったら元も子もないでしょう! 今日はここまでです」
あわててサクラ太后陛下がワゴンごと後ろに押しやっている。
「そんな……」
悲しそうに眉を下げてから、私はアイが持っているお皿に気づいた。
そこにはまだ、つやんっと輝く水羊羹が載っている。
私がじっと見ていることに気づいたアイが、ごくりと唾を呑んだ。
「…………ママ、たべる?」
恐る恐る、といった様子で私に聞くアイに向かって、私はあわてて手を振った。
「だ、大丈夫よ大丈夫! それはアイのなんだから、アイが全部食べていいのよ!」
うっかりちょっと見つめすぎちゃったけど、さすがにいくら私でも娘の食べ物を奪う気にはなれないわよ!?
それからパチッとサクラ太后陛下と目が合って――。
「ふふっ」
太后陛下が噴き出した。
「元気になってよかったわ。まさかあなたが、こんな風に食べ物に執着を見せるなんて」
「こ、これもつわりのせいかもしれませんわね……!?」
おかしい。
普段ならもう少し、淑女っぽく振舞えているはずなのだけれど……!? 久々に食べられるものがあったからかしら……!?
冷や汗をかきながら答えると、サクラ太后陛下はまた笑った。
「そうね、きっとそうだわ。そういうことにしておきましょう」
くうっ……。
とんだ恥ずかしいところを見られてしまった……。
肩を落とす私に、サクラ太后陛下が優しく触れる。
「でも、わたくしはあなたのこんな姿が見られて嬉しかったですよ。もうひとり、娘ができた気分だわ」
「サクラ太后陛下……!」
太后陛下の優しい言葉に私がじんとしかけた時だった。
「ただし」
ぴしり、と人差し指を立てながら、サクラ太后陛下が小さな子供を叱るように言う。
「水羊羹を食べられるようになったのはいいことですが、食べすぎは体に毒です。くれぐれも適量を守るのですよ?」
「はっはい!」
「アイちゃんも、ママが食べすぎてたら注意してあげてね」
「わかった!」
ふんっ! と鼻息荒く、アイが答える。
見れば黒いつぶらなおめめは、使命感にメラメラと燃えていた。
まずい……これは本当に食べすぎたら、アイに怒られるわね……!?
でもアイに「めっ」ってされるのも、捨てがたいかも……。むしろ、ちょっとされたい。
「わかりましたか、エデリーン」
「はいっ」
邪な気持ちを抱いていると見抜かれたのか、またサクラ太后陛下にぴしりと注意された。
それから太后陛下がふふふっと笑う。
「早くつわりが終わることを祈っているわ。それまで生誕祭のことは私に任せて、焦らずにゆっくり過ごすのよ」
「サクラ太后陛下……ありがとうございます」
太后陛下の気遣いがどこまでも優しい。まるで本当のお母様のよう。
生誕祭の準備も、サクラ太后陛下が指揮を取ってくれるなら、私も心配せずに休んでもいい気がした。とはいえやっぱり自分の手で準備したい気持ちもあるのだけれど。
「せーたんさい! せーたんさい! はやく、ママがなおるといいねぇ」
「そうね。なおったら、最高のお誕生日にしましょうね」
私はアイの頭を撫でた。
羊羹、日にち持つし非常食としても大変有能なんですよね~。井村屋のチョコようかん5本入りを非常食として常備しています。






