第145話 夜明け
――その日の深夜。
私は隣に寝ていたはずのユーリ様が部屋から出て行ったのを確認してから、そっと起き上がった。
「アイ……アイ……」
既に寝息を立てていたアイを、優しく揺り動かす。
「……うぅ……ん……なあにママ……」
「ごめんね、起こして。でも起きてほしいの。アイ、ローズ様たちに会いたくない?」
ローズ様。
その単語に、アイの目がぱちりと開く。
「あう!」
「ふふ、アイならきっとそう言うと思ったわ。さぁ、夜は寒い。これを着て」
言いながら私は、ベッドの下に潜ませていた毛皮のコートを取り出した。
きっと必要になると思って、寝る前に自分の分とアイの分を両方隠しておいたのよ。
「でも、もうまっくらだよ? なんでいまあいにいくの?」
分厚いコートに袖を通しながら、アイが不思議そうに言う。
「それはね……ついてくればわかるわ」
言って、私たちはそっと部屋を抜け出した。
向かう先は、王宮と大神殿の間に存在する魔法牢だ。
そこは通常の牢獄とは違い、魔力を持つ人物や生き物を閉じ込めておくために結界が張り巡らされた特別な牢獄。
当然、ローズ様とアイビー様もここに入れられていた。
戸惑う門番の前を通り過ぎ、アイとともに石畳の建物に入れば――そこには私の予想通りの人物が立っていた。
「ユーリ様。アイに別れの言葉も言わせてくれないだなんてひどいではありませんか」
頭まですっぽりと外套を羽織ったユーリ様だ。
彼は私たちを見て驚いたようだった。
「エデリーン……! それにアイ! どうしてここに?」
「ユーリ様ならこうするだろうと思っていたので、密かに準備していました」
私の言葉に、ユーリ様が諦めたような笑みを浮かべる。
「君にはすべてお見通しか……」
「最近ようやくユーリ様が何を考えているか、少し掴めるようになってきた気がしますわ」
言って、私は微笑みながら鉄格子の奥にいる人物を見る。
「……なんだ。こんな夜更けに大勢で押しかけてくるとは」
そこにいたのは、穏やかな顔で座っているローズ様だ。隣には落ち込んだ様子のアイビー様もいる。
「まじょさま!」
心配そうな顔をしたアイが、たたたっと駆けていく。それから鉄格子に阻まれ、泣きそうな顔でこちらを見た。
「大丈夫よ。ユーリ様、アレを持っているのでしょう?」
「ああ」
言って、ユーリ様は鉄格子に不思議な紋章が書かれた板をかざした。
途端に、シュンッという音とともに、ローズ様と私たちを隔てていた鉄格子が消え去る。
「なんと……」
「まじょさまっ!」
解放されたところで、すかさずアイがローズ様に抱き付く。そんなアイを受け止めながらローズ様は言った。
「いいのか? 魔法牢を解除してしまって」
「構わない。どのみちあなたたちには脱獄してもらうつもりだから」
「脱獄」
それを聞いたローズ様は一瞬目を丸くし、それから「はははっ!」と笑い始める。
「一体何を言い出すかと思ったら、まさか脱獄とは! お前はそういう冗談を言うようなタイプに見えなかったのだが」
「冗談ではない」
ユーリ様は真剣そのものの表情で言った。
「先ほども言ったが、あなたが元魔王である以上、無罪放免にはできない。だが私は、あなたを人間の法律で罰する気もないのだ」
「ほう……」
ユーリ様の様子に、ローズ様も真面目な話だと気づいたのだろう。隣にいたアイビー様も何事かと耳をすましている。
「このままあなたたちを捕らえていれば、事態を知った諸外国が黙っていないだろう。生きているなら身柄を引き渡せと要求してくる国もきっと出てくる。それを容認すればあなたたちがどんな扱いを受けるかわからないし、拒否すれば国家間の問題に発展するだろう」
ユーリ様の話を、私はうなずきながら聞いていた。
――数百年も魔界を支配した魔王。
それが生きていて、かつ人間にとって害のない存在となっていれば、間違いなく欲しがる国がでてくる。
魔王の生態、魔界の生態、魔王の持つ知識……。
ローズ様のみが知る、まだ解明されていない知識をなにがなんでもローズ様から聞き出そうとするだろう。
でもそれは、かつてローズ様を捕らえて利用した神竜国のように、またもや人間がローズ様を利用し尽くすことを意味していた。
ようやく苦しみから解放されたと言うのに、また利用されるなんて……あんまりだわ。
心優しいユーリ様が、そんなことを許すはずがない。
だからきっとローズ様たちを逃がしに行くだろうと思って、準備していたのよ。
見事その予想が当たって、今に至るというわけだった。
「なるほどな……」
私たちの言葉に、ローズ様がふっと微笑む。。
「まさか魔王であった我を、そこまで気遣ってくれるとはな……」
「主様。ここはすぐにでも逃げましょう」
いつの間にか勢いを取り戻していたアイビー様が、ローズ様をせかす。
「お前はせっかちだな! まだ礼も言っておらぬというのに」
「ですが」
食い下がるアイビー様に、ローズ様はわずらわしそうに手を振った。
「せめて別れの挨拶ぐらいさせよ!」
「……承知いたしました」
渋々、といった様子でアイビー様が下がる。それを見てから、ローズ様はそっとアイの頭を撫でた。
「汝には本当に世話になった。まさかこんなにちんまい子どもが、本当に我の痛みを取り除いてくれるとは。何百年もの間、ずっと消えずに我を苦しめていたというのに」
「……それはもしかすると、アイの〝対象浄化〟のおかげかもしれませんわね」
「対象浄化、か……。そのスキルがあるのは知っておったが、まさか我の痛みに効果があるとは」
ローズ様の言葉に、私は説明した。
「ホートリー大神官が言っていたのですが、ローズ様の体を蝕んでいたのは恨みと言う名の呪いなのだそうです。人間の執念が染みついた恐ろしい呪い。それをアイが無意識のうちに、スキルで浄化していたのではないか、ということでしたわ。時折、アイ様がローズ様のお膝に触れていたでしょう?」
私の言葉に、ローズ様の視線がアイに注がれる。けれどアイは不思議そうに首をかしげただけだった。
「きっと無意識だったのかもしれませんわ。アイはそういうのに敏い子ですから」
ローズ様の過去は知らなくても、ローズ様の痛みには気づいていたのだろう。
だからアイにできる唯一のこと――スキル〝対象浄化〟を、少しずつ発動していたのかもしれない、というのがホートリー大神官の推察だった。
「なるほどな……。ここに来てから発作が起きなくなったと思っていたが、それは本当に聖女のおかげだったのか」
「ほら、私の言った通りだったでしょう。やはり最初から聖女を頼るべきでした」
ここぞとばかりにずいっと出てきたのはアイビー様だ。
ローズ様が鬱陶しそうな顔をした。
「ええい、うるさい奴だ。お前など我を怒らせるだけ怒らせて、あんな場所で竜化させたくせに!」
アイビー様がぷいと目を逸らす。……どうやら一連の騒動は、アイビー様にも原因があるみたいね?
ふたりのやりとりに、私はふふっと笑った。
だって、元魔王とその側近とは思えないくらい平和なやりとりだったんだもの。
釣られるようにアイも笑う。ユーリ様も微笑んでいた。
気づけばローズ様も笑い、アイビー様も笑っていた。
「これからおふたりは、どこへ行かれるんですか?」
私が聞くと、ローズ様がそうだな……と目を細める。
「魔界にはもう帰れぬだろうから、どこか寝心地のいい山でも探そうかと思う」
「お供します」
すかさずアイビー様が言う。
ユーリ様もうなずいた。
「わかった。……もしどうしても見つからない時には、またマキウス王国に来るといい。意外とこの国にも、いい山はあるんだ」
私は目を丸くした。ローズ様とアイビー様も目を丸くしていた。
ユーリ様がそんなことを言い出すとは思わなかったのよ。
みんなに見つめられていることに気づいたユーリ様が、気恥ずかしそうにごほんと咳ばらいをした。
「り、竜に対する扱いとして、何もおかしなことではないだろう? それにあなたたちは、アイの友達だ」
「アイ、まじょさまだいすきー!」
パッと両手を上げたアイが、ここぞとばかりに飛び跳ねる。
「我も聖女が……いや、アイと言ったか。我も汝のことは好きだ」
「んふふー!」
好き、と言われて、アイが得意げな顔になった。
「アイは本当にローズ様のことが好きね……」
そこまで言って、私はふととあることを思い出した。
……そういえば、そもそもアイがローズ様を好きになったきっかけって……。
「……あの、ローズ様。最後にひとつお聞きしてもよろしいですか?」
「なんだ?」
私はごくりと唾を呑むと、ずっと気になっていたことをぶつけた。
「アイは、異世界からやってきました。その時にアイを異世界から連れて来たのはローズ様……あなたではないのですか?」
私はまっすぐローズ様を見つめた。彼女の青い瞳も、まっすぐ私を見つめている。
「……そうだな。もう隠している必要もあるまい。汝の推測通り、聖女をこの世界に連れて来たのは我だ」
やっぱり……!
私はアイやユーリ様と顔を見合わせた。ローズ様が続ける。
「本当は聖女の弱体化を狙ってそやつを連れて来たのだ。幼く、今にも死にそうなか弱い命だったら、聖女として役に立たないだろう? だから我の力を持って女神の紋に侵入し、女神が選ぶ前に、我がそやつを選んだ」
ローズ様の話を、アイはじっと聞いていた。
「だがまさか、弱いどころかここまで力の強い聖女に育つとはな……。我の目はとんだ節穴だったということだ」
そういうことだったのね……。
ようやく私は納得がいった。
なぜたった五歳のアイが聖女に選ばれたのかずっと疑問だったのだけれど、ローズ様がそこに一枚嚙んでいたなんて……。
私は一歩進み出ると、そっとローズ様の手を握った。
「な、なんだ。恨んでおるのか」
「いいえ。逆です」
私は微笑んだ。
「ローズ様がアイを選んでくれなければ、きっとあの子は無事ではすまなかったでしょう。ローズ様、あなたはアイの命の恩人なのです」
言いながら、ぎゅっとローズ様の手を握る。
「アイは私たちのかけがえのない子。助けてくださり、本当にありがとうございます」
「私からも礼を言いたい。この恩は決して忘れない」
ユーリ様と私が心からのお礼を言うと、ローズ様は変な顔をした。
「……なんぞ。礼を言うのは我のはずが、なぜか逆に感謝されてしまったな……」
「いいですね。私は主様が感謝されているところを見るの、好きです」
無表情のアイビー様がすかさず言う。
「あいかわらずお前は……」
「それより主様。そろそろ夜明けも近いです。逃げるのなら急ぎ出発した方がよいのでは」
アイビー様の言う通り、地平線の彼方がわずかに色づき始めていた。
「確かに、明るいと人目に付きやすいしな……」
それからローズ様はしゃがむと、アイの顔を見た。ローズ様はずっと魔法椅子に座っていたから、こうしてふたりの目線が同じ高さになるのは初めてだった。
「アイよ」
女性にしては低い声が、ゆっくりとアイの名を呼ぶ。
アイも大きな瞳でじっとローズ様を見つめた。
「汝から受けたこの恩は、決して忘れぬ。汝が悲しい時、辛い時、苦しい時、きっと我が力になろう」
そう言って、ローズ様は胸元から何かを取り出した。
「これをやろう。我の鱗だ」
それはキラキラと光る、白い鱗。
「わあ……! きれい!」
受け取ったアイが興奮に目を輝かせる。
「もし我を呼びたくなった時、その鱗に向かって念じよ。そうすれば我はいつでも駆け付けよう」
「これがあれば、まじょさまとおはなしできるってこと?」
「そうだ」
「やったあ!」
鱗を天高く掲げて、アイが嬉しそうにぴょんぴょんと飛び回る。
「これでアイも寂しくないわね」
「うんっ!」
アイはふくふくと笑った。ほっぺが林檎のように赤く染まり、きゅっと細められた目は、きらきらと輝いている。
満面の笑みに、見ている私まで嬉しくなってしまったわ。
同じく微笑んだローズ様の顔も、今までに見たことがないくらい穏やかだった。
そこにアイビーがそっと肩にショールをかける。その仕草はローズ様が愛おしくて仕方ない、と語っていた。
その後、魔法牢を出たアイビー様はすばやくワイバーンの姿に変身した。……やはりあの時ユーリ様を襲おうとしたワイバーンは、アイビー様だったのね。
「それじゃあ、達者でな」
さすがにローズ様の方は竜化すると大変なことになるため、人間の姿のまま、アイビー様の背中に乗っていた。
ワイバーン姿のアイビー様がゆっくりと翼をはばたかせて、上昇する。
かと思うとふたりの姿は雲に紛れ、あっという間に見えなくなった。
「……さぁ、私たちも戻ろう」
「……うん」
「きっとまたいつか、会える日も来るわ」
「……うん」
ローズ様たちが飛び立っていた空を見ながら、アイはぎゅっと手の中の鱗をいつまでもいつまでも握っていたのだった。
******
さ、最後の更新が去年の2月???(気絶
いくらバタバタしていたからってあまりにもいっぱいいっぱいすぎて笑……えませんねごめんなさい!!!(土下座
2025年は5歳聖女4巻の本文にも丸一年ぐらい悩んで苦しみ悶えていたのですが、ようやく苦しみの波を終えて、終えているうちに発売日が迫ってきちゃって(土下座その2)、あわてて続きを投稿しに来ました。
毎日更新。
今度こそ毎日更新で4巻分全部投稿するまで終わりません……!終わらせない……!
更新止まっていたら容赦なく感想欄で催促してください……。
誤字脱字は全然反映する余裕がなくて多分1年分以上溜めているのですが、それでもよかったらまたなにとぞ……!






