第90話 邂逅
■ ■ ■
蓮が事務所で新田と会っていたころ、結乃はカナミと一緒に下校する最中だった。
「中1くん、平気そ?」
歩きながらカナミがたずねてくる。
「動画見たけど、ヤバそうなやつだったよね」
「それが……」
先日の襲撃事件は結乃にとってもショッキングだった。モンスターとは違う存在が、明らかに蓮を狙ってきた。しかも、生半可な強さではない。ただ――
「蓮くん、まったく普通だよ」
「強がってるとか?」
「うーん。それはないかな」
あのあと、1階層に戻ってきたときもいつもと変わらなかったし、夜も普段の蓮だった。
かつての彼にとっては、あれが日常だったのだ。
結乃は、蓮が過酷な経歴をたどって来たことを知っている。常に強敵から命を狙われる日々。その中で彼は生きて来た。
《《あのくらいのこと》》でペースを乱されることはない。瞬間的に警戒はしても、それを引きずらない。
そうしなければ生き残れなかったのだと考えると――辛い話だ。あの年齢で、まるで老練した戦士のような精神性を持っているなんて。
(どうにか力になりたいけど……)
ただ着いていくだけでは蓮の助けにはなれない。むしろ足を引っ張ってしまう。彼の邪魔はしたくない――
自分に出来ることは何だろうか。
そんなことを考えて歩いていると、
「なんだ、あれ」
カナミが、駅のほうを見て言った。
「なんか揉めてる」
「?」
改札を出た辺りで、男女が言い合っていた。
1人はスーツ姿のサラリーマンで、相手はパンツスタイルの女性だ。
特に女性のほうは目を引いた。女性にしては背が高く、170cmは軽く超えているだろう。ボサボサの赤髪で、声を荒げているのも主に彼女だ。
一見、20代の女性が40代くらいのサラリーマンをカツアゲしているような、それはそれで異常な光景だったのだが、
「だからよぉ、謝れっつってんだ、簡単なことだろうが!?」
「し、知らないって言ってるだろ……!」
会話を聞くと、ちょっと事情が混み合っているようだった。
「そっちのお嬢さんにぶつかっただろ!? わざとだったよなァ!?」
「そ、そんなことして俺に何の得があるんだ……!」
「知らねぇよ! てめぇの精神性なんざ知ったこっちゃねぇ!」
「あの……、も、もういいですから……」
よくよく見ると、女性の奥にもう1人、小柄な女子大学生らしき人物が立っていて、相当に恐縮している様子だった。
「なんかヤバそうじゃん」
「だね……」
気になって、自然と近づいていくと、
「ケガをしてるわけじゃないですし……」
「ほ、ほら! そっちの女もそう言ってるだろう!?」
「んだと!? ぶつかったあと、鼻で笑ったところまで見てんだぜコッチは!」
赤髪の女性は、特徴的な犬歯を剥き出しにして、本当に噛みつきそうな勢いで迫っている。
「正義の味方をやろうってんじゃねぇ、アタシが気にくわねぇって言ってんだ!」
「それこそ知ったことじゃないよ……! も、もういいだろ」
男のほうは逃げたがっているが、女性のプレッシャーがそれを許そうとしない。背を向けたら襲われる――野生の獣を前にしたら、みんなああなってしまうのかも。
しかし、ヒートアップするのに耐えられなかったのか、女子大生はそそくさと去っていってしまう。
「ん――? 行っちまったか。まあいいけどよ――」
女性は、振り向いて女子大生の背中を目で追い、後頭部をかく。あの子を助けるためというより、本当に自分のために怒っていたようだ。
――そんな彼女の頭に向けて。
サラリーマンが、ビジネスバッグを振りかぶった。無防備になった相手に打撃を加えようとして。
「あっ、――って結乃?」
そのとき、すでに結乃は駆けだして2人のあいだに割って入っていた。
振り下ろされるビジネスバッグの右腕。その手首を手の甲で受け止め、勢いに逆らわずに受け流す。
そして、呆気にとられる男性に向かって――ほほ笑んだ。
「危ないですよ?」
「うぅッ……!?」
通りがかりの女子高生に、難なく制されてしまった。そのことに対する羞恥と恐怖が、男の顔を青くさせた。
「あん?」
赤髪の女性が振り返った。
「なんだお嬢ちゃん?――ああ、アタシを守ってくれたのか。《《あのまま殴らせても良かったんだぜ》》。そしたら容赦なくブッ殺せたしなァ?」
「う、ううっ……! うわぁあっ!」
恐慌状態に陥ったサラリーマンは、バッグを胸に抱えるようにして逃走してしまった。
「ちッ。一発ぐらいぶん殴らせろよ」
「それも危ないです」
「ゆ、結乃。ヤバそーだからここは……」
カナミが心配するのも分かるが、言うほど危険人物だと結乃は思わなかった。
(……私も図太くなってるのかな。蓮くんのおかげで)
女性の鋭い眼光で見下ろされると確かに圧迫感はあるけれど、それだけだ。
「――お嬢ちゃんよぉ。あんた何者だ。その度胸と身のこなし、ダンジョン配信者か?」
「はい。学校ではダンジョン探索科で。配信者としては見習いですけど」
「それにしたって、生身なのに良くやるじゃねぇか」
腕を組み、ふん、と鼻を鳴らす。
なんというか、『女傑』という言葉がよく似合う人だと思った。
「格闘術、教えてくれてる男の子がいて。そのおかげです」
「へぇ?」
結乃の顔をマジマジと見つめると彼女は、
「お嬢ちゃんにそんな顔させるってことは、その彼氏、いい男なんだろうなぁ?」
「えっ? 格好良いし、尊敬してますけど――か、彼氏ってワケじゃ、まだ」
「…………。なあそっちのお嬢ちゃん、この子は惚気るの下手か? いや上手いのか?」
指をさして、カナミに問いかける。
「あー、天然です。ガチ惚気です」
「参ったな、顔もアタシ好みなのによ」
また、ジロジロと無遠慮な視線が向けられる。
「え、えっと――?」
「残念だぜ。男がいなけりゃ、アタシの息子のとこに嫁に来て欲しかったぜ」
息子――彼女は20代半ばに見えるし、まだ幼稚園生くらいだろうか?
「可愛いんですか?」
「おう。世界一可愛い息子だぜ。お嬢ちゃんとも釣り合いが取れるくらいのな」
険しい顔のままそう言うのが不器用な性格を表しているようで、なんだか微笑ましく感じる。
「お、そうだお嬢ちゃんたちよぉ。世話になったついでで悪いんだが。道を教えてくれないか?」
「道ですか?」
「おぅ。今日ひさしぶりに上京してきたんだが、いまデバイスを持ってなくてな。優秀な助手に預けてたのに、アイツら迷子になりやがってよぉ」
「それって貴女が迷子になったんじゃないっすか?」
カナミが指摘するが、それには構わず、
「つーわけで、良ければ教えてくれねぇか?」
「いいですよ。どちらに?」
「ああ」
女性はうなずいて言った。
「聖華女子校の生徒寮――って場所なんだが」
結乃は、カナミと顔を見合わせた。
+ + +
「まさかお嬢ちゃんたちがここの生徒とはなァ?」
赤髪の女性の目的地は、まさに結乃たちが帰宅しようとしている学生寮だった。
女性は、荒巾木と名乗った。
下の名前はアーカーシャというらしい。何とも珍しい名前だ。
「ここです」
女子寮に帰ると、寮母の沙和子さんが迎えてくれた。
「あらぁ。そちらの方、まさか荒巾木さん?」
「おう。荒巾木アーカーシャだ」
「沙和子さんご存じなんですか?」
「私もさっき聞いたのよ~」
エプロン姿の、いつもほんわかしている沙和子さんは、
「ちょうど連絡しようとしてたんですけど~、ごめんなさいね、いま出かけてるの」
この荒巾木は、誰か生徒の関係者なんだろうか。
年齢からすると、やや歳の離れた姉といったところか。しかし、他の学年にも荒巾木という名字の寮生はいただろうか……?
「悪ぃが、待たせてもらっていいか?」
「ええ。もちろんですよ~。……って、あら」
ちょうどそのとき、両開きの玄関ドアから蓮が帰ってきた。
「あ。おかえり蓮くん」
「うん。ただい――……ま……?」
蓮が立ち尽くして目を見開いた。
「蓮くん?」
「――あん? おお!? 蓮じゃねーか!」
荒巾木は蓮の姿を見定めると、ガバッと長い両腕を広げて、
「最愛の息子ぉ!! アタシに会いたかっただろう!?」
「っっっ! そういうの、いちいちやめて欲しいんだけど!?」
全力で回避する蓮と、それに負けじとハグしようとする荒巾木。
……息子?
「え、えっと。おふたりは――」
「親子に決まってるだろうがよォ!」
「残念ながらね……っ!」
2人は寮の広い玄関で暴れながら、叫んで答えた。
楽しんで頂けたらブクマ・評価・感想などで応援いただけると大変嬉しいです。
感想欄はログインなしでも書けるようになっているのでご自由にどうぞ。
評価は↓の☆☆☆☆☆を押して、お好きな数だけ★★★★★に変えてください!




