第四話 反逆と革命
__ロアナ王国王都ハサ駅西キックグ通り__555年9月6日昼過ぎ
新月の黒豹倶楽部はこのキックグ通りにあるのだから、情報提供者がレナード・ウィルビーだということはほぼ間違いなかった。わたしとライナスの顔を交互にうかがった男は、紙切れの内容に信憑性があると思ったのか「糞ったれ」と頭を掻きむしる。
「兄ちゃん、神殿は反逆でも起こすつもりか? 聖会が軍を持つことは禁止されているというのに」
「明るみになっても捕まるのはタルコット侯爵だろうな。まあ、タルコット領には国境警備隊が常駐しているし、侯爵家からも兵士を出さないといけない。そのための訓練生と言えば誤魔化せないこともなさそうだ」
「国境警備隊は国軍?」
「三分の二は国防軍所属の官兵。残りの三分の一がタルコットの私兵だ。国境警備隊はその名前の通り国境付近にしかいないから、内陸のオングル炭坑跡地でそんなことになってるなんて知りもしないだろう」
「でも、実際に反逆が起きたら国境警備隊も動くでしょう?
オングルに数十人程度いるだけの神殿の軍なんて、あっという間に鎮圧できるんじゃない?」
「まあ、たしかにな」と男は同意したが、ライナスは「考えが甘い」と呆れ顔で首を振る。
「神殿がオングル炭坑跡地で養成しているのが一般的な兵士ではなくおれみたいな特殊部隊だとしたら? 王城を占拠するのは無理でも混乱状態に陥れることくらいはできそうだと思わないか?」
わたしが言葉を失うと、男は眼鏡を押し上げて「兄ちゃん、そんなにすごいのか」と感嘆の声を漏らした。
ライナスは戦闘訓練は受けていないようだが、あの身軽さに銃が加われば今の言葉が誇張し過ぎとは言えない。ライナスは男に対する警戒心を解いたのか、単に調子に乗っているだけなのか、その舌先はどんどん滑らかになっていった。
「軍隊同士のぶつかり合いよりやっかいなのは民衆だ。オングル炭坑跡地で育てたやつらを王都に紛れ込ませ、民衆を煽れば〝反逆〟ではなく〝革命〟になる。王都民は〝芸術と歴史の古都ハサ〟を誇りに思っているようだが、その一方で羽振りのいいロアナ南部に劣等感を抱いているんだ。
ハサが潤うのは王都にやって来た南部貴族が金を落としていく社交シーズンだけ。そんな状況に若者は不満を抱いているし、こう考えてるやつもいる。王家がラァラ派に改宗すれば、ハサも南部のように豊かになるんじゃないかってね」
「そんなのは妄想だ」と、男は鼻で笑った。
「サザランを除けば、南部貴族が栄えた時代はとっくに終わっている。物を知らない連中がサザランだけを見てロアナ南部全体が裕福だと勝手に思い込んでるだけだ。南部が貧しいわけじゃないが、以前ほどの活況はない」
「事実はそうだ。だが、南部貴族は去勢を張るために王都での社交に金をかけてるし、ラァラ派の北部貴族であるオールソン伯爵家とタルコット侯爵家は羽振りがいい。特にオールソン伯爵家についてはラァラ派に改宗して好転したと考えてるやつもいる」
「順序が逆だわ。オールソン家がラァラ派に鞍替えしたのは炭鉱で儲かってからよね?」
「事実はそうだ」と、さっきライナスが言った言葉を今度は男が口にした。
「嬢ちゃん、こういう商売してるとつくづく身に沁みて思うんだが、ほとんどのやつは事実かどうかなんて大して興味もないんだ。
ラァラ派になれば儲かるという考えは若者にとってはある種の希望みたいなもんなんだろうな。それを信じるために事実を捻じ曲げて都合よく解釈してるってわけだ。
最近、親の反対を押し切ってタルコット領の学校に進学したり、それが無理なら礼拝だけでもタルコットのラァラ派礼拝殿に行ってるってやつもいる。ハサにも一応ラァラ派礼拝堂がひとつあるが、そこは連日若者がたむろしてロアナ経済について議論してるって話だ。まったく、何が礼拝堂だ。信望してるのはラァラじゃなく金じゃないか」
男は苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨て、さらに続けた。
「ロアナでラァラ派が優勢なのは誰もが知ってる事実だ。王都の若者が〝王家のラァラ派改宗〟を掲げて蜂起すればロアナ南部のラァラ派はこぞって支持するだろう。南部貴族のほとんどは王家を軽んじているし、王権をサザランに譲るべきだという過激な発言も何度か耳にしたことがある。
兄ちゃんはサザランもそれを望んでいると思うか?」
「おれに聞く前に、おっさんはどう思ってるんだ?」
「この紙切れを見るまでは、サザラン伯爵が王家とルヴィルナグ聖殿と手を組んでジチ正派を支持しようとしてるんだと考えていた。だが、この紙切れの話が本当ならかなりの金が動いてる。そうなるとサザランがこの件に無関係とも思えない。もしかしたら、サザラン伯爵は王家とルヴィルナグ聖殿をラァラ派に引き入れようとしているのか?
おれには王家がラァラ派への改宗を前提にサザランと接触してるなんて、逆立ちしても信じられないんだが」
「もしかして、おっさんがあのガセネタを書いた人? ルヴィルナグ聖殿改修の」
ライナスの言葉に、男は眼鏡を押し上げて彼を睨みつけた。
「ガセじゃない。サザラン伯爵がハスニ民国の建築家カーリッド・ヨークを連れてルヴィルナグ聖殿に入って行くのをこの目で見たんだ。記事にはしなかったが、その一時間ほど前に第二王子がお忍びで聖殿に入って行くのも確認してる。王家とサザラン伯爵、ルヴィルナグ聖殿、カーリッド・ヨークの四者が聖殿に集まったんだ」
なるほどね、とライナスは納得した様子でうなずいた。
「王家とサザランの関係については、おれもおっさんと同意見だ」
「同意見って、どっちだ。サザランは――」
「サザランはラァラ派から離れたがってるんじゃないかと思ってる。オングル炭坑の件も無関係だろう。まあ、神殿の資金の大部分はサザランの拝納金だから完全に無関係とはいい難いが、拝納金の使途にサザランが口出しすることはできない。
おっさんはサザランの名を伏せてあの記事を書くべきだったんだよ」
むう、と唸る男を一瞥し、ライナスは唐突に椅子から立ち上がった。
「そろそろ行こうか。おっさんに提供できる情報はもうないし」
「待て。この後どうするんだ?」
男はわたしが立ち上がろうとするのを手で制し、ニッと口角をあげてライナスを見た。
「教えるわけないだろ」
「サザラン伯爵家の茶会に行ってみる気はないか? 招待状は手に入る」
思わぬ提案にわたしとライナスは顔を見合わせる。一度上げた腰を再び下ろし、ライナスは警戒の眼差しを男に向けた。
「おれたちにスパイをさせようと?」
「本職なんだろ?」
「おれはね。だが彼女はそういうのじゃないし、フォルブスとも無関係の人間だ」
「だとしても、ここに連れて来たってことは兄ちゃんと同じくらい事情通ってことだ。それに所作が貴族っぽい。舞踏会に行ったことは?」
「ロアナの社交のことはまったくわからないわ」
「それでも構わない。実は、サザラン伯爵が最近頻繁に外国人客を招いて茶会やら舞踏会やらを開いてるんだ。そこに王弟殿下と第二王子がお忍びで出入りしてる」
「ロアナ王都の社交シーズンは春から初夏では? それに、秋の狩猟シーズンからはサザラン伯爵領が社交の中心になると聞きました。なのにサザラン伯爵は今も王都にいるんですか?」
社交時期に関することはルーカスから聞いた内容だ。サザラン伯爵が領地にいるものだと思っていたから、パヴラたちと合流したらすぐ王都を発つつもりだったのだが。
「例年なら領地に戻るか外国を飛び回ってるが、八月の間ずっとタウンハウスにいたようだ。息子のオスカー卿も一緒に」
ヒューバート教司からサザラン伯爵宛の手紙を預かっていたため、わたしたちに男の提案を蹴るという選択肢はなかった。
「いつあるんですか?」
「明日の午後に茶会がある。それが無理なら四日後の舞踏会、もしくは一週間後の茶会。その後は未定だ」
急な話だが時間的余裕のないわたしたちにはちょうどいい。
「明日行きます。ライナスもそれでいいわよね」
「レディーのお心のままに」
恭しく頭を下げるライナスの演技じみた所作に男は苦笑しつつ、「決まりだな」と膝を叩いて立ち上がった。招待状は後ほど受け取りに来ることにし、わたしたちは男の名刺だけを受け取ってその建物を出る。
「新聞屋に寄らなかったらサザラン伯爵が王都にいるのも知らずサザラン領に向かうところだったわね」
「そんな失態はしないさ。サザラン伯爵がここにいることくらい、ハサの黒豹なら知ってて当然だろ?」
「たしかにそうね。それより、黒豹の場所はちゃんとわかって――」
ふと背後に気配を感じて振り返ると、そばかすに赤毛の女性が「シッ」と口元に指を立てた。変装していても気の強そうな吊り目はパヴラに違いない。
彼女はわたしとライナスを追い抜くと二軒先で細い路地に入り、振り返りもせず奥へ進んでいく。何度か路地を曲がった後でようやく足を止め、裏口らしい質素な木戸を開けると「早く」と押し込むようにわたしたちを中に通した。
机に向かって手紙を読んでいた金髪の美青年が顔をあげ、目が合うと笑みを浮かべる。
「ユフィ、ライナス。やっと来たね」
「レナード様も無事でなによりです」
赤褐色の石壁の建物の内側は白い漆喰壁。小さな部屋には机と椅子とチェストとベッドがひとつ。壁際に掛かった布はハンモックらしく、向かいの壁にフックがあった。隣室への扉が半開きになっているが、人の気配は感じられない。
「それで、あの後どうなったの? 銃が暴発したって新聞記事になってたけど、ほとんど情報がなかった。アカツキは無事?」
「アカツキは」と、わたしが答えようとしたのをライナスが手を上げて制した。
「ウィルビー卿、ここにいるのは二人だけですか?」
「ぼくとパヴラだけだ。壁が厚いから盗み聞きされる心配もない。それに、盗み聞きされてもヨスニル語は理解できないさ」
「たしかにそうですね」
わたしたちはテーブルを囲み、一昨日トゥカ駅で別れてからこれまでのことを話した。当然ながら聖地での話に楽しい要素はひとつもなく、レナードとパヴラは時おり眉を顰めてため息をついた。
わたしは時々ライナスの言葉を補ったくらいで、ここでも彼の独壇場。彼に任せたのは、ライナス自身のことをどこまで話していいか判断がつかなかったからだ。
彼は自分が泥魂人形だったことは伏せたが、カラック村孤児院の出身だということ、神殿に復讐するためにタルコットに近づいたこと、タルコット侯爵家とサザラン伯爵家に同じ内容の告発文書を送ったことは隠さず話した。
ライナスと初対面のパヴラは最初こそ警戒していたが、次第にそれが緩んでいくのが表情からうかがえた。それもそうだろう。タルコット侯爵家の隔離塔より、カラック村孤児院の方がイモゥトゥにとって過酷な場所だったのは間違いないのだから。
「――で、おれとユフィはハサでウィルビー卿たちと合流したらすぐサザラン領に向かう予定だったんだけど、新聞屋との話の流れでサザラン伯爵の茶会に行くことになったってわけ」
「ライナスよりぼくが行ったほうがいいんじゃないか?
着ていく服もないだろう?」
レナードが茶化すように言う。本気で自分が行こうとは思っていないようだ。
「ウィルビー卿は目立ち過ぎる。中央クローナからの外国人客がいるかもしれないし、たとえ変装していてもウィルビー公爵令息殿の美しさは隠せませんからね」
「褒めてるのか?」
「事実を言ったまでですよ」
表情を緩ませたレナードに、わたしは新聞屋の男にもらった名刺を見せた。そこには『王都真実新報 主筆ダン・ヒチョン』と書かれている。〝真実〟を自ら名乗るあたりに胡散臭さを感じないでもないが。
「レナード様はなぜこの新聞社に情報を? メモ書きを渡したのはレナード様ですよね?」
「真実新報が反ラァラ派というのはここら辺では有名らしい。いい感じに神殿を牽制するような記事を書いてくれないかと思ってね。侯爵の反逆が疑われるかもしれないが、タルコット領を神殿に好き勝手にされるよりマシだろう。幸い侯爵は聖地にいるわけだし」
「ウィルビー卿はいつの間にあんな情報を?」
ライナスが問うと、レナードはさっき読んでいた手紙を封筒ごと彼に投げて寄越した。
「アレックス・フィンチからの報告書だ」
「従者の?」
「ああ。その報告書に、国外からタルコット領に武器が持ち込まれ、タルコットとオールソン間を行き来する石炭用の貨物列車に紛れ込ませて運んでいるという内容が書かれてる」
「主人に似て優秀な従者ですね」
「たしかにアレックスは優秀だが、こんな短期間で調べられるはずがないだろう?
以前、何人かの知り合いにタルコットに関する情報提供を求める手紙を出していたんだ。その返信がウィルビー家に届いてるんじゃないかと思ってアレックスを家に戻らせた」
今の話に思い当たることがありアッと声を漏らした。
「プリンセスオリアンヌ号に乗船する前に、アカツキがレナード様にタルコットの調査を頼んだからですね」
「そういうこと。ユフィも知っての通り、ぼくの友人には武器の製造や販売を生業としてる人が何人かいる。その友人たちが直接タルコットに販売したわけじゃなくて又聞きした話なんだが、二人から同じ情報が入ってきたから信憑性は高い。それに、オングル炭坑跡地で銃撃訓練してるのをここにいた新月の黒豹倶楽部のメンバーが見てるんだ」
「えっ?」
驚きの声をあげると、レナードが複雑な微笑を浮かべた。
「アレックスが報告書をどこに送ればいいかと聞いてきたから、パヴラに了承を得てここに送ってもらうことにしたんだ。大聖殿宛だと下手すれば大事になりかねないからね。
それで、仕事の早いアレックスは早々と報告書を送付し、ぼくらが到着したときには開封済みだった」
「これを見た黒豹倶楽部が調査に行ったんですか?」
「そうらしい。タルコット・オールソン間の鉄道周辺で怪しいところがないか探したみたいだよ」
「それで、今彼らはどこに?」
ライナスの質問に答えたのはパヴラ。
「神殿に向かったわ。イヴォンが列車を降りた様子はなかったし、だったら向かうのはラァラ神殿しかないでしょ」
「それは意外だね。ユフィは別として、新月の黒豹倶楽部がイヴォンの救出に協力するとは思わなかった。同じイモゥトゥとはいえ、彼女はタルコット生まれじゃなく神殿のイモゥトゥだ。それなのに、わざわざ危ない橋を渡るなんて」
「ロアナに残ってるイモゥトゥは、見つからないよう静かに暮せればいいって考えじゃないのよ。ハサに常駐してたのは三人だけど、それ以外にも何人かいて常にサザラン領やタルコット領に潜んで神殿の動きを探ってる。まあ、フォルブス男爵家に潜り込むような酔狂な仲間はいないけどね」
パヴラは呆れと感心とが混じった表情でライナスを見、ライナスの方は微笑でその眼差しを受け流した。
「ところで、オングル炭坑跡地に行ったイモゥトゥは何か他に言ってなかった?
例えば、軍事訓練を受けていたのは少年少女だった――とか」
その言葉にパヴラとレナードが息を飲んだ。
「たしかに、神殿が関与してるって時点でイモゥトゥだっていう可能性を考えるべきだった。でも、そんな話は聞いていないし、……あまり考えたくないわね。イモゥトゥなら〝根〟で洗脳されてる可能性もあるわけでしょう?」
〝根〟と口にした時パヴラの眉間に皺ができた。ライナスは簡単にしか〝根〟のことを説明していないけれど、泥からできた人ならざるものというだけで嫌悪感を抱いているようだった。ライナスの表情は変わらない。
「さっき話したように、根を使う度にリュカの体は縮むことになる。数十人洗脳しようとしたら片腕一本分くらいは必要だろうね。
おれが把握してる神殿のイモゥトゥの数を考慮すると、オングルにいるのは大多数が普通の人間で、何人か洗脳されたイモゥトゥが混じってるんじゃないかな」
ふと、頭の隅で火花が弾けるようにオングルと別の話が繋がった。
「ねえ、さっき新聞屋が言ってたわよね。ラァラ派にかぶれた王都生まれの若者が、タルコット領の学校や礼拝殿に行ってるって。もしかしたら、そういう若者をオングルに連れて行ってるんじゃないかしら。
神殿が〝反逆〟ではなく〝革命〟と言い張りたいなら、タルコットで蜂起するんじゃなくて王都内部から声を上げなければいけない。王都の若者を巻き込めばそれが可能だわ」
「考え過ぎ――って、オトなら言ったかもしれないけど、今のユフィの話は頭に入れておくべきね」
パヴラはそう言って、オトの代わりに自分で自分の眉間を揉んだ。
ロアナ北部でもきな臭い動きがあるようだが、すべてに首を突っ込んでいては手遅れになりかねない。まずはサザラン伯爵邸のお茶会だ。




