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我田引水

 実際、疲れていたのだろう。

 次の日わたしが目覚めたのは、日が昇りきってからだった。

「おはよう、フローリア。食欲はあるかな?」

「ジャック」

 女だと知って見るジャックは、なぜ彼女を男だと思い込んでいたのか不思議なくらい、美しい女性だった。髪は短いし、背も高い。筋肉質な身体で、胸もふくよかではない。だが、華奢ではないにしろ首も腰も細く、肩幅も狭い。

 普通に、女性として育っていれば、評判になるくらいに美しい令嬢になっていたのではないだろうか。

「……母親を、恨みはしなかったの?」

「いきなりなに?」

 唐突な問いに目をまたたいたあとで、ジャックは笑って見せた。

「性別を偽られたことなら、恨んではいないよ。もしシュテイン家に御巫だと気付かれていたら、俺に自由はなかった。フローリアを守る力も、得られていなかったかもしれない。俺はこれで良かったんだよ。感謝している」

「どうして。辛かったでしょう?」

「それは、フローリアがシュテインの女がどんな目に遭うかを知らないから言えるんだろうね」

 決して、冷たい声で言われたわけではない。

 けれど、ゾクリとして、わたしは言葉をなくした。

「ああごめん、責めたわけじゃない。気分の良い話じゃないからね。フローリアは知らなくて良いことだよ」

「どうして、笑えるの」

「巫女になれるのは、女だけだけれど」

 ジャックは答える。

「男でも能力を持つことはあるんだ。だから、シュテインの人間が難しい顔をしていると、余計な不安を煽る。それを防ぐために、いつでも笑えるようにしているんだよ」

 覚悟が違う。

 胸を打たれて、うつむいた。ジャックはわたしより歳上だけれど、十も二十も離れているわけではない。ほんの五歳、歳上なだけだ。ギル兄上より歳下で、いまは二十二歳だったはず。

 それなのに、知識も覚悟も重ねて来た努力も、わたしとジャックでは全然違う。

「ただの処世術だよ。そんな顔をしなくて良い」

 食事にしようとジャックがわたしを促す。

「お腹が空くと良いことがないよ。無駄にイラついたり、頭が働かなかったり。ほら、おいで」

 わたしの手を引いて、ジャックは食卓に座らせる。

「お城のように豪華な食事とは行かないけれど、温かいよ。マナーを気にする者もいない。さあ、お食べ」

 湯気の立つ食事を前に、空腹が顔を出す。

 こんなときでも、お腹は空くのだ。

「ジャックは食べないの?」

「俺はもう食べたから」

「起こしてくれれば良かったのに」

 言いながらも、ジャックはわたしのために起こさなかったのだろうと思う。そもそも、ジャックはちゃんと眠ったのだろうか。

「ごめんね。次からは起こすよ」

 ジャックが笑って謝罪したところで、部屋の扉が叩かれる。

 気にせず食べていてと言い置いて、ジャックが扉に向かい、すぐ外にいるからと言って、扉の外へ出た。

 言われた通り、並べられた食事に手を付ける。パンとスープ、それからミルクだけの、質素な食事。だが、パンもスープもミルクも温かくて、美味しかった。

 戻って来たジャックが、わたしを見て、食べられて良かったと微笑む。

「口に合いそう?しばらくはここに滞在することになるから、こんな食事になるけれど」

「美味しいわ。大丈夫」

「ありがとう」

「どうして、お礼?」

 礼を言うべきはこうして守られ、食事まで出して貰っているわたしだろうに。

「これがフローリアでなく、たとえばシュテイン本家の巫女とかだったら、こんな粗末な食事を食べろと言うのかと、激怒していただろうから。部屋や服も粗末だって言われるに決まっているし、世話役の侍女がいないことも、文句が出ただろうし」

 そう言うジャックは、着古された男装に、革の鞘の剣を佩いている。わたしに用意された寝間着よりも、ずっと粗末な格好だ。

「あなたこそ、シュテイン家の娘でしょうに」

「俺は三歳で追い出されているからね。男だから、三歳までもろくな扱いはされていなかったし」

「それでも母親を恨まなかったの?」

 つまり女として育てられていれば、花よ蝶よと、贅沢な暮らしを与えられたと言うことだろう。

「籠の鳥は、性に合わないからね。足を縛られて狭い鳥籠のなか、美しいと賛美されるより、ボロボロの翼でも空を飛べる方が、俺には合っている」

 普段、騎士であるジャックはわたしの前で、常に騎士服の手袋をしていた。でもいま、平民のような格好のジャックは素手のままで。

 その手は掌も指も硬く厚い皮膚に被われ、節くれ立ってまるで男性のようだった。

「まあ、いっそ本当に男として産んでくれていればと、思ったことはあったけれどね」

 そんなこと言っても仕方ないからと、ジャックは笑う。

「紅茶があるよ、飲むかい?」

「いただくわ」

 侍女もいない場所で、ジャックは器用に紅茶を入れる。

「どうぞ」

「ありがとう」

 出された紅茶は城の侍女が入れるものとは味が違ったが、飲めない味ではなかった。

「ごめんね、茶葉も城とは違うから」

「いえ。あなた、紅茶を入れられるのね」

「下っ端騎士の仕事には」

 自分も紅茶を飲みながら、ジャックは言う。

「上官の世話も含まれるからね。ほとんど侍従みたいなものさ。だから、侍女のするようなことはひととおり出来るよ」

「男性の、お世話を?その、」

「ひととおりね。あ、俺も最近は見習い騎士が従者代わりに付けられたけれど、着替えや風呂の世話は断っていたよ。さすがに肌を見られると誤魔化せないから」

 近衛騎士なら見目も重視されるので、貴公子然とした者が多い。けれどジャックは正騎士になる前後、経験を積めと地方の騎士団に行かされていたはずだ。前戦で戦うこともある地方の騎士は、野蛮な荒くれ者もいると聞く。

「そんな青い顔しなくても、そう大したことはやっていないよ。俺の上官は良識的なひとが多かったから」

「あなたなんで、騎士なんて」

 家を出るにしろ官吏なり学者なり、もっと行く先はあっただろうに。

「それがいちばん、女だと疑われないからね」

「そんな理由で?」

「お陰で出来たツテもある。悪いことはないよ」

 どうして、笑えるのだ。

「わたくしは、あなたのようにはなれないわ」

「それで良いよ。俺とフローリアは違うから」

 なぜ、笑って、頷けるのだ。

「落ち着いて、聞いて、フローリア」

 わたしの手を取って、ジャックは笑みを消した。

「陛下が崩御された。妃たちもだ」

「え……?」

「陛下はもう空帝ではなくなっていたから、守りも弱くなっていたのだろうね。まさかこんなに早く、落とされるとは思っていなかったけれど」

 日は昇りきって、室内は明るいはずなのに。

 視界が突然、暗くなった気がした。足元が揺らいで、繋がれたジャックの手だけが、わたしを支えている。

「次期国王には、次期空帝を身籠っている、元王太子妃が、中継ぎとしておさまるらしい。一年間、陛下の喪に服して、その後、戴冠式を行うと」

 王太子妃?なぜ、王太子ではなく王太子妃が?元とは、どう言うこと?それに、次期空帝?空帝を継ぐのは、ギル兄上が、

「……王子はすべて、死んだことにされた、と言うことだろうね。実際の安否はまだ、調べられていないけれど」

「どう、して」

 父上。母上。兄上!

 唯一の姫であるわたしを、可愛がってくれた。昨日も、笑って、頭をなでて。

「どうして、ジャック、どうして、兄上たちが!!」

 騎士はジャックだけではない。大勢の近衛が、側近が、父も母も兄たちも、守っていたはず。

「クーデターだ。首謀者は、ノエル・ローワン」

「ノエルが……?」

「元王太子妃の戴冠と共に婚姻を行い、王配として空帝の義父となる腹積もりのようだね。あれでも近衛騎士第一隊の隊長だ、おそらく騎士の多くを、抱き込んでいたんだろう」

 道理で手が早いと、ジャックが顔を顰める。

「あいつの父は宰相だし、兄弟には官吏も学者もいる。万全に根回しはされた状態での、決行だったんだろうな」

「どうして!」

 なにに、疑問を投げかければ良いのか。なにを、責めれば良いのか。わからない。

 だって、ノエルは。ノエルは。

「ノエルは、わたくしの!」

「それも足場に、していたのだろうね」

「利用していたと、言うの!」

 ノエルはギル兄上の学友で、わたしの、婚約者だった。歳は少し離れているけれど、婚約者として、大事に扱ってくれていた。

「嘘!嘘よ!そんなこと、信じないわ!!」

「そうだねごめん。こんなにいきなり、聞かせることじゃなかったね」

 まるで幼子を相手にするように、ジャックはわたしをなだめる。

 それに無性に、腹が立った。

「どうして!兄上ではなくわたくしを助けたの!!あなたが御巫だと言うのなら!どうして!!これが防げなかったの!!」

 ダン、と机を叩けば、慌てたように立ち上がったジャックが、わたしの手を取る。

「そんなことしては、手を痛めるよ」

「うるさい。嘘吐き!嘘吐き!!ノエルが兄上を殺すはずなんてない!わたくしを裏切るはずなんてない!!帰して!帰してよ!!わたくしを、ノエルのところに帰して!!」

 その手を振り払って、ジャックの胸を叩く。今度は、止められることはなかった。

「それは出来ない。ごめん」

「どうして!」

「俺たちは、空帝を失っては生きて行けないから」

 自分たちのために、この女はわたしの意思を無視すると言うのか。

「ノエルは御巫が偽物だと言うことも、空帝がフローリアだと言うことも、まだ気付いていない。これは好機なんだ。空帝に仇為す叛逆者を洗い出して一掃すれば、盤石な治世を組み直すことが出来る」

「そのために、兄上たちを見殺しにしたの?」

 わたしの問いに、ジャックは笑みを浮かべた。

「そうだよ。よくわかったね」

 ゾッとする。思わず後ずさろうとして、椅子ごと倒れかけたわたしを、ジャックが支えた。

「俺たち、御巫や賢者にとって、守るべきは空帝、ただそれだけだ。空帝を守るためなら、なんだってするし、なにを犠牲にしても心は揺らがない。全部、全部、俺たちの自己愛で、勝手で、だから、好きに責めれば良い。なじれば良い」

「なん、て、ことを……!」

 わかっていて、見殺しに、したと言うのか。

 わたしは、友人だと、思っていたのに。全部嘘で。全部、わたしを利用するためで。

「あなたたちと、叛逆者、なにが違うと言うの。一緒ではないの。騙して。殺して。傷付けて!恥を知りなさい!それで、どれだけの民が混乱に陥り、傷付くと思っているの!」

「うん。フローリアはそれで良いよ」

 ジャックがわたしの頭をなでようとして、やめた。わたしから身体を離し、並べられたままだった食器をまとめる。

「今は俺の顔も見たくないだろう。出て行くよ。誰か侍女を付けられるように、老師に頼んでみよう」

「あなたの施しなんて」

「俺たちは、あなたに生きていて欲しい。だから、あなたが死ぬことが最大の復讐になるよ、フローリア」

 静かに告げられた言葉に、目を見開く。

「けれどあなたは空帝だ。あなたが死ねば、俺たちだけじゃない。大勢の人間が、苦しむことになる。それでもあなたは復讐を選ぶかい?」

 ジャックは、笑っている。

 笑顔でわたしを、見ている。

「俺のことは嫌いで良いよ。嫌われるだけのことはやったし、これからもすると思う。でも、生きていれば、それでも夜は明けるし、お腹は空く。俺に世話を焼かれたくないなら、侍女は付けないとフローリアが困るよ」

 食器を机に戻したジャックが、こちらに近付き、わたしに触れた。振り払いたいのに、どうしてだろう、身体が動かない。

「顔色が悪い。ごめんね、いちどに色々と、話し過ぎたね。少し眠って、こころを落ち着けると良い」

 わたしを抱き上げて、ジャックはベッドへ運んだ。

「嫌い。嫌いよ。あなたなんて」

「それで良いよ、フローリア。俺は、あなたが生きてさえいれば良いんだ」

 ベッドに横たわれば、たちまちに視界は歪んで。

 抗うことも出来ず、わたしは意識を落とした。

つたないお話をお読み頂きありがとうございます

続きも読んで頂けると嬉しいです

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