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泥濘のリュカ〜わたしを殺した彼のルーツ〜  作者: 31040
第三幕 ルーツ ――第一章 ロアナ王都ハサ
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第五話 サザラン伯爵邸の茶会

__ロアナ王国王都ハサキックグ通り外れの美術商__555年9月6日



 日が暮れる前にお茶会の招待状を受け取るため新聞屋を訪れると、ダン・ヒチョンにキックグ通りの外れにある美術商へと連れて行かれた。そこで待っていたのは人の良さそうな小柄なロアナ人オーナー。オーナーは王家とも取引がある上、ロアナに出入りしている外国人にも顔が広いのだと言う。


「わたしはサザラン伯爵とも知り合いでね、紹介したい人がいると言えば招待状は用意してくれるだろうね。人脈は金脈だからね。

 ところで母語は何語かな?

 見た目を偽装しても言葉で出身国はバレてしまうからね」


 ライナスは「おれも彼女もヨスニル語だ」と、平然と嘘をついた。余計な詮索をされないためだろう。


「おや、サザラン伯爵の興味を引くにはちょうどいい。ヨスニルにはエイツ男爵がいるからね。彼はサザラン伯爵と同じようにクローナ大陸を股にかける事業家だ。それだけでなく、最近エイツ男爵について面白い話があるのを知っているかな?」


「セラフィア基金のことですね」


 動揺するわたしの代わりにライナスが答えると、オーナーは満足そうに微笑む。


「まったく、面白い話じゃないか。だが、ロアナでそれを報道したのはダン君のところの真実新報だけなんだよね。他の出版社はどこもかしこも神殿の顔色をうかがってばかりで、ロアナ国民は本当のことを知る機会すら奪われているんだよ」


「あの……、サザラン伯爵様はセラフィア基金に興味がおありなんですか?」


 わたしが問うと、オーナーは短い顎髭を撫でて「ふうむ」と唸った。


「エイツ男爵は大聖会に多額の寄付をしているんだよね。だから、エイツ男爵と大聖会の関係は、サザラン伯爵とラァラ神殿みたいなものなんだよ。気にならないはずがないよね」


「それは、少し違うと思います。サザラン伯爵様はラァラ神殿に利用されているけど、エイツ男爵様は大聖殿を利用しているのですから」


 ほう、とオーナーは肉付きのいい頬を緩ませて意味深な眼差しをわたしに向けた。


「エイツ男爵と面識があるのかな?」


「わたしはエイツ男爵令嬢と親しくしていました。男爵様にお会いしたこともあります」


「おや、それはいい、それはいいね。その話をサザラン伯爵にしてもいいかな? そうすれば伯爵も君たちに興味を持つと思うよ」


「では、そうしてください」


 話がまとまった時には空の半分が茜色に染まり、東の空には星が瞬いていた。


「招待状も服も用意しておくからね。明日の朝九時にここに来てね」


 オーナーは門の前までわたしたちを送ると、従業員が引いてきた馬に跨りサザラン伯爵邸に向かった。


 そして翌日。わたしとライナスが約束の時刻に美術商に行くと、ヨスニル紳士風の服と、ロアナ貴婦人風のドレスが用意されていた。


 オーナーが考えたわたしたちの偽装身分はこうだ。ライナスはヨスニル共和国で画商を営むセネット男爵家の後継者ポール・セネット。わたしは腹違いの妹アイリーン・セネット。ポールはロアナ語ができる妹アイリーンを連れ、今回初めて男爵の代わりに商談に訪れた。ご丁寧に揃いの金髪のカツラまで用意してあったが、腹違いということにしたのは肌色が違うせいだろう。


「ヨスニル出身なのに、なぜわたしのドレスはロアナ風なんですか?」


「外国紳士はロアナシャツを着たがらないんだけどね、外国人女性はロアナドレスに袖を通してみたがるものなんだよ。ロアナで着なければ一生着ることはないからね」


 ドレスは五着用意されており、わたしが選んだのは向日葵のような明るい黄色のドレス。それ以外はサイズが合わないか露出過剰で、消去法で選んだのがそのドレスだった。


 ロアナドレスは基本的に配色がシンプルだ。二色か、多くて三色。レースがついているものもあるけれど、柄染めしたり刺繍を施すという文化がないらしく、わたしの選んだものも黄色の生地をベースに差し色に赤があるだけ。


 特徴はフリルで、胸元とスカート部分にフリルを何段も重ねたデザインはいかにも古典的だった。ヨスニル生まれのわたしには野暮ったく感じられるが、男性二人は興味津々にわたしのロアナドレス姿を眺めている。


「〝アイリーン〟はどこからどう見てもロアナ貴族令嬢だな」とライナスがここぞとばかりにからかう。


「お嬢さんは小柄だし、小麦色の肌はロアナでは珍しくないからね。向日葵の化身みたいでかわいいね」


 オーナーは愛娘でも見るように目を細めた。鏡を見るとハサの街を歩いていそうな令嬢がそこにいる。こういった派手な色のドレスはロアナの濃い青空と褐色の街並みによく馴染むだろう。ソトラッカでは見世物にしかならないけれど。

 

「オーナーはどうしてこんなに良くしてくれるんです? ダン・ヒチョンに借りでもあるんですか?」


 ライナスが問うと、オーナーはうって変わって眉間に皺を寄せた。そして「ラァラ派なんて、あんなのは宗教でもなんでもないよね」と、うんざりしたように首を振る。


「借りではなく、反ラァラ派としてダン・ヒチョンに協力を?」


「まあ、そうだね。

 ロアナ北部の商売人の間ではラァラ派貴族はかなり毛嫌いされてるんだよね。こっちの極秘情報や弱みを握って脅してくるんだから。

 どうやって情報を仕入れてるのか、怪しいことこの上ない。神殿は金の匂いがするところには手当たり次第諜報員を送り込んでるんじゃないかって囁かれてるくらいだよ。

 わたしがラァラ派の中で唯一サザラン伯爵に対して好意的なのはね、そういう噂にサザランの名前が含まれていないからなんだ」


 サザランの名が含まれない理由は明らかだった。エリオットの死後、具体的にはいつからなのかはわからないが、フォルブスは神殿での権力基盤を固めるためサザランを遠ざけるようになった。当然ながら、サザランはイモゥトゥを利用して情報収集することができなくなったはずだ。それでも未だ栄華が衰える様子がないのは、歴代サザラン伯爵の努力の賜物だろう。そして、現サザラン伯爵が模索している次の一手が、もしかしたらラァラ派からの離脱。


 わたしがサザラン家のことを考えている隣で、ライナスは別のことに思考を巡らせていたようだった。


「オーナーも真実新報が報じたルヴィルナグ聖殿改修に関する記事は知ってますよね。ダン・ヒチョンは建築家カーリッド・ヨークがサザラン伯爵と聖殿に入って行くのを見たと言っていましたが、もしかしてあなたが事前にダン・ヒチョンに教えたんじゃありませんか? あなたなら情報を入手できそうです」


「ほう、懐かしい話をするね。わたしはあの時、サザラン伯爵が堂々と名乗りを上げてくれることを期待したんだけどね、すぐに否定したから失望したよ」


「時期尚早だったんですよ。サザラン家にも事情がある」


「そのようだね。わたしにも落ち度があったみたいだ。だから今は慎重にやってるよ」


 オーナーは意味ありげな笑みを浮かべ、引き戸を閉じるように人差し指で唇をなぞった。ロアナで使われる〝秘密〟〝内緒〟の仕草。


 もしかしたら、ルヴィルナグ聖殿改修の件は水面下で継続しているのかもしれない。それを尋ねる時間はなく、身支度を終えたわたしたちは慌ただしく馬車に押し込められ、ハサ郊外にあるサザラン伯爵邸へと出発したのだった。


 窓に見えていた王城はじきに背後へと遠ざかり、三十分ほど馬車に揺られた頃だろうか。わたしは窓外の路地に目を奪われた。通りに面して色とりどりの日除け布が張られ、人で混雑している。一見キックグ通りに似ているが、布は色褪せ、道幅が狭いせいか薄暗く陰鬱な印象だった。


 思い出したのはルーカスが語ったハサ郊外の光景。


 ――彼女に会ったのはハサ郊外の商店街。評判の占い師がいるっていう噂を聞いて興味本位で出かけたんだ。テントは商店街の奥まったところにあって、そこに行くまででもぼくには大冒険だった。ようやく見つけたのは占い屋じゃなくて霊媒相談と書かれた紙。天井に吊られたランタンに――。


「ルーカスは、サザラン伯爵邸を抜け出してハサ郊外の商店街でイヴォンに会ったって言ってたわ。もちろんイヴォンに会ったっていうのは嘘だけど、商店街に行ったのは本当だったのかしら?」


 わたしが問うと、ライナスは「嘘に決まってるだろ」と迷うことなく答えた。


「さっきのはクンデ通り。食料品や日用品の露天商が並んでるだけの場所だ。そんな場所に行く必要が?」


「サザラン伯爵邸の近くには商店街がある?」


「ないよ。あるのは王立競馬場くらいだ。もうじき見えてくる」


 その言葉通り馬車はじきに街を離れ、緑の丘陵地が広がる中に建物が見えた。横長の屋根付き観覧席と、その手前に長い木の柵。おそらく柵で仕切られたコースを馬が走るのだろう。ゴール地点らしき場所のそばに二階建ての円筒形の建物があり、ベランダから競技を眺められるようになっている。


「馬はいないのね」


「競馬が開催されるのは王都の社交シーズンだけだ。今いるのはあれ」


 ライナスが競馬場とは少し離れたあたりでのんびりと草を食む羊の群れを指さした。


「王立競馬場は軍が使うこともあるが、サザランの動きが王家と関係してるのなら当分は使わないだろうな。茶会に向かう途中でそんな物騒なものを見せられたらまるで脅しだ」


「じゃあ、羊を放してるのはここは平和だって印象付けるため?」


「これは例年の風景だ。それより、そろそろ本番だぞ」


 丘の陰から屋敷が現れ、やや下りになった道の先に馬車がずらりと並んでいるのが見えた。敷地は石塀に囲われているが、大きな夾竹桃がその上に頭を出している。


 お茶会は庭で開かれるようだった。招待客は門前で馬車を降りて次々と中へと案内されていく。馬車と石塀、行き交う人々の奥にチラチラと覗く赤はサルビア。ルーカスが商店街に行ったのは嘘でも、『大きな夾竹桃があるし、前庭はこれ見よがしにサルビアが植えられてる』と言っていたのは事実だったようだ。


「想像してたより規模が大きいな。神殿も警戒するだろうに、もしかしたら、サザランはオングル炭鉱跡地での神殿の動きを察知してるのかもしれない。ダン・ヒチョンもおれたちも利用されてるのかも」


「どういうこと?」


「オーナーが言っていただろう? 今は慎重にやってるって。聖殿改修の時はオーナーは勇み足で失敗したが、今回はサザラン家や王家と足並みを揃え、タイミングを見計らって新聞屋に情報を流そうとしてるのかもしれないってことだ。

 外国人を招いたサザラン伯爵家の茶会に王族が同席――そんな記事が出ればラァラ派かぶれの王都の若者は動揺する。〝革命派〟の足並みは乱れるはずだ。それを仕掛けるタイミングが今だったんじゃないかって意味」


「考え過ぎじゃない? わたしたちがタイミング良く目撃者に選ばれたってこと?」


「偶然とは言い切れないさ。

 あんたとおれが今ロアナにいるのは、元をたどればリュカが原因だ。やつが焦り始め、エイツ男爵令嬢は死んだ。そしてやつの命令でフォルブスが動き、フォルブスの命令で神殿が動く。大きな転機は聖女捜索の記事だろう。あの記事がきっかけで、おれもタルコットも腹を決め、おそらくサザラン伯爵も行動を開始した。

 そう考えれば、何が起きてもすべて必然さ」


「尤もらしく言ってるけど、こじつけじゃない」


「そうか?

 ダン・ヒチョンは王族がサザラン伯爵邸に出入りしていることを知っていた。オーナーは以前からダンに記事を書かせるべく情報を与えていたんじゃないかな。でも、聖殿改修の記事以降に慎重になったのはオーナーだけじゃなくダンもだった。

 おれたちが現れなければ、オーナーが別の誰かや方法を使ってダンに情報を与えた気がするんだよね。

 何にせよ、状況は悪くないさ。サザランに神殿と手を切るつもりがなければ、こんな派手な動きはしないはずだ」


 ライナスは勝算ありと踏んだらしくサザラン伯爵邸に吸い込まれていく人々をニヤけつつ眺めていた。


 彼の推論が合っていたのかもしれないと思ったのは、招待状を渡した案内係の男性が背後にいたメイドに何か耳打ちし、メイドが慌てた様子で屋敷の方へと走っていった時。しばらくしてサザラン伯爵の執事という男が現れ、招待客で賑わう前庭のお茶会会場を横目に素通りし、本館と別館を繋ぐ渡り廊下の向こうにある中庭に案内された。ここまで来ると、複数の言語が入り乱れた華やかな喧騒も木々の葉擦れ程度にしか聞こえない。


「当主様とそのご友人が、セネット様と直接お話されたいとのことです」


 執事はそう言うと、少し離れた場所にあるガゼボをスッと手で指し示した。芸術の古都らしい、凝った彫刻が施された円筒形のガゼボ。そこで三人の男性がわたしたちを見ている。そのうち一人がクッと顎を引くと、執事は「わたくしはこれで」と立ち去っていった。


「第二王子とサザラン伯爵だ」


 ライナスが耳打ちする。二十代前半くらいの、金髪に日焼けした肌の男性が第二王子だろう。白髪混じりの五十絡みの男性がサザラン伯爵。しかし、わたしの目が釘付けになったのはもう一人の男。中央クローナ風の折り襟シャツを着た品の良い中年紳士だ。


「イ・クルム子爵だわ」


 わたしの囁きに、ライナスは喉が詰まったような小さな声を漏らした。


 イ・クルム子爵はプリンセスオリアンヌ号で乗り合わせたザッカルング共和国の元外交官。レナードが用意した『タルコット交友一覧』に名を連ねていた男だが、彼がなぜ――と考えを巡らせる暇はなかった。


「お二人ともどうぞこちらへ」


 サザラン伯爵は親しげな笑みを浮かべてわたしたちに手招きした。


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