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泥濘のリュカ〜わたしを殺した彼のルーツ〜  作者: 31040
第三幕 ――第二章 サザラン伯爵領
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第五話 ジュジュとの再会

__ロアナ王国サザラン領サザラン伯爵邸__555年9月9日



 太陽の下で見るサザラン伯爵邸の庭園は夜とは異なった魅力があった。水路は煉瓦造りの本館と違って白色の石材が使われ、水面は真っ青な空を映している。そこに晩夏の濃い緑。


 ロアナらしい、配色がくっきりとした絵画のような風景だった。王都ハサと印象が違うのは、そこにロアナドレスの貴婦人がいないせいだろう。


「小麦色の肌によく合ってるね」


 レナードが褒めたのはわたしの着ているシャンパンゴールドのドレス。裾丈が短くフリフも控えめで動きやすいが、社交の場でも着られそうなデザインだ。


「サザラン伯爵夫人の若い頃のものだそうです。王都ではお会いできませんでしたが、夫人も告発文書のことはご存じということでした」


「実家はラァラ派家門ではないのかな」


「ヒーコバーラ民国の商家の生まれだそうです。主にシルクを扱っているとか」


「それなら、最悪の場合にはサザラン伯爵はロアナを捨ててヒーコバーラ民国に行くという手もあるわけだね」


「それは本当に最悪の場合だと思います。サザラン家が領地を放棄して国外に出て行けば、領地も財産もフォルブスが権利を主張するでしょうし、そもそもロアナを捨てる気なら王家と手を組まないはずです。サザラン伯爵は王家を信頼しているようでした」


 当事者のオスカー卿の姿が見え、わたしたちはその会話を終わらせた。


「おはようございます。わたしも朝食をご一緒したかったのですが、急ぎで確認することがあって」


 オスカー卿は椅子に腰をおろし、使用人がハムとチーズを挟んだパンを一人分だけ置いていった。葡萄のパーゴラ(つる棚)の下でピクニックというなんとも風情のある朝食。わたしとレナードはすでに食事を終え、レナードは葉巻を喫し、わたしはドレスの裾をたくし上げて水路に足を浸している。


 幅二メートルほどの水路は途中で後帰りするように折れ曲がり、二本の直線を半円の弧で繋ぐような形になっていた。わたしがいるのはちょうど弧のあたり。水路で囲われた部分は砂利敷になっていて、数メートルおきに円形の噴水水盤が三つ。ちょろちょろ勢いなく出る水が美しい波紋を描いている。


「ライナス君は食事はどうしてるんでしょうね。彼も食欲旺盛なのでしょう?」


 オスカー卿がパンを手に空を仰ぎながら言った。


「食べないなら食べないでなんとかなるんです。ある程度時間が経つと空腹感も忘れてしまいますから」


 これはソトラッカ研究所にいたイモゥトゥが話していたことだ。ありがたいことに、わたし自身はイモゥトゥの体に憑依してから食事に困ったことはない。あの時ディドリーの男に会っていなければ、言葉も通じないまま空腹で彷徨っていただろう。


 そう言えば、ユフィがあの男からもらったという双頭の天馬のバックルはイヴォンに預けたままだ。


「ユフィ、このあとはどうする?」


 レナードは葉巻の火を消してズボンの裾をたくし上げた。美麗な貴公子が水路で涼をとる姿に、本館の窓辺でメイドが仕事の手を止めて見惚れている。


「ひとまずここでライナスを待とうと思います。先にラァラ神殿に向かった黒豹倶楽部から何かしら情報が得られるといいんですが、そっちもパヴラからの連絡を待つしかありませんし。

 オスカー卿、わたし宛に電報は届いてませんよね?」


「それらしいものは」


 オスカー卿が首を振り、レナードも収穫なしと察したようだ。


「ユフィ、ぼくと一緒にラァラ神殿に参詣するのはどう? 一般信者のように堂々と正面から」


「ラァラ神殿はトゥカの大聖殿のように観光客が気軽に立ち寄れる場所ではないと思いますけど」


 オスカー卿に尋ねると、「難しいでしょうね」と予想通りの答えが返ってきた。


「一般信者でも立ち入りできる場所は厳しく制限されています。ウィルビー卿のようにロアナ語が話せず外国人らしい外見の方は、ラァラ派貴族の紹介がなければ追い返されるでしょう。わたしが同行すれば入場は可能ですが、向こうの警戒心を煽ってイヴォン嬢の救出が難しくなるだけです。

 まあ、今でも十分警戒しているでしょうが」


 警戒しているのは神殿やラァラ派貴族だけではない。サザラン家が今秋の狩猟シーズンには外国人を領地邸宅に招くのではという憶測が領地全体に広まっているらしく、領民は身分問わず領主の動向に注目しているという。彼らが気にかけているのは外国人が街をうろつくことなどではなく、排外主義的ラァラ神殿と、その真逆の価値観を持つ国際的実業家サザラン伯爵の対立だ。


「オスカー卿は、最近ではいつラァラ神殿に行かれたのです?」


「つい十日ほど前ですよ。九月一日にラァラ神殿の百五十周年を祝う式典があったんです。父とわたしとで出席しましたが、形だけのものです。神殿は父が信者たちの前で何かしら暴露することを恐れたのか、発言の機会は一切与えられませんでした。

 まあ、もともと霧の銀狼団にとってサザラン家は金を出すだけの存在ですしね」


「しかし、エリオットの子孫がそんな扱いをされては、一般信者が不審がるのでは?」


「一般信者も当家と神殿の関係に溝ができているのは感じているはずです。

 毎年、十一月三十日の聖人の日には祭典でサザラン家当主が拝納金目録を渡すのですが、今年はルヴィルナグ聖殿に寄付する予定ですので、信徒はかなり動揺するでしょうね」

 

「ジチ正派の聖殿をサザラン領内に建てるお考えはないのですか?」


「新しく建てる気はありません。今あるいくつかの聖殿や礼拝殿が自発的に宗派を変えるのが望ましいと思っています。〝ラァラ派〟という宗派は根絶させるつもりですから、改宗か閉鎖しか選択肢はありませんが」


「サザラン伯爵とロアナ王家は、聖人の日を決戦の日として準備を進めていたということですか?」


 レナードが問うと「目安程度に」とオスカー卿はうなずく。


「聖人の日はジチが邪神を滅ぼした〝滅邪点聖の日〟です。邪なものを断罪するにはぴったりの日ではありませんか。

 しかし、そこまで待っていられなさそうですね」


 食事を終えたオスカー卿は、パーゴラにぶら下がっていた葡萄を数粒採って「どうぞ」と手渡してくる。食べてみると甘さとともに渋みが口に広がった。


「あっちのパーゴラは白葡萄です。あまり残っていませんが食べてみてください」


 わたしはさっそく庭園の奥にあるパーゴラに向かおうとしたが、馬車が止まった気配があり門の方を振り返った。


 二人乗りの軽装二輪馬車が門扉の向こうに見え、門番が御者と会話をしている。その二人を横目に、ロアナドレスを着た乗客はヒョイと身軽な動きでキャビンから降りた。肩までの長さのまっすぐな金髪、身に纏った朱色のドレスは際どいくらいに胸元が開いている。


「ジュジュだわ」


 わたしが気づくのとほぼ同時に、向こうもわたしに気づいたようだ。オスカー卿に仲間だと言うとすぐ通してくれ、そのままパーゴラの下で話すことになった。紹介は済ませたものの、三人とも警戒は解いていない。


「ねえ、ジュジュ。船でこっちに向かってるのは知ってたけど、わたしがここにいるのはパヴラから聞いたの?」


「勘よ、勘」


「勘?」


「もともとハサ港で下船するつもりだったんだけど、変更してテンデ港で降りたのよ。西廻り航路はハサよりテンデ港に先に着くし、こっちの方が神殿に近いから。

 船を降りたあと情報を仕入れようと思ってブルッカに来たら、ヨスニル共和国の貴公子様がサザラン伯爵家の令息と一緒にいたっていう噂を耳にしたの。それで」


 ロアナ語を理解できないレナードは、ジュジュに微笑みかけられて愛想笑いを返した。


「ねえ、ユフィ。アカツキ・ケイはここにはいないの?」


「なぜ彼のことを知ってるの? わたし、アカツキのことをあなたに話したかしら?」


「以前のあなたのことはひと通り調べたって言ったじゃない。それに、これを見たの」


 ジュジュが鞄から出したのは隣国ナスル王国の新聞『聖国日報』。ナスル語のできないわたしとレナードのためにジュジュがヨスニル語に翻訳し、その横でオスカー卿は記事を黙読した。


 記事は七日の日付で、セラフィア基金に関するものだ。ソトラッカ研究所が会見を開き、不老因子研究部(通称イモゥトゥ研究部)を研究所から独立させ、運営をエイツ財団に任せると発表したとある。その経緯も書かれ、アカツキ・ケイとセラフィア・エイツの名前も登場した。


「――イモゥトゥ研究者アカツキ・ケイ氏はセラフィア基金の名前の由来となったセラフィア・エイツ男爵令嬢の同僚だが、ソトラッカ研究所とエイツ男爵家の仲立ちをしたのが彼である――って、書いてあるのよ。

 ユフィもこの件に無関係じゃないだろうし、だからアカツキ・ケイも一緒にいるかもしれないと思ったの」


「アカツキは聖地で療養中だよ」


 レナードの言葉にジュジュは表情を曇らせ、新聞をめくって別の記事を見せた。


「聖地ってことは、ここにある銃の暴発事件と関係してる?」


 丸々一面を使って載っているのは、暴発事件に関する大聖会の公式見解のようだ。


 曰く、――下位聖職者の祀花守イヴォンは大聖会で上位聖職者になるための修行を希望し、軟禁状態にあったラァラ神殿を抜け出してトゥカ大聖殿を頼ろうとしたが、イヴォンを聖女と崇めるラァラ神殿の一部強硬派が暴走し強引にイヴォンを連れ去った。

 覚書から聖職者イヴォンがラァラ神殿から逃れたがっていたことは明白で、助けを求める少女を目の前で連れ去られたことは大聖会としては遺憾であり、ラァラ神殿は強硬派を諌め、イヴォンを保護次第速やかに大聖会へ引き渡すことを望む――。


 どうやら内容はライナスの提案に沿ったもののようだ。ヘサン伯爵邸で作成した覚書もナスル語に翻訳され、一部名前を伏せて公開されている。


「この記事を読んだから神殿に近いテンデ港で降りたの」


「神殿を調べるために?」


「あなたが神殿に向かうような気がしたのよ。以前、イヴォンって子の姿絵が記事になったでしょ。それを使って試しに交霊したの」


「何を見たの?」


「たぶん、視点はあなただと思うわ。ラァラ神殿の祭服を着た男たちにイヴォンが連れ去られるところ。銃を持った女の子がいたけど、あれってソトラッカでルーカスの家にいた従者よね?」


 ジュジュがわたしの殺害シーンを交霊で見たことを思い出した。あのとき、ロブ視点でルーカスを見られないことを不審がっていたのだ。


 わたしはロブの正体とルーカスが泥魂人形であることを含め、これまで知り得た情報をジュジュに教えた。イス皇国で別れて以来連絡し合うのが困難な状況だったため、ジュジュは自分たちを追っていたのが『霧の銀狼団』という組織だったことも、タルコット侯爵が神殿に歯向かおうとしていることも初耳で、驚き過ぎたのか途中からは相槌もなく呆然と聞き入っていた。


 次第にオスカー卿の警戒心も薄れたらしく、地下書庫のことは彼の口からジュジュに話し、最後に「ひとつだけ聞いても?」と尋ねる。


「ロアナへの入国審査はかなり厳しいはずですが、ジュジュさんはイス皇国から来られたのによく問題なく下船できましたね」


 ジュジュはロアナ国籍の身分証をオスカー卿に見せ、不敵な笑みを浮かべた。出身地はハサになっている。


「偽造ですか?」


「ええ。ロアナドレスを着てロアナ語で話したら問題なく降りられました。訪問先はサザラン邸だと言ったので、そのおかげもあるかもしれません」


「もうひとつだけいいですか。ジュジュさんはイモゥトゥですよね?」


 オスカー卿が不自然に視線を彷徨わせ、ジュジュはクスッと吐息を漏らした。


「イモゥトゥに見えないでしょう?

 成長停止が遅かったおかげで、大人相手の交渉は全部わたしの役目なんです。ユフィもまあまあ成長したほうだけど、わたしに比べれば子どもですよね」


 オスカー卿が返答に窮し、わたしは助け舟を出そうとしたがその前に彼が何かに気づいて立ち上がった。配達員らしき男が門番に何か手渡している。


 オスカー卿は「ちょっと行ってきます」と小走りに封書を受け取って戻ってくると、すぐに開封して「あなた宛のようです」とわたしに二つ折りの紙を差し出した。手紙ではなく電報だ。


『フタリ シンデンニ ホゴサレル P』


 隣にいたジュジュが文章を見るなりため息を漏らした。


「パヴラからね。神殿に向かった二人はイモゥトゥだと明かして保護を求めたんだわ。内部に潜入するために」


 

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