朝三暮四
回る視界が落ち着いて、見えたのは赤い壁。違う、白い壁が、蝋燭の光で照らされて、赤く。
「協力、感謝します。老師」
「利害が一致しただけです。こちらとしても、空帝が途絶えることは避けたい。妙な血が混ぜられるのも歓迎出来ない」
「まだ首謀者が定かでないので、どちらが目的かはわかりません。けれど敵に、今代の後継者がフローリアであることは、知られていないでしょう。老師がほかに漏らしていなければ、ですが」
白ローブと、わたしの、友人だった男と話している。話の意味は、理解出来ない。
「なるほど、あなたは、誰にも話していないと」
「でなければ、フローリアも俺も、ここにいませんよ」
「そうですね。御巫も空帝も、見付かれば自由などない」
なにを言っているのか、わからない。
「こうなると、一族が馬鹿の集まりだったことに感謝すらしそうですよ。母に騙され、偽の御巫に踊らされて、偽りの空帝を祀り上げてくれました。お陰で無事、フローリアを逃すことが出来た」
「ここも完全に安全とは言えませんが」
白ローブが、わたしを見る。
「情勢を見極めるあいだ程度は滞在出来るでしょう。身の振り方を決めるのは、それからで良い」
「あの馬鹿が、巧く立ち回ってくれるのを、祈るばかりです」
「はは。御巫の祈りが味方とは、心強いことですね」
白ローブは言って、部屋を見渡した。
「さて、御巫と空帝以外は傷だらけだ。別室で手当をしましょう。御巫と空帝には湯を用意しますから、身を清めて、今日はもう休んで下さい。余計な人間は近付けませんから、この部屋はお好きに使うと良い。なにか必要なものがあれば、遠慮なく言って下さい」
「ありがとうございます」
友人だった者が頭を下げて、出て行く白ローブを見送る。ほどなく湯と着替えが用意されて、そして、部屋には友人だった男とわたし、ふたりだけになる。
友人だった男はまず、湯で濡らした布で自分の顔や手を拭うと、わたしに振り向いた。
「おいで。煤を落とそう」
「あなたは」
「ごめんね、誰か侍女も連れて来られたら良かったんだけれど、今は俺しかいないから」
いくら老師と言えど、設備もないところからの転移では大勢は運べなかったんだ。
違う。そんなことを聞きたいわけではない。
「説明しなさい。一から十まで。すべて」
「うん。ちゃんと説明するよ。でも、その前に身を清めて、休もう。身体が冷えてしまったし、疲れてもいるはずだ。温まって、眠った方が良い。身体を壊してしまうよ」
「そんな場合では」
「そんな場合ではないからこそだ。眠っていても、起きていても、幸せでも、不幸でも、どんなときでも夜は明ける。けれどそれは、命があればの話。身体は大事にしないと。ね、きみはちゃんと生きて、フローリア」
まるで、誰かは、死ぬかのような、言い草。
「わたくしに、言うことを聞かせたいなら、これだけは答えなさい」
変わらぬ笑みを浮かべる、友人だった男を睨む。
「なぜ、父と妃たちを見殺しにしたの。なぜ、兄上たちではなく、わたくしを逃したの。あなたは、父上の騎士でしょう、ジャック」
「全員を救うだけの余裕が、俺にはなかったからだ」
ジャックが答える。
「王宮は完全に包囲されていた。俺たちだって、老師の転移でやっと逃げたんだ。陛下やお妃、王子たちまで救おうとしていたら、共倒れで全滅していたよ」
「それなら、救うべきはわたくしではなく、後継であるギル兄上だったでしょう」
「無理だよ」
ジャックは首を振った。
「フローリアとギルバートじゃ、敵が注ぐ熱量が全然違う。フローリアなら見逃してくれても、王やギルバートが逃げることを許したりはしない。向こうはギルバートこそ、空帝だと思っているのだから。わかる?俺が逃がせるのは、フローリアだけだったんだ」
「だから見殺しにしたと?それでも、あなた騎士なの?」
「好きになじると良い。それでフローリアの気が済むなら。さ、疑問には答えただろう?大人しく湯を浴びて」
まるで頑是ない幼子をあしらうように、ジャックはわたしを促す。
「わたくしに、男の前で裸になれと?」
「……俺は女だよ、フローリア」
「え?」
十五年間男と思って来た相手からの、冗談のような発言に唖然とする。いったいなにを言っているのか、この男は。
「なにを言っているの」
「気付いていなかったんだね」
「気付くもなにも」
城中の人間が、この男を男として扱っていた。父も兄たちもだ。この男が騎士であることがその証拠。騎士になれるのは男だけだからだ。それに、そもそも。
「あなたが女だと言うのなら、なぜ、シュテイン家から出られたの言うの」
シュテイン家は巫女の家系だ。女であるなら巫女候補として、家から出しては貰えないはず。だがこの男は、騎士見習いとして三歳の頃から騎士団長の許に預けられていた。男は巫女になれないから、シュテイン家に居場所がない。だから、早いうちに家を出されるのだ。
「母が生まれた子供の性別を偽って、家を騙したからだね。ジャックと名付けたのも母だ」
「それで、シュテイン家のほかの女が気付かないとでも?」
「自分より力の強い相手のことは視えないよ。どんなに力のある巫女でもね」
ジャックは肩をすくめる。
「俺のことが全く視えなかったから、母は気付いたのだろうね、俺が御巫である可能性に。だからこそ、我が子が自分と同じ目に遭うことを厭って、一族を騙すことにしたんだろう。御巫でこそないが、幼い頃から一族屈指の能力者だったから、あのひとは」
「そんな、そんなこと」
「シュテインの力ある女が本気で騙そうとすれば、普通の人間は見破れない。だから俺は、誰にも気付かれずに男として、この歳まで生きていられたってわけだ」
疑うなら見るかいと、ジャックが己の股間を指差す。
「見っ……ないわ!そんなとこ!」
「じゃあ触る?」
「触る!?あ、あなた、羞恥心がないの!?」
「ないわけじゃないけれど」
ひらひらと手を振って、ジャックは言う。
「しばらくフローリアの世話は俺がすることになるだろうし、ちゃんと女だってわかって貰っておいた方が良いかと思って。嫌だろう、好きでもない男に世話を焼かれるのは」
嫌いじゃない。好きだった。友人だと思っていた。でも、この、この、男は、
「わかったわ。脱ぎなさい」
「はいはい」
「そこでじゃなくて」
「ええ?」
「身体が冷えたのはあなたも一緒でしょう。女だと言うならあなただって、冷えた身体のままでいるものではないわ。湯が冷める前に、一緒に入るの」
ぽかんとしたあとで、ジャックは笑った。
「豪気だなあ。わかったよ。それでフローリアが、湯に入って休んでくれるなら」
服を脱いだジャックは確かに女性で、けれどわたしとは全然違う身体だった。
「どう鍛えたら、こんな身体になるの」
「御巫だからそうそう怪我はしないけれど、それだけで騎士にはなれないからね」
騎士の訓練は、大の男でも耐えられず逃げ出す者がいると聞いた。だから、たった十二歳で正騎士になったジャックは、父からも兄たちからもその根性を認められ、一目置かれていた。忠誠心もあると思われていて、だから、わたしに近付くことも許されていた。それが、実は、女だったなんて。
「女が男と思わせられるなら、実力だって誤魔化せるでしょうに」
「それでは、大事なものを守れないだろう」
「だからって。こんなに鍛えるまでには、血を吐くような苦労をしたのではないの?」
わたしの身体を洗いながら、ジャックは言う。
「まあ、否定はしないけれど、お陰でフローリアを守れた。後悔はないよ。よく耐えて力を手にした過去の俺を、俺は誇る」
「わたくしの、ためだと言うの?」
「俺は御巫だからね。空帝を守るのが、俺の存在意義だ」
「あなたが御巫?御巫は同時にふたりは存在しないはずでしょう?それに、次の空帝はギル兄上のはず」
シュテイン家の、直系長姫が今代の御巫だったはずだ。そしてその御巫は、ギル兄上を空帝だと言って、兄上の正妃になっているはず。いくらシュテイン家でも、王族に乞われれば女を出すのかと、思った記憶がある。
「あれは偽物だよ。俺が家を出たせいで、御巫は不在と思われているからね。御巫の座を乗っ取れると思ったんだろう。愚かだよね」
「あれが偽物で、あなたこそ本当の御巫だと?」
御巫を名乗っているのは、シュテイン家本家の直系長姫。対するジャックは、分家のさらに傍系の娘の子だ。
「信じる信じないは、フローリアの自由だけれどね。少なくとも俺と老師は、俺が御巫でフローリアが空帝だと思っているよ」
老師。あの、白ローブの男か。
「その、老師、とは、誰?」
「ヴァルグランダの賢者だよ。もう隠居しているけれど」
「ヴァルグランダ?敵国ではないの!」
「今は戦をしていないから敵国ではないだろう?」
ジャックはあっさりと頷く。
「ここもヴァルグランダ国内だよ。まあ、まだ国境近くだから、安全とは言い難いけれど、国外だから敵の手も回っていないと、」
「あなた敵国と手を組んだの!?」
「だから今は敵国ではないよ。ヴァルグランダの現主席は穏健派だ。それに、国内を広範囲に掌握されていたんだ、老師に頼るくらいしか、逃げる方法がなかった」
つまり、ジャックは城を襲撃したのが、ヴァルグランダの関係者ではないと思っているのか。
「ヴァルグランダが、我が国を落とそうとしたとは思わないの」
「まあ可能性はあるけれど」
わたしの身体を洗い終えたジャックが、自分の髪や身体を洗い始める。
「老師は大丈夫だよ。あれは本物の賢者だから、空帝を害すことはない。ここもヴァルグランダ国内とは言え、老師が管理している場所だからね。絶対ではないけれど安全性は高いよ」
「そんな保証がどこにあるの」
「保証ね……俺は御巫だからわかるけれど、フローリアにわかるものはないかな」
わたしを洗ったときとは打って変わって、手早く身体を洗ったジャックが、ぬるくなって来たから上がろうと、わたしを促す。
「わけがわからないわ」
「だろうね」
ジャックは笑う。
「フローリアは、生きていてくれれば良いよ。俺が守るから。なにがあっても、なにが起きても、責任は全部俺にある。好きに恨んで、怒って、責めて、なじって良い。全部俺のせいだから」
「どう言うこと」
「そうだね」
自分は裸でしずくを垂らしたまま、ジャックはわたしの身体を丁寧に拭って服を着せる。
「俺も老師も、自分たちのために、フローリアを利用しているんだよ。だからフローリアには、俺たちを責める権利があるってこと」
やっぱりわからない。
「これからきっと、辛いことがたくさん起きる。それらは、フローリアのせいで起きるわけじゃない。全部全部、俺の判断のせいだから、責めるなら俺にして」
「辛い、こと」
ジャックは、御巫を名乗った。
「あなたには、なにが視えているの?」
ジャックは笑って、答えなかった。
「疲れただろう?今日はもうお休み。なにか飲んだり食べたりするかい?」
「誤魔化すの?」
「考えごとは、夜にすべきじゃない」
やっと自分の世話を始めたジャックが言う。せっかく温まったのに、もう冷えてしまったのではないだろうか。
ああそうだ。今この瞬間も。
ジャックが自分以上にわたしの身体を気遣っていることだけは確かだ。その理由が、なにかはわからないけれど。
「明日になったら、全部教えてくれるのね?」
「そうだね。俺も全部がわかっているわけではないけれど、俺に話せることは全部話す。明日には、新しい情報も入るだろうしね」
「約束よ」
「ああ、約束だ。だから、さあ、お休み」
部屋の隅には、寝台が用意されていて。清潔なリネンで覆われた寝具に押し込まれれば、強烈な眠気に襲われた。
「せめて眠るあいだは幸せな夢を、フローリア」
なんて不穏なことを言うのか。そう、文句を言いたかったが、眠気には抗えず、わたしは意識を溶かした。
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