第六話 不意打ちの訪問者
__ロアナ王国サザラン領サザラン伯爵邸__555年9月10日午前
ライナスとは遅くとも九日にサザラン伯爵邸で合流するはずだったが、十日の朝になっても彼はまだ姿を見せなかった。水路庭園に面した食堂で朝食をとりながら何度も窓に目をやっていると、ジュジュが呆れ顔で「焦っても意味ないわよ」と嗜めてくる。
「わたしはジュジュほど肝が座ってないのよ。まだヒヨッコだから」
「年齢はさほど関係ないわ。ダーシャだったら昨夜のうちに置き手紙を残して勝手にウチヒスルに向かってたかもしれない。それはそれで肝が据わってるとも言えるけど、問題でしょ。
あなたが冷静な人間だから、わたしは昨晩ゆっくり眠れたのよ」
わたしと話をしながら、ジュジュの視線はレナードと料理を行き来していた。有名人のレナードを対象とした交霊はイヴォンでも難しいという話をしてから、彼女は目の保養を兼ねてレナードを見ることで交霊回避している。
かと言って、ジュジュが神経質に交霊回避をしているかと言えばそうでもない。以前イス皇国で出会った時も、昨日サザランン伯爵邸を訪ねてきた時も、ジュジュは変装していなかった。
『交霊で対象人物を見るのはそれほど難しくないけど、目当ての情報を得るのは一週間後の天気を当てるより難しいの。気にし過ぎないほうがいいわ』
というのが彼女の主張だった。イヴォンがやっていたような交霊情報の絞り込みは際立って交霊感度が高い彼女だからできること。研究所での記憶共有実験を思い返してもジュジュの言葉は間違っていない。
ジュジュだけでなく、わたしも敵地を目前にして交霊回避が少々おざなりになっていた。ハサを発ってからは化粧で眉や目元の印象を変えるくらいで、会話の内容によって空を見上げるなどして対策していた。肝が据わったというより面倒になったというのが正直なところだけれど、感覚的にはユーフェミアの性格が影響している気がする。
変装をしなくなった理由はもうひとつあった。イヴォンを手に入れたルーカスが、わたしに関心を持ち続けているとは思えなかったのだ。
ダーシャを含め新月の黒豹倶楽部を追っていたのはタルコット侯爵で、そのタルコット侯爵はすでにこっちの味方だ。ライナスの話ではリュカがダーシャを狙っていると言うことだったが、イヴォンに対するのと同じような強い執着を、ダーシャにも抱いているようには感じない。もしダーシャでなければならないなら、ロブはわたしをトゥカ駅に置き去りにしなかったはずだ。
「それで、このあとどうしようか。ライナスが来るのを待つ?」
食事を終えたレナードは葉巻をカットしながらわたしに尋ねる。すぐには答えられず考え込んでいると、足音が近づいてきてオスカー卿が顔を出した。
「また今日も遅れてしまいました。朝早くに父から手紙が届いて、返信を書いていたもので」
「手紙には何か新しい情報がありましたか?」
オスカー卿は真面目な顔で「ええ」とうなずくと、すぐ侍従を下がらせた。そのあと彼が話し始めたのはオングル炭鉱跡地の件だ。真実新報のダン・ヒチョンの元に、オングル炭鉱跡地で訓練を受けたという人物から匿名で情報提供があったという。
「その人物は修復師見習いで、取引先の貴族の息子から『平民も潤うにはみなラァラ派に改宗すべきだ。身分問わず結束してこそ王都ハサは栄える』と誘われ、断りきれずタルコット領の礼拝殿に行ったらしいのです。そこで〝神聖隊〟に入らないかと教司に誘われ、押し負けて入隊することに。その後、山奥の炭鉱跡地に連れて行かれました。
炭鉱跡地には血気盛んなラァラ派かぶれの若者が集められていたらしいのですが、修復師見習いはそこで〝神聖隊〟がロアナ王家を標的とした革命軍だと知り脱走したんです。馬を盗んで山道を走らせ、人里に出てから列車に乗り換えて王都まで戻った――と。
この人物が現在どうしているかはわかりません。今話した内容が真実新報宛に郵送されてきて、その告発文書はその後ユーフェミア嬢もご存知のあの美術商の手に渡り、そして当家に。すでにロアナ王家もご存知だということです。それで、国防軍をオングル炭鉱跡地に送ることにしたと」
「一大事ですね」
ジュジュの言葉にオスカー卿は肩をすくめて同意を表し、さらに話を続ける。
「オングル炭鉱跡地には大量の武器があるので軍を出すしかありません。証拠隠滅されないよう、タルコット侯爵家への事前通告は行わないそうです。まあ、当然のことですよね」
「軍はいつ?」
「具体的な日時は手紙に書かれていませんでしたが、同じ日にラァラ神殿にも調査隊を送るとありました。そっちには第二王子殿下とヒューバート教司様が同行されるそうです。教司様は、表向きは緋衣の指輪の件でラァラ神殿側と話し合いをするという名目で」
「それは、大聖会がこちら側についたと思っていいの?」
「微妙なところですね。何か問題があった時には、ヒューバート教司様がサザラン家出身であることを理由に彼個人にすべてを押し付けるつもりかもしれません。
それより、ライナス君が神殿への潜入を望むなら調査員に紛れられるようにしてもいいと、第二王子殿下がおっしゃっているようです。まあ、そのライナス君と連絡がつかないんですが」
わたしが一歩遅れて通訳を終えると、レナードが不服そうに低く唸った。
「『神殿への潜入を望むなら調査員に紛れられるようにしてもいい』だなんて、恩着せがましい言い方は気に入らないね。素直にライナスを貸して欲しいと言えばいいのに」
「ウィルビー卿は、まるでライナスが自分の所有物みたいな言い方をするのね」
ジュジュの言葉にレナードはニヤッと笑みを浮かべた。
「もうひとつ気になることがあるんだ。その匿名情報は事実かな?」
「どういう意味?」
「ずいぶんタイミングよく軍を動かす理由ができたと思ってね。都合よく、オングル炭鉱へのラァラ神殿の関与まで明らかになった。投書自体が軍を動かすための王家の作り話のような気がしないかい?」
「おかげで潜入方法が見つかったんだし、別に作り話でも関係ないわよ。ウィルビー卿、男は見た目よりも器の大きさが大事よ」
「ぼくが了見の狭い男だってことは自覚しているよ。君の好みのタイプではないかもしれないけど」
二人がヨスニル語でやりとりしているあいだオスカー卿は食事をしていたが、不意に顔をあげて窓に目をやった。
「馬車の音ですね。ライナス君でしょうか」
席を立って窓辺に駆け寄り、開け放った窓から身を乗り出して様子をうかがうと、門前に白馬が見えた。二頭立ての四輪馬車。白く塗られたキャビンには金色で装飾が施されている。
「あれは、フォルブス家の馬車です」
オスカー卿の言葉で緊張が走った。
「フォルブスならユフィとジュジュは隠れたほうがいい」
「レナード様はどうされるつもりです?」
「あれほどのしつらえの馬車に使用人が乗ってるとは思えない。フォルブス男爵か、オールソンの片割れか。どっちかわからないけど顔くらい拝んでおいても損はない」
「通訳なしにオスカー卿と二人で行かれるのは不自然です」
「通訳は体調不良だと言っておくよ」
じきに執事がやってきて、ヴィンセント・フォルブスの来訪を告げた。車内には他に聖職者が一人、小さな子どもが一人乗っていると言う。
「きっとネイサンだわ。ネイサンがいるということは聖職者というのはリュカ……」
口にした途端、心臓がはち切れそうなほど大きく波打った。突然震え出したわたしをジュジュが支え、レナードとオスカー卿が心配そうに覗き込んでくる。
「通訳士は同行できる状態じゃないわね」
「みなさんはここにいてください。門前払いするわけにいきませんし、ひとまずわたしが要件をうかがって来ます」
オスカー卿は馬車を招じ入れるよう執事に命じ、自らも部屋から出ていった。じきに門扉が開かれ、陽光にきらめく二頭の白馬が蹄の音を響かせて敷地に入ってくる。
「ロブだわ」
御者台に座った若い男。淡い茶色の髪色は以前と違っているが、手綱を手にしたうら若い御者の顔は間違いなくロブだった。レナードが「変幻自在だね」と苦笑している。馬車は水路庭園の脇に停められ、わたしたちから見えるのとは反対側の扉から人が降りたようだった。
じきにキャビンの陰から姿を見せたのはロアナ風フリルシャツを纏ったオールソン卿そっくりのヴィンセント・フォルブス。その後ろにいる聖職者はラァラ神殿の祭服を着ていて顔は確認できないが、かぶったフードから金髪がのぞいている。
じきにオスカー卿が玄関から出てきて来訪者を本館に案内しようとすると、ヴィンセントはそれを拒んだようだった。
「何を話してるのかな」
レナードは堂々と窓辺に立っているが、わたしとジュジュはカーテンの陰に身を隠して様子をうかがっている。困惑した表情のオスカー卿とは違い、ヴィンセントは笑みを浮かべていた。
「双子の兄が死んだって聞いてるはずなのにあんなふうに笑うなんて。悲しんでるフリくらいすればいいのに」
「死亡通知はどこにも届いていないわけだし、オールソンの死亡を報じたのは真実新報ではなく別のゴシップ紙だ。疑ってるんだろう」
ライナスが情報提供したにも関わらず、真実新報はクリフ・オールソンの死を報じなかった。確証のない情報を載せるのはプライドが許さなかったのだろう。代わりに記事を載せたゴシップ紙はキックグ通りにあるらしく、ダン・ヒチョンが手を回してくれたに違いないが、信憑性が落ちるのは仕方ない。
「彼らの目的は地下書庫かもしれないよ」
レナードが馬車脇の男性たちを指さしていた。全員が水路庭園に背を向け、夾竹桃とサルビアのある庭園をながめている。地下書庫がある裏庭はその奥だ。
「イヴォンは交霊を制御できる状態じゃないし、前世のイヴォンになりきって喋ってしまったのかもしれないわ」
「あり得るね。ジュジュ、ユフィを任せていいかな。ちょっと様子を見てくるから」
「構わないけど、ヨスニルの公子様がむやみにロアナの闇に首を突っ込まないほうがいいわよ。セラフィア・エイツがどうなったか知ってるでしょ」
「すでに向こうの手の内はわかっているし、油断しなければ問題ない。ぼくにはこれがあるしね」
レナードは麻ベストの裾をめくって腰の短銃を見せると、あっという間に食堂から出ていった。馬車の傍にいた三人はロブを置いて移動し始め、玄関から出てきたレナードが彼らを追いかけていく。
「あっ、ユフィ。ロブが動いたわ」
少年のように小柄な従者ロブ。彼は馬車のまわりを歩いて周囲を確認し、その姿が再び車体の陰に消えるのと同時にキャビンのカーテンが開いて子どもが顔をのぞかせた。そして忙しなく周囲をうかがう。
「あれってネイサンよね。ロブを警戒してるみたいに見えるけど」
馬車の近くにいるのはロブだけだった。それ以外で屋外にいるのは門番二人、本館玄関前に執事と侍従。それと、庭園奥にある白葡萄のパーゴラのそばで庭師が一人しゃがみ込んで作業している。
「水路の水を怖がってるのかもしれないわ。ネイサンにとってもルーカスにとっても水路庭園は寛げる場所ではなさそうだし」
「ユフィ、いいこと思いついたわ。ルーカスをおびき寄せて水路に沈めるっていうのはどうかしら?」
「それでこっちが体を乗っ取られたらどうするのよ」
「問題はそれね。水攻めより火攻めのほうがいいかしら。釜に入れて焼いたら美青年の陶器の置物ができそう。金槌で叩き割ったら胸がスッとするわよ」
「悪趣味なこと言わないで」
ジュジュの軽口はわたしを落ち着かせるためだろう。じきに建物の陰からレナードが現れ、白馬の傍らにいたロブが警戒するように目で追った。レナードはそれを無視して玄関に入る。
「戻って来るのがずいぶん早いけど、追い返されたのかしら」
「言葉が通じないんだから仕方ないわよ」
「言葉は通じるはずよ。ルーカスはヨスニル語ができるから」
「喋れないフリをしたかもしれないでしょ」
ノックの音のあと食堂の扉が開いて、レナードは開口一番「地下書庫だ」と言った。どうやら、ルーカスはヨスニル語を話したらしい。
「サザラン家の地下書庫にウチヒスル村の資料があるってことを、イヴォンが彼らに教えたそうだ。その資料を返却してほしいって」
「返却?」
「旧ウチヒスル村の土地を管理しているのはフォルブスだからウチヒスル関連のものはフォルブスの管轄。イヴォンについても神殿に保護義務があるって」
レナードは腹立たしげにフウと息を吐いた。
「それで、オスカー卿は言われるがままに案内したんですか?」
「地下書庫に残したものは、向こうの手に渡っても問題ないと判断したんだろう。奇病事件の報告書と事件前数年分の資料は本館にある。とりあえず、ぼくは本館にある資料とライナスの告発書がやつらに見つからないよう隠してくるよ」
レナードは早口に言うと踵を返して食堂を出ていった。
地下書庫にあった資料にリュカが欲しがるような情報は載っていないはずだ。それなのにわざわざサザラン伯爵邸まで足を運んだのは、地下書庫に何があるかは知らなかったのだろう。
レナードが出ていった扉をながめていると、突然ジュジュが腕を掴んだ。
「ちょっと! あの子、馬車から脱走したわよ!」
「えっ?」
馬車のキャビンの扉が開いているのがまず目に入った。数メートル離れたところで金髪の男の子が身をかがめ、生け垣に隠れるようにゆっくりと馬車から遠ざかっている。
「あの子、何をするつもり? 水路の方に逃げるなんて」
ジュジュの声が聞こえたかのように、ロブが馬車の異変に気づいてキャビンの扉を全開にした。すぐさま水路庭園を振り返ったが、ネイサンはすでに駆け出している。




